夏祭り

カボタリアス

夏祭り

太陽が沈み辺りが暗くなって来た頃、僕は人ごみを縫う様に走っていた。湿り気を帯びた空気と息が詰まる様な暑さで既に身体は汗でびっしょりだった。暗闇の中で朧げに光る提灯の赤を横目に、人いきれと祭囃子の喧噪に煩わしさを感じながら僕はそれでも足を止めなかった。遠くの方では、迷子の呼び出しをするアナウンスが途切れ途切れに聴こえていた。

 あの子の家へはこの騒がしい公園を通り抜けて行かなければならない。幼い頃からいつも一緒だったあの子と会う事が出来るのは、きっと今日で最後だと思う。両親の仕事の都合で東京に引越す事になったのだ。今、住んでいる所からどれ位離れているのかは分からなかったが、それでももう会えない程遠いのは僕にも解った。大好きな友だちへ別れを告げようと焦る気持ちとは反対に、足はずんずんと重くなっていった。流れる時間は早い様で遅く、道のりは近い様にも、遠い様にも感じられた。

 騒がしい公園を通り抜け家に着くと、あの子は家の前に立って笑顔でこちらに手を振った。伝えたい事は沢山あるのに、息が上がって何も言えずにいると、あの子は「お祭り、行こう。」と、微笑んだ。僕はその時、あの子が全て知っている様な気がした。

 二人で肩を並べ、色々な露店を回った。金魚すくいに綿菓子、林檎飴。暗い空に並んだ提灯の仄明かりとは反対に、露店から溢れる煌々とした明かりが眩しかった。

 あの子はいつもと変わらない調子でいて、時間はあっという間に過ぎていった。祭りの雰囲気も穏やかになり、話さなくてはならない時間がやって来てしまった。僕がやっとの事で口を開くと、あの子は「知ってるよ、お父さんから聞いた。でも大丈夫、また絶対会えるから。またね。」とまた微笑んだ。僕はうん、うんと頷く事しか出来なかった。またねと手を振り、家路に着いた。喉元が痛み、周りの景色がぼんやりと揺らいで何も見えなくなった。

 あれからどれ位の月日が流れただろうか。あの日から10回目の夏が来た。友人や両親から夏祭りへ行こうと誘われたが、理由を付けて全て断ってしまった。あの日からどうにも夏祭りは行けず、避ける様になった。

 自動販売機で水を買い、ぼんやり歩いていると、いつの間にか祭囃子が聴こえてきた。町内会の祭らしい。

 見ない様に背を向け歩き出した。僕はあの日の夏祭りに取り残されてしまっている。前に進まなければ。そう思った時、ふと背後から懐かしい声で「ね、また絶対会えるって言ったでしょ。」と声がした。咄嗟に振り返ったが、やっぱりそこには誰も居なかった。見えていた景色の輪郭がぼやけ、やがて揺らいで何も見えなくなった。

 僕は涙を堪える事が、出来なかった。

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夏祭り カボタリアス @kabotaria_su

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