第143話 エピローグ2

  

 草木の青々しい香りと夜虫の鳴く音に囲まれての道中。

 街からそう離れていないので、物騒な魔物はいない。


 森を抜けると、三日月が今日は随分と明るいのだと知る。

 灯りがいらないくらいだ。


「ここは剣の国リラシスで、あの時から200年以上の年月が経っているんだ」

 

 僕は歩きながら、今の世界についても説明をしていた。

 

「あの頃と違うのは、セントイーリカ市国という国ができたのと、ミザリィが亡国になったことかな」

 

「………」

 

 セントイーリカ市国はリンダーホーフの南西部が独立してできた、光の神ラーズを国教とする宗教国。

 ミザリィについても、亡国となった経緯を説明する。


 アリアドネは、セントイーリカ市国については普通に頷いていたが、ミザリィが滅んだことについては、驚きを隠せないようだった。


 話していて、なんとなくわかった。

 アリアドネはやはり、煉獄の巫女アシュタルテとなっていた時の記憶がない。


 彼女は魔王討伐のあの時から、今に直結しているようだった。


 サクヤというとちょっとよそよそしくなり、ラモチャーと言うとなごんだ顔をするのも、その表れだろう。

 

 そうしている間に森を抜け、小高い丘に立つ。

 視線の先に魔法の灯りが溢れる街が見えてくる。


 リラシスの王都マンマだ。


「………」


 初めて見るのか、アリアドネは足を止め、灯りに染まる街に見惚れているようだった。


 まぁそうだよな。

 リラシスとリンダーホーフとでは、街の大きさが全然違うもんな。


 人口も桁違いだし。


「………」


 目を輝かせているアリアドネをなんだか新鮮に感じて、僕はその様子を眺めていた。


 煉獄の巫女アシュタルテとして知っているその顔が、今はすごく生き生きしている。


「じゃあ街に入るよ」


 夜だったので、幸い街の検問はそれほど混んでいない。

 僕は手続きしておいた所定の書類とお金を払い、アリアドネの簡易の入国管理証も作ってもらった。


 発行するにあたって、やっかいな質問もなかったわけではないが、そこはうまく立ち回った。

 昨年の連合学園祭で活躍したおかげで手にした「第一学園学園長イザイの直筆サイン入り表彰状」が、非常に役に立った。


 ゴミ感満載だったけど、とっておいて良かったな。


 簡易とて、一人で『入国管理証明』を作ろうとするとかなり複雑な手続きを要するが、こうやってすでに住んでいる人間が事前に手引きすると、ぐっと話が早くなる。


 国境を越えることを考えても、簡易であれ入国許可証があるかないかは大きな差になる。

 特にリンダーホーフはリラシスと違って、こういうことにはうるさい国だ。


 だからせめてこれだけは手伝おうと決めていた。

 煉獄の巫女アシュタルテにもらってきた恩を考えれば、まだまだ恩返しにはならないけどね。


「ではこれを」


「ありがとうございます」


 あと少し遅ければ、時間の関係で許可証発行が明後日になっていたと聞いて、ほっと胸を撫で下ろした。


 30分程度で検問を抜け、街に入り、泊まる宿の前についた。

 

「今日はここで一晩休んで、明日リンダーホーフに向かおう」

 

 もちろん僕もついていくつもりだ。

 明日から学園が始まるが、そんなことは気にしていられない。




 ◇◇◇

 



