あの日あの時。

末摘花

第1話

一生好き。

愛してる。

ずっといっしょ。


のぼせた言葉。

夢想じみた熱。


夏の花火のように儚く消える。


降る時は美しい雪も泥に変わる。


美しすぎるものは所詮長続きしない。



そんな諦観にも似た虚しさが貼り付いている。




「好きやよ。大好きやよ。」


君のその言葉に、ひとりぼっちの私は救われてた。


「ねぇ、子供はふたりほしいなぁ。」


君のその言葉に、冷静な自分が恐怖した。


「逃げるなよ、なんでいつもそうなん。」


君のその言葉に、自ら疲れていった。


自分の影を、闇を、明かすのは早すぎたのだと思う。


だけど、だけどね。


君は、私より一つ下の、でも凄く大人びたことを言う子だったから。


寄りかかってしまった。

ごめん、ごめんね。

今ならわかる。だからといってやり直そうとは思えない。

ただ、さよならになってしまったことだけ惜しむ。


それは、実験の資料がひとつ減ることを惜しむような冷めた思い。


私はきっと、壊れてる。





私たちが会ったのは、大学1年の春だった。

偶然に音楽から離れたくて寄った体育会系サークルに、君はいた。

離れたくて入部したはずなのに、よく話すのは音楽の事だった。


今井翼(いまい つばさ)。


少し鼻にかかったテノールの声は今も耳に残ってる。



あんなに楽しかったのが今はもうなぜだったかも思い出せないけれど。



どこから拗れていったのかな。

もう、本当のことはわからない。




「俺リーダーしててさぁ、うちの高校上手い方だったんやよ。練習でこんなことしてさぁ…。」


君がそう言えば。


「へぇ、そんなことするんだ。うちの高校はそこまでだったけどこういうことしてたよ。」


私はそう言い返した。


趣味は同じ。部活は選手とマネージャー。

漫画のような関係にのぼせたのかもしれない。


私はさばさばとした振る舞いで近寄りやすかったのだろう。

部員で自炊会もするのに、時間はかからなかった。

初めはGW前だったように思う。


「かのん、見た目によらず飯うまい。」

「よかったー!ありがとう。」


「すごい私にもコツ教えてよ!」


ああそうだ、君の傍にはこの子が居たよね。

同じように浪人して、私と違って望んで入学した女の子。

同じようにマネージャーをして、私と違って女友達が多かった女の子。


児島絢音(こじまあやね)。





その部にとって初めてのマネージャーは競技初心者ばかりだった、はずだった。


他に2人、見るからに女の子っぽい1年生がマネージャーだった。

早川奈々(はやかわ なな)

杉田実里(すぎた みのり)


4人は学部まで同じだった。


仕事が早いのも男っぽいのも私だけだった。



”出来るマネージャー”の立ち位置をとった私は横並びにいることを辞めた。

ほかの3人の面倒を見ながら、春の合宿を乗り越えた。

しんどかった。でも、頑張ったなんてぜったい言わなかった。


「お疲れ。助けてくれてありがとね。」


腹の底では、もう少しやってくれりゃ私は楽できるんじゃないかって、思ってた。

意地でも弱音を吐かない私を、選手の男子たちは気遣い、練習に励んでくれて。


まさに、完璧パーフェクト世界ワールド


君が告白してくれたのも、そのくらいだったよね。

”お前が誰を好きでもいい、俺はお前が好きだ”


そう。その時私はその部の先輩に恋していた。


「この前自転車で一緒に帰ってめっちゃ嬉しかったんだぁ!」

「へぇ、よかったやん。遊びに誘ったりせんの?」

「むり!恥ずかしい!」


「……もー、かわいいなぁ……。」


そうやって、誰かに思われて、でも違う誰かを想う自分が贅沢で、酷く満足した。

誰かを思い、違う誰かに抱かれる自分が汚らわしくて、女に思えた。


水が斬られて浮かぶ波が輝く。

冷たい水は心地よくて、部員の頑張る姿に心が躍る。

朝練習前の靄が、神秘的で、湿る空気が私に染みる。


そんな日々が終わったのは、新しい2人のマネージャーの存在だった。

彼女たちは元選手だった。


古賀真波(こがまなみ)

鈴川清美(すずかわきよみ)


