四切り捨て

 人は止まるところを知らない。

 知る由もない。

 特に人の欲こそ、止まるところを知らない。求め続けるのが人だともいえる。その欲求こそが、初めから今の今まで人を動かせ、人を歩かせ、人を走らせ、人を進めさせ続けて来た。邁進させて来た。……見えるものから見えないものまで。無いものから在るものまで。余さず残さず、好き嫌いなく――人は、求めてきた。

 かくして、喰らい合って来た。

 喰らい合う世。戦国時代。それはまさに、わかりやすい形で――見やすい形で。人間を表現した時代だったのかもしれない。

 力を求めろ。力もないのに名を馳せるな。気を配れ、気を抜くな。油断をしたら喰われるぞ。手を組み奪い、手の平返して盗み果せろ。心は掴めど、心は許すな。地獄はすぐそこに、そこかしこにありふれるほど点在しているが――それゆえに、欲望の坩堝がうねりを上げて我々を研ぎ澄ましてくれる。貪欲に、醜悪たれ。意欲高く、悪名高く往け。

 そう、歴史は告げている。

 どろどろと。

 どろどろと――続き歩く兵隊達。

 そのような様子を、高い木の上から気だるげに眺めていた蝕は、ここしばらくぶりに黎姫に会いに行こうかと――少し、思ったのだった。

「ひひ……潮時かな」

 呟いて、木から降りる。



 *   *   *



 蝕が黎姫の求婚を断ってから――つまり、黎姫の下に『夜岬』が初から了までの二十四振り、その全てが並び揃えられてから――十には及ばないものの、数日よりは多い程度の時間が経過していた。それでも、黎姫へのお目通りは叶った。彼女の方はまだ、蝕を歓迎する気持ちを忘れてはいないようであった。

 薄暗い、彼女の部屋。

 壁際に、二十四本の刀が鎮座している。

 その存在感をひしひしと感じながら部屋に入ると、部屋の主は深々と出迎えた。

「これはこれは蝕様。もう会えないものかと思っておりました。嬉しゅう御座います」

 蝕へ微笑みかける黎姫。心なしか――

 さらに美しくなったように見えた。

 さらに、儚げになっていた。

「そりゃどーも」と、黎姫の前に座る蝕。「まだ俺のことを覚えててくれたとは光栄だ」

「またまた。蝕様の方こそ、私のことをまさかお忘れになっているわけは御座いませぬでしょう。こうしてお顔を見せに来て下さったのですから」

「ああ、勿論覚えてるぜ、宵丸さん」

「忘れられております!」

 勢い良く驚いて見せてから、けほけほと咳き込む黎姫。やはり、体が衰えているのだろう。あるいは……ここのところ、話す相手すらろくに居なかった――ということであろうか。

 蝕が心配そうな様子を見せた。

「おい、大丈夫か宵丸さん!」

「大丈夫ですが大丈夫ではありませぬ! まだそう呼び続けるおつもりで御座いますか!?」

「体に巣食う病魔も、随分勢力強めてきちまってるみたいだな……。無理をしちゃいけないぜ、宵丸さんよー」

「だから私は宵丸では御座いませぬ!」

「いやいやまあまあ、俺に会えて嬉しいってのはわかるけどな。だからってはしゃぎ過ぎちゃいけねーよ。な、宵丸さん」

「私の名を言って御覧なされい!」

 何やら元気になったような黎姫。

 崖際で大海へ向けて叫ぶ姿もさながらであった。

「どうどう。本当に自愛しろよな」

「はぁ、はぁ……蝕様が私を弄ぶからで御座います」

「本題に入ろうか」

 ひひ、と笑って、蝕はここへ来た理由である話題に入った。

 戦国の世の常――戦争と戦闘の兆し。今までどうにかこうにか、巻き込まれるのを避けてきた彩為ではあるが……いい加減そうもいってられない状況となるであろうこと。いざ戦となった時……いや、このような弱小国は攻め入られるだけであろう……そんな時、黎姫はどのように身を振るのか。

「俺にとっては至極当然どうでも良いこと極まりない話なんだけどよ――今この現在。恐らく隣国の軍勢であろう人間共が……」

「そんなことより、私の名をまだ聞いておりませぬ!」

「まだ引っ張るのかよ!」

 本題を遮る黎姫に、突っ込みへ回る蝕であった。彼女にとってはどうやら重要なところらしい。仕方がないのでとりあえず、呼んでみることにした。

「黎姫様」

「はい」

 嬉しそうな顔をする黎姫。

「……通津作さん、とか」

「…………」

 黎姫の髪の毛が逆立った。

「れ、黎姫様」

「はいっ」

 嬉しそうな顔をする黎姫。

「……本題に入ろうか、黎姫様」

「はい、構いませぬ」

 蝕は仕切りなおした。

「で……もう一度言うか。俺にとっては至極当然どうでも良いこと極まりない話なんだけどよ――今この現在。恐らく隣国の軍勢であろう人間共が、この城目指して迫り来てるぜ。知ってるかい?」