 リンダーホーフ王国入国に際しては、僕も昔に住んでいた事実を伏せて、新規入国とした。

 今はアラービスに見つかっている場合ではないからね。


「洛花」という、とんでもなく速い移動手段はあったんだけど、アリアドネを怖がらせるのが嫌だったので、道中は普通に馬で移動した。


 なので、 リンダーホーフ王国城郭都市マイセンについたのは、翌日の夕暮れ時だった。


 僕たちは今、『水鳥の広場』と呼ばれる場所に立っている。

 遠い過去に最終選抜試験が行われていた場所でもある。


 当時は昼間だけ人でごった返していた広場だが、現代では夕方になってもその勢いはまるで衰えを知らない。


「とりあえずなにかお腹に入れようか」


 僕たちは大理石で造られた噴水のそばに座り、出店で並んで買ったホットドッグを食べて空腹を癒す。


 先に食べ終わった僕は、満腹の腹をさすりながら、空を見上げる。

 空の大半を覆う巨大な積乱雲が、夕陽に赤く染められている。


 隣に目を向けると、アリアドネは女性らしい仕草で口元をハンカチで拭い、すらりとした喉元を見せるように水を飲んでいた。


 肩甲骨までのさらさらした銀髪に、夕陽が美しく映えている。


「この辺りは覚えているかい」


 僕は広場を眺めながら言うと、アリアドネは頷いた。


 やはり、アリアドネとして生きていた頃の記憶はしっかりしているようだ。

 ここならずっと暮らしていたという、戦の神の神殿もほど近いようだし、大丈夫だろう。


「こ、こ……」


 食べ終わったアリアドネが遠くを指差し、何かを言いかけている。

 これから墓に行くのか、と訊ねているようだった。


「あぁそうだね。そのつもりだよ」


 僕は取ってつけたように頷くと、立ち上がり、彼女の前に立つ。


「さて。これは僕からの餞別だよ」


 僕は手のひらくらいの大きさの革袋を取り出すと、半ば強引にアリアドネの手に握らせた。


「あっ……」


「遠慮はいらないよ。アリアドネの取り分なんだ」


 魔法のアイテムであるこの『大収納革袋』には、衣服や靴など当面の生活に必要な品一式と、今まで魔物との戦いで得てきた稼ぎを半分入れてある。


 普通に生活する分には、年単位で大丈夫だろう。

 いや、遊んで暮らしても、年単位で大丈夫かもしれない。


「えっ……!?」


 中をちらりと確認したアリアドネが、驚きの声を発する。


 僕はそんなアリアドネに笑いかけた。


「ところでさ」


 話し始めた僕の頬を、小さな雨粒がぼつり、と打った。


「あの人、知ってる?」


 僕は広場の、少し離れた先を指差した。


「………?」


 えっ、という顔で、アリアドネが広場の先に目を向けた。


 そんな広場には、静かに雨の香りがたち始めている。


「あの人、ずっとこっちを見てるみたいだけど」


 アリアドネの視線の先では、たくさんの人たちが横切っていた。

 彼らは思い思いに木傘を取り出し、視界を遮るように差し始める。


 だからアリアドネは、まだ見つけられずにいる。


「………」


 僕は最後に、彼女の横顔を目に焼き付ける。

 アリアドネはそうと知らず、僕の差した先を探し続けている。


 雨はすでにしとしとと降って、彼女の銀色の髪をそっと濡らしていた。


「………!」


 ふいに、アリアドネがはっとした。


 その手から革袋がするり、と落ちる。

 ザッ、と石畳で音を立てた。


 雑踏の中に、その人は立っていた。


「お、お姉ちゃん……!?」


 目を丸くした、一人の少年。

 アリアドネと同じ銀色の髪をした、しかし健康的に日焼けした、目の細い、愛嬌のある顔をした少年。


「え……? ミ……?」


 アリアドネは、まだ我が目を疑っている。


 そうしながらも、その声の方へふらふらと、一歩、また一歩と近づいていく。


 ちいさく人とぶつかりながら、それでも目は逸らさずに。


 そんな彼女の両目が突然、じわりと潤んだ。


「ミロ――!」


 戸惑っていた足取りは、力強いものに変わる。

 雨に濡れるのも構わず、アリアドネは駆けていた。


 周囲にいた人々が、木傘を持ち上げて何事かとアリアドネを見る。

 しかし彼女は他の視線など、気にもしていなかった。


「――ミロ!」


 アリアドネが、ぶつかるようにしてその少年を抱きしめた。


「お姉ちゃん!」


 少年もアリアドネにしっかと抱きつく。

 そう、少年はアリアドネの弟、ミロだ。


 アリアドネはミロとともに座り込み、ああぁ、と大声を上げて泣き始めた。


(……よかった)


