天地(アメツチ)の空
狭倉朏
第一部 天地の空
宇宙港にて
第1話 遭遇、宇宙港
赤いパワードスーツを着た男が手をこちらに伸ばしながら、燃えたぎる炎の中を歩んでくる。
どうして自分はこんなところにいるのか。
自分のせいだ。それは分かっている。誰を責めることも出来ない。
それでも、黄空ひたきは死にたくなかった。
彼女は死ぬわけにはいかない。
5月12日9時05分。
使い慣れた
その日、黄空は出張帰りだった。
黄空の仕事は製薬会社パナギアエリクシルの営業だ。
今回も全天の取引先に新型ナノマシン配合重力酔い止め薬のサンプルを売り込んできた。
恒星間ワープをすること6回。
惑星間飛行をすること30回。
おしりが擦り切れるほどの航海を経て取引先のある星々を巡ってきた。
行きに持っていた薬の入ったアタッシュケースは他の荷物とまとめて送ってあったため黄空は身軽であった。
恒星間ワープにおける光加速劣化対応のアタッシュケースは堅牢な作りであるため宇宙港でのチェックも厳しい。
故に厳密に保管するべき薬物輸送の任がある行きはしかたないが、アタッシュケースが空になった帰りには持ち運ばず運送会社に任せるのは、パナギアエリクシル社員のかねてからの習慣であった。
小ぶりなハンドバッグを片手に、黄空は星間線の退出方面に所在する飲食スペースに向かう。
出張の帰りにここの蕎麦屋で一杯食べていくことは黄空の習慣だった。
行きは行きで銀河間線の方に行きつけがある。
蕎麦屋『まるぼろ』の看板ロボ娘が現れ、音声アナウンスが流れだした。
『いらっしゃいませ。いつもご利用ありがとうございます。ご注文をどうぞ』
「いつもの」
黄空の顔と支払い端末の二段階で『黄空ひたき』を認識した看板ロボ娘は返答のシグナルを顔面に映し、進路を示した。
『かけ蕎麦ノーマルですね。すぐにご用意いたしますので、左、受け取り口の方でお待ちください』
受け取り口には先客がいて、商品を待ちながらハンドフリーで電話をかけていた。
「
イヤホンから聞こえているのだろう相手側からの報告に小さく相槌を打ちながら、青山と名乗ったメガネの男は蕎麦屋から月見そばを受け取った。
「了解した。ん、ああ、面白いところだったよ、グリーンアップルは。充実した休暇を過ごせた。それじゃまた後で、
人の休暇模様を盗み聞きしながら、黄空は自分のかけ蕎麦を待つ。
グリーンアップルはリリークリーフと同じくエメラルド恒星系にある星のひとつである。
エメラルド恒星系第一首都であるリリークリーフとは違い銀河間線はない。
一種の実験惑星であり、常冬の星と呼ばれている。
呼び名の通り、常に雪に覆われた星。
極寒ゆえに外でウィンタースポーツを楽しむことすらかなわない。
大半の観光客にとってシェルターの中からひたすら雪景色を眺めるためだけにあるような場所。
黄空はかつて半日で飽きた。
あのような星で充実した休暇を過ごすとはなかなかに変わり者だ。
見知らぬ他人に勝手にそんな評価を下しながら黄空も自分のかけそばを受け取った。
星間線と銀河間線は設備が大きく異なるため、リリークリーフの宇宙港には星間線と銀河間線で建物が二つある。
それ以外にも細かな用途の建物が存在しているが利用客に関係があるのはその二つだけである。
黄空行きつけの星間線飲食スペースは銀河間線の建物を一望できる配置になっている。
利用客数に対して無駄に広くスペースが取られているため、いつ来ても自由に席が選べる。
黄空は銀河間線の建物が臨める窓際に座る。
いつもの席だ。
業務用掃除ロボが行き来し、電光スクリーンに様々な広告が掲示される銀河間線の壁面を眺めながら、黄空は蕎麦をすすっていく。
客層はビジネスマンらしき一人客が主で、話し声はほとんどしない。場に聞こえるのは蕎麦をすする音ばかりだった。
黄空はそう時間をかけずに蕎麦を食べ終えた。
勤務先の位置する
最初、黄空はそれを映像か何かだと思った。
宣伝が絶え間なく流れる銀河間線の壁面。
その中で流れた映画か何かのプロモーション。
そう言うたぐいの何かであろうと彼女は思った。
しかしプロモーションにしてはあまりにも長く、そして一向に説明のための文字が表示されなかった。
宇宙港の壁は厚いため流される映像の音は聞こえないし、用意されていない。
だから余計に気づかなかった。
それが現実の光景であると。
つまり、それは広告ではなかった。
現実の光景でありながら、現実とは思えない光景。
映画か何かと見紛う悪趣味。
創作物にだってここまでの悪趣味はない。
銀河間線の壁面に火の手が上がっていた。
