第153話 逆光の男
夏休みの二週間前から、突然姿を消したスシャーナ。
ゴクドゥー先生から話を聞き、僕が体育館に向かった頃には、もう彼女は失踪していた。
マチコ先生には修行に行ってくるとだけ言い残したそうなので、命に関わるようなことがあったわけではないようだが……。
幸い、そんな心配は杞憂であることがすぐにわかった。
翌日、大地の聖女レジーナから連絡が入ったのだ。
ゲ=リ先輩とスシャーナは『エリエルの五十五試練堂』にいると。
皆はそこがどういった場所か、わからずにいたようだったけど、僕はミエルから聞いて知っていた。
大地母神エリエルは三大主神のひとつで、光の神ラーズに次ぐ強大な力を持つけれど、癒やしや恵みの力が強く、戦う能力に秀でているわけではない。
そのため、当初の『大地の聖女』は地上に遣わされても、魔王との戦いで矢面に立てるほどの力はなかったと言われている。
それを見かねたのか、エリエルは地上に新たな鍛錬の場を設け、そこで聖女の力を伸ばそうとしたと伝承には残されている。
そのひとつが、この『エリエルの五十五試練堂』である。
エリエルの聖地に立つこの塔は円柱になった高層型タワーで、その名の通り五十五の難関が用意されているらしい。
本来、エリエルの信徒たちに管理され、スシャーナのような一般人が入ることはできないが、レジーナが付き添うことで入場できるのだろう。
修行の場としては申し分ない。
レジーナがついているなら、危険なこともしないだろう。
と、そんな事を考えていた折。
「あれ……?」
僕は驚いて、目を瞬かせた。
今、僕の右手が透けていたような気がしたのだ。
だが、そう感じたのはたった一瞬のことで、瞬きのうちに戻っていた。
「……なんだったのかな」
手を動かしてみる。
なんらいつもと変わりがない。
透明になるスキルなんて、持っていない。
新しい職業に転職したせい?
こんなこと、今まで一度もなかったけど……。
「うーん」
気のせいかもしれないけど、なんか嫌な予感がするなぁ。
◇◇◇
例年の晩夏は暑さが薄れ、過ごしやすくなるはずであったが、今年はこの時期もひどい残暑が続いていた。
剣の国リラシスの王都マンマでは、そんな中でもあくせく人が働いている。
間もなく行われる建国300周年を祝う『王国誕生祭』にむけての準備が行われているのである。
この祝いの祭は一週間にも及んで行われる予定で、その間、街には各国から要人が訪れる。
そのため、そのもてなしや警備に抜かりがないよう、この暑さの中でも走り回っているのであった。
一方、その街中にある国防学園では夏休みが終わり、10日が過ぎたところであった。
本来なら様々な授業を行う時期であったが、今年は『王国誕生祭』のために昨日から十日ほどの特別休日になっていた。
それゆえ、寮生活の第三学園の生徒たちは、帰省して家族で過ごすことになる。
それにもかかわらず、学園体育館からは、生徒たちの活発な声が響いていた。
そう、彼らはバトルアトランダム参加を勝ち取った生徒たちである。
休みを返上し、鍛練を続けているのだ。
「そこ、攻めが重なっていないぞ! 狙いをバラバラにするな」
教師ゴクドゥーが一人の生徒に木刀を突きつけながら、怒声を発する。
今日は昼過ぎから開始された特訓であったが、終了予定だった夕を過ぎても続いている。
「サクヤ、お前も思ったらなにか言え」
「あ、ハイ」
ゴクドゥーが壁に寄りかかって立っている黒髪の少年に声をかける。
一人、選抜もされていない無関係な生徒が、日々の鍛錬に付き合っている。
二年生のサクヤであった。
彼が立ち合っているのは他でもない。
去年フユナとともに勝ち抜いて優勝に導いた経験からいろいろアドバイスしてほしいと、教師ゴクドゥーに頼まれたからである。
だがゴクドゥーの本当の目的はそこではなかった。
サクヤが皆のやる気に感化されて、「今年も参加したい」と言うのを待っているのである。
「……あれ、今日はあの可愛い銀髪の子は居ないのか?」
水を飲みに来た坊主頭の上級生が、サクヤにそう声をかけた。
「帰りました」
二人の会話が指す少女は、言うまでもなくアリアドネである。
確かにサクヤの隣にはアリアドネの姿があったことがある。
