第68話 夢の筆跡
【退魔のネックレス】をフィネスがなにげなく身につけたとたん、異変は起きた。
「……え?」
フィネスが、自分の胸元に驚きの視線を向ける。
なんとつけたばかりのネックレスが、カッと青白く輝き始めたのである。
それは見る間に光量を増すとともに、フィネスを中心に空気の渦を作り出した。
フィネスのレーススカートの裾が、太ももでふわふわと舞い上がるほどに。
「……は、発動してる……!?」
目を瞠っているフィネスの黒髪が、上へと巻き上げられる。
室内を照らしていたロウソクの明かりが掻き消され、室内が青白い光の一色に染まる。
そして、フィネスの頭の中に響いたアナウンス。
〈製作者:【光の聖女】ジェニファーによる【退魔のネックレス】で、効果中の【ティラデマドリエ変換】に拮抗しますか?〉
「……て、【ティラデ……!?」
フィネスが息を呑んだ。
いつの間に、自分はそんなものに……!?
〈拮抗しますか?〉
「――します!」
フィネスは懐から愛剣たる『聖剣アントワネット』をすらりと抜き放つと、意を決して叫ぶ。
フィネスの声に反応し、ネックレスから発せられる青白い光と、取り巻く風が一気にその強さを増した。
フィネスは精神を引き締め、魔法に抗う時のように研ぎ澄ませる。
真紅のテーブルマットが宙を舞い、窓はバリバリと音を立てて鳴り響く。
天井のシャンデリアが、落ちんばかりにぐらんぐらんと揺れる。
そんな中。
フィネスの脳裏に、何かが流れ込んだ。
「――こ、これは!?」
フィネスが目を見開いた。
それは全く記憶にない光景だった。
続けて、耳に響く声。
――久しぶりだな王女様。あん時は気づかなくて済まなかった。
――いろいろあって若返っちまってさ。あぁ悪いが、これ以上話してもあんたはすぐに忘れる。また機会があったら話そうな。
「うそ……」
カラン、という音。
呆然としたフィネスは、聖剣アントワネットを床に落としていた。
濁流のように押し寄せる、封じられていた記憶。
それは同時に、どうしてこんなにも自分の胸が温かいのかを教えてくれていた。
そう、自分はあれ程に探していたサクヤを見つけていたのである。
「さ、サクヤ様が……!」
フィネスは口元を押さえて涙ぐんだ。
「あの方が……サクヤ様!」
フィネスは今、完全に思い出していた。
『連合学園祭』の最終決戦で向き合った、フユナのパートナーだった男。
それが紛れもなく、自分の探し求めていた人だったのだ。
あまりの感激に、涙があふれる。
――パキィィン!
そんな時、ふいにフィネスの首元で破裂音が響いた。
〈製作者:【光の聖女】ジェニファーによる【退魔のネックレス】での拮抗に失敗しました。【ティラデマドリエ変換】が再構築されます〉
「え……!?」
そのアナウンスをきっかけに、フィネスの頭の中で、再び異変が起こる。
「………なっ」
フィネスは真っ青になった。
戻ったはずの記憶が、なんと次々と欠けていくのだ。
「うそっ!」
……まさか、またサクヤ様を……忘れる……?
「……だ、だめ! 忘れないで!」
フィネスは座り込み、頭を抱えてそれを食い止めようとする。
だが記憶は無情にも指の間をこぼれ落ちる水のように、とめどなく抜け去っていく。
「……嫌!」
フィネスの揺れていた瞳が、ふいに力強さを得る。
フィネスは意を決して立ち上がり、自分の机へとぶつからんばかりの勢いで駆け、引き出しを開けた。
引き出しが壊れ、中身がぶちまけられる。
フィネスはそれでも構わず、紙と黒鉛棒を引っ掴むと、床の上に座り込んで前のめりになり、書きなぐった。
肩から紙の上に落ちてきて邪魔をする黒髪。
それを退ける僅かな時間すらも惜しい。
「――フィネス様! どうされましたか!」
扉をドンドン、と叩き、叫ぶカルディエの声が聞こえてくる。
「書きなさいフィネス……自分が忘れないために書くの!」
サクヤ様、大好き。
サクヤ様、忘れたくない。
意味のないと思われる言葉も混ざる。
それでも思いつく限り、忘れないようにするために次々と書きなぐる。
黒鉛棒が折れても構わず、ひたすらに。
そうしている間にも、フィネスは目の前の紙すら見えないほどに涙していた。
「うぅっ……!」
どうしようもなく、嗚咽が漏れ始める。
「……嫌……!」
どんどん忘れている。
サクヤ様がかけてくれた言葉を書きたいのに、もはや思い出せない。
「……嫌……サクヤ様を忘れるなんて!」
「忘れないで、どうか私、忘れないで!」
……サクヤ様を忘れ……ないで……。
…………。
………。
……。
フィネスの声が、途切れた。
手が止まっていた。
「………」
フィネスは、自分を見て唖然とした。
「な、なに、これ……」
窓のそばにいたはずの自分が、今や机の引き出しをひっくり返し、手だの顔だのが黒鉛で真っ黒になっている。
目の前には紙が何枚も散らばっていた。
「……え……」
自分が嗚咽を漏らしている意味が、さっぱりわからない。
自分はなぜ、泣いている?