宇宙港の外壁は堅強だ。
この全天時代において宇宙港はその恒星系の生命線となる施設である。
一見ただのガラスのような黄空の目前の分厚い窓も、その強度は確かなものだ。
外からでも中からでも、生半可な衝撃では貫通できないくらいの強度のはずだ。
耐熱、耐衝撃、耐震。
どれをとっても超一流の備え。
それが燃えることなどあり得ない。
第5次宇宙戦争が起こったら、シェルターより宇宙港に逃げ込むのが手っ取り早い、とは誰もが聞いたこのある話だ。
そもそも宇宙港の警備は厳しい。
黄空が持ち運んでいたアタッシュケースがこの旅で何回検閲を受けたことか。
今この瞬間、飲食スペースにも監視センサーは作動している。黄空が少しでも妙な動きをすれば警備員が飛んでくるだろう。
そのような場所でこんなことが。
「……事故なの?」
宇宙港銀河線は容易に攻撃されるような構造ではない。
かといって長き人類の歴史の中でこのような事故が起こったなどとも聞いたことはない。
恒星系の人類の生命に大きな影響を及ぼす宇宙港銀河間線における危難。
黄空にはにわかに信じられなかった。
火の手に気づいた人間が徐々に増え始める。
そばをすする音くらいしか立てていなかった人間たちが口々にささやきを漏らす。
何人かは汎用デバイスを取り出し、記録を始めようとしていた。
「あれ? つかないな」
誰かが呑気にそんな言葉を漏らした。その意味を確認する前に、壁からひときわ大きい火の手が上がった。
爆発でもしたかのような勢いだった。
火の色も違ったように見えた。
宇宙港の分厚いガラスは遮音性が高いため、火の手の原因が仮に爆発に類するものであったとしても、その衝撃や音は聞こえることはない。
火の勢いが強くなる。
音こそ聞こえないが爆発的な反応をしている。
その衝撃に直撃され、窓ふき中であった業務用掃除ロボが壁面から無残に落下していった。
見る見るうちに、銀河間線の建物が黒煙に覆われていく。
「うそだ……」
自分に言い聞かせるためのその言葉はか細く震えていた。
思わず席を立った黄空の足は震え、その体はよろめいた。
こけそうになった黄空の体を後ろから誰かが支えた。
「大丈夫」
少し前に盗み聞きしていた声が黄空にそう言った。
青山が黄空の肩をグッと強く抱いた。
「落ち着きなさい」
それは人へ指示を出すことに慣れていて、非常時にも動じない強い声だった。
その力強さに黄空の震えは徐々に落ち着いた。
そして緊急場内アナウンスの開始を知らせるアラーム音が響いた。
『星間線に隣接します銀河間線で高熱反応が確認されました。安全のためにゲートの封鎖を開始します』
機械音声による冷静なことばに、遅まきながら飲食スペースにいた全員がその異変に危機感を抱いたようだった。
悲鳴に似たざわめきが広がる。
『利用客並びに近隣においでの皆様は、速やかに宇宙港星間線の屋内に退避してください。
詳しい被害状況を確認中です。星間線ではこれに類する高熱反応は観測されておりません。どうかご安心ください。
通路の安全が確保され次第、係員が指示を出し、避難シェルターへの移動を開始します。
お客様に置かれましてはご迷惑をおかけしますが、ひらにご容赦ください。
避難の際には声を掛け合い、助けが必要なお客様は近くの係員および運営ロボにお声がけください』
同じ内容を告げる文章が多言語で飲食スペースの壁面に表示される。
基本的に持ち場を離れないはずの看板ロボ娘が、宇宙港本部司令塔から発令された指示を受けて注文台から離れた。
『皆様、避難準備をお願いします。大きなお荷物はこちらで預からせていただくことが可能です』
看板ロボ娘に客の目が集まったそのとき、その場の誰かが呟いた。
「風が」
銀河線を覆う黒煙が風に吹かれた。煙は薄まり、火の手の上がった付近に大きな穴があいているのが見えた。
その場所に、黄空たちは影を見た。
「人影?」
誰かの呟き、それと同時に影が地面へと落下した。
黄空は息をのみ、青山は小さく舌打ちをしてから身分証デバイスを起動した。
青山の腕章ホログラムが起動し『エメラルド恒星警察本部広域捜査官』の文字が映しだされた。
「警察……?」
「私は様子を見てくる。君たちは係員の指示に従って避難をしなさい」
黄空たちにそう言うと青山は飲食スペースの外に向かって走り出した。
客の合間を青山は器用にすり抜け、その先の従業員用通路に飛び込んだ。
黄空はそれをただ見送った。
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