第三部
第65話 生じた記憶違い
『連合学園祭』から一週間が過ぎた、晴天の午後。
「起立」
「礼」
「さようならー」
生徒たちが立ち上がり、椅子を直してひとり、またひとりと席から離れていく。
そんな中、窓の外を眺めたまま、それに倣わない少女がいた。
漆黒の髪を肩におろした可憐な少女。
剣の国リラシス第二王女、フィネスである。
本日最後の授業『魔物討伐理論B』が終わってからというもの、フィネスは空を眺めながら、ずっと同じことを考えていた。
そう、『連合学園祭』でのことである。
(どうして……)
どうして自分は負けたのだろう。
思い出せない。
そもそも『バトル・アトランダム』の最後あたりは記憶が曖昧になっている。
フユナと対峙していたところまでは、はっきりと覚えている。
フユナを追い込み、ダウンに持ち込んだのも、記憶にある。
ダウンカウントが終了し、フユナは敗者となった。
だからフィネスは目を逸らした。
その後、カルディエが少年となにか会話している、と思った記憶があるのがその証拠である。
(そのあたりからだわ)
そこから後は、完全に真っ白になっている。
次に気づいた時には、自分は膝がガクガクして、座り込んでいた。
負けていた。
どうしてか、全くわからなかった。
そして、思い出せなかった。
終わった後、闘技場を出てすぐにカルディエに聞いた。
すると彼女は、完全にフユナにやられたものと認識していた。
フィネスの疑問の意味がわからないようだった。
納得がいかなくて、翌日、翌々日と観戦していた人に手当たり次第に聞いてみた。
だが申し合わせたようにフユナに打たれて負けたと、誰もが信じて疑わない。
フィネスは机の上に置いていた両手をきゅ、と握った。
(……フユナは私の手で、ダウンさせた気がしたのだけれど)
10カウントを聞いて、フユナが涙した。
その様子が昔に重なったから、フィネスの脳裏にしっかりと残っている。
フユナたちの勝利を泥臭くしたくはなかったので黙っていたが、未だに納得のいかない出来事なのである。
「……フィネス様?」
フィネスが振り向くと、そこには赤髪の少女が自分と同じ制服を着て立っていた。
友人であり、
「はい」
「今日は四時から作法指導のミーシャ様が来られますから」
「そうでしたね」
フィネスが座ったまま、まだ上の空のような顔で冬の近づいた外の景色に目を向ける。
グラウンドの外周には、紅葉し終えて葉を落とし始めた木々が並んでいた。
「ねぇカルディエ」
「はい」
「私達は、どのようにしてフユナにやられたのでしょうか」
「あの話ですわね」
「ええ。記憶が曖昧になっているせいで腑に落ちないのです」
そう、記憶が曖昧になっているのは、フィネスひとりであった。
「フィネス様は、結果は思い出せます?」
フィネスは頷いた。
「私たちはフユナにやられて立てなかった。一方で、何もしていなかったにせよ、フユナのパートナーの少年は立っていた。それで勝敗が決まりました」
「そうですわね」
「でもどうやってフユナにやられたのか、思い出せないのです」
「フィネス様」
カルディエがフィネスの前の椅子に横向きに座る。
太ももを重ねるように脚を組むと、フィネスを見た。
「わたくしもフィネス様も、意識の急所を打たれたのですよ」
「意識の急所……」
「ずっと狙っていたんでしょうね」
後頭部の付け根付近にある『意識刈り取り』の急所。
『ユラル亜流剣術』だけではなく、剣を習う者なら当然のように知っている、徹底して守らねばならない重要な部位。
フィネスの知る限り、手合で打たれたことは10歳を超えてからは一度もなかった。
(後頭部には痛みがなかったけれど……司祭様がいらっしゃっていたからかしら)
フィネスは白い脇を見せるようにして後頭部の急所に触れながら、思案する。
「わたくしの木刀が粉々になっていた件はお伝えしましたわね? フユナの【剛剣返し】をもらったのですわ」
【剛剣返し】とは、「剛剣一ノ太刀」を放ったミーヤを一歩も動かずに防いでみせた、フユナのあれである。
「でもフユナは終わってから言ってたじゃないですか。あんなの練習すらもしたことがないって」
フィネスは即座に言い返した。
「フィネス様、あれはただの謙遜ですわ」
「……そうでしょうか」
「フユナは昔からあんなふうに謙虚な人だったでしょう」
「……それは、確かにそうですが」
「今思えば、あの【剛剣返し】がフユナの必勝の確信だったのでしょうね」
「………」
フユナはミーヤの剛剣を二度に渡って防いでみせた。
あんな次元の違うことが可能なのかと、あの時は鳥肌が立った。
