第219話 驚異の行動
「お前さんは通っていいよ。気をつけてね。はい次……まぁ銀とは珍しいね、あんた一人旅?」
冬らしくない強い日差しの中、小太りの女が手を日傘にして、やってきた少女を見た。
「はい。友人がたぶん王都に」
「へぇ、若いのに賢いね。王都に行くのに、ここから入国するなんてさ」
少女の入国許可証をあらためた検問の女兵士が、小さく唸った。
ここは『剣の国』リラシス王国からレイシーヴァ王国に入国するための国境検問所である。
同様の検問所は正式には三つあり、そのひとつであるこの砂漠地区の検問所は嫌われている。
通過後に古代王国期の魔法実験の影響が色濃く残った地区を複数抜けねばならないからである。
しかし一つ目の難所、ダーラン砂漠は大地に宿った火の精霊力が極端に強く、魔物が未だに棲みつけない。
暑さだけを凌げば二時間ほどで難なく抜けることができ、都市アリエスで休むことができる。
二つ目の難所は、アリエス通過後一転して極寒となる氷山地帯。
旅人は通称『
それでも氷の精霊力の強い地なだけに山賊はいない。
また、火さえ焚かなければ氷の精霊たちを怒らせることもなく、大人の足で2日ほどかかるものの、比較的安全に抜け、アイセントレスへと到達できる。
唯一危険とされる
「『リズースの花』の相場は銅貨十枚さ。高いのを掴まされるんじゃないよ」
「ありがとうございます」
小太りの女の衛兵から受け取った入国許可証を懐にしまい、銀色の髪の少女は黒外套の襟を押さえながら、砂塵の舞う道なき道を歩き始める。
この少女は、アリアドネである。
彼女は通っていた学園を休学にして、単身でレイシーヴァ王国に入ったところであった。
「ピィ、ピィ」
すっかり懐いた小鳥は、外套に挟まれたアリアドネの胸元で鳴いている。
小鳥が牡丹色なのでボタン、と呼んでいたら、それがそのまま名前として定着してしまった。
「わかってるわ。この方角ね」
アリアドネは地図を取り出し、熱気とともにやってくる砂塵で目をやられないように細めながら、それに視線を落とす。
「第二都市アリエスに……王都アイセントレス」
ボタンが鳴く方向には、二つの都市があった。
近づくにつれ、それがアイセントレスの方を指しているらしいことまでは掴んでいる。
「サクヤくん……」
アリアドネの顔に、堪えきれない笑みが浮かぶ。
ボタンの示す方角は毎日ほんの少しだが、動いているのだ。
「どうか元気でいて」
アリアドネはその身にまとう外套の襟に顔をよせ、そっと口づけをする。
そう、サクヤはきっと生きている。
◇◇◇
翌日の昼。
「よし、速度を緩めろ!」
レイシーヴァ王国では、200名ほどの部隊が王都アイセントレスを出て、早足で南下していた。
部隊が一台の馬車を厳重に護衛するさまから、そこに要人を含んでいることは誰でも窺い知ることができたであろう。
「今も日が差しておるのだな」
その馬車の幌の小窓から顔を覗かせたのは、アッシュグレーの髪をした、耳の尖った少女。
しかしその目は閉じられている。
「翳ったのは朝だけでございました。最近は偏西風の影響もあって、肌寒さを感じるのは早朝くらいでございます」
そう、少女はフローレンスであり、応じたのは侍女サリアである。
「見えてきましたぞ! 姫」
そんな話をしていると、馬車の外からヘルデンが大声で話し掛けてきた。
ヘルデンは先頭集団にいたはずなので、連絡のためにひとり後退し、馬車に自分の馬を寄せているのだとフローレンスは理解する。
「ラモ殿は、あの森でやはり間違いないと!?」
フローレンスは窓を開け、馬車の立てる音に負けじと自分も声を張り上げる。
「はっ、この先を確かに一掃したとのこと!」
彼らの眼前に広がり始めているのは問題の樹海の西部にあたる、アッサム地区である。
昨日、ラモの話を聞いた彼らは、今日、実際に魔物が居なくなっているかを自分たちの目で確かめるために現地に向かっているのだった。
本来なら、国のトップがこのような視察に同行することはあり得ない。
しかしフローレンスは「ラモの居る所が国の中で一番安全だ」と言い張り、この同行となった。
やがて先頭集団が減速した影響が伝わってきて、馬車も静かな走行に変わる。
「ふむ。こうして見ると、森の雰囲気にはなんら変わりがないようですが……」
ヘルデンが馬車の緩やかな速度に馬を合わせながら、目を細めて遠くを見つめる。
「しかしあの森の木を切るとなると、相当大変だな……まさかこんなことを考えることになろうとは昨日まで思いもしなかったが」
フローレンスは小さく笑った。
『