「……こ、これは……」
そこでもうひとつ、あれ、と思う。
座り込んだ膝の下には、砕け散ったネックレスが横たわっていた。
「……【退魔のネックレス】が壊れてる……」
まさか、踏んで……?
「――フィネス様!」
その時、扉のところから切羽詰まったカルディエの声がした。
はっとしてフィネスが振り返る。
「……はい?」
「――蹴破りますわよ!」
「……えええ!?」
そう言うやいなや、カルディエが本当に扉を蹴破って中に転がり込んできた。
フィネスの部屋は
素早く立ち上がったカルディエが、いつもとはまるで違う厳しい表情で周りを警戒する。
そして、座り込んだフィネスを見つけ、目を見開いた。
「――フィネス様!? い、いったいどうしたのです!」
月明かりの中で座り込んでいるフィネスを見て、カルディエが駆け寄ってくる。
「……あの、私、どうかしていましたか?」
「ふ……フィネス様?」
疑問を疑問で返され、カルディエが一瞬戸惑うが、すぐ傍にかがみ込み、自分の手でフィネスの身体に異常がないかを調べていく。
「お身体に異常はなさそうですわね」
「はい……」
「でも只事ではありませんわ。アントワネットまで抜き放たれて」
カルディエが首だけを向けて、床に落ちている抜身の聖剣に目をやる。
「そ、そうみたいですね……ちょっと記憶が」
「覚えていないのですか?」
「ええ……変な夢を見てしまったのかもしれません」
フィネスが立ち上がり、聖剣アントワネットを両手で持つと、懐にしまった。
「心配しましたよ……確かになにやら叫んでおられたようですので、夢だったのかもしれませんが」
「……叫んでいた?」
「ええ。サクヤ様の名を」
フィネスが月明かりの中で、瞬きをする。
「私が?」
「そうですわ。フィネス様が、です」
「………」
フィネスは首を傾げた。
これほどまでに覚えがない夢というのも、久しぶりだった。
「ご無事で何よりでした」
立ち上がり、カルディエが
室内が照らされると、フィネスの姿があらわになった。
「………」
「………」
カルディエが一瞬、閉口した。
そしてゆっくりと、その口元に笑みを浮かべる。
「フィネス様、言っていいかしら」
「ダメです」
「言いたいんですの」
「言わないでください」
「煙突を降りてきた子みたいになってますわ」
「………」
フィネスがぽっと頬を染め、どうしようもなく俯いた。
カルディエが寄ってきて、フィネスの顔についた黒鉛をハンカチで拭ってくれる。
「ちょっと変な夢だったのです」
「悪い夢ですね」
「そうです。夢が悪いのです」
カルディエがくすっと含み笑いを残すと、屈み込み、足元に転がっている文鎮を拾う。
「私がやりますから、カルディエはもう休んでください」
「構いませんわ」
カルディエが窓の方にまで散乱した小物を拾い始める。
「カルディエ、あなたに掃除など――」
「フィネス様、それより湯浴みされた方がよさそうですわね」
カルディエが扉の外にいた侍女に地下での湯の用意を言いつけると、水場から桶に水をためて持ってきた。
雑巾を絞り、グレーのミニスカートから出る白い膝を揃えて折って、窓に近い床から拭き始めてくれる。
侍女でもできそうな雑用であろうと、カルディエは率先してやる人だった。
「ありがとうカルディエ」
フィネスは諦め、素直に感謝の意を示し、自分も片付けを続ける。
机のそばに行き、散乱した紙を拾い集める。
「……あ」
そこで、フィネスは知った。
「どうしました? フィネス様」
「な、なんでもありません」
今、手に持っているもの、割とまずい。
こんなのカルディエに見られたら……。
カルディエがミニスカート越しのお尻をこちらに向けた瞬間、紙の束を裏にして、ささっと机の上に重ね、その上に文鎮をおく。
