第20話 ビーディー副社長 土井から見て

「書類で落としておくんだった……」


 警察から事務所に戻ってくると、どっと疲れが沸いてくる。愚痴の一つも出てこない方がおかしい。


「あの伊藤芳香のことですか?」

「他にいるかよ! 確かに顔とスタイルは良いし度胸の座り方が尋常じゃないよ。運動神経も良いようだし、ダンスでも覚えればメチャメチャ目立てるようになるだろうさ」


 一人、仕事をしていた野田が分かりきったことを聞いてくれる。他に愚痴を言いたくなる応募者はいないだろう。

 半グレ集団を一人で叩きのめしてきた、などと言うのだ。精神力や体力や運動神経はとんでもなく高いことは間違いない。

 表面的に取り繕っているだけなのか本音なのかは分からないが、一緒にいた宮永永華を心配してみせることもできるようだし、基本的な部分は決して悪くはない。


 問題は、異常なまでの警察体質だ。一日に二度も警察の世話になる子なんて聞いたことがない。


「それはともかく、あの子はアイドル向きではないでしょうね。少なくとも、グループはありえないですよ」


 野田が言うように、今回の選考対象のアイドルグループへの加入は、賛成する人間はないだろう。どう見ても他のメンバーとのバランスが悪すぎる。


「しかし、ソロでならやれるかぁ?」


 身体能力が高いのは良いが、トークができなければどこの番組でも使ってくれない。少なくともテレビ系の芸能人としては向かないのではないかと思う。


「んー、バラドルも最近は流行らないし、やるなら役者路線っすかね? そういえばあの映画のキャスト問題ってどうなったんすか?」


 野田に言われて思い出した。

 漫画を原作とした幕末舞台の映画で、一人スケジュールが合わなくて撮影スケジュールが押しているという話だ。既に解決しているならばどうにもならないが、まだ空いているならば伊藤芳香を押し込むこともできるかもしれない。


「確認してみるか。脚本たしか瀬棚さんだったよな」


 電話してみると、スケジュールがかなりヤバいことになっているらしい。幕末のアクション主体ということで殺陣ができることが前提のため代役も見つかっていないという。


「それ、女性でも大丈夫ですか? 身長は百七十くらいあるんだけど」


 悪役のボスだったはずで、人物像と体格がかけ離れていれば話にならない。ざっくりと聞いてみるが、実物を見なければ判断できないという。


 今日の帰りが何時になるか分からないし、伊藤芳香はまだ帰りの飛行機チケットを取っていないはずだ。ならば明朝にでも撮影現場に連れて行けるだろう。



 何を長々と話をしていたのかは知らないが、伊藤芳香が警察から解放されて戻ってきたのは十九時近くだった。その三十分ほど前に警察からも電話があったので、道草を食っていたわけではないようだ。


「まあお疲れさん。ところで帰りの飛行機は取ったのか?」

「ああ、それもしなきゃな。すっかり忘れてた」


 伊藤芳香は疲れたように言う。昨夜、暴れて帰ってきた時は平然としていたのだが、一日中取り調べを受けていればさすがに辛いようだ。


「空いているなら、明日、映画の撮影現場に行ってみないか? 剣を振り回すのは得意なんだろう? 上手くすれば役を貰えるかも知れないぞ」

「映画? 剣? どんなだ?」


 思ったよりも食いつきが良い。軽く説明してやると、是非とも行かせてほしいと元気が復活した。



 翌日は朝五時にホテルを出る。撮影するシーンにもよるが、早朝に集合ということは珍しくもない。タクシーで到着すると、既に脚本の瀬棚さんも来ていた。


「おはようございます、お久しぶりです」

「ああ、おはようございます、土井さん。それが例の武士の方ですか」

「いや、武士じゃない。剣士だ。伊藤芳香という」


 訂正して伊藤芳香は挨拶をする。よく分からないが、剣士というのが本人のこだわりらしい。

 監督や他のスタッフにも挨拶をすると、早速、殺陣でどの程度動けるのかを見たいと言われる。


「殺陣っていっても、事前に打ち合わせもなければ難しいっすよ?」

「いや、私は構わんぞ。殺すつもりで切り掛かってきてくれれば良い」

「何言ってんだ。危ないって、怪我するぞ」

「心配いらん、私は強い。三対一まではどうとでもできる」


 思い上がりが過ぎるという声もあったが、警察で三人がかりを相手に防具なしの稽古していたが一撃も受けなかったと自慢げに言うのだからとんでもない。


「ほんと怪我しても知らねーぞ?」

「素人を相手に怪我などしない」


 相手を素人呼ばわりするのは失礼だろう。ここに来ている殺陣要員の方々は、剣道有段者のはずだ。


「ハッ。来いよ、三下ァ」


 伊藤芳香は抜いた刀を担ぐと酷い言葉を吐くが、相手は眉をピクリと動かすのみだ。見ているスタッフたちも眉を顰めるどころか笑っているところを見ると、原作漫画にあるセリフのようだ。