鈴川さんは3年で、チーフマネージャーになった。

私は”ただのマネージャー”となり、”出来るマネージャー”はこの2人となり。

私は雨が蛙を呼ぶ頃に翼と付き合うことになった。


夏が迫る。

部費を稼ぐために、部単位でバイトをすることになった。そのために水族館まで行って、出店のアイス屋でバイトする。8時間くらいのために2時間くらいかけて移動した。


1日あたり2人が前半後半を交代制でこなした。


私はよく絢音と交代のことが多かった。


「翼と最近どう?」

「んー、まぁまぁだよ。」


嘘だ。花火大会は寮の友達といったし、翼と会うことは減っていた。


「鈴川さんとか真波もいろいろ教えてくれれば仕事できるのにさぁ。他のふたりは頼れないって分かるんだろうけど。」

「まぁ、教えてくれればやろうとするのにってのはあるよね。抱えても3年なんだからさ。引退したあとのこと考えて欲しいとは思うわ。こんなこと絢音としか話せないけどさ。」


絢音は私の前では愚痴ばかりだった。


しかしそれは、私の前だけだった。


そして私はそんな彼女を軽々しく信頼した。









「…お前さ、鈴川さんがそんなに嫌い?」

寝耳に水、とはまさにこの事。

「……なんで。」


「聞いてるのは俺。」

「別に嫌ってないよ。」

「じゃあなんで鈴川さんの悪口言うんだよ。」

「逆になんで翼がそんなに突っかかるの。」

「あの人は俺を信頼してくれたから。」


なにそれ、なにそれ。

君の彼女って誰だよ。私じゃないの。


火が点いた。


「翼、鈴川さんの方が好きになった?」

「そういう話じゃないだろ。なんでお前がそんなに泣きそうな顔するんだよ。あの人の方がよっぽど辛いんだぞ。」

「翼があの人にそこまで尽くさなくていいんじゃないの!?」


嫉妬した。

私が欲しかったその位置にいる先輩に。

私に向けられていた思いを盗んだ先輩に。


「お前いっつも泣いて体調不良言うじゃん。お前の涙とあの人の涙は重さが違うんだよ。」



翼は付き合った最初だけ優しく、今思えば飽きやすい人間だったと思う。

付き合った人間も多く、男女の関係になりかけたこともあり、ある意味摺れた人間だった。


好きなものだって、毎日食べれば偏食という。

毎日LINEして、部活も毎日同じで、部活がなくても一緒にいる。


飽きないはずがないのだ。


そんなことに、その時の私は気づけなかった。


人は受け止めて受け入れて、思い思われ、絡まりあい生きていく。

一方通行の想いに永遠なんてない。


そんなことに、その時の私は気づけなかった。





夏の終わりは翼との関係の終わりだった。





私の愚痴は部員全員で見張り、翼に報告していたらしい。

絢音は翼ととても仲良くなっていた。

気づけば私だけが蚊帳の外だった。

なぜか、私と翼の進展まで暴かれていた。


私は都合のいい馬鹿だった。


嘲笑の幻聴に苛まれ、眠ることも出来ず、食べようにも摂取できず、ただひたすら活動した。

事務的に事をこなし、ひたすら何も無かったように笑い、気にしていないふりをした。

元気で頑張る人間を演じた。

目を閉じれば非難の目が私を覆った。


体重が50を切って、初めて先輩のひとりが辞めていいって言葉をくれた。


それが9月。

辞められたのは、11月の初めだった。


最後の部活は、事務的に終えた。

誰と話すことなく、”ありがとうございました”なんて口にできず、ただ、”失礼しました”とだけ行って自室に戻った。


夏の暑さが嫌いだった。

川の水は被ると痒くてたまらなかった。

ボートを漕ぐ彼らは必死に足掻いているようで。

日に焼けるより必死だったはずが、日焼け止めに必死になった。

素顔でジャージなことに違和感を覚えたのはいつだったか。
























……今なら、今なら。





馬鹿な私は思ったのだ。





……今なら、祈りが歌える気がする。







私は音楽から離れられないこと。


私は歌に還るしかないこと。


私は歌わずにいられないこと。





これは、運命に抗った罰なのだと。






音楽という永遠の恋人に背を向けた咎。





間違ったのは私だった。

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あの日あの時。 末摘花 @musik_pou

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