森で
時折曲がりながら進み、最後は竜の力で真っ直ぐ飛ばされた自分が、実際あの屋敷からどれだけ離れられたのかは分からない。
言えるのは、ただでさえ隠蔽魔法で気配を絶ちつつ移動した上にあの竜の上書きを食らった今、屋敷の者では自分の所在など探すこともできなくなっただろうということだけだ。
彼女の目的は達成された。そう確信して立ち上がる。
木々に引っかかりながら落下した身体に寸手で風魔法を用い衝撃を逃した。裾が裂けてしまったが身体が無事なら問題あるまい。
辺りを見渡しても似たような木々しか見えない。
薄暗く、下草が短く、獣が徘徊していそうな雰囲気が漂っている。
「さて、どうするか……」
暫くその場で考えていたが、ふと彼女の利用した飛行魔法を記憶から辿る。
あれほど安定した発動、方角の指定、他にも移動速度や細かく数値設定できるところなど、飛行魔法の完成系と言っていい気がする。
紙は見た。その魔法もこの身で受けた。
式を真似れば、やれないことはないのではないか。
魔法の構造を思い出し、実戦する。
「防壁規模……これくらいか。ここは変数……いや固定で……屈折指定箇所? どう省けば……」
脳裏に彼女の描いていた魔法式を思い浮かべ、魔素を放出する。
魔素は目には見えない。だが、その気配が波のように漂っているのは感じ取れるし、人によって質感は異なる。
指先から放出された魔素を魔法式と同じ形に変形させる。
かちりと図面が一致した時、瞬時に魔法が発動した。
ふわりと身体が浮き、変数の値を変えて上昇する。不要な式もあったようで完璧とはいえない動きだが、見様見真似にしては上出来か。
十メートルほど上空を行けば枝葉を抜けて全体が見渡せる。緑の海一色だが、片側には緩やかな山脈が、その反対側の景色にはかなり遠くに草原が広がっているらしかった。
どちらを進めば最寄りの町に近いのか不明だが、山よりは平地の方が望みはあるかもしれない。
そこでふと思い出して腹に巻きつかれた荷物の口を解く。
予想通りというか何というか、干した果物、干し肉、小刀、薬、硬貨がごちゃっと混ざっていた。わざわざ常備薬を選択するところが彼女らしい。
腹痛止めや発熱止めの他に、やたら丁寧に教え込まれた解毒剤もあった。ありがたい餞別だ。
そう思いながら何の気なしに掴んだ小刀の柄に凹凸があり、彫り込みがされていたのに気づく。
目の先に翳すと、頭文字が一字刻まれていた。訓練で彼女が時折使用していたものと同じ形状をしている。
「…………」
ひとまず全ての荷物を確かめ身体に巻き直し、小刀だけスカートの布を裂いて紐状にしたものを腰に巻いて脇に差し込んだ。
危なげなくするすると前進する。速度はそれほど出ず、かなり魔力を消耗するが、使い切るほとでもない。
半日は飛んだだろうか。眼下のやや開けた場所に降り立つ。先ほどから見つけていた池の位置だ。
楕円形に広がる淵に湛えられた水はかなり透明度が高く、底の方に生える水草がよく見えた。池というより泉と表現した方が良さそうだ。
この土地柄で澄んでいるということは、湧水が絶えず流れている生きた水ということだ。少し覗いただけでも小魚の群れが泳いでいるのが見えた。
泉の中央は空から覗く光が反射しているが、逆に言えばそこ以外は枝を広げた木の葉が遮っていて影を作っている。それが陰湿な印象を与え、やけに静かな森を表現していた。
風も弱いからか、小動物が少ないのか、鳥や虫の音すら聞こえないのは不思議だった。
危険は無さそうなのでここで野宿することにする。片側が湖面ならば、その面だけは獣を警戒しなくていいので楽だ。
干し果物を食べ、それだけでは足りないので泳いでいた一匹に狙いを定め、風魔法を発動する。周囲の水を弾き、水面を盛り上げて陸に投げ飛ばした。
近くにあった岩の上をスパンと風で切断し卓に見立てる。
活きがよく跳ねる魚をナイフで捌き、周辺で調達した枝を細く加工して差し込む。火魔法でまんべんなく炙り、脂が出て焦げ目がついた後で背中を齧った。淡白な白身魚だ。とろみがあって美味いと思うが、塩気が欲しい。干し肉も少し切り出してつまんだ。