「……はい、存じております」

「そうか。まぁ、だろうな。……百人力の宵丸もいなくなったし、妖怪の襲来――は、大した被害は出なかったわけだが――加えて、『夜岬』も揃っちまったわけだ。要するに危険視する理由が出来ちまった上に、ちょうど弱ってるところってこと――潰すなら、今。だろーな、外から見たら」

「左様で御座いますか」

「城のこととか、この御家様の行く末なんぞに興味はねぇが――」

 すっと視線を黎姫へ向けて、蝕は尋ねた。

『夜岬』の全てを束ねる、その所有者へと。

「あんたはどーすんだ?」

「私は……」

 彼女は言う。己の胸元へ軽く手の平を置くようにして。

「私は、もう、本当に長くありませぬ」

「……そうみたいだな」

「『夜岬』も揃ってしまいましたし、蝕様には拒まれてしまいましたゆえ……、もはや何も思い残すことなど御座いませぬ。目的が無く、結末は一つ。望みが、皆無。絶無。虚無に御座います」

 虚ろで、無。

「城が落ちて死ぬか、病で先に死ぬかの賭け事……そんな、ささやかな遊戯くらいしか、やることは御座いませぬ」

「後はただただ待つだけの身か。いいご身分だな、お姫様」

 ふふ、と。蝕へ微笑んで見せる黎姫。

 触れたら崩れてしまいそうな、危うい美しさ。

 溶けつつある雪結晶までに、幻想的。

「捕らえられ乱暴されて殺されるよりも、病で死ぬ方が楽でしょうか? それとも、独り……病に侵されてゆくよりは、何者にかであれ、手を下された方が救われるのでしょうか。何よりも自ら命を絶ってしまった方が――誰にも優しい終わり様なのでしょうか。私にはわかりませぬ。このような思案こそが、心を殺してゆくような過程――黒き刃で刻んでゆくような――不毛といわず、何と称しましょう」

「ふぅん」

 気のなさそうに、相槌を打つ蝕。

「初めて――御爺様から『夜岬』を譲り受けた時、私は何かに巡り会えたかのような心地がしたものです。そう、この――」飾ってある『夜岬』の一つを手に取る。「――十三振り目で御座います。この世のものとは思えぬような、刃の彩り――造り。墨よりも澄み行く黒。闇では止みもせぬ暗さ。私はそれまで、何のために生を授かり、生れ落ちたのやら、とんと見当もつきませんでした。内側から病に喰らわれているというのに、誰も助けてなどはくれず……美しいと私を称する言葉は、鏡よりも上面で、中味も意味も持ち合わせず。世間は夢とも現とも知れぬ有様。されど、『夜岬』――己が手の内に握った夜の色と、人を斬る刃の形は、私に理由を授けてくれたのです」

 黎姫は、しみじみと語る。細く白糸を紡いでゆくような、声の連なり。蝕は黙って聞いている。このような話を聞いてやれる相手など、宵丸が死した今、蝕だけであった。否……悲しきかな、宵丸には彼女のこれら言葉の、切なる意味合いを聞き取り、応えることが出来なかったであろう。

 宵丸は、黎姫にとって、善良すぎたのだ。

 宵丸にとって、黎姫は、無垢すぎたのだ。

 心中に闇を抱えたことのない人間が、どうして『夜岬』などに魅入られるはずがあろうか。そのことについて少しでも考えたことがあれば、思い至らないなどということは、在りえなかったろうに。

 邪気に溺れた彼女は、無邪気に振舞いすぎた。

 だから黎姫は孤独だった。

「理由――『夜岬』の収集。私は、黒なる刃に私の心を投影したのかもしれませぬ。姿を映さぬ刀身に、心を映したのかもしれませぬ。それは己が魂の断片を集めていくような、抗えぬ欲望で御座いました。……御爺様の蔵に在りましたのは、四振り目と七振り目と八振り目、そして十八振り目。宵丸が初めて持って参ったのは十一振り目……。了とも打たれた二十四振り目を受け取りました時は、生憎の雨天で御座いました。御陰で眺めるのに灯しか使えず、苦労したのを覚えております。……此処に並ぶ二十四振り、全てにまつわる記憶を――私は忘れてはいないのです。当然のように覚えているのです。――これら『夜岬』を巡り……様様な人共が数多殺され、宵丸は多くの命を奪い、通して私はそれより殺したということを。そして今、集め揃えた『夜岬』を取り巻く死の総てを、私は侍らせているので御座います」

