0-7.ファーストエンカウント


 メニューの閲覧も一先ず終え、深く息をついて立ち上がる。何時迄もここで座り込んでいる訳には行か無いだろう。

 立ち上がってみたものの、身体の構造上仕方無い事だが、前傾姿勢がどうも変な感じだ。

 未だ上半身を起こしづらく、ドラゴンにしては長いなと思う両の手をついて、四つん這いに成らざるを得無いのが実に獣的だ。変な所で自分が最早人間では無くなったのだと実感させられる。自分が愛した娯楽の無い世界に生まれついた時点で、人間の生には未練は無いのだけれど、やはり人間では無くなった自分への違和感が拭え無い。生後10時間も経ってい無いので仕方無い事ではある。


 ともかく、目下の目標は戦闘をこなしレベルを上げる事とする。

 じっとしていて死ねるのならそれでも良い気もするが、食べる必要の無い身体では餓死する事も出来無いし、あの高さから落ちても死な無いのだから、この体が死に至るのは並大抵の事では成せ無いのだろう。そもそもボクは痛いのも苦しいのもめんどくさいのも御免被るので、出来る事なんてそう無い。そういえば、食べ物から栄養を得られ無いのに、どうやってこの中巨体を維持しているのだろう。ナビィに聞いてみてもエラーが帰ってくるだけだった。

 取り敢えず、レベルを上げて出来る事を増やそうと思う。


 川幅のある、深くても踵程のそこそこ浅い小川に足を踏み入れ、水の流れとその冷たさを感じつつ十歩ほどで対岸に辿り着く。対岸の広場の半ばまで歩みを進め、踏みしめる砂利の音を頭の端に感じながら、辺りを見回す。左右に点在する大岩を認めながら、前方の森林に視線をやる。

 砂利の地面の終わりには大きく獣道の入り口が口を開けている。奥の方は暗く、どうなっているのかここからでは視認でき無い。獣道の入り口に歩みを進めてそびえる樹木を見上げる。喉がごくりと鳴る。先程まで有ったやる気が見る見る減退するのを感じる。

 

――ここに入るのか……。


 光に満ちているこの場を離れて、先の見え無い領域に足を踏み出す事に尻込みしている。そんな自分を嘲笑しつつ、それでもゆっくりと足を運ぶ。



◇◇◇◇◇ ◇◇◇◇◇ ◇◇◇◇◇



 薄暗い森の中、両の手を草木を掻き分け進んでいる。ただでさえ視界が悪く、何が出てくるかわから無い異世界の森を進んで行くのは、怖い反面好奇心に湧き立っている。出来るだけ足音を立てずに歩いているつもりだけど、草を掻き分ける際の雑音で台無しだ。

 暫く歩いているうちに、ミニマップに虫や小動物の光点まで表示され画面が猥雑になってしまったので、ナビィに聞いてGUIの設定から非表示にしておいた。この設定割りと色々弄れるようなので都度調節していきたいと思う。


 あちら此方から生き物の気配を感じる中、宛も無く彷徨っているわけでは無い。ミニマップの端の方でオレンジの光点が一つ映っていたので、今はそれ目指して進軍中である。ナビィ曰く、オレンジの光点は敵対してい無い魔獣を指しているという。

 鑑定はまだ使え無い状態なので、この光点がどんな魔獣かはわから無い。取り敢えず目視できる位置まで行ってからどうするか考えるとする。


 そうこうしている内に光点の主が見える位置まで来たので、木々の隙間から覗いてみる。


――あれは……うさぎ、か?角生えとる……。


 そこに居たのは額に一本の直角を生やし、コーギー犬程もある薄い茶色の体毛を纏ったうさぎの様な生物だった。まあるい尻尾がかわいらしい。

 幸い角うさぎは明後日の方向を向いているので、そうっと近づいてみる。出来る限りゆっくり歩を進めたつもりだけど、この巨体だ。音がたつのは避けられなかった。足が土に沈み込んだ音を敏感にキャッチしたうさぎが此方に顔を向ける。


――あっ気づかれた。逃げちゃうかな。


 角が生えていてもうさぎだ。そう認識していたせいだろう。そんな呑気な事を考えている自分には、目の前の小動物が魔獣であると言う事実が頭から完全に抜けていた。此方の存在に気づいたうさぎの魔獣は、ひらりと身を翻し身を縮める。次の瞬間、何かが跳ねる音と同時に、うさぎ魔獣の鋭利に見える角の先が目の前に現れた。

 一瞬の事に身がびくりと跳ね、しかしそれが幸いしたのか、角の先端はボクの左脇を抜け腰の辺りに突き立てられる。貫かれたかに見えた。がしかし、ドラゴンの皮膚は堅いのか少しめり込むに留まり、それでも角の勢いは殺しきれずそのまま皮膚を抉りながらボクの後方へ飛んでいった。浅く裂けた皮膚からは少量の赤い血が滴り白い肌を汚していく。HPバーが僅かに削れた。

