第二話 船出と成果

第一編 橘逸勢

第二話

「おぉ、来た来た。待ってたよ。えーと、遣唐使として大陸に渡る所から話せばよかったんだっけ?」


うん、彼と共に海を越えた人達の中には後の世に名を残すような逸材が何人もいたという事までは話した記憶があるね。いや、なにぶん記憶力が弱くて…」


はは、冗談だ。さて、本題に入る前に君に一つ質問をさせてもらおう。遣唐使ってどんなものなのか、またその周期はどのくらいなのか知っているかい?」


…勉強してきたね、感心感心。そう、遣唐使は大陸の進んだ文明を学び、自国に反映させるという目的を持っていた。他方でそこには中華を中心とした冊封体制の確立をしたいという唐側の思惑もあった。この辺のゴタゴタは後に日清戦争の遠因になったりするけど…まぁそこはその時になったら専門の人に聞いてくれ」


あとは貿易だね。奈良時代には我が国はシルクロードの終着点だった訳だし、そういった所で盛んに交流があったわけだ。そして周期は君の言う通り20年。これは日本だけのプラビーラしきたりで、他の国は毎年来ることが義務付けられてたんだけど、どうしてかは調べたかな?」


そう。昨日話したかもしれないけど、当時からしたら日本海を渡るというのは途方もない難題なんだよね。そもそも世界平均から考えてもありえない速さで海流が流れてるし、天候は変わりやすい。台風だって来ることもあるから、大目に見てもらったんだ。まぁここも唐の寛容をもって、と書かれているところを見ると流石中華思想って感じはするけど…」


「おっと、話が逸れた。最初に派遣を試みたのは803年なんだけれど、この時は船の損傷で断念して、翌年に持ち越しになっている。そして再び航海が始まるわけだけど、これもかなりの荒れ模様だったんだ。」


































-延暦23年 (西暦804年) 8月 唐土-


 し、死ぬかと思った…無事に空海と一緒の船に乗ったと思ったら見事に暴風雨とマッチング、そのまま福州に到着した。バタフライ効果で難破したり遭難したりという事もなく、完璧なる“史実”通り。本当はそのまま正規のルートでたどり着ければ良かったのだけれど、命が助かっただけマシであろう。ナイス空海、ビバ大使。ただ、ルートから外れた為に福州の長官に都入りの嘆願書を出さなきゃいけないのだが、それを書いた大使の悪筆のせいで余計な嫌疑をかけられて時間を食う事になるのでさっさとそれらしい理由をつけて空海に頼んで代筆してもらう。…ちょっと、ただアドバイスしただけなのにそんなキラキラした目線を向けられたら居心地が悪いんですけど?なぁ、“オモイカネ”さんよ、そうは思わないか?


〔…別に貴方が代筆しても良かったのでは?〕


 いやいや、ここはあくまで“史実”通りに行かないと。どこで何が起こるか分からないからね。


〔…………〕



 遣唐留学生に応募した事を知られた時、家では凄まじいまでの反対の嵐にあった。仮にも名門、橘家の人間なのだからそんな命の危険を冒してまで行くな、とか、そんな事をしなくても出世はできるだろう、と案じては貰ったが、残念ながらここで行かない方が妬み嫉みを買って謀殺される可能性が高いだけだと思う。そこまで行かないにしても、ありとあらゆる手で左遷を試みにくる人間はいるだろう。具体的には藤原氏の過激派辺りが。ほとぼりが冷めるまで…具体的には“史実”同様の二年間ほど…はそこに身を置く方がいいと判断したのだ。父上達も二年間なら、と渋々ながら了承してくれた。それにここで一緒になる人間には後に名を残す人が何人かいる。コネクションを築いておくのも悪くは無いだろう。


 …お、嘆願書を届けに行っていた人が帰ってきた。この分なら無事に長安に行くことが出来そうである。とりあえず誰について行くべきだろうか…?ぶっちゃけそれなりに生活できる環境ならどこでもいい気がする。現代に比べたらどこも劣悪そのものだが、そんなものは慣れだな。10年もすれば感覚は麻痺ってくる。臭いとかその辺の制御も“オモイカネ”がやってくれるし、この辺は技術がきちんと成熟してから取り掛かろう…どちらかと言うと、高位貴族に生を受けたせいでそんな事は許されないというのが実情だけれど。



 長安へ向かう途中で、ふと家に置いてきた技術レポートの内容を思い出した。この時代の日本船は航海技術はともかく、どんな贔屓目に見ても船そのものは酷いと言わざるを得ないため、まずはここから取り掛かることにしたのだ。帆船とは言うもののその実質はただ風にあおられて海流に頼るだけだし、そもそも浅瀬用に作られた船で外海を渡るとかアホの極みだろう。河川用をそのまま拡大したために風のせいでマストがポッキリ、ということもありえるのだ。三角帆や竜骨を用いたロングシップもどきの設計図は日本に置いてきたけれど、作るのにはしばらく時間がかかるだろうな…出来ればなるべく早く遠洋航海技術は整えておきたいものである。