 刀を元の場所へと戻し、黎姫は座りなおす。

 蝕の前で、姿勢を正して、静かに言う。

「黎姫の黎は、黎明の黎。さりとて、私の夜は明けぬまま終わることでしょう。……蝕様」

「なんだよ、お姫様」


「私を殺しては下さいませぬでしょうか」


 唐突ともいえる言葉を、余りに落ち着いた様子で、必然のように告げる。……しかし、蝕は驚かなかった。

 むしろ笑って――応じる。

「ひひ、一体どういう風の吹き回しだよ」

「私は……いずれの流れにしても、近く死に行く定め。ならば、『夜岬』の黒き刃に貫かれて死んでしまいたい」

「何で俺に頼む。面倒臭いだろ、他の奴に頼めよ」

「この城にそのような頼みを聞き入れてくれる者など居りませぬ。ご存知でしょう……? それに、蝕様は――『夜岬』が蝕様へ打たれた刀だというのなら、それを振るうのに最も適した方で御座いましょう」

「その言い方もどうかと思うが……んー」

 思案顔の蝕。

 にやにやとした表情を浮かべながらも、内心悩んでいるように見えた。別に、黎姫を殺すのが忍びないわけではないのだろうが――蝕は妖怪で、黎姫は人間なのだから。それは宵丸の死体にも告げていたこと。蝕は、他人に余計な感慨を抱いたりはしない――縁の有無に関わらず、生死について淡白なのだ。ただ、黎姫が美しいだけに、勿体ないと思っているだけかもしれなかった。

 黎姫は頭を下げた。

「お頼み申します……」

「……そうかい。まぁ――そうゆうことなら、了解だ。請け負ってやるよ。そりゃ、病で死ぬとか、どこぞの誰かに殺されるよりかは……幾分かましかもしれねーからな」

 だが、と続ける。

「だが――、三日待ちな」

「三日――で、御座いますか」

「ああ、例によって三日さ。ひひ――俺にも色々、心の準備とかあるんだよ。あんたにもあるだろ? なんだかんだいって、名残とか思い出とか。振り返って置けよ。死んだらそうゆうのは出来なくなんぜ」

 等と、蝕は嘯いてみせた。本心が何処にあるのか、見通すのは難しい。

 黎姫は、言葉を噛み締めるようにする。

「……分かりました、では――三日の後に」

「大丈夫、蝕さんは無闇に約束破ったりしねぇからよ。だから黎姫様よ。あと三日、生き延びてみろ」

「はい」

 こうして、蝕と黎姫の、最後の約束が交わされた。


 そして三日後、彩為家はその名と血筋を失い、途絶えることとなる。



 *   *   *



『夜岬』が二十四振り、その全てを、揃えて献上すること。

 彩為家へと隣国から突き付けられた降伏条件とは、概要を述べてしまえばそのような内容であった。無論、その他にいくつも条件は挙げられていたが、最たる――抜かすことの出来ない特記すべき条件とは、妖刀『夜岬』に関すること、それのみ。もし拒むのであれば、容赦なく城を落とす所存である……と。『夜岬』の噂は――信憑性が高いとまではいわずとも――目を付けられるほどには、広まっていたのだ。

 刀身が信じられぬほど黒い、だけではない。

 折れず、切れ味も衰えぬ、アヤカシめいた刀。

 もしその話が本当であるのならば、それらを二十四振り、腕の立つ剣士達に帯刀せしめ――決して少なくない戦力とすることが可能だろう。最低限そのような曰く付きの刀を二十四も抱えているとなれば、他国への威圧として効果的。……そう、判断したのであろう。

 彩為に、迎え撃つという選択肢は無かった。よしんば目前の敵を蹴散らせたとて、それは戦乱の世に身を投げ置くということに他ならない。今まで攻め入られなかった理由――それほど重要な位置にはいないということ――とはつまり、戦となった際、自国だけでは大した戦略を取ることが出来ないことを意味する。そのような悪条件の中に身を置いて、生き抜いてゆけるだけの根拠など何処にも無かった。