早めの夕食を終え、身体を水魔法で清潔にする。
荷物の一つであった毛布を広げて包まる。それでもこの薄着でこの季節に寝れば風邪を引くので、さらに魔力を練り上げた。
風の盾発動。
周囲の木のざわめきが止む。
空の旅の間は、流石に何が起こるか分からないので一睡もしていなかった。まだ幼いこの体に徹夜は辛い。
冷気が適温ほどになったところでさっさと眠りについた。
意識に抵触する気配がして瞼を上げる。
真っ暗で視認できない。身じろぐ前に四方と上空に光の球を飛ばして辺りを照らす。
球場の夜間に使用されているアレを想定したせいか、頭上に飛ばした球は他に比べて眩しすぎるほど輝いてしまった。できるだけ遠くまで照らそうとしたのだが、ほとんど真昼のような明るさだ。
そこまでしたものの、辺りには何もない。目に見えない魔物の可能性もあるので油断は禁物だ。眠気を振り払い魔力探知の精度を高めていく。
「…………」
おかしい。
首筋に感じる気配が、周囲に何か潜んでいると訴えてくる。それに従って魔力探知までしても何もかからない。 ただの獣だろうか。
《眩しい》
ふと、そんな言葉が頭に閃く。
自分の思考の流れと一致しない感想に疑問を抱く。
《眩しい》
単語と同時に眩しいという感覚が流れ込んでくる。そして、脳裏にひとつの光景が過る。
空から真っ白な光が絶えず注ぎ、その真下に佇む人影の影すら消し去っている。……あれは私だ。異なる視点からの景色か。
なぜそんな映像を見たのか、原因はすぐに判明した。
《眩しい》
まるで訴えるように響く言葉。そしてちらちらと過る先ほどの景色から想定した位置を見る。映像の中で人影がこちらを向いた。やはりそうだ。
斜め前方に注意を向けると何かに監視される気配がより強くなる。何かが潜んでいることはほぼ間違いない。
ただ、敵意を感じるというよりは、ひたすら眩しさだけを訴えられている感じなのだが……。
《そう、眩しい》
気持ちが伝わるのだろうか。少し考えただけで、訴える言葉が強くなる。畳み掛けるように脳内に響く。
《いま、夜》 《眩しい》 《消す》《不要》
言いたいことは十二分に伝わった。
発動中の魔法式に干渉する。
光量を調整、威力を半減させて様子を伺う。
《…………》
「…………」
《…………》
「……だめですか」
無言の圧力を受けて思わず漏らした言葉に頷くように《眩しい》と呟かれた。
もはや敵意の欠片も感じないので四方と頭上の明かりを消し、手元に豆電球のような柔らかな明かりを灯した。これではほとんど何も見えないが、その存在には効果があったようだ。
薄暗闇の中、よくよく目を凝らせば女性と分かるという程度の人型が浮かび上がった。
何せ、彼女の身に纏う服まで暗い色合いをしている上、髪の色も黒い。胸とくびれが強調されていなければまるで分からないだろう。
「貴女は?」
《……寝ていた》
そういう事が聞きたいのではないと返さなかったのは鍛えられた精神の賜物かなと思う。
《光に、起こされた》
どうやら、かなりご立腹の様子だ。
まず間違いなく人では無さそうだが、睡眠を邪魔される煩わしさは共通らしい。それは素直に悪いことをしたと思ったが、こちらにも事情があった。
「申し訳ありません。気配がしたのでつい警戒してしまいました」
《……ああ》
何かに思い当たったような声が頭に響く。思わず彼女の顔の辺りをまじまじと見つめると、あっさりとそれは返ってくる。
《気になる気配があった。けど、近くに来たら、人間だった》
「気になる気配ですか」
《お前から、強い気配がする》
「ああ……」
今度はこちらが思い当たる番だった。
強い気配とは、間違いなくあの竜のことだろう。魔法の残滓があったのかもしれない。
……もしかして、それで動物も魔物も寄ってこないのだろうか。
《よく分からなかったから、近付かないで、潜っていた。夜に、お前の夢と繋がっていたら、眩しくて目が覚めた》
