第23話 完璧な演技

 一時間ほどで宮本は帰っていった。楠木さんらとかなり険悪になっていたが、本当にまだ降りるつもりはないのだろうか?


「それで、撮影はどうするんですか?」

「伊藤くんで続行するよ。本当に宮本さんが明日明後日をまるまる空けてきたら撮り直しになるけど、あの分じゃ期待できそうにない」


 来週以降なんてことになれば、楠木さんらのスケジュールがきつくなってくるらしい。空いている日はあるが、それを前後にずらすなどの融通は無理だと言う。


 なお、最終的に宮本を使うことなっても、この数日分の私の報酬は出るという。ただし、名目は役者ではなくて剣術指導ということになる。


「剣術指南、伊藤芳香と出してくれるならば断る理由がない」


 報酬が安くなってしまうことに土井副社長は不満そうではあるが、私としては名前と滞在費だけ出してくれれば十分だ。



 宮本の問題を除けば兼進けんしんしのぎの最終決戦は順調に撮影が進む。最終奥義の〝竜王爪斬〟はまだ不完全だが、もう少し練習すれば見れる形になる。


 そのシーンだけ翌日に持ち越しで、他の部分は全部撮影を終えることができた。ただし、兼進けんしんの仲間たちを片っ端から蹴散らしていくシーンはさらに後日だ。それぞれの役者のスケジュールをまとめて同日に押さえるのも難しいらしい。


「最後の山場はしのぎの刀が折れるシーンか。そこだけは練習できないのが難しいな」

「いや、折れるところだけ別に撮るよ?」

「そんなインチキに頼りたくない」


 刀を折るのは簡単ではないが、あらかじめ刀に傷をつけておけば何とかなると思う。問題は、想定していないタイミングで折れてしまう危険性だ。


 最終奥義が必殺の一撃であれば楽だったのだが、残念ながら竜王爪斬は竜爪斬を超える連撃だ。まずは楠木さんにしっかりと振れるようになってもらわねばならない。


 ということで、竜王爪撃の練習は最後の一閃を重点的に行う。気持ち的には盛大にフェイントを入れての必殺技だ。

 この際、連撃の部分は狙いも威力もブレブレでも構わない。それらはどうせ私が全て受けるのだ。次を上手く振れる方向に狙って弾いてやれば良い。


「すみませーん、本番入るので少し休んでてくださーい」


 練習を繰り返していると、静かにしてくれとやってくる。セリフパートを撮るのに、ガンガンと打ち込む音が入ってしまうとまずい。


 邪魔にならないところに腰掛けて水分補給をしながら撮影の見学だ。剣の技術はともかく、演技については私はど素人だ。長々とあるセリフパートを良いものにするために、できることはしておいた方が良い。



 そして翌日、宮本は来なかった。決戦の時間帯は決まっているので、タイミングを逃してしまうとまた翌日以降に持ち越しになってしまう。

 同じような天気であれば良いのだが、風が強すぎたり雨が降ったりしていればまたさらに順延するしかない。


 来ない人を待っていても仕方がないので、私は私で準備を万端に整えておく。斬られる予定の肩から腹にかけて厚手の布を当て、その上から血糊袋を貼り付けてさらに肌に似せたシリコン膜で覆う。


「動けますか?」

「問題ない」

「本当に大丈夫なんですか?」

「心配無用だ」


 メイク担当さんたちがやたらと心配そうに言ってくるが、真剣で本当に斬られるわけでもないのだ。それっぽく見える程度にくらってやれば良いだけだ。



 本番の撮影に入る前に、入念に間合いやタイミングについて詰めておく。こればかりは一回勝負で二回目はない。


「では、じゃあ始めましょうか」

「カメラ回ってます」

「じゃあいくよ、三、二、一」


 合図に合わせて、這いつくばっていた兼進けんしんが立ち上がる。


しのぎ……、力がそんなに大事か? 力で統べてどうなるのだ。屍の上に立って、お前はそれで満足なのか⁉』

『あ? 何言ってるんだ。その屍の天辺に立っているのが徳川将軍サマだろうが。古くは足利将軍や源将軍、何百年も前から力のあるやつが屍の山を築いて自分の思うように国を統べてるんだぜ』

『徳川も争ったにせよ目的は天下泰平だったはずだ。だが貴様は何だ! 争いを求める貴様に国を統べる資格などない!』


 叫んで兼進けんしんは地を蹴る。一撃目は横薙ぎに、返す刀は踏み出そうとする足を狙う。どちらとも体捌きで躱したしのぎの反撃も、兼進けんしんの眼前をギリギリで過ぎる。


 互いに一歩踏み込み同時に放った袈裟斬りが、初めて派手な音を立ててぶつかり合いだ。鍔迫り合いのまま横に走り、互いに蹴りを放って距離を取る。


 飛び退った位置はピッタリだ。足下に転がる邪魔くさい人形を蹴飛ばし、片手で刀を肩の高さに構える。本当に人を蹴飛ばしてどかすわけにはいかないので人形だが、役柄としては一新という兼進けんしんの仲間の力自慢だ。