 ただ降伏し、隣国に吸収されるに近い形を取るのみ。

 勿論それは、黎姫が『夜岬』の所有者でなくなるということに他ならなかった。



 *   *   *



 黎姫が蝕に己を殺してもらうことを懇願してから、ほぼ三日の時間が過ぎた。

 朝が明けるかという手前――夜の最も遅い時刻。黎姫は、眠ってなどいなかった。

 日が昇ってしまえば、『夜岬』の全ては己が手の内を離れていってしまうのだ――どうして、眠ることなどが出来ようか。名残を惜しんだり、思い出をなぞったり、するだけのことをしなくてはならなかった。

 加えて。

 蝕が約束を破らないというのなら、必ずやこの夜の間に現れるだろうと。そのような確信を抱いて、黎姫は眠らずにいたのだ。

 かくして、違わず蝕は部屋を訪れた。

 人を退ける妖術を用い、人知れぬ内に。

「よぉ、お姫様」

「蝕――様」

 相変わらず、軽佻浮薄な様子で挨拶をする蝕を。

 相変わらず、優しく美しく儚げに黎姫は迎えた。

「来て下さいましたか」

 少し安心したように、ほっと息を吐く黎姫。

 続けて、思っていたことを口にする。

「三日……とは、このことで御座いましたか」

「ひひ、このこと――ってぇと?」

「とぼけないで下さいまし。この――『夜岬』が隣国に奪われるであろうという、交渉条件として提示されている――そのような状況で御座います」

 蝕は座らず、立ったまま片頬を釣り上げた。

 腕を組み、入り口近くの壁に背を預ける。草木も眠るような時刻、明かりは小さな灯だけ。蝕の輪郭も、朧げであった。

「まーな……。予想よりも早く軍が来るようだったら、その前に予定を繰り上げて参上するつもりだった――と、それだけのことさ」

「『夜岬』を手放せば、隣国に攻め入られることなく……つまり、私は殺されることなく、むしろもしかしたら彩為を救った者として、人に見守れながら病で死に逝ける――。それら選択肢が眼前に示された時、私はそれを選ぼうとするのではないか。懸念……といいますよりは、興味……で御座いましょうか。違いはありませぬか?」

「その通り。相変わらず察しがいいな、黎姫様」と、壁から背を離し、蝕は一歩……黎姫へと近づいた。「で……、まだ死にたいか? まだ――俺に、『夜岬』で、殺されたいと――そう願うか?」

「私が『夜岬』をむざむざと他の者へ渡してしまう方を選ぶと――、蝕様は、そのような可能性を妄信してらっしゃるのですか? だとしましたら、滑稽千万、御笑い種……。私は『夜岬』に見も知らぬ他人の垢を付けさせようなどと、毛頭思いも致しませぬ」

 弱っていても、衰えていても、例え死期が近くとも――黎姫の執着は変わらず、覚悟は揺るがないようであった。蝕は視線を逸らさないまま、ゆらり、と、もう一歩。黎姫の方へ、踏み出す。

「どうやら決断に揺らぎはねぇようだ。……だったら、俺にも断りようがないな。のべつ幕なしに言葉で何処も彼処も塗りたくってても仕方がない。無駄なくそつなく滞りなく、詰まらないことは終わらせてしまおうか。ひひ、手前は死ぬぜ、お姫様。それで、良いんだろう?」

 もう一歩分。

 蝕と黎姫の顔が近くなる。

「構いませぬ。望むところで御座います」

「魂消た度胸だ。しかし、後一つだけ、もう一度聞かせてくれよ」

 あと一歩という距離で留まり、蝕はしゃがむ。座している黎姫を……舐めずるように――逆撫でるように、目線を下から――上へ。……ぞくぞくする……ぞくぞくさせるような、そんな目つきだった。

「どうして、俺なんだ?」

 先日返答したこと。

 他に人が居ないから。

『夜岬』が蝕へ向けたものだから。

 ……しかし、同じ返答を求めているのではないのだろう。

 蝕は、その場凌ぎの言葉で誤魔化されたりは、しなかったのだろう。

「それは……」

「んーん?」

「関係のないことで御座いましょう?」

「はぁ? わけがわからねぇな。ひひ、もう少し分かりやすく言えよ」

 ――俺はどうでも良かったんだぜ?