 僕はそんな二人を遠くから眺める。


 話はそんなに難しくない。

 僕は死の直前にあったミロに会い、その病を〈疾病退散Lv4〉で治癒した。


 だが元気になったミロをそのままにしておくと、そう遠くない未来に、ミロは『時間圧』に殺されてしまう。


 彼は「間もない死の運命」を背負っているからだ。


 だから、石板に捉えた。

 ミロの自由を奪うことになるが、誰も、神でさえミロを殺せなくなるからだ。


 人間を捉えるということは初めてだったけど、悪魔言語詠唱を用いると問題なくできた。


 そしてミロが死んだという歴史の事実に背かないよう、行動していた。


 現代まで来れば、『時間圧』自体がもはや存在しない。

 ミロが現れていい時代なのだ。


「……お姉ちゃん……会いたかった……!」


「ミロ……ミ……ロ……!」


 銀色の髪から、雨の滴が頬を伝って滴り落ちている。

 だが、頬から滴るのは雨だけではなかった。


 アリアドネはミロを抱き締めるだけでは足りず、その頭や頬をずっと撫で回し続ける。


 僕は濡れて額に張り付いた髪を掻き上げながら、再会を心から喜び合う二人を眺めていた。


 不安がなくはなかったけど、うまくいって、本当によかった。


「さて、不審者は消えますか」


 満足した僕は、二人から静かに距離をとり始める。


 幸せそうなアリアドネの顔を見て、僕はやっと決心がついていた。


 アリアドネ、いや、煉獄の巫女アシュタルテとの別れに。


 寂しさで胸が裂けちゃうかもな、と思っていた。

 でも実際その場面になると、そうじゃなかった。


 二人には苦しかった過去を忘れるくらい、幸せになってほしいと願うことができたんだ。


 それ以外の気持ちは、もういらない。


 ――さようなら、煉獄の巫女アシュタルテ


「………」


 雨が、頬を強く打ち始める。


 やけに痛いなと思ったら、雨はいつの間にか、季節外れのあられに変わっていた。




 ◇◇◇




「で、でも……ど、ど……」


 あられ混じりの雨に濡れるミロの顔と自分の目元を何度も往復させるように拭いながら、アリアドネはしきりに不思議そうにしていた。


 死したはずのミロが、どうして今ここで生き返るのか、理解に苦しんだのである。


 しかも、死に至ったほどの重病が、跡形もなく消え去っている。

 寝たきりだったミロが、自分の力で立っているのだ。


「お姉ちゃん、どうしてって聞きたいの?」


 言葉はなくとも、それを見て悟ったミロが口を開く。


「か、神……さ……?」


「ううん。たぶん神様じゃないと思う」


 ミロはアリアドネの言おうとした言葉をすぐに否定した。


「変な仮面の人が、僕の病気を嘘みたいに治してくれたんだよ」


「……え」


 アリアドネは、呆然とする。


「こんな、こんなふうな仮面でね。黒い服を着ていてさ。神様ですかって聞いたら、違うって言ったんだよ」


 でも治った後は寝てたのかなぁ……なんか記憶がおかしくて、気づいたら今、お姉ちゃんが目の前に居て……とミロは無垢に笑う。


「……えっ……?」


 アリアドネの顔が青ざめていく。


 ……仮面……黒い服……?


「ところでお姉ちゃん、今日は鍛練はないの?」


「………」


「ねぇ、お姉ちゃん?」


「………」


 ミロの声はもはや聞こえない。


 アリアドネの頭の中に浮かんでいたもの。

 突拍子もない、だが起こり得るかもしれない、ひとつの夢物語。


「………」


 確かにその人物は、恐ろしいまでの『癒』の力を持っていた。


 この身に受けていたからわかる。

 その力は、あの大神官コモドーを遥かに凌ぐほどだったのだ。


 でも、そんな夢のようなことが……。

 でも、実際に弟が生きてここに……。


「ていうかお姉ちゃん、さっきからどうしたの……言葉がちゃんと出てないよ?」


「………」


 ミロには答えず、アリアドネは後ろを振り返った。

 涙を拭き、一緒にいてくれていた人に目を向けようとする。


 いったい、なんてお礼を言――。


「………」


 息が詰まった。


 アリアドネは視線を右往左往させていた。

 今の今まで立っていた場所に、その人がいないのだ。


「……えっ……えっ……?」


 アリアドネが棒立ちになる。

 突然訪れた、いいようのない切なさ。


「……お姉ちゃん? ……わっ!?」


 堪えきれず、弟の手を引いて、走った場所を戻ろうとする。

 早く、一刻も早く、その人を見つけたかった。


 その時、何かを蹴ってしまい、足元でザッと音がした。


「………」


 見るとそれは、自分が落としたはずの革袋だった。

 それがすぐそばに置かれていた。


「……あっ……」


 それを仕舞いながら、気づく。

 いつの間にか、自分の肩に黒の外套がかけられていることに。


「………」


 温かいそれは、しかし冷たく悲しいなにかを暗示していた。


 ――そう、別れだった。


「……い……嫌っ……!」


 目の前が一気に涙で見えなくなった。

 アリアドネは外套を胸に抱きしめ、しゃくりあげ始める。


「……お姉ちゃん?」


「………!」


「――ちょ、お姉ちゃん、どうしたの!?」


 涙があふれてきた目をこすり、弟の手を引いて雑踏をかき分け、その人を必死に探す。


 心のどこかで、この人はいなくならない、と思っていた。

 サクヤは、いや、ラモチャーは自分のことを一心に気にかけてくれていた人だったから。


「……嫌ぁ……!」


 困った時にはいつも助けてくれた。

 痛みをなくなるほどに消してくれた。


 あの人がそばにいてくれたから、魔界に乗り込んで魔王と戦うなどという恐ろしいことに向き合うことができたのだ。


 リッキーたちにお金を取られてすごく困った時も、あの人が助けてくれた。


 目覚めてからも、そばにいてくれた人がラモチャーだと知って、どれほどに安堵したか。


 自分は、その優しさにすっかり慣れてしまっていた。

 だから、いなくなるはずがないと思っていた。


 これからずっと、この温かい人に触れていられると思い込んでいた。


「――嫌ぁぁぁ――!」


 アリアドネは外套を抱きかかえたまま、濡れた石畳に座り込み、泣き叫んでいた。




(次話で第五部終了です。作者より)

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