第三編 源高明
第九話 三周目
第三編 源高明
第一話
「それじゃあ今日は前回から続いて道真亡き後の有力者達について説明していこうか」
一代で絶大な権力を握るようになった菅原家の勢いは道真の死後も衰えず、息子である菅原高視もまた、出世街道に乗っていた。彼が優秀であったのもさることながら、橘家との相互協力が上手くいっていたのも大きかった」
また時平の弟である藤原忠平との間に良好な関係が築けていたのも大きかっただろう。彼は道真のよき理解者だったし、何より非常に長期にわたって左大臣、太政大臣という公家の頂点に立っていたわけだから」
この協力体制は日本の技術、経済の発展を齎したことから醍醐天皇の時代を延喜の治と呼ぶこともある。改革は道真の構想によるものが大きかったため、かなり有り難がられたみたいだ」
そして、この時代藤原氏に次ぐ影響力を持つことになる人物が一人、誕生した」
「朱雀天皇の腹違いにして一世源氏、源高明公。彼もまた、非常に先進的な考えの持ち主だったんだ。」
-延長8年(930年) 12月上旬 平安京-
次々とおべっかを言いに来る人間の相手をしているせいで、油断するとすぐ顔が引き攣りそうだ。次世代を担う有力者とみなされているということなのだろうが...
今回転生した時は
一通り説明を受けた後に、
〔相変わらず藤原氏と縁がおありですね〕
なんて言われたものだから苦虫をダース単位でかみ潰したような顔になったよ...赤ん坊なのに。というか離乳期にもなってないのに大人の自我があるって慣れるものでは無いな、思わず母上に貴方が抱えているのは(精神的に)齢百を余裕で超えたジジイですよと教えてあげたくなったものだ。
で、とりあえず成人するまでは情報収集に専念していた訳だが...“史実”との大きな乖離点はやはり藤原一強とは言いがたくなっているということだろう。橘家、菅原家を筆頭に反藤原一強派とも言える勢力が出来ている...まぁ正確には反守旧派と言うべきかな? 完全に対等とは言えないものの、革新的な事物を認められない...ひいてはそれが一周して他氏族を排斥したい輩に一定の枷を嵌められる程には無視できない力を持てているはずだ。特に沖縄開発によって財産を築き上げた菅原家は出世街道を爆走し、前世の息子たる高視は既に右大臣、忠平君と双璧を成している。どうも失脚が無かったおかげで長生き出来ているようだ。お上の覚えも良いみたいだし、しばらくは菅原家は安泰かな...
...しかし息子か、
そうこうしている内にコネを作ろうと来ていた人達は帰って行ったが、私の心はしとしと降る外の雨のように一向に晴れなかった。
『...殿下、どうかなさいましたか?』
知らぬ間に顔にもそれが出ていたのだろう、侍従が心配してきた。よせよ、私はただの臣民だ。殿下は勘弁してくれ。
『気にするな、考え事をしていただけだ』
『なら良いのですが...折角官位を頂いたのですからそう陰鬱な顔をなさらないで下さい』
もっとも殿下ならさらに上の官位でも相応しいと思いますがね、と少し茶化した様に付け加えた。
私が皇子だった時から仕えていた人間だが、未だに扱いが皇族のそれから抜け切れてないようだ。
微かに苦笑いしつつ今でも充分早い出世だろう、と返す。そうだ、過去2回に比べて生まれた家も、周りの環境も圧倒的に恵まれているのだ。自身の立場を強化出来る下地はいくらでもある。国を強くするために、まずは私が出世せねば。