 ――俺は妖怪だ。人間共のことなんざ、本当にどうでも良い。

 それは、関係がないということ。

 分かっているのに。

 分かっていたのに。

「蝕様……。貴方様には、関係のないことで御座いましょう。この城のことも、この家のことも、――無論、私めのことも。一切合切最初から、この場に至るまで、何もかも」

 黎姫は、突き放したように――言い切った。

 蝕と黎姫とは……最初から最後まで、何も関係がない。

 何かの悪戯で、しばらくの間、一緒に居ただけだった。

 何かの間違いで、気紛れのように、共に在っただけで。

 今までも。これからも。いつまでも。

 彼と彼女は、関係がない。

 そのことが何よりも苦しい。

「だから、それで?」

 蝕は、なおも問い掛ける。

 追い立てる、追い詰める。

「左様ならば、蝕様には私を殺す理由も無ければ、生かす理由も無く。それはつまり、どちらであっても同じこと。どちらも――同じで。差異が無いということ。私の生も、私の死も、まるで等価というのなら――それはさながら、暗中のようでは御座いませぬか。闇が内側……輪郭が無い。蝕様にとって、私は闇が内で巡り会いし顔も見えぬ誰かのように――何でもない。何者でもない。なのに」

 それなのに。

 嗚呼、それなのに。

「私は、貴方様を好いてしまった」

 愛してしまった――と。

 淡い灯にのみ照らされた、日中ですら薄暗いこの部屋へ――言葉が、心の断片が、浸透してゆく。

「でしたら、これより完全な死が在りましょうか……?」

「…………」

「己が好いた闇に、己が好いた刃で、何でもなく何にも無いのに殺される――死ぬしかない、殺されるしかない私にとって、これほどまでに心惹かれる――完膚なきまでの死が御座いましょうか」

 まるで『夜岬』よりも黒い瞳で。

 黒くも、潤み、揺蕩うその瞳で。

 真っ直ぐに、逸らしもしないで揺らぎなく、蝕と見詰め合う。

「私は死ななくてはならない。死ぬべきで、死にそうで、死に体で、死ぬしかありませぬ。貴方様に、殺されなくてはならない。貴方様しか――」

 蝕しか。

「蝕様しか、私を、殺せないのです」

「……ひひ、良く出来た文言の連ね――小唄のように心地良いぜ。舌触りの良い回答だよな……」

 軽く俯いて、くっくっくと、愉しそうに肩を震わせる。

 それから膝を軽く叩き、蝕はまた立ち上がった。

「あいや了解、承りましたよ、お姫様。遠慮無く容赦無く躊躇無く未練無く――ってのが、俺の有り方、俺のやり方さ。後腐れなく綺麗に無残に締めくくってやろうじゃねぇか。お生憎様にもとことん惨めなのがお似合い様だぜ」

 壁際に近寄り、『夜岬』の一振りを無造作に手に取る。

「しかし、忘れてるな。言うも事欠いて……闇が内で巡り会いし顔も見えぬ誰か……とは。ひひ、俺の目玉は闇を見通すんだぜ」

 銀の双眸を惜し気もなく煌かせながら、黎姫の方を向く。

 意識せず――黎姫は、唾を飲んだ。

 澱みなく近寄る蝕。しゅらりと刃を抜き、鞘を打ち捨て、黒めく切先を黎姫へと向ける。

 流れるように黎姫へ顔を寄せ、左の人差し指で黎姫の顎を撫ぜ、くぃっと目線を合わせて……息がかかるほどの近さで、誘うように口説くように、甘く甘く語りかけた。

「甘えたことを言ってるとは自分で思わないか? 哀れで可愛いお姫様」

「あ……っ」

 くいぃ、

 とん……、と。優しげに黎姫をそのまま押し倒し――


 ず、ぐり。


 黎姫の左掌を、『夜岬』の刃で床に縫いつける。

「はぁあああっ!」

 とくっ、とくっ、と、血が緩やかに流れ出した。

「俺の手で、『夜岬』に貫かれて死にたいんだってな。しかしこれはこれは、一体どうしたことだろう……二十と四つも刀があるぜ? ひひ……だが、安心しろよ。どの『夜岬』で死ぬのか選べ――なんて残酷なことを、俺は言わない。しっかりきっちり、二十四振り全てでくまなく隙間なく――殺してやるよ。あんたもそれを望んでいるんだろう?」