 他にも米の品種改良の概念とか、基本的な医学知識とか、生命維持に直結するようなものでこの時代でもできそうなことは適当に例をでっち上げてレポートに纏めておいた。まぁ発表するのはここから戻ってからだな。どこからその例を調べてきたのか、などと聞かれると色々困るけど、唐で学んだ…とか書庫にあった本から…とでも言って愛想笑いしておけば何とかなるだろう。多分。


〔そろそろ長安に着きますよ〕


 おっと、色々考えたり会話したりしている間にもうそんなに時間が経っていたか。割と長旅だったが退屈はしなかったな。


『はーっはっはっは!やっぱアンタと話してると面白いな!付いてきてくれるなんて願ったり叶ったりだ!』


 主にこ・い・つ空海のせいでな!寝る間を惜しんで未来に思いを馳せて語り合うなんて、言葉の響きはいいけどこっちからしたら寝不足で疲れるだけだわ!目の下にクマできてるのが見えんのか!?って言うかなんで航海中とか移動中に少し喋っただけで勝手に同行する事になってるの!?“オモイカネ”、何とかしてくれ!


〔ご自分で頑張ってください、私は何も出来ませんので〕


 嘘つくな!こっちが許可出せば私の体だって自在に動かせるくせに!あーっ空海引っ張るな、なんで私より10年近く年上のはずなのにそんなにエネルギッシュなんだよぉぉぉ!!!

































…この時の彼の活躍は、目を見張るものだったようだ。会話の機会があった役人の残した手記とされるものには、唐の人間に勝るとも劣らない完璧なまでの漢語を話し、その知性底を見ずとまで絶賛されているくらいだからね」


長い歴史の間にあったゴタゴタで大陸側の記録はかなり希少になっているんだけれど、こちら側の記録と突き合わせて考える限り、基本的には空海が住処にしていた西明寺を拠点として活動していたようだ。当時まだ無名だった一介の沙門…あぁ、沙門というのは修行僧の事だ…の空海と大貴族の跡取りの逸勢。どう考えても異質の二人組だろう?それでも二人が寝食を共にして行動していたところを見ると、私は逸勢が遣唐船で乗り合わせた時点で既に空海の才能を見抜いていたんじゃないかと思ってる。事実、空海はわずか2年で密教の極意伝授にまで至り、逸勢と時を同じくして帰還しているからね」


空海が修行や勉強をしている間の逸勢の行動なんだけれど、おおよそ唐の役所や王宮に出入りして政治や技術のノウハウを吸収していたらしい。日記を読んできたなら分かると思うけど、一から作るよりも楽と書かれているから既に構想はあったんだろうね…」


…うん、よく農作物の品種改良や西欧風の竜骨のある外洋航海に耐えうる船の設計をこの遣唐時代に得た知見を元に開発したと言われているんだけれど、実はこれ俗説なんだよね…彼が唐に行く前にそういった研究資料を残していったというかなり信頼性の高い文献があってね、当時学会が大混乱に陥ったんだよ…いやはや、彼はほとんど風説や経験談、自らの実験だけを頼りに実用的なものを作り上げてしまっていたんだ。非常識にも程がある」


そりゃあ本国だけじゃなくて唐の人間からも『橘秀才』と呼ばれるわけだ。民政軍全てのあらゆる分野に深い知識を持っていたため、彼のような人間が我が国に一人でもいたなら中華の発展は約束されていただろうなんて絶賛されている…まぁ、結果的には本人の目的である自身の存在感の適度な打ち消しが果たせなくなってしまって、そこを嘆いていたみたいだけどね」


…彼の当時の日本での反応かい?端的に言えば上を下への大騒ぎだったみたいだよ。そうだねぇ、分かりやすく例えるなら...ポケベルがいきなりスマートフォンになったようなものかな?ちょっと言い過ぎかもしれないけど、その位の衝撃はあったと思う。藤原氏からしたら恐怖でしかないね、承和の変が起こった原因の一つになったのはほぼ間違いないだろう…実際帰還直後には命の危険をひしひしと感じていたみたいだし、なにか間違えれば暗殺されててもおかしくなかったかもね」


だからこそ、権威者である天皇の弟、後の嵯峨天皇と強い繋がりがあったというのはこれ以上ない庇護であったことだろう。嵯峨天皇の即位後は実質的に相談役を越えた関係だったみたいだし、強力な縁故人事を推し進めようとしていた天皇のストッパーとしての役割も果たしたみたいだ」


その役割が一番最初に存分に発揮されたのが帰国4年後に発生した、薬子の変だろう。譲位した平城上皇と嵯峨天皇との確執から至ったクーデター未遂事件。情報のタレコミの影には逸勢がいたとも言われている」


阿弖流為アテルイを下し、今の東北地方にまで朝廷の権威を完全に確立させた当代の英雄の坂上田村麻呂すら動く羽目になった平安時代初期のこの政変は、一人の女性とその兄の壮大なる野心に基づくものだったんだ。」

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