 仲間の死体をゴミのように足蹴にされれば、兼進けんしんもキレる。


『貴様という奴はァァ!』


 ここまでは良い。服も血糊も消費していないし、難易度も高くはない。演技で直してほしいところがあれば、やり直して対応することができる。


 やり直しが絶望的に難しく、一回勝負でやるしかない本番はここからだ。間合いは打ち合わせ通り、吹く風もいい感じだ。


 猛然と突進して竜爪斬を放ってくるが、これは最初からしのぎには通用しない。私としても鼻で嗤い、弾き返してやるのは容易いことだ。


 そしてカウンター気味に刀を真横に一閃してやれば、血を噴き出すのは兼進けんしんの方である。もちろん、本当に斬ったりはしていない。左袖に仕込んである血糊袋を破るだけだ。


『ぐうっ!』


 呻いて後退し、兼進けんしんは瞑目する。どう見ても隙丸出しなのだが、そこは演出というものだ。そして大きく深呼吸しつつ刀を鞘に納めて大きく腰を落とす。


 突進からの抜刀術を起点とした六連撃が竜王爪斬の正体だ。それを一つ一つ裁き、最後の渾身の振り下ろしに合わせて私も刀を振り上げる。


 バギン!


 予めつけておいた傷に寸分違わず命中し、私の刀は中程で折れ飛ぶ。兼進けんしんの刀はそのままの勢いでしのぎの肩口から腹までを斬り、切先を地面に叩きつける。


『な、にぃ⁉』


 防護用に布を当ててあるが、力を込めた一撃が身体に当たればかなり痛い。口の中に仕込んだ袋を嚙み破って血糊を口から吹き出させつつ二歩よろめきながら後退する。


『終わりだ、しのぎ!』


 隙だらけの胸に刀を突き立てられるのだが、映画の撮影でそれはできないので右の腋スレスレで誤魔化す。


『ば、かな……』


 後ろに倒れ込みつつ仮面を落とす。ほとんど受け身を取らずに倒れるため、これもかなり痛い。


 兼進けんしんには鬨の声も勝利宣言もない。肩で息をしながらがっくりと地面に膝をついてこのシーンは終わりだ。


「カットォォ!」

「大丈夫か⁉」

「怪我はない?」


 終わりの合図があると、わっと一斉に駆け寄ってくる。失敗したら大怪我をしかねない派手なシーンだ。心配するのも無理はない。特に大袈裟にやってくるのは兼進けんしん役の楠木さんだ。


 必要以上に心配させても仕方がないので、足を抱え込み、反動で飛び起きて元気であることを示す。


「あ痛」

「おい?」

「数ミリ近すぎたか。思い切り鎖骨のところに食らってしまった。まあ別に折れてはないし、湿布でも貼っておけば十分だよ」


 肩から胸にかけて触って確認してみても骨折はしていない。もしかしたら骨にヒビくらい入っているかもしれないが、数日もあれば治るだろう。


「本当に大丈夫なのか?」


 側から見れば私は血塗れだ。外からでは本当に怪我をしているかの区別がつかないし、楠木さんに至っては明確にがあったはずだ。それでいくら問題ないと言っても聞かないだろう。


「これは血糊だ。うがいと着替えをさせてくれ」


 濡れた口元を拭えば赤い液体がべっとりとつく。人体に害が無いものであるとはいうが、味としてはとても不味い。


 ペットボトルの水で口をすすぎ、着替え用のワゴン車に入り服を脱ぐ。シリコン膜に血糊袋、そして一番下に当てていた厚布を取ってみると、そらら全てが破れ裂けていた。


 それでいて身体には傷が無いのだから、完璧な間合いだったと言えるだろう。ほっと息をつき、濡れタオルで血糊を拭い落としたら私服を着て車を下りる。


「おお、大丈夫か? なんか赤くなってないか?」

「血糊が落としきれていないだけだろう。早くお風呂に入りたい。で、さっきのシーンはあれで問題なかったですか?」


 やり直せと言われたらかなり辛い。完璧といえるタイミングで決まったし、あれよりも上手くできる自信なんてない。


「OKなんだけど、ちょっと困ったなあ」

「何がまずかったですか?」

「本当に斬り殺しているようにしか見えない」


 思わず吹き出し笑ってしまうが、監督は迫力がありすぎて引いてしまうという。


「どんな絵が撮れてるんです? 私にも見せてもらうえます?」

「あ、僕も見たいな」


 ノートパソコンで確認している映像を横から覗かせてもらう。最初のセリフパートは問題ない。死体蹴りが見えづらいが、別の角度からも撮影しているし編集して使えば良いだろうと思う。


 そして、激突して刀が折れて私が倒される。


「おお、すごい。私、死んでる」

「手に感触がまだ残ってるんだけど、本当に大丈夫なの?」

「しつこいなぁ。そっちだって左腕斬られてるでしょ? 怪我、してる? 同じだよ」


 派手に服と血糊袋を切り破ったが、あれで怪我をしているはずがない。私の方もそれと同じだ。噴き出したのは血糊だし、やられたのは演技だ。我ながら、本当に上手くできたと思う。


「別の角度はどうなってます?」

「ああ、ちょっと待ってください」


 カメラ担当がSDカードを渡して再生の準備をする。フィルムの頃はこんなに簡単に確認することなどできなかったはずなのだが、どうやって撮影を進めていたのだろうか。謎である。


 私の斜め後ろからの撮影だと、折れた刀が手前に飛んでくる。斬られる瞬間は見えないが、迫力は十分だと思う。


「宮本氏にはこれを見せれば良くないか? 少なくともこれくらいはやってくれるのだろうなと」

「君も鬼だね」

『向上心の無い奴は要らねえんだよ!』


 殊更低い声でしのぎの決め台詞を言ってやれば、どっと笑い声が上がった。

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