 次の『夜岬』に手を伸ばしながら、蝕は黎姫のほうを向いた。

「む――むしばみ、さっ……ああああっ!」

 とすん。

 右掌を貫かれる。

 がくがくと、黎姫は震えていた。

 美しい顔を見難く醜く歪めて――頭の上から足の先までで。

 顔は痛切に歪んでいる。

 顔は恍惚に歪んでいる。

 死への魅了。闇への羨望。

 裏表の感情。

 狂気に咽る。狂喜に咽ぶ。

 言葉は要らない――

 闇が伝えてくれるから。

「ひひ……よくもまぁ集めたものだぜ。二十四振り――ねぇ。面倒臭いこと比類ない。『夜岬』を献上して、城を救う……? 馬鹿ゆうなよ」

「はっ、はっ、ぅあぅ、ああ……」

 ずいっと黎姫に顔を近づけ――真黒い舌で、うなじの汗を舐め取る。

 しっとりと、じっくりと、じりじりと――愛撫するように。

「あああ……」

「……そもそもこんな刀を集めようとしなきゃ、目を付けられることもなかったんだよ……。なぁ? 城が攻め入られそうなのは、あんたが招いた業だ。家が潰れそうなのは、あんたが招いた罰だ。これだけの刀を集めるのに、どれだけの命が散ったと思ってる? 財と労と覚悟が弄ばれたと思ってる? 死を侍らせるってぇ――意味が分かってて言ったのかい?」

 黎姫が閉じてしまっていた瞼を開くと、すぐ其処に、

 すぐ底で、底知れぬ銀色の輝きが彼女と対峙していた。

「ひぅ……」

 射抜かれて、恐怖に身を竦ませる。

 恐怖。

 闇の恐怖。

 やみのきょうふ。

 何処までも暗い、何処までも暗い何処かへ、落ち行きそうな不安と恐怖。

 そう――。

 初めに会った時から、彼女を惹き付けていたのは――その、恐怖。

「怖いか? 恐いか? 怖いか、恐いか、怖いか、恐いか? こわいだろ?」

 ざしっ。

 どすっ。

 三本目が右足の甲へ突き刺さり、四本目が左足の裏を血に染める。

「が、くぅ、あああああああああ!」

 これで、身じろぎすら取れなくなった。

 床へと大の字に縫い止められた、黎姫。

 まるで何かの儀式のような……どこかの国の聖者のような有様。神秘的にして悪魔的。美しき姫を、血と刃が黒く、さらに麗しく飾り立ててゆく。ゆく、行く、逝く。――過程。

 まだ、二十もの刃が待ち受けている。

 夜岬、やみさき――闇裂き、闇咲き。

「悲鳴の上げ方は教えてやっただろう?」

 作業を停滞させる様子も見せず、蝕が両手に次の『夜岬』を握る。

 愉しそうだった。まるきり、愉しそうだった。

 むしろ、全然楽しくなさそうなほどだった。

 奇異な嘲笑は、人外の妖怪そのものだった。

 こんな状況で巫山戯けているとしか、見えなかった。

 豊かな表情の向こう側に、峡谷が如し無表情が在る。

「きゃっとか、はわわーとか、いやぁんとか、ちゅみみんとか――だぜ。ひひ……悲鳴を上げるような時に、そんな余裕は無いってか。確かに、正しく。その通りかもしれないな。だが待て待て、結論を出すのには早いぜ」

「い、いきぃいいいいいい、ぁああああっ! ひっ、きぁ、あ あ」

 ずぶ、ずぶずぶぶ……と。

 両のふくらはぎに、刃が沈み込んでゆく。

 真黒い牙が、肉を食い、味わうみたいに。

 じゅくじゅくと濃厚な血を滴らせながら。

「ほら、鳴けよ」

 ざくり。

「くっ、おおっ……!」

「鳴けよ、鳴けよ。鳴けよ」

 ざくり。

「ぎっ、ぎき、ひっ、あぁああ!」

「泣き叫べよ、黎姫様。声続く限りさぁ」

 ――左、右と。

 黎姫の前腕部がぱっくりと口を開き、刃を咥え、赤い涎を垂らす。

「ほら……」

「ひ、ぁ……」

 つつ――つぅ。

 あらわになった黎姫の、痛みゆえの脂汗で濡れ濡れた太腿に、刃の先端を這わせ……

 っぶつっ。

「ぐぅっ!」

 焦らした後に貫いて。

 ぐちちぃぃぃ……っ。

 ゆぅっくり――捻る。

「は、わ、ぁ、が、が……ああああああ――きゃああああああああああああっ!!」

「そうそう――その調子。お淑やかにな。最後は姫様らしく行こうよ。ん? くくく、ひひひひ、ここはあれか。お決まりの台詞を吐いてやろうか。お姫様――なぁ、お嬢ちゃん。いくら泣き喚いても誰も来ないぜぇぇ――ってかぁ? 何のことはない、ちゃっかりと人払いをかけてあるからな。蝕さんに抜け目はないのさ。そら……次々行こうか。順番に順番に、拍子取って行こうぜ」

