第157話 魔物討伐戦
星空の広がる夜。
窓の外からは秋虫の鳴く音が重なって聞こえてくる。
「さて、いよいよだ。ルイーズ」
ベッドに腰掛けたテルマが、浴室から出てきたばかりの濡れた妹に声をかける。
「そうだね、兄さん」
ルイーズは頭を傾げ、洗ったばかりの髪を女らしい仕草で拭きながら、頷いた。
双子だが男女ゆえに、本来の寮の部屋は離れ離れになっている。
だが、連合学園祭のパートナーになってしまえば、それはなんら問題がなかった。
「今日は軽めに食べよう」
「わかってるよ、兄さん」
下着の上にタオルを巻いただけのルイーズが、テルマの隣に腰を下ろす。
寮に付属する食堂の人たちが鍛錬づくめの自分たちを気遣って用意してくれた夜食。
いつもは完食するのだが、今日は半分程度に抑えた。
消化で身体が疲れないようにするためだ。
ある程度備蓄があれば、人間は空腹の方が調子がいいと、彼らは祖母から教わっていた。
二人はリラシス北東部にある森の奥を住処とする
集落自体が全体で300人を超えない程度の小さなもので、部族全体が家族のようなものであった。
その族長こそが代々継がれる『ガンダルーヴァ盾剣術』の継承者のひとりであり、テルマとルイーズはその子として生まれた。
それゆえ、当然のように二人にはおもちゃ代わりに木剣と木盾を与えられ、幼少の頃からそれを扱う術を習っていた。
「じゃあ消すぞ」
「うん」
ろうそくの灯りを消し、ふたりが並んで床を背にすると、しばし沈黙が室内を支配する。
窓の外の虫たちが無言の二人の間を埋めるように、鳴いている。
二人は双子だが、妹のルイーズはテルマより三時間遅れて出生した。
だからルイーズはテルマを兄と慕い、いつも兄の言うことに従っている。
「明日が怖いか」
テルマがそっと右手を差し出しながら訊ねると、ルイーズはその手をぎゅっと両手で握り返した。
「……うん……正直に言うと、怖くてならないよ。兄さん」
ルイーズは兄の手をへその上に持っていくようにしながら、か細い声で言った。
『バトルアトランダム』参加者の前では、二人は表情を変えることなく、常に冷静に、毅然として振る舞っている。
彼らの部族は、外の人間たちに感情の動揺を見せることをこの上ない恥として考えるためである。
だがそうはいっても、実際は多感な少年少女である。
本当の気持ちは別で、誰もいなければこうやって二人で感情を吐露し合うのだった。
「ただの学園祭だとわかっていても、身体は震えちゃう」
ルイーズは兄テルマが大好きだった。
ごくごく最近まで、兄の嫁になることが夢だったくらいである。
部族のためにそれではいけないと、兄テルマから何度も諭されて、今は気持ちを押し殺しているのが実際であった。
「明日は命の危険があるわけじゃない」
「わかってるよ、兄さん」
ルイーズは暗闇の中で天井を眺める。
「でも……たくさんの人の前に立つからかな……なにか嫌な予感がして」
「先鋒だからだろうな。相手を一切観察できないまま始まるし」
テルマが言うと、ルイーズはそうかもしれない、と小声で頷いた。
先鋒のプレッシャーは知っての通りである。
先鋒はチームの看板であり、チーム全体の強さの指標とされる。
負け方次第では相手を大きく勢いづかせてしまい、 全体の勝ち負けを左右するほどになることもある。
「やっぱり怖い……どうしよう」
ルイーズが震える声で言った。
「大丈夫だ。兄ちゃんがそばにいるから」
「兄さん……」
ルイーズが兄の方へと身体を寄せる。
そして兄の腕をとって、自分の両腕を絡ませる。
今までもそうだった。
困った時はいつも兄が助けてくれた。
か弱かったルイーズが、他の子供達にいじめられた時も。
森に住む他部族が押し寄せてきて、命の危険に曝された時も。
「さ、寝よう。ルイーズが寝るまで起きててあげるから」
テルマがルイーズの頭をそっと撫でた。
「うん」
ルイーズは暗闇の中で幸せそうに微笑んだ。
しばらくして眠りに落ちてからも、ルイーズは絡ませた腕を離さなかった。
◇◇◇
清々しい、晴天の日である。
空には筆でそっと散らしたような薄い雲が散在している。
「我々参加者一同は、スポーツマンシップにのっとり、正々堂々と……」
ここは剣の国リラシス、第一国防学園のグラウンドである。
そこに3000人を超える生徒たちが、凛々しい表情をして並んでいる。
連合学園祭、開会式である。
第一学園学園長イザイによる開幕の挨拶の後は、昨年の優勝学園の主将、ゲ=リからの選手宣誓が行われていた。
「あの方が第三学園の統率者なのですね」
他の生徒とともに並びながら聞いていたフィネスは、隣に立つカルディエにそっと呟いた。
「アリザベール湿地の戦いで成長されたということですか」
「魔王相手に、前線に居ましたしね」
二人の推測は正しかった。
普通ならどんなに足掻いても倒せないレベルの魔物の大群を当代の勇者アラービスが一掃してみせたことに加え、そこに重なったのが魔王討伐である。
そばにいたゲ=リに与えられたスキルポイントは、とてつもなかった。
「ですが、それは私たちも一緒ですわ」