 あまりの唐突さと痛みに愕然とし、短く悲鳴を上げたボクの後方では、着地したうさぎ魔獣が体制を整え次なる一撃を放たんと身を屈めていた。

遅れて、攻撃されたと認識し直したボクは、崩れる身体に力を入れ、後ろに居るだろううさぎ魔獣に向き合う為に強引に身体を振り回す。肩越しにうさぎ魔獣が飛び出したのが見えた。慌てて足に力を込めるが、既に慣性を持っていた身体との整合性が取れずその場で足が滑る。しかし身体の捻りは止まらず、首は完全にうさぎ魔獣を捉えていた。

 足が滑り身体が傾いたお陰で、うさぎ魔獣が狙いをつけていたであろうボクの下半身は既にそこには無く、跳び立った後だったうさぎ魔獣には空を切る以外に道は無い。その頃慣性を帯びたボクの上半身が空を切るうさぎ魔獣に対面できる位置にある。ボクは無意識の内に一番外側にあった自らの右手を、その鋭い爪を、勢いに任せて過ぎ去ろうとするうさぎ魔獣に叩きつけていた。


「ぎぅ!」


 自らの身体が勢いそのままに地面へ落ち、口から呻き声が漏れた頃、うさぎ魔獣も弾き飛ばされ近くの樹木にぶつかり落ちた。

 あっという間の事だったが、遅れてやってくる生物を切り裂いた感触が右手に到来する。全身から冷や汗が吹き出した。明確な命の危機であった事や、不意に事故を起こした時のような嫌な感覚が押し寄せて来たのだ。見つめる右手にはうさぎ魔獣の血だろうか、赤い液体が僅かに滴っている。

 数瞬の間見つめていたが、はっとして慌てて身体を起こす。弾き飛ばしたうさぎ魔獣が落ちただろう所へ慌てて駆け寄って、自分のした事を目の当たりにする。

 そこには力なく横たわるうさぎ魔獣の身体が転がっている。その肢体には無残な三閃の切り裂き傷が残り、幾つかに分かれて無い事が不思議なくらい深い傷だ。体の下には血溜まりが出来ていた。


一角兎ワンホーンラビットを倒した。》

《”爪撃”スキルを獲得。》

《”回避”スキルを獲得。》

《”苦痛耐性”スキルを獲得。》


 ナビィが何か言っているが、正直、それどころでは無いくらい動揺していた。

 とっさの事だったにせよ、生き物の命を終わらせてしまった事に、自分でも理解でき無いくらい心の平穏を掻き乱されていた。相手は魔獣、モンスターだ。レベルアップの為にも、自らを害され無い為にも倒すのが当たり前の存在。現に森に入る前だって魔獣を倒す事に前向きだったし、そういう物だと理解もしていた。しかしなんだこの様は。たかだかうざぎ一匹倒しただけで、殺しただけでどうしてここまで気分が悪くなるんだ?どうしてこんなに混乱するんだ?どうして罪悪感に押し潰されそうになるんだ?

 そりゃあ前世では自分の食べるものですら自分で殺すなんて事はなかったが、食物連鎖や家畜に扱いについては理解していたし、納得もしていたさ。自分が生きる為には別の何かを殺す必要が有る事も理解っていたし、自分の代わりにそれをやってくれている農家の人達の存在もありがたく思っていたさ。命の重さ、命の軽さも十分理解していたはずだ。殺した事が無いと言っても、害虫は日常的に殺してもいたし、標準的な日本人だったはずだ。

 何故。何故。何故。


――何故ボクは、こんなに動揺してるんや……?


 頭では理解できているはずなのに、心は気持ち悪い感情が渦巻いている。


――生き物の命を奪うって事は、こんなにもる物なんか……?


 見る見る熱を失っていくそれ・・を見下ろしていると、はっとある事に思い至る。


――俺は今から、これを、食べんのか……?


 そう思うと、全身の血が一気に引いて行くように感じる。

 このままこの世界で生きて行くなら、殺し喰らう事は必須だ。それはどこの世界でもそうだろうけど、この世界では、ボクはそれを積極的に行わなくてはなら無いだろう。このモンスターの溢れるだろう世界で生きる為には、強くなる必要がある。強くなる為には、殺して喰らう必要がある。


-我は全てを喰らう者。我に喰らえぬモノは無し、全てのモノは我が血肉。戦いでは満ち足りず、我が身の呪いは喰らえと疼く。全ては我のモノ。全ては我の為。-


”喰魔”と言うスキルを、この時初めて恐ろしいと思った。

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