 ずしゃっ、ぐさ、ずんっ、どしゅ、どしゅっ。

 その身に刀――『夜岬』を突き立てられる度、黎姫の体がびくびくと反応する。

 痙攣するたび、細かな血しぶきが小さく舞い散る。

「あぐっ、ひぐっ、く、くぅあっ、が、はぁあっ……!」

「闇に魅入られた人間ってのは、本当に手に負えない。何処までも何時までも、元々人ってのは愚かなものさ。愚鈍愚昧この上なく極まりない。闇を恐れて、夜を恐がり、光を蝕む冥府に脅えておきながら……それに魅入られる」

 がっ、どずっ、ぶずっ……ざちゅっ。

 遠慮無く。

 容赦無く。

 躊躇無く。

 未練無く――。

「ああっ、あはぅっ、ふ、ふぐ……、うっ……!」

「闇とか――禁忌やらへの憧れなんてのは、己が罪行や醜悪さ、それらへの後ろめたさから来るもんさ。魅入ってみせたり魅入られてみせたり、憧れてみたり羨んでみたりして、抱えてる潜在的、根本的な恐怖やらを克服――支配しようなんていう、浅はかな行為だ。堪らない気持ち悪さが、気持ち良さに転ずる瞬間、あるいは自分が何者になったかのように勘違う。汚濁をきれーな刺繍みたいに飾り立て、腐ってくのさ。……真実、そんなものはどっちだって同じだから――どうでも良い話だけどな」

 そんな風に述べて。

 ずっ、ぐっ、ぬっ。

 弛まず突いて刺す。

「ひぁ、あ、あぅっ…………」

「蟲けらみてーに這いつくばって、襤褸切れみてーに刻まれて、滑稽千万もお笑い種もこの様除いて何を指すってんだよ。あーあ、これがあんたの切願した望みだぜ。おい、嬉しいかい? ああ、嬉しいだろ? 嬉しくなくても悲しいだろ? 悲しくなくても辛いだろ。辛くなくとも痛いだろ? 痛くなくても――恐いだろ」

「かっ、はぁ……ぅ、ぅう」

 既に、二十一本もの刀が、黎姫を蹂躙していた。

 一人の身体の上に、所狭しと刀が乱立している。

 無論、致命傷は幾つも在れど、即死に至るような場所は避けられているようだった。

 それでも、とうに死に絶えていて良いだけの傷なのに。

『夜岬』の怨念に、生かされているとでも――いうのか。

「ひひ、針鼠か山嵐みたいだぜ、お姫様。それよか剣山って描写した方が、適当か。適当、適切か。嵌り過ぎてて笑えねぇか。……ひひ、そういや他の名前で呼ばれるの、嫌がってやがったなぁ。今度から剣山さんと呼んでやろうか? いやいや、ちょっとまぁ、格好悪いかね。はっ、つーか死んだら呼ぶ機会もねーわな」

 美しい、人を真似ただけの面顔で。

 刃のような瞳で冷ややかに、黎姫を見下ろしながら。

 どうしようもなく冷ややかに、見下ろしながら。

 冥府を歌う舌を、転がす。

 冥府へ誘う刀を、突き刺す。

 ――ずさっ。

「ひぁっ……ひあぁ、ぁ…………あぁ……」

 ……これで、二十二本。

「大分疲労も蓄積しちまったみたいだな。随分大量に血も溢れてるし、声もろくに出ねーか。呼吸すら困難そうだな。はぁん。弱いなぁ、しょぼいなぁ、せこいなぁ、人間。……脆いなぁ、お姫様。もうちょっとちゃんと死ねないのかい? まるで真赤なお池に浮かんでいるみたいだぜ――」

 長い長い黒髪を広げて、確かに彼女は、この世のものとも思えない。

 死んでいるのか?

 生きているのか?

 まだ、死んでいないだけなのか。

「ぁ、あぁあ……」

 ぱくぱくと、口を動かす黎姫。

 顎を動かす動作すら、緩慢に。

「んー……? 丘の上の魚みたいになってねぇで、きちんと言えよ。ひひ、てのは冗談――ああ……。ま、残り二振りだしな。成る程、心の臓と額の真中。絶対的急所を確実に、二箇所同時に美味しくどすっと――突き刺して欲しい、かぁ? 構わねぇよ」