確かにそこまで極めてしまうフユナの才能を持ってすれば、自分たちの意識の急所を打つことすらも……。
「………」
でも、どうしてだろう。
頭の中で、何かが引っかかる。
(何かが……)
そう、何かが巧妙に隠されているような気がしてならない。
フィネスは意を決して、カルディエを見た。
「私、フユナを倒した気がするのですが」
今まで、誰にも言わなかったことをフィネスは口にした。
「倒した? ダウン10カウントで?」
カルディエは瞬きをする。
「カルディエは覚えていませんか」
「フィネス様が、フユナを倒したのですか」
「ええ」
「それは記憶違いかと。だったらあの無能な少年しか残っていないことになるじゃありませんか」
カルディエは真顔でフィネスを否定した。
笑ってもくれなかったカルディエを見て、フィネスは急に不安がこみ上げてきた。
「……カルディエ、本当に覚えていないのですか。私の袈裟の一撃がフユナの左肩を捉えて、10カウントが過ぎて、私の前に座り込んだフユナが涙して……」
「……フユナが……涙した?」
「ええ」
「――さすがにそれは現実とは違いますわ」
カルディエはなんの迷いも見せずに、そうと断定する。
「………」
フィネスはあまりのことに言葉を失う。
「――おーい。そこのふたり、そろそろ帰りなさい」
いったん通り過ぎた担任の男エルフの先生が二人を目ざとく見つけ、教室の入口から顔だけを覗かせて言う。
「あ、はい」
二人はそそくさと立ち上がり、教室の出口へと歩き出す。
「本当に? 私の覚え違いですか」
フィネスはカルディエの前を歩きながら、黒髪を揺らして振り返る。
話をここで途切れさせるつもりはなかった。
「フィネス様。フユナは初戦の〈
カルディエの返答は淀みない。
「……ダウンしていない?」
フィネスの脚が止まる。
「ええ。最後の時だけ、わたくしかフィネス様のどちらかの反撃が運良く捉えて、相打ちになっただけです。誰に聞いても同じ答えが返ってきますわ」
「………」
フィネスは、呼吸を忘れていた。
「フィネス様?」
「……わ、私……」
フィネスが額に手を当てる。
「とりあえず王宮へ戻りましょう。今日は習い事が立て込んでおりますわ」
カルディエがフィネスに寄り添い、背中をそっと押しながらも、隣から気遣った視線を向ける。
カルディエは、どうしても信じられずにいるフィネスを見て取ったようだった。
「……フィネス様。ではフィネス様の言った通り、フユナが倒されたとしましょう」
カルディエが優しく言った。
「………」
フィネスが困惑したままの視線を赤髪の少女に向ける。
初冬の日差しが、フィネスを見るカルディエの頬を照らしていた。
「フィネス様は、あの少年と剣を合わせた覚えは」
「ありません」
「あの少年に打ち負かされた記憶は?」
「ありません。私とは向き合ってすらいません」
フィネスは言いながら、俯いた。
あるはずがなかった。
少年はずっとカルディエに叩きのめされ続けていたのだ。
それがすべてを物語っている。
「もしフィネス様がフユナをダウンさせ、敗者としていれば」
カルディエが一旦言葉を切ると、フィネスをまっすぐに見た。
「そこから第三学園が勝利するために、何が必要ですか」
「………」
フィネスが言葉に詰まる。
「フィネス様」
「あの少年が無双の働きをして、私たち二人を倒す」
「そうですわね。それしかありません」
カルディエが頷いた。
「あり得ますか、フィネス様?」
「………」
その先はもはや言うまでもない。
無双など論外である。
これこそが、フィネスの考えが間違っている証拠。
「わたくしも、あの『常識外』の少年を叩きのめした記憶はあれど、あれに倒されるとか……冗談ではありませんわ」
「………」
カルディエが吹き出す横で、フィネスの脚が止まりがちになる。
「フィネス様、大丈夫ですか」
「……大丈夫です。ちょっと記憶違いの度が過ぎていて」
フィネスは深呼吸をした。
「行きましょう。先生をお待たせしてしまいます。ミーシャ先生は時間に厳しいですから」
「はい」
フィネスは歩きながら、思案を巡らせる。
(どうやら本当に)
自分はあの戦いの最中、頭を打たれてしまったようだ。
だからいろいろと忘れ、記憶違いまで起こしてしまっているということか。
でも……。
フィネスの心の何処かが、やはり疑問を投げかけていた。
私の脳裏に焼きついているあれが、本当に記憶違い?
あれほどに悔しがって泣いていたフユナが?
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