第90話 湿地への道1

 

  「此度の件も引き受けていただき、心から感謝する次第。剣姫殿、そしてカルディエ殿、フユナ殿。国を代表して、御礼申し上げる」

 ヘルデンがつむじを見せるように頭を垂れると、周囲にいた精鋭兵士たちが一斉に膝をついて畏まった。


「や、やめてください。ヘルデン。私達の仲でしょう」

 

 フィネスたちが慌てたようにヘルデンたちに駆け寄り、立ってもらう。

 

「我が国では、頼むべきハイクラスがいなくなって久しい。 蛾尾がびなど見たこともない者も大勢だ」


「………」


 立ち上がったヘルデンは、自嘲したように笑い、フィネスたちはどうしようもなく、言葉に詰まる。

 ハイクラスとは、一般に【准尉】以上の冒険者を指す言葉である。


「そうなのですか……」


 レイシーヴァ王国が経済の停滞で困窮しているという噂はフィネスたちも聞いていたが、冒険者がいなくなるほど端的にその影響が現れているとは思いもしなかった。

 

「ではハイクラス向けの討伐依頼はどうされているんですの? 無いわけではないでしょう」


「たいてい我々が代わりに出て行っております。国防学園には新人冒険者しかおりませぬからな」


 カルディエの言葉に、成長した冒険者は他の国に巣立つのだ、とヘルデンが言う。

 

「レイシーヴァには確か、2つ学園があったと思ったが」


 代わってフユナが訊ねる。

 ヘルデンは首を横に振った。


「一つは昨年の初めに完全閉鎖しましてな。もう一つの学園だけで運営しておりますが、今や一学年は80名程度。教師が暇を持て余して昼寝ばかりしております」


 ヘルデンは最後で笑いを取るつもりでおどけて見せたが、誰も笑わなかった。

 これはひとえに、経済停滞で子供を学園に出せるような富裕層が国を離れたせいであった。


 一方、リラシスでは三つの学園を合わせると、1学年は2000人近くにもなり、もはや比べるべくもない差である。


「いやはや、すっかり辛気臭くなってしまいましたな。申し訳ない」

 

 ヘルデンが破顔して、その髭面に笑顔を作った。

 

「我々はこんな話をしにきたのではなかった。さて、そちらは運び屋ポーター殿で?」

 

 そう言ってヘルデンがピョコに挨拶をし、ピョコも深くお辞儀をして返す。


「おいおい、見てみろよ」


「こんな小さい子が……」


「あ、あの聖木をすべて?」


 回りの兵士たちがピョコを見てざわついている。

 

 当然であった。

 今回の件で未婚の娘を集め、苦労して聖地の聖木を薪とするように実地指導したのは、彼ら自身だったからである。

 