「夢?」
《入りたかったわけじゃない。近くにあったら、勝手に繋がる》
「あ、いえ、そういうことではなく」
何を言っているのだろうと首を傾げたくなる台詞だ。つまり、よく分からないがこちらの夢を覗いていたということだろうか。
「夢、意識の共有。それはまるで、闇魔法のようですね」
闇魔法とは、その名の通り闇を操り、意識に介入することも出来る魔法属性だ。専ら悪者の属性として書物では描かれるが、物質の具現化も可能な、悪などという表現では括れない高度な分野である。
《魔法……違う、意識しなくても、なる》
不可抗力だったと抗議される。しかしその論点で争うつもりはない。
「ふむ。精神共有をそうも容易くできるということは、精霊の類いでしょうか」
《そういえば、同じことを言われたことがある》
「では?」
《さあ。考えない、そんなこと。でも、たしかに、魔法……は、人間みたいに考えなくても使える》
魔法と言い切るのに躊躇ったのは、今までそれを魔法と意識する必要が無かったからだろう。
本で読んだ知識と教わった知識を漁っても、一般的にこういう自然界に生息する害意のない存在を「精霊」「妖精」などと称している。
後者は前者の眷属的な意味合いが強い……というより、思念の浅い自然現象に近しい無数の存在である妖精の中から、稀に生まれるのが精霊だ。その存在値は数多の妖精より大きく、人語を解することも可能と言われている。
文献によると、精霊はいずれも太古から存在しており、人が従えるには特殊な資格が必要とも、生まれながらにして素質が問われるとも語られている。元来、風や水や火など、多少の意思が形成されたところで欲深い人間が支配できるものではないだろうと自分は考えているが、この国にも精霊遣いはごく一握りだが存在するのだそうだ。
それにしても彼女は何故ここまで自身のことを知らないのだろうか。誰とも関わってこなかったわけでもなさそうだが。
「凄いですね。けれど、そこまで意思が確立しているのでしたら、高位の存在かもしれませんよ。昔言われたという方は、人間だったのでは?」
《違う。眩しくてうるさかったけど、ぼくみたいな存在だった。光が強くて……うるさかったな。お前もぼくの仲間だって……うるさかった》
よほどうるさかったのだろうか。どんどん言葉が重くなっていくので話を逸らした。
「では、あまり人との関わりはないのですね。ご迷惑でなければ、雨風を凌げる結界内でご一緒に休憩しませんか。まだまだ夜も更けませんから」
少し考える素振りで黙り込んだ後、頭に《入る》と返事がきた。
結界を解き、こちらに彼女が来るまで待機する。残像がブレるように一度揺らめいたあと、音もなくこちらに近づいてきた。
足下を見ると、素足のままで宙に十五センチほど浮いていた。魔法を構築した様子もない。これが意識せずとも行えるといった技術の片鱗か。
まだ頭上には豆電球ほどの明かりが灯っている。闇の中、ぼんやりと橙色に染まった、褐色がかった肌が浮き上がりその姿を晒した。
自分のセミロングと違い、腰までかかる跳ねっ気のある黒髪。二十代頃の、女性として成熟した容姿に豊満な胸と滑らかなくびれ、適度な張りのある足腰。どこからどう見ても妖艶な美女だった。
ただ着飾るという感性はないのか、服はストンと長い黒っぽいワンピース一枚、髪は手入れの様子もない。
感情の乏しい黒目がちな瞳が眠たげにこちらを眺め、無言で隣に腰掛けた。体育座りである。
とりあえず先ほどと同じように結界を張り直し、光を全て消して毛布を大きく広げた。彼女の膝にもかかるようにすると、同じ体勢のままこちらを凝視してくる。
「……どうぞ、遠慮なく」
何も言い返されなかったが、不満はなさそうだ。この結界内ならば気温変動も無いし音も遮断される。眩しくてうるさいのが苦手ならば気に入ると思ったのだが、どうなのだろう。
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