第一章 国家構築
第一編 橘逸勢
第一話 暗中模索
第一編 橘逸勢
第一話
-西暦2008年某月某日、都内某所-
「…正直に言うと君のように平安時代、それも平安初期に興味があるという学生はなかなかいないから少し驚いたよ」
…え?興味があるのは時代そのものじゃなくて、その時代を代表する人物なのかい?とするとやはり…」
やはり、橘逸勢公か。あの御仁は私のような歴史学者の端くれから見ても本当に生まれる時代を間違えたとしか言いようがない」
…彼だけじゃなくてその後の日本史上に特に強く意識されるような人間はだいたい70年前後の間隔で出てくるね。ハッキリいえば今から1000年以上前からの彼らの尽力によって、今も尚この国が存続していると言っても過言では無いと私は考えているんだよ」
あぁ、欧州と極東との距離を克服するための技術の問題的に帝国主義全盛の時に西洋と接触することになっていただろうね。有色人種故に舐められてても可笑しくないし、下手をすれば植民地になったり、分割統治されたりしていたかもしれないし、そうでなかったとしてもここまでの大躍進は無かっただろう…実は私も学生時代に卒業論文のためにそういった内容を研究していてね、当時は資料の検証とかもあまり進んでいなくて明瞭でない所もあったんだが、最近の政府の情報公開で非常に面白い事が分かってきたんだ。日本史どころか、世界史に残るような…それこそ時代に愛されたような日本の傑物は、およそ一年おきに逝去、出生しているんだよ」
…はは、陰謀論地味てるって?確かにそうかもしれない。だけどね、彼らの動きを見ていると何か特別な力が働いているとしか考えられないほどのものがあるんだよ」
…さて、場も温まってきた事だし講義では出てこない我が国の人智を超えた偉人の一人の話を始めようか」
「橘逸勢、その名が広く知られるようになるのは彼が遣唐使として海を渡る数年前からだ。」
-延暦20年(801年) 9月 平安京-
“史実”通り遣唐使として派遣されるまではする事がほとんどない、と私は判断した。父上からの教えも“オモイカネ”という超常現象の前ではそれこそ知っていて当然の事なのだ。故に兄上二人がまだしごきを受けているのを尻目に早々に放任されてしまった。
一応現代の学校にあたる大学寮というものも存在しているが、入学1年で教師の方が音を上げてしまった。無理もない、1000年以上先まで完璧にありとあらゆる事象の知識を網羅してるやつが頭の中に巣食ってる人間を相手にしろと言うのは土台無理な話である。故に居心地の悪い目で見られながらスピード卒業...というか放逐...させられてしまい、官吏になるにも早いということで遣唐留学生になるまで暇な時間が大量に出来てしまったのだ。
しかしこれは考えようによってはチャンスでもある。誰にも邪魔されることなく、今後の課題である日本の改革のために必要な知識や技術を記す事が出来るのだから…まぁ考えるのは私本人では無いけれども。
この時期は律令制に緩みが見られ始め、書物でよく言われるようなの貴族文化の発展とは裏腹に動乱や政変の絶えない時代だったと、“オモイカネ”の知識を借りて調べてみて感じた。まぁ藤原氏が他の有力貴族を全力で排除し、その上内ゲバまでしていたようじゃねぇ…それに、この時の混乱が後の武家政治に繋がっていく訳だが、これこそがある種の日本の軍事政権への寛容をもたらしてしまったとも言い切れない節があると思う。保身の為に1000年後の為にも中世ヨーロッパ的な支配体制を整えるのが吉ではないだろうか?天皇家は存続させておいた方がいいような気がするし、そこは要調整だろうが…
そんな事を考えながらかなり史実を先取りしたような制度や思想を書き記していく。
例えば、近世的中央集権体制。封建制度を用いることで国内の安定化を図るわけだ。荘園領主の発展を権威者が認定し、区画を設定する…とどのつまりやっていることは鎌倉幕府の貴族政治バージョンだ。
他にも、技術の発展を早める為に船舶の設計図や科学的実験のレポート…もっとも本当にやった訳ではなく、この時代でも材料を集めれば出来るような事をさも実験したかのように記しただけだが…なども書いてみた。ちなみに転生した体の影響なのか、自分でも驚くぐらいの達筆である。
〔前世はアラビア文字でも使ってたんですか?〕
よ、余計なお世話だ…というかなんで分かった?
〔字を書く度にため息をついてれば流石にバレますよ〕
無意識のうちにそんなことしてたのか…他のことは顔や行動に出てないと思いたいが、気を引き締めねばなるまい。
父上が時たまドン引きしたような目で私のあてがわれた部屋の前を通り過ぎる以外には平穏な日々が続いているので、このまま遣唐使として海を渡るまでは静かに暮らしていたいものである。
なお、発音の問題上この時代の言葉は元現代日本人であった私には聞き取れない上喋ることも絶望的と思われるので、使用人とかとの会話はこの頭に巣食う自称知恵の神に翻訳を丸投げし、ついでに発声の方もオートで修正してもらっている。おかげで唐に渡っても“史実”のように言語で苦労することは無いだろう。対外交渉をするようになったら実に捗りそうなスキルである。
そんなこんなで色々と研究をしている間に年月は過ぎ、そろそろ留学生候補者は呼び出しがかかってもおかしくないか…?と思っていた矢先のある日、私に予想外の人から手紙が届いた。いついつに馳せ参ずるように、とのことである。差出人は第二皇太子殿下…後の嵯峨天皇と呼ばれる人物である。
いやいやいや、そんな接点なんて“史実”にはないぞ!?