「ここで聖火を焚かれるのですかな?」


「あ、はいっ」


 ヘルデンに促されるように、ピョコは持っていた石を取り出し、重ねて竈を作り、聖木を燃やすために火をおこす準備を始める。


「へぇぇ、ピョコ、手慣れてるな」


「そうやって石で風除けするのですね」


「麻ひもをほどくなんて、こんなに小さいのによく知っているわね。お母さんびっくりよ!」


 フユナたちが感心したように、せっせと動くピョコを見ている。


「はいっ! 教えてもらってできるようになりましたっ! あのっ、〈着火ティンダー〉だけ、どなたかお願いできますかっ」



 ◇◇◇



「おい、聖火だってよ」


「こりゃありがてぇ!」


「このお嬢ちゃん神だ……乙女の運び屋ポーターだってよ」


「今日は楽できるぜ……って、思ったより重いなおい」


 偶然、同じ着陸場所にやってきた蛾尾がびたちが、一緒に焚きつけた聖火をもらい、感激していた。


 聖火は火がつくとその神秘的な力を放ち始め、もはや乙女以外が触れても効力を失わなくなる。

 また、近づいた魔物に効力を発揮し始めると燃えるのが速くなるが、それ以外の時は通常の薪よりもゆっくり燃える特徴がある。


「これからどちらに行かれるのですか」


 フィネスがすっかりご機嫌になった蛾尾がびに訊ねた。


「【めい】で騎獣狩りさ。これから一週間歩いて入る」


 ミザリィの西には巨大な樹海が広がっており、【冥(めい)】と呼ばれている。


めい】は、まだ見ぬ魔物が出没する危険な地域でありながら、貴重な騎獣たちが棲み処とする世界でもあった。


 めいこそ、彼ら調教師テイマーたちの聖地なのである。


「今は騎獣を仕入れる時期らしいですわね」


 カルディエが微笑を浮かべて口を挟むと、男は若いのによく知ってるじゃねぇか、と目尻にシワをつくって笑った。


「仲間がアレの群れを見つけてな。豚の肋肉を撒いて囲ってんだ」


 男は、足元の草を喰むフユナの騎獣を顎で指し示すと、嬉しそうに言った。


累武るいぶの?」


「そうだ。5年に一度あるかないかの大チャンスだぜ」


 累武は極めて人気の高い空騎獣である。


 手懐ける難度が高いものの、一旦従えることができれば従順で、融通の効く騎獣となる。


 さらに飛行となれば高度も高く取ることができ、低空域で遭遇する魔物との戦いを回避できるメリットがある。


 だが、人気の高さはなんといってもその速度である。


 グリフォンの中でも季節の変わり目に「渡り」を行う種からの改良で生まれた品種ゆえに、累武は竜種に迫る飛行速度を出すことができ、しかもスタミナがあるのだ。


 当然のごとく冒険者たちに根強い人気があり、ここ数年は常に在庫なし、仕入れ待ちの状態が続いている。


 もちろん購入する者たちばかりではない。

 蛾尾がびとなった調教師たちにも、自らの仕事のために手懐けたい者が数多くいる。


 累武は竜種狩りできる高度まで上がることができる上に、衍紀えんぎほど従順ではないが、竜を狩れるほどの胆力があるためである。


「俺たちのことはいいとしてよ、そこにレジーナ様がいるってことは、あんたたち、もしかしてアリザベール湿地の浄化に来たのか」


「よくご存知ですね」


 蛾尾がびの男はそう聞くや、厳しい表情になった。

 まわりを見渡し、自分の話を聞いている者がいないことを確認する。

 そして、声のトーンを落として言った。


「俺たちにはありがてぇ限りだが、気をつけろよ。蛾尾がびが誰ひとりとして行こうとしねぇのは、ただ時期が悪いってだけじゃねぇ」


「……そうなのですか?」


 蛾尾がびの男は、急に苦虫を噛み潰したような顔をする。


「勇者はクソ野郎だ。悪いことは言わねぇ。屍喰死体グールにされる前に、第一相か第二相でやめて帰んな」




 ◇◇◇




 フィネスたちが蛾尾がびと話している最中、ゲ=リが周囲をキョロキョロしながら、レジーナに訊ねた。


「母さん。ずっと探してるんだけど、アラービス様は……?」


「ああ、ごめんなさい、言ってなかったかしら。あの方は湿地に直接入ることができるから、現地で落ち合うのよ」


「……直接入る? どういう意味だい、母さん」


 ゲ=リがわからないといった様子で首を傾げる。


「だってほら、あの馬車をお持ちでしょ?」


「あぁそうか」


 勇者アラービスには、リンダーホーフ王国から与えられた古代遺物たる『空舞くうぶ馬車』があるのだ。


 謎の金属で作られた屋形の部分には強力な防護結界が付与されており、ある程度までの魔物を寄せ付けないことから、森の中でも寝泊まりすることが可能と言われている。


「ここもひとっ飛びか……さすが勇者様だ」


 ゲ=リがいたく感激している。


「そうね。アラービス様をお待たせするわけにもいきませんから、そろそろ参りましょうか」


 レジーナが眼を細めて、進む方向に目をやる。


「この川沿いに進む形でよろしいですか、レジーナ様」


 蛾尾がびと話を終えたカルディエたちがレジーナたちの傍に駆け寄ってくる。


「そうねカルディエちゃん。少し森の深いところを通りますが、たどり着けるはずよ」


 ちゃんづけされてちょっと固まるカルディエを、フィネスがクスクスと笑った。

 ここから徒歩で一日弱進んだところに、目的のアリザベール湿地があるのだ。


「あ、皆さん、効くかわかりませんが『魔除け草』を使ってくださいね。ここから先は魔物が随分と出ると聞いています」


 レジーナの言葉に、はい、と答え、皆がおもむろに持ち合わせた魔除け草を自分にふりかけ始めた。


「ちなみにレジーナ様は〈妖魔退散〉を?」


 カルディエが訊ねると、レジーナが目を伏せ、首を横に振った。


「ごめんなさい、あれは無理よ。戦の神の司祭くらいしか使えないの。あぁ異端の方々も使えたかしら」


 〈妖魔退散〉は一部の司祭が使うことのできる、自分よりも弱い敵をまとめて追い返す魔法である。


 屍喰死体グール下等不死者ゾンビは討伐ランクが低く、この魔法で追い返すことができる。


 森では血の臭いを求めて彷徨っている魔物も多く、戦わずして終えられるこの魔法は、うってつけなのであった。


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