 する……り。

 二振りの刀を両手に構え――二振りの闇夜を両手に構え。

 淡く光を放つ銀の両目を、日と月を隠すように……持つ。

 最も多くの命を喰らって来た、深黒の二振り目。

 最も古く命を啜らないで来た、薄紫の一振り目。

 併せて一突きの予告が如く、刃を下へと向けて。

 そうして、舌を剥いた。

 おそろしく。


 と、ここで。


「……あ、あああ……り……あ……」

 黎姫は、

 最後に何かを言おうと、空気の抜ける口を動かす。

「この上何か言うことが在るのかよ。ふぅん……何処まで我侭なんだい、お姫様?」

 揶揄しつつも、聞こうとする蝕。

 彼女は、言う。

「……あ……、ありがとう、御座いま……」

「違うだろ。違うだろうがよ、手前が言うべき言葉は違うだろうがよ? ああああ?」

 しかし途中で遮った。

 鋭く厳しく、遮った。

 死に逝く覚悟を遮った。

「これからあんたは、完膚なきにまで死ぬんだろ? そのつもりだったんだろうが。死ねよ。死にやがれよ。殺され尽くせよ。そんな、大往生みたいな言葉を吐くんじゃねーよ。そんな、大団円みたいな台詞を言うんじゃねーよ。最後の最後だぜ。最後の最後の最後の最期だぜ。死ぬ時くらい――謙虚になってみろよ、暴君お姫様」

「…………くふっ……」

 血を吐きつつ、押し黙る。その剣幕に、押し止まり、目を閉じる。

 そこに見えるのは、今までのこと。

 走馬灯?

 いや…………単なる後悔だ。

 今まで会ってきた、全員に謝りたい。

 そう、眼前で刀を構える彼にも謝りたい。

 愚かな私を殺してくれる彼に、謝りたい。

 ごめんなさい。申し訳御座いませぬ。

 ……だろうか? 最期の言葉は……。

「それも違うぜ。俺に謝ってどうすんだよ? あんたに無礼を受けた覚えも、あんたへの恨み辛みも、金輪際少しも微塵も欠片も俺にはねぇよ。関係ないんだからな。自分で言ってたろう? 絶無にして皆無。虚無だ。虚ろで無だ。無駄だ。んん? ほら、在るだろうが。何か在るだろ。言うべきことが」

 謝るのではなく。

 謝るくらいなら――。

 何だろう。

 一体何が、彼女に在ったというのだろうか。

 全体何を、言うことが彼女に在るのだろう。

 そもそも、彼女に何かが在った、とでも?

 最初から、間違っていただけではないか?

 弱い身体。

 狭い世界。

 暗い部屋。

 少ない人。

 存在してたことが、間違いではないのか?

 …………。

 ――ああ。

 ――ああ、嗚呼。まさか、そんな。

 ――わかってしまった。

 わかってしまった。

 何でこんなに痛いんだろう。何故痛みを感じるんだろう。何でこんなに……全身切り刻まれて全身刺し貫かれて、心が縫い止められ心が縫い付けられて、魂が傷を叫び魂が血を吐き――私 が 恐怖 する ほど に 。

 ――私は生きてるんだろう。

 死んでなかったのだろうか。

 そうだ……生きていたんだ。

 生かされていたのではなく、生きていた。

 間違ったように、戸惑ったように、それでも確かに、自らの意思と意志で自ずから、今の今まで……病みに耐え病みと戦い、闇に耐え闇と戦い、生きていたんだ。

 生まれて、今まで。

 宵丸に会う前から、

 夜岬に合う前から、

 蝕を愛する前から、

 死のうとしている、今の今まで。

 何でだろう?

 いつからそれを、忘れていたのだろう?


 そして――気付くのには、もう……遅すぎた。


 恐い。

 怖い、こわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわい!

 目を、見開く。 再び――

「あ……、ぁぁ、あ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

 叫ぶ!

 声の限り叫ぶ!

 割れんばかりに叫ぶ!

 二つの銀が無情に非情に彼女を見下ろして――いた。

 闇に例えた長い舌が空を蝕むように蠢いて――いた。

 夜が二振り死を今にも運んで来ようとして――いた。

 恐怖。

 ああ、今になって、今になって、今更になって!

 死ぬのが――どうしようもなく――こわい。

「あああ、ゃ、や、やめて……。しにたく、死にたくない……!」

 ――私は死にたくなんかなかった!

 あまりにも自然にその言葉は口を突いて出た。

 しかし。

 遅過ぎたのだ。

「ああ。そうかい」

 ず、ずん。

 確実に。刃は。

 夜は。冷たく。

 姫の心臓――心を深黒が。

 姫の眉間――魂を薄紫が。

 貫き壊した。

「ぁ………………………………」

 事切れる。

 死果てる。

 身崩れる。

 朽落ちる。


「…………ひひ」


 口を歪めず、声だけでそう笑い……蝕は、その場を去った。

 去った。

 後に残されたのは、黎姫だった骸。

 妖刀「夜岬」二十四振りが突き立てられた――――屍体。

 夜は終わらず、黎は明けずに結んだ。




(結、終)

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