二度見しようが“オモイカネ”に翻訳をしてもらおうが命令は命令である。下手に目をつけられるとか後々の左遷フラグが強化されちゃってるじゃないですか本当にありがとうございました。
いやマジで崩れ落ちたい気分です…
このときを契機として、歴史が、少しずつ歪み始めたのを痛切に感じる事となっていくが、その時の私は“史実”より強固になってしまったフラグをどうへし折るかに頭がいっぱいで、気がつくことは無かったのだった。
…まだ元服したてだった嵯峨天皇は女房辺りから伝え聞いた噂で逸勢の事を知ったらしい」
らしい、というのは資料が残っていないからだよ。奇跡的に逸勢本人の日記は今も尚残っているんだけれど、当の本人もどこから伝わったのか分からなかったみたいで、多分こうだろうと憶測でしか書かれていないんだ」
尤も話自体は嵯峨天皇に大ウケしたみたいでね、逸勢が帰ったあともしばらく目を輝かせていたそうだ。…今風に言うとほとんど引きこもりみたいな生活を送っていた彼がどうしてあんな当時の世界最先端を遥かに超えるような技術や学問を知っていたのかが私には訳が分からないんだけれどね」
そう、世界史的な視点で見ると当時の日本というのは極東…文明の僻地だ。カロリング朝最盛期のフランク王国、アッバース朝が安定し始めたイスラム帝国からしたら技術は明らかに遅れていたわけだし、比較的周辺で当時の文明国である唐にだって彼が語ったような観念や発想があったとは思えない。もし独力で考えついたとしたら麒麟児なんて言葉では済まないと断言できる」
…少し逸れたね。彼が紛れもない時代の寵児だったのは後の功績を見れば一目瞭然なのだから。話を戻すと、この時の問答そのものは内容が現存していないんだけど、周囲に侍っていた侍従にもかなりの衝撃を与えたのは間違いないらしい。拝謁の件から一ヶ月と経たないうちに平城天皇の側近辺りにまでその名が聞こえていたみたいだし、当時征夷大将軍として活躍していた坂上田村麻呂に関する文献からも橘某との記述がある。情報伝達速度が現代より遥かに遅い平安時代ではありえない事だよ」
うん、当然それだけ評判になれば当時絶対的な権力を持っていた藤原氏に目をつけられる。後に薬子の変で処罰を受ける藤原仲成、更には藤原良房の父である藤原冬嗣辺りからも注視されていたみたいで、日記には面倒なことになったという愚痴が残されているんだ。まぁ下手に目立ちすぎると普通の貴族なら讒言か政変で左遷させられてもおかしくないからね…」
そしてこの時の名声が影響したのか、803年の遣唐留学生に選ばれている。おそらくこの機会を利用してほとぼりが冷めるまで待つつもりだったんだろうけど、些か妙な点もある。この時の航海って日本と唐の間のわずかな距離でも非常に危険なものだから、藤原氏からしたら将来邪魔になりそうな人間がそうやってわざわざ危険に首を突っ込むのは願ったり叶ったりだったと思われる上に、当時の名門橘家の特に優秀な人物が死の危険を冒してまで行く必要はない…事実、留学を知った嵯峨天皇はかなり動揺してたらしいし、日記にも父親に反対されたと書いてある。あ、ちなみにこの時の同期には空海や最澄、後に我が国唯一の三蔵法師…三蔵法師というのは仏教での称号、尊称なんだけどね…となる霊仙などがいるんだ。なかなか豪華なメンツだね」
…っと、ついつい話し込んでしまった。済まない、今日はこの後野暮用があってね…もし良ければ明日の同じ時間にまた来てくれれば彼の遣唐時の話を教えてあげるよ。何しろ資料がほとんどないこの時代について興味を持ってくれる子なんてほぼゼロだからね、こうやって聞きに来てくれるのは学者冥利に尽きるってものだよ。はは、まだ駆け出しだけどね…」
あっ、そう言えば、君は他にも有名な人物を中心にして調べるって言っていたね?良ければ僕の知り合いに中世、近世、近現代それぞれを専門にしている人を知ってるから紹介してあげるよ。また必要な時に聞きに行くといい」
「そうそう、それと私の私物の中に橘花記…彼が生涯にわたって書いていた日記の現代語訳と編纂がされたものがあるから良かったら貸してあげるよ。これ結構丁寧に訳されてる上に重要なところをしっかりと抜粋してるから研究者的にはすごく重宝するんだけど残念ながら絶版になっちゃっててね、今じゃレア本の仲間入りをしているものなんだよね…それじゃあ、また明日来るのを待ってるよ。」
******以下あとがき****>*
ここまで読んでいただき誠にありがとうございます。
文中における“オモイカネ”の権能の一つである「自動翻訳・自動発声修正」ですが、主人公視点で進むため『』内の会話は全て主人公が聞こえているという体をとっております(時代がかった言い方になる場合が存在するのは仕様です)ので、傍から見るとその場に則したネイティブな会話をしているような光景になってます。
対外交渉をする際に重宝する頭脳チートの一端ですね。
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