「こ、コホン」
そしてわざとらしく咳払いをしたくらいにして、フィネスはカルディエと一緒に床を拭きはじめた。
◇◇◇
「わたくしも湯浴みさせていただこうかしら」
手や膝がすっかり黒くなってしまったカルディエが言う。
黒鉛棒のひとつが引き出しをぶちまけた時に派手に割れて、床に撒き散らされていたせいである。
「一緒に行きましょう、カルディエ。お詫びに背中でも流させてもらいます」
「それは嬉しいですわね」
また含み笑いをして、カルディエが着替えをとりに部屋から出ていった。
なお、
今はまだカルディエ一人しかいないが、フィネスは最大5名まで指名できることになっている。
一つが最近フユナにあてがわれたため、残り3つの部屋に空きがある状態である。
「はぁ……」
手を拭き、小さく息を吐いたフィネスは机に歩み寄り、先ほど置いた紙の束を手にとった。
10枚以上あるその紙には縦横構わず、とにかく乱雑に文字が力いっぱい書き殴られている。
ちなみに表紙たる一枚目は「サクヤ様愛してる、一生忘れたくない」だった。
「……もう、どんな夢ですか」
夢の中で自分のしていたことを、なんとなく理解した。
どうやら自分はサクヤ様への想いが爆発して、愛の言葉を書き連ねていたらしい。
「……本当に恥ずかしいです……」
口元を手で押さえた。
穴があったら入りたいとは、このことだ。
こんなの、サクヤ様本人に知られたら本気で引かれてしまうわ、と少々ぞっとする。
「………」
黒髪を左手で背中に流して、ちらり、とカルディエがいなくなった扉を眺めた。
ことによってはカルディエに見られる前に、この紙、処分しないと。
カルディエのことだ。
彼女の中では黒鉛棒を使うたびに「フィネス様ぁ? うふふ、黒鉛棒と言えば、フィネス様ァァ?」 と繰り返してくることが確定したはずだ。
これ以上追い込まれるのは、絶対に恥ずかしすぎる。
王女としての威厳も、もはやどん底にあると言ってよい。
「見ておかなくては……」
フィネスは意を決して、紙に向き合う。
頬が紅潮してくるのを感じながら、集めた紙にかかれている文字を順に眺めていく。
サクヤ様は優しい
温かく抱き締めてくれた
サクヤ様大好き
「…………」
フィネスは額に手を当て、天井を仰ぐ。
これは、あれだ。
割といい夢を見たから書き残しておこう的な……。
サクヤ様はあの少年
サクヤ様は学園祭で出逢っている
あの少年を招聘して
あの少年と結婚して
「あぁ、完全にだめだわ……」
フィネスは頭をかかえた。
いまだに自分はサクヤ様をあの少年に重ねようとしている。
あまりに会えないのが耐えられなくて、名前と黒髪だけで合わせ技一本にしたいのだ。
少年と結婚まで考えているとか、相当に重症である。
もしここにカルディエがいたら、割と軽蔑した様子で「信じられませんわ。王女フィネス様ともあろうお方が……」くらい言われるに違いない。
「もう……」
その後も、ため息が止まらぬほどに少年に重ねた熱愛の情を吐露する表現が相次いだ。
フィネスは読み終えた一枚一枚を破っていく。
そして、疲れを感じながら最後の一枚をめくった、その時。
フィネスの呼吸が止まる。
「………」
フィネスの目が、見開いていく。
同時に、その足元に紙がばさりと散乱した。
「……フィネス様?」
扉を開けてやってきたカルディエが、怪訝そうな顔でフィネスを見る。
フィネスは一枚の紙を両手で持って、立ち尽くしていた。
「……こ、これは……」
フィネスの声が震えていた。
そこには、今までとはまるで毛並みの違う言葉が書かれていたのだった。
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