第10話 黄空の日常、帰宅

「ああ黄空さん良いところに」

 部署に到着し、デスクに戻ろうとした黄空を捕まえたのは流通部門のボスだった。

 黄空のボスとは同期で営業部門とは合同で勉強会を開くことも多く、黄空も顔見知りである。かつて宇宙港の見学に行ったのもこの流通部門のボスによる仕切りのイベントだった。

「どうもお疲れ様です」

「昨日は災難でしたね。いきなりで済みませんが宇宙港、どうでした?」

 単刀直入、出来る社員は話が早い。

「根本的な破壊はないように見受けられました。現在の規制はシステム上の問題と言うよりセキュリティ上の問題だと思われます。警察もどこから手をつけていいのやらという様子でしたから」

「つまりゴリ押せば動かせると」

「医薬品ですからね……」

 食料品などと並んで緊急性は高い。

 とはいえパナギアエリクシルはエメラルド恒星系外にも多数の工場を持つ。

 一部のエメラルド恒星系の工場でしか生産していないものをのぞけば融通はいくらでも利くだろう。

「それでもぶっちゃけ作っちゃったものは出荷したいですからねえ。特に足の速い系は。まあ問題は輸出より輸入になってくるかもしれませんが……バランスは見極めていかないと……ああ、呼び止めて申し訳ありませんでした。ひとまず宇宙港を動かせそうというのを聞いて安心しましたよ。もちろん黄空さんが無事なのも含めてです」

「ええ、ありがとうございます」


 黄空ひたきは上司に促され定時に帰宅の途についた。

 通い慣れた道のりの果ての見慣れた玄関。人体認証でロックを外し、部屋に入り、そしてそこに元いろはの姿を認めてびっくりした。

「うわ!?」

「お帰りなさい、ひたきさん。大声なんて上げてどうしました?」

「ごめんね。帰った家に人がいるのに慣れてなくてね」

「なるほど。一人暮らし長いのですか?」

「まあね。いろはさんは?」

「父も姉もたまーに帰ってきましたけど、基本はひとりでしたね。ワーカーホリックというやつですか」

「ふうん」

 犬生絆は言っていた。

 空気や気持ちが読めるから犬生はキューブヒルズを出た、と。

 ワーカーホリックで帰ってこない父と姉。

 なるほどふたりはそちら側なのだろう。

 キューブヒルズらしい人間なのだろう。

 しかしこの子はどうだろう。

 元いろはは黄空ひたきから見たら犬生絆と大差ない。

 気安くつきあえるタイプ。

 端的に言えばキューブヒルズにそぐわない。

「会社じゃ昨日の宇宙港のことばかり訊かれて大変だったよ」

「ニュースでもその話で持ちきりでした……赤い男のことも報道されてましたが、動画はありませんでした」

「そういえば通信障害も起きていたね……」

「アメツチデバイスの副次機能になりますね。セキュリティ保持のためにアメツチデバイスには周辺の通信・撮影機器への作用効果があります。こちらの機能は調整中なため基本的には使用非推奨です」

「……赤い男は気にしないんだろうね」

「でしょうね」

「まあ、そのおかげで私という二人目は知られてすらいないというわけだ」

「……ええ」

 いろはの望むアメツチデバイスの秘匿に対してこれほど有効なこともない。

 

「……ひたきさん、お疲れでしょう? 夕飯は私が作ります」

「別に気にしなくて良いよ、そんなこと」

「いいえ、作らせてください。ああ後、お昼に冷蔵庫の中身を拝借しましたのでその分と宿泊費と……」

「分かった分かった。お金はいい。じゃあ料理を作ってもらう。私の居ない間の留守番を頼む。それを対価にしよう」

「……はい」

 元いろは小さく微笑んだ。

 

 そうして元いろはは黄空宅で冷蔵庫の中身とにらみ合った。

 正確には冷蔵庫の中身を視覚的に投射してくれるホログラムと向き合っている。

「ひたきさん食事の好き嫌いは」

「嫌いなモノは私の冷蔵庫には入っていない!」

 黄空はニュースをチェックしながらそう答えた。

「なるほど」

 いろはは頷くと、メニューの算段を始めた。


 その晩、黄空ひたきは元いろはの作ってくれた食事をとった。

 誰かが作ってくれた食事を家でとるなんていつ以来になるのだろう、黄空はそう思いながら味わった。

 いろはの味付けは幸いなことに黄空の舌にあっていた。

 この同居はうまくいくだろう、黄空はそう確信した。

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