「お前を生かしておくわけにはいかん!」


 叫んで相手は剣を振りかぶる。ガイィンと刀と刀がぶつかり、雄叫びを上げさらに振り回す。その度に派手な音を立てるが、五度目の音が明らかに変わった。


 チィンと軽くなった直後に、伊藤芳香に相対していた男の刀が宙を舞う。


「なん……ッ⁉」


 飛んでいった刀を追い、直後に引き攣らせた表情は演技には見えない。


「話にならねェな」


 言いながら伊藤芳香は袈裟懸けに斬りつける。本当に当たっているようにしか見えないけれど、大丈夫だろうな? これで怪我をさせたりしたら洒落にならんと思っていたら、倒れた男が興奮し「今マジで死んだと思った!」と何度も叫ぶ。


「当たってないのか?」

「見世物芸だ、ちゃんと怪我をしないように気をつけているよ」

「っていうか、今のしのぎの技だよな? あれってできるものだったの?」

「ああ、あの漫画の技はだいたいできるぞ。飛燕二連はあれで正解だろう?」


 得意満面に言うのは良いが、少々態度が大き過ぎる。


「ちょい伊藤くん、言葉遣い! 気をつけて!」


 近寄って注意するとしまったという表情をするが、周囲からは笑い声が少し上がる程度だ。特に問題となる雰囲気ではないが、何の約束も取り交わしていない現状でお偉方の機嫌を損ねるような真似はすべきではない。


「いやいやすごいじゃない。ビーディーさん、こんな逸材どこで見つけてきたの?」


 杞憂だったか、監督は今のところ伊藤芳香のアクションに満足してしているようで、笑顔でやってくる。


「アイドル募集したらやってきちゃってですね」

「え、何? 剣術系アイドル? それは流行らないと思うよー」


 監督は声をあげて笑うが、同感である。何をどう頑張ってもそんな謎のアイドルの売り出し方なんて分からない。アイドルよりも、アクション系女優とした方がずっとやりやすい。


「それでどうですかね? 彼女、この映画に合いますか?」

「そうだねえ、面白いのもスケジュールがヤバいのも確かだ。おーい、しのぎの衣装ある? 今すぐ衣装合わせできる?」

「ありますけど、男性用ですよ?」

「私の衣装? とりあえず、見せてもらえますか?」


 監督は実際に衣装を着てみてイメージに合うのかを見たいと言うが、スタッフは女性はマズイという。私はこの映画の原作には詳しくはないが、幕末の剣士のイメージだと、胸を大きくはだけた和服というのは容易に想像がつく。



「こんな感じだが、どうだろう? 自分では似合っていると思うのだが……」


 伊藤芳香に関しては不安に思うこと自体が無駄なのかもしれない。やたら図々しいことを言いながら、着替えた伊藤芳香が出てきた。

 確かに似合っていなくもない。胸は着物の下に布を巻いて隠し、上手いこと男装をしている。


「似合っているが、明らかに女の子だなあ」

「いや、しのぎは基本的に仮面キャラじゃないですか。ああ、ありがとう」


 小道具担当から渡された仮面を被り、伊藤芳香は首と肩を回して二、三歩足踏みをする。


「おお! 男になった」

「何がアイドルだよ、ビーディーさん。めっちゃ役者じゃん」


 そんな評が出るほどに、伊藤芳香の立ち姿からは女の子成分が一瞬にして消え去った。


 女性にしては身長が高いのは元からだが、それだけでは背の高い女性でしかない。具体的なところを指摘はできないが、足の向き、腰の角度、肩の向きなどを調整したのだろう。


 帯の位置が少々高いように見えるが、これは締める位置が悪いのではなく単に足が長いためだ。彼女が書類選考に通ったのは、このスタイルの良さも大きく関わっている。


 こうして意識して立ち方を変えられる辺りを考えると、ファッションモデルもできるのではないだろうか。



 あとは刀を差せば、悪役のボス〝しのぎ〟の完成だ

 。原作のキャラには詳しくはないが、少なくとも様になっているのは間違いない。鍔の無い短刀を受け取ると、それは腰の後ろ方に差す。


「良いじゃない、良いじゃない。それでアクションできる?」

「うむ、問題ない。それで、どこのシーンをやれば良いのですか?」

「いや、声!」

「本当に女⁉」


 びっくりするほど低い声が出てきた。周りのスタッフからも笑いとツッコミが出てくる。


「おはようございまーす。どしたんすか?」


 そんなところにやってきたのは、主演俳優の楠木くすきのぼるだ。


「おはようさん、ちょうど良いところに来たな。早速、兼進けんしんしのぎの対面シーン合わせてみようか」

「お? やっと宮本さん出てきたんですか?」

「いや、代役だ。これで決まるなら決めてしまいたいんだよね。来て早々悪いけど、急いで準備してくれるか?」


 監督に言われて主演俳優は「了解〜」と元気に以上部屋へ向かっていった。


 この時はまだ、楠木昇が伊藤芳香の弟子になるとは誰も思っていなかった。

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