が、実際それは数えるほどであった。
理由は彼女の弟ミロである。
ミロは一年生に編入したものの、編入試験は合格レベルには程遠かった。
ミロは病にかかる前、小銭を稼ぐ日雇いを繰り返していたのみで、生まれてこのかた冒険者らしいことを何一つしてこなかったからである。
そのため、時間があればアリアドネがつきっきりでいろいろ教えているのだ。
なお、なぜそんなミロが合格し、一年生になれたのかは想像通りである。
アリアドネの編入時の成績が異様に良く、将来有望な彼女がどうしても欲しかった第三学園は、いわゆる姉弟力で合格にしたのである。
「よぉし、その盾の動き、いいぞ! お前らが先鋒で決まりだ!」
「はいっ」
浅黒い肌をした少年少女が、活発な声で返事を返す。
『ガンダルーヴァ盾剣術』の使い手、双子のテルマ(兄)とルイーズ(妹)である。
二人は四年生の攻撃にもよく耐え、善戦できるだけの技能があったためにゴクドゥーの目に留まっていた。
四年生に同じ『ガンダルーヴァ盾剣術』のイライジャがいたが、ゴクドゥーは息のあったこの二人を選んだ。
「おい今、後ろを突けただろう! 相手の隙を見逃すな!」
と、教師ゴクドゥーのいっそう厳しい喝が飛んだ時だった。
ふいに体育館の入口の扉がバァァン、と開いた。
「――待たせたな。みんな!」
自信に満ちた、高らかな男の声が体育館に響いた。
皆が手を止めて、はて、という顔で振り返る。
心当たりがなかったのである。
それほどに、皆は忘れていた。
目を向けると、計算されたように逆光になった体育館の入り口に、颯爽と誰かが立っていた。
髪を七三に分けた、イケメンと呼ばれる類の顔立ちに、校則の範囲内で改造された制服。
そう、五年目四年生のゲ=リだった。
そして、その後ろにはもうひとり、スカートながらも脚を開いて堂々と立つ、茶色の髪をした少女の姿。
スシャーナである。
二人とも程よく日に焼けており、失踪前とはその印象を異にしていた。
「おおぉ……」
「キャプテン……」
「あの子、もしかしてゲ=リ先輩のパートナー……?」
皆の視線を集めながら、二人がこちらにゆっくりと歩いてくる。
ゲ=リが髪を掻き上げた。
「俺のことは今後、超ゲ=リと呼――」
「おい、土足で入るな!」
「あだっ」
超ゲ=リが、つんのめる。
早々に、教師ゴクドゥーに後ろから殴られていた。
逆光などのせっかくの脚色が台無しである。
「まぁ、でもお帰りキャプテン!」
「お母さんとともに逃げ出したかと思ったし~」
ゲ=リの帰還を仲間たちが一応喜んでくれている。
率先して気遣っているのは、不在の間に代理キャプテンとなっていた坊主頭の上級生であった。
スシャーナはゲ=リを睨みつけるゴクドゥーに一礼すると、膝上のスカートをひらりと揺らして、サクヤの前にやってきた。
「ただいま、サクヤン。久しぶりね」
スシャーナは嬉しそうに笑った。
「心配してなかったというと嘘になる。そういうことをする人には見えなかったから」
サクヤが穏やかに笑っている。
それにスシャーナはウィンクで返した。
「いろいろあってね」
「ともかく無事でよかった」
「うん」
笑い合う二人。
「主将が勝手に居なくなりやがって……」
一方の教師ゴクドゥーは、まだ不機嫌なままであった。
ゴクドゥーは昨年から、仕事が終わると毎晩のように生徒のための練習メニューを練り、連覇のための努力を惜しまなかった。
それを身勝手な理由でサボられれば、到底気分は良いものではないであろう。
「お前、キャプテンなんだぞ! 自覚を持て!」
「いやーすみません、ちょっと鍛錬に熱中してしまいまして……」
ゲ=リが頭を掻きながらへへへ、と笑った。
「……これだけ休んでおいて成長していなかったら」
ゴクドゥーが木刀を構えて、その切っ先で二人を招く。
かかってこい、と言っているのだ。
「あぁ、二人ともでいいんですか」
「このゴクドゥー、お前らに負けるほど老いてはいない。どれだけ成長しているか、直接見てやる」
ゴクドゥーの言葉に、ゲ=リとスシャーナが顔を見合わせた。
そして小さく笑い合う。
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