「そうですね」
そう、二人も昨年とは違い、成長していた。
今まで選抜で争ってきた生徒たちと、大きく水をあけてしまうほどに。
当然のように、この二人が第一学園の最後の砦たる大将に任命されていた。
◇◇◇
秋にしては暖かい日差しの中、小鳥たちが木々の上でさえずっている。
「始まったみたいですわね」
「ええ」
開会式を終えた生徒たちは学園ごとに集まってグラウンド脇に腰を下ろし、皆一様に神妙な顔つきをしている。
フィネスとカルディエ、そしてフユナも木陰に腰を下ろし、流れるであろうアナウンスを心待ちにしていた。
連合学園祭第一部の『魔物討伐戦』が始まったのである。
魔物討伐戦には、各学園にて選抜された生徒30名ずつが参加する。
開催場所は、今いるグラウンドからも見える『西の飛燕』と呼ばれる隣接した森の中である。
ルールは昨年同様シンプルであり、最も多くの魔物を狩ったチームが勝ちとなる。
制限時間は2時間、戦いの様子を見ることはできないため、生徒たちには最中に3度の暫定順位のアナウンスがある。
「これに関しては、今回もわたくしたちの一位は安泰ですわね」
「ズルと言われても言い訳はできませんよ」
フィネスは座った膝の上の、制服のスカートを直しながら言う。
カルディエの言葉にはたいてい頷くフィネスだが、今回ばかりはそうしなかった。
だいたい『出現する魔物の種類が好ましい』といった理由だけで、第一学園の訓練場所を学園祭の場にすること自体がおかしい。
ならば他の学園に下見くらい許可すればよいのに、それすらもしていないのである。
フィネスは「公平性を欠いており、開催場所を変えるべきだ」と何度も学園に申し入れ、別の場所を提案してきたが、結局なにも変わらないまま、四年生になってしまった。
ここには学園を越えた大きな力が働いている、と今はそう思っている。
「ハンデをつけていますわ」
「たかが20ではハンデになりませんよ。ねぇフユナ」
フィネスが第三にいたフユナに話を振った。
「まぁ、それでも歴然とした戦力差があるとは思うが」
フユナは二人に気を遣ったのか、そう答えた。
「そうですわ。こちらが単に精鋭を投入しているだけかもしれませんし」
第一学園の『魔物討伐戦』のメンバーは、イジンの指示ですべて四年生の【軍曹】以上の者で固めている。
だめ押しに今回は昨年の中堅で登場した『怪物スリンダク』が留年したせいでこの『魔物討伐戦』に回っている。
昨年よりも大幅に殲滅力が上がっているのだ。
それだけに事前予想では、第一学園の勝利は必然とされている。
「あっ、アナウンスが始まるみたいですわ」
そこでカルディエがグラウンドの前方を指差す。
そこにはメモ書きを持った先生が、拡声魔法のかかった水晶の前に立っていた。
〈お待たせしました。『第一次途中経過』をお知らせします〉
各学園の生徒たちが、ざわざわとした。
だがすぐに耳を澄ませたのか、水を打ったように静かになった。
〈第一学園、126ポイント〉
おおぉ、と第一学園が盛り上がった。
昨年の同時期よりもポイントが多くなっていることに、皆が気づいたのであろう。
〈第二学園、81ポイント〉
沸き上がった第二学園の声援と拍手は、まばらだった。
ひとしきり盛り上がった後は、第一学園、第二学園の生徒が第三学園に目を向ける。
〈第三………〉
声はそこで途切れた。
やがて、他の教師たちが怪訝そうな顔で水晶の前にぞろぞろと集まってくる。
生徒たちがそうと知り、ザワザワとし始めた。
水晶の拡声の調子が悪くなったようである。
「ほら」
そこまでを聞いたフィネスはカルディエとフユナを見る。
「もっと大きなハンデが必要なのですよ。例えば50とか……」
「そうでしょうか……でも――」
〈おまたせしました。えー〉
そこで咳払いをした先生が、アナウンスを再開した。
生徒たちが静かになって、皆が一様に耳を澄ませる。
〈第三学園、198ポイント〉
「……は?」
フィネスたちが硬直する。
同時に生徒たちがどっとどよめいた。
一方、わかっていたかのように第三学園からは歓声が上がった。
「――イヤッホゥゥゥ!」
「よっしゃあキタァァ!」
教師たちが立ち上がり、歓喜しながらハイタッチを始めると、生徒たちもそれにのせられるようにして立ち上がり、拍手喝采を始める。
最後には、隻眼の教師が駆け抜けると同時に第三学園の生徒たちによるウェーブまでが起きた。
「ど、どういうこと……」
フィネスとカルディエが顔を見合わせた。
二人とも互いの顔が青ざめている、と気づく。
「まさか」
一方でフユナは、第三学園を振り返り、険しい表情になっていた。
〈現在、一位は第三学園です。この後も熾烈な争いに注目です。みなさん頑張って下さい〉
そうやって、毎度のお約束でアナウンスが締め括られる。
「198……これではもう……」
「そうですわね……」
フィネスとカルディエには、「熾烈な争い」が浮いた言葉にしか聞こえなかった。
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