幹が極端に太い上に硬度が高く、斧が入りづらいためである。
「それでも、苦労以上の値はつきましょう」
「まぁそうなのだがな」
フローレンスが胸の下で腕を組む。
ヘルデンが言った通り、
硬度の非常に高い木材は耐水性が高く、虫食いも受けない。
それゆえ風雨に晒されても外見に劣化がなく、高級宿のテラス部分や、砦の建設資材としてこの上なく好まれるのである。
この古代樹の材木が手に入るとなれば、高値をつけても欲しがる国は少なくないであろう。
「ヘルデン、何日かかると思う」
目を閉じているフローレンスが、窓の外に向かって訊ねる。
それはもちろん、このアッサム地区に道を作り、民に解放するまでの期間をさしている。
「反対側に抜けるまでに早くとも半年はかかりましょう。それから倒木を退け、まともな道にするのにさらに半年」
実際の運用となるのは来年でしょうな、とヘルデンは顎を擦る。
「ふむ……だが十分に早いと言えよう。二年以内には確実に食糧が届くようになるのだから」
フローレンスは白い脚を組んで、ひとり頷く。
「停止ー! 第二型円陣を組めー!」
先頭隊が号令を発し、樹海の前に着いて馬を止め始めた。
それに引き続く後方も歩を緩め、ぞろぞろと密集する格好になって円陣を作り始める。
「ラモはいるか」
円陣の中央に停止した馬車から、純白の魔術師のローブを着たフローレンスがサリアに連れられて降りてくる。
「はっ。このヘルデンの隣に」
ラモは片膝をつくヘルデンに倣うようにして畏まっている。
ひとりだけ両手をついて土下座していた。
「ラモよ。くどいがマンティコアを狩ったのは、本当にこの森で間違いないな」
「はい」
ラモの伏した声に気づき、フローレンスが顔を上げさせる。
「ここに道を作りたいんですよね」
「いかにも」
「……えーと、斧とかあります?」
立ち上がったラモが近くにいた兵士たちをきょろきょろと見回しながら、声をかけた。
「え? これでいいですか」
兵士のひとりが、持参していた伐採用の斧を取り出してみせた。
「ちょっと借ります。では皆さん少し離れてて下さい。後で呼びますんで」
謝意を示し、ラモはそれを握ると、一人、大股でズカズカと眼前の森へと歩き出す。
「……ら、ラモ殿!?」
「お、お待ちを!」
ヘルデンたちはそれを止めようとするが、ラモはいくつも伸ばされる手をするすると抜けて、森の中に消えた。
「い、行ってしまわれた……」
ヘルデンたちはさすがに追いかけることができなかった。
昨日の今日で、 そう簡単に認識が変わるはずもない。
目の前に広がっているのは何百年と立ち入ることを許さなかった死の森なのである。
「どうかしたのか」
フローレンスが周りの気配を探るように耳を立てる。
「申し訳ありませぬ。ラモ殿はお一人で森の中に……」
ヘルデンが説明をしようとした、その時。
ふいにドシーン、という音とともに足元が揺れた。
「なんだ……!?」
「まさか巨人でも……?」
兵士たちがうろたえながら武器を構える。
そんな間にも、森の中でドシーン、ドシーン、という地鳴りが頻発し始めた。
「う、嘘だ……!」
兵士たちが立ち尽くしていた。
なんの音か、そして森に何が起きているのか。
それが今、皆の目に明らかになっていた。
「……まさか、この音は」
フローレンスも息を呑む。
「姫、あ、
ヘルデンが単語だけをかろうじて言った。
そう、ラモ一人によって、あの硬度の高い木が次々と倒されているのである。
倒す木の選び方から、その意図は明白。
ひとりで道を作らんとしているのだ。
「なんというお方だ……豪胆にも程がある」
ヘルデンは開いた口が塞がらない。
選りすぐりの兵士たちが集まってさえ、一本の
「………」
そうしている間にもどんどん切り開かれ、森がおもしろいように左右に分かれていく。
「おおお……」
感嘆の声を上げて立ち尽くしている兵士たち。
そんな中で、フローレンスが急にくすくすと笑い出した。
「姫? どうかなさいましたか」
ヘルデンが不思議そうに王女を見る。
「視察は現時刻をもって終了とするぞ、ヘルデン」
「姫?」
「見よ。このラモを相手に魔物が生き残れるはずがなかろう」
フローレンスが手で前を示す。
「予定にはなかったが、これより我々は開拓作業に移る。皆でラモを手伝うのだ。さあ指揮を取れ、ヘルデン!」
ヘルデンがニヤリとして、畏まった。
「はっ! ならば早々に開通させてやりましょう! 商人どもめ、たまげるぞ!」
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