雨の匂いが薄れ、急激に冷えてきた...どうやら雪に変わったらしい。
元から聡明だと言われていた彼は、若手の星として様々な政策、及び科学研究を進めていった」
律令制というこの時代では既に破綻しかけた体制の元で、辛うじてではあるが曲がりなりにも安定した政権が運営されていたのは彼の提言によるものも大きかったと思われる...まぁ、それまでにそういった若手官僚の意見を反映できる下地を作っていた橘家、菅原家の功績もあるけど」
一部の高官は反感を持っていたようだが、時の最高権力者たる忠平、そしてNo.2の高視はこういった思想や若い人間からの提案を歓迎していた。彼らの援護もあって高明は朝廷における力を徐々に増していくこととなる」
「その象徴の一つとも言えるのが、その系譜が現代にも繋がる『科学研究所』の設立とそこで生み出された発明品らだろうね。」
-承平5年(934年) 12月中旬 平安京-
爆音と硝煙の匂いを寒空に響かせながら飛んでいく物体。見に来た人々は耳を塞ぎながらあんぐりと口を開けていた。
『これが唐の文献を元に作成した新兵器、「火車」でございます』
前世からの継続した実験と研究によって、ついにある程度の量産化に成功した黒色火薬。それを鉄と竹でできたレールの上を滑るように工夫した小槍に推進剤として括りつけ、水上機カタパルトの小型版のようなものを作り、荷車の上から敵目がけて飛ばす...平たく言えば、旧ソ連で使われていた自走ロケット砲「カチューシャ」の原始的なモデルとも言えるものがそこにはあった。
『命中しずらいのが玉に瑕ですが...数を揃えることである程度解決は出来ましょう。音に慣らす必要はありますが、このように車に載せた上で馬に引かせることで素早い展開も可能かと』
ここまで盛大な火薬の音なんて
『はは、何ともまたとんでもない物をこさえられましたな...』
冷や汗をかきつつ乾いた笑みを浮かべるのは右近衛大将、藤原恒佐。兵部、つまり軍のトップに立つ人間の一人である。前世で築いた科学の研究結果を統合し、より詳しい調査を行う為に設立を嘆願したこの「科学研究所」。立場的には令外官、つまり正式な国家運営からは外れたものの扱いとなる。例えるなら
『最近は東国もきな臭い。何かあった時に使える物が多い方がよろしいでしょう』
『全くその通りです。しかし...』
『どうされました?』
『いや、もう少し小さくして...例えば撃ち出すものを礫のようにして兵一人一人に持たせ、狙いを正確に定めることも出来るのではと思った次第です』
『...今の技術では安全対策等が出来るか分かりませんが、その方向でも検討してみましょう』
驚いた。つまり概念的にはそれは銃と呼称されるものではないか。最初期のものはマスケット銃だが、アレは構造的にまだこの時代では作ることが出来ないため、量産することを考えたら最低でもあと一世紀は欲しい。ネジが安定して作れない、というかそもそも概念が無いからね...だが初見で見ただけでそのような発想が出てくるというのは予想してなかったな。大砲というパワーでゴリ押しなものが出てくるよりも先に銃を考えつくとは...やはり軽くコンパクトにしたがりな国民性なのだろうか。まぁ、大砲もまだまだ技術的問題が多く実用化には程遠いのが現状だが。石製砲弾も不安があるし、再使用とかコストとか考えるとしばらくは小型化してもロケット花火で矢を飛ばすようなものしか作れないな...
火薬の力を使って弓兵の代わりを果たそうと作られた兵器、「火車」は命中率こそ良くないものの、威嚇には絶大な効果をもたらすと結論づけられた」
有効的な方法として、夜間に断続的に射掛けることで敵の士気を下げるというのが提言された記録が残っているんだ。現代にも通じる、戦闘時のストレスによる心理的圧迫を狙った作戦だね」
もちろん、音というのはどこへでも拡散される。デメリットとして味方も寝不足になりやすい点があるのは否めない」
故に、高明はこの時期開発したもうひとつの道具をもってこれに対処することとなる。火車を近代軍事技術の嚆矢と見なすのならば、こちらは産業革命の核だ」
「木綿...綿織物によって作られた耳栓。当時から高級だった絹の代替案として注目されたそれは、およそ200年の時を経て再注目された素材だった。初めて使われたのは火車の試運転の際らしいが...その時同時にとある会議が催されたこともついでに話しておくべきだろう。」
-承平6年(935年) 2月上旬 平安京-
『放てーっ!』
号令とともに一斉に火をつけられ、チリチリチリという音が数瞬した後に盛大に音を立てて飛ぶ多数の槍。今回は見に来た人々は腰を抜かすようなことは無かった。耳に詰め物をしたお陰である。
科学技術の発展と法整備に括りすぎていたからだろうか? 綿花が存在していないことに気がついたのは前世の寿命が尽きかけていた頃の話だった。
桓武天皇の御代に一度インド人が持ってきたらしいが、結局根付かなかったのだ。手に入れたのは死ぬ数ヶ月前とかだったが、何とか再転生前には栽培法をまとめることが出来た。
根付かなかったのは栽培の仕方が不味かったのもあるだろうが、私は主原因として世界的に温度が低下している為本土での量産が難しかったからだと見ている。偶然だが、沖縄を自国に編入しておいたのがここで役に立った。お陰で彼の地の重要度は増すばかりである。そんなこんなで自軍への轟音被害軽減の為に導入した綿製の耳栓だが、もう一つキーとなるものを完成させた。そう、火縄だ。これによってある程度火器の発射タイミングを制御可能になった。火車による被害をこちらでコントロール出来るのはやはり敵からすれば重大な脅威だろう。ここできっちり戦果を出して銃の開発に向けて弾みをつけたいところだ。平将門の乱だけでなく、藤原純友の乱兼倭寇対策として艦載も出来たらいいかもしれん。
ふと視線を演習場からずらすと、部下が走りがちにこちらへ寄ってきたのが見えた。
『どうした?』
『参議様、例の方々が』
『分かった』
会釈して演習場を去る。一応経験値が貯まっているのもあるのか出世のスピードは尋常ではなく、“史実”より一年早く参議に昇格した。まぁ国政に携われる期間が長くなるに越したことはないはずだ。
来客は
既にこちら側の出席者は全員揃っていた。遅れた非礼を詫びつつ腰を下ろす。隣にいるオッサンが息子ってのも未だに慣れないな...
〔子供よりも若い父親...どこかの小説かなにかにそんな裏設定ありませんでした?〕
黙らっしゃい。あと男じゃ需要ないだろ。ほら通訳するんだからちゃんとしてくれ。
脳内でのやり取りにしかめっ面が出そうになるのを必死に隠しつつ、使者が来るのを待つ。足音が近づいてきた、まもなくだな。
『遠路遥々ご苦労さまでした』
『なんの、我々が蜂起した時から何度あなた方の送ってくれた物資に助けられたことか。それを思えばなんてことはありません』
『いえいえ、とんでもない...それでは、始めていきましょうか』
にこやかに始まった談義。さて、ここからが勝負だ。通訳は私が兼ねているから微妙なニュアンスもきちんと伝わるはずだ。儒教にかぶれすぎて1000年後も禍根を残す、なんてことがないようきっちりと体制を作ろうじゃないか。
『まずは国交に関して、認識の相互確認からですがー』
高明を含む日本側の出席者は自国領の確認と、特に貿易などについて細かい規定を設け、それを相互に遵守するよう求めた」
高明個人としては本当は帝にも出席して欲しかったようだが、当時はしきたり的に外国人と会うことは困難を極めていた。まぁ、旧とは言えど皇族である彼が通訳を務めたことで暗に国家としての意志を表明したことにはなるだろうけどね」
高麗太祖、王建はこの条約に満足を示して遺訓で日本との関係を密にすることを命じている。中華王朝があっという間に崩壊するのを目の当たりにしてきた彼にとって、背中を預ける信頼に足る国があると言うのは心配の種を減らしてくれたことだろう」
中には我が国を東夷と蔑視する者達もいたようだが、彼らは排除あるいは左遷されてその影響力を早々に落とすこととなった。はっきり言ってしまえば、これは高麗以前のかの半島の国家では考えられないことだ。なにせ蔑むのが当然であったからね...ところが使者を送った。これは対等であることを示す証拠に他ならない。これが後に大きな影響を及ぼしたのはほぼ間違いないね。まぁ、だからこそ朝廷も旧皇族を出席させたということだ」
「少し話しが逸れた気もするけど、彼の青年期における外交の大きな成果は間違いなくここに尽きるだろう。だが、もう一つ軍事分野についてももう少し語らなくてはならないだろうね。」
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