第10話 パンツの中の痴漢

「人のお尻を触らないでいただけますか?」


 臀部のあたりの違和感に、とりあえず声を上げてみる。


 夏休みに入ってすぐ、私は東京に来ていた。某アイドルグループの新メンバーオーディションの書類先行に通過し、面接のために北海道から上京してきたのだ。

 ホテルに一泊し、余裕を持って早めに出て地下鉄に乗ったらこれである。


「触らないでください!」


 ちょっと高めの、助けを求めるような声を出してみるが、尻を撫で回す手は引っ込められる様子はない。

 これが痴漢というやつか。どうしたものかと思案していたら、手はスカートを捲り上げて、パンツの中に忍び入ってくるではないか。


 これは好機チャンスだ。なかなか愉快なことをしてくれる痴漢である。

 思わず、笑いが込み上げてきてしまう。



 剛力招来。


 気を取り直すと、全身全霊の力を込めて、パンツの上から痴漢の手を握り潰す。


「あっぎょえああああああああああ」


 痴漢の手の骨が四、五本は折れる感触と同時に、変な悲鳴が満員電車の中に響く。耳元で叫ばれると非常に喧しい。


「黙れ。喚くな痴漢野郎」

「だ、誰がお前なんか触るかよ!」


 痴漢は涙を流しながら悪態をつくが、その手は私のパンツの中だ。説得力が全く無い。


「貴様には次の駅で降りてもらう。逃げようとしたら、殺す」


 睨みつけるとともに、手に力を込める。


「ぎゃあああああああ! たす! 助けて!」

「愚か者め。お前を助けなどしないし、許す必要など、どこにもない」


 そんなことをしているうちに、駅に到着した。


「すみません、降ります。通してください」

「なあ、姉ちゃん、そいつがやった証拠とかあるの?」

「無論だ。ちゃんと保全してある」


 髪の毛を掴んで無理やり引っ張って列車から降ろそうとしていたら、疑いの声をかけられたが、パンツの中に突っ込まれた手はそのままなのだ。証拠が無いわけがない。



「すみません、どなたか警察を呼んでいただけますか? 現行犯で痴漢を捕まえたんですが、手が塞がっていて……」


 そう呼びかけると、大学生っぽい女性の方がスマホを取り出して通報してくれた。

 そうこうしている間にも、痴漢は喚き散らし、必死に逃げようとする。


「あ、ついでと言っては何ですが、証拠写真を撮影しておいてもらえます?」


 聞いてみると快諾してくれたので、バッグの中からスマホを出して、彼女に渡す。


「ええと……」


 使ったことのない機種だったのかちょっと戸惑っていたようだけど、問題なくカメラを起動できたようで、色々な角度から撮影していく。

 パンツ丸出しで写真を撮られるのは痴女になったような気分だが、深く気にしないようにしておこう。


「痴漢を捕まえた、というのは……」


 そう言いながらやってきたのは警察ではなく、駅員だった。まあ、通報から一分も経たずに警察が駆けつけてくることも無いだろうが。


「見ての通り、この男が私のパンツの中に手を突っ込んできたので、そのまま捕まえました」

「俺はやってない! 冤罪だ!」


 こうもハッキリとした証拠があるのに、何が冤罪だと言うのか。


「じゃあ、この手はどうして私のパンツの中にあるのだ?」

「無理やり突っ込まされた!」

「ほう。では、どうして、私の手はパンツの外側からお前の手を掴んでいるというのだ? どうやってパンツをすり抜けたのか説明してもらおうか」


 まあ、答えられるはずがない。


「お前が自分の意思で、私のパンツに手を突っ込んだから。それが結論だ。異論はあるか?」


 そう言って、痴漢の手を掴む右手の力を緩める。

 その次の瞬間、痴漢が踵を返して逃げようとするが、そんなことを私が許すはずなどない。


 右手を伸ばし相手の右肩を掴み、強く引くと同時に左手の掌底打を放つ。

 貫手で首を狙っても良いのだが、それだと本当に殺してしまう可能性が高い。さすがにこの状況下でいきなり殺すのはマズイ。私の方が強いことは客観的に見て取れることだ。殴りつけるのも正当性が疑われかねないくらいだ。


「逃げようとしたら、殺す。そう言ったはずだ。死ね」


 倒れて、這いつくばる痴漢に傲然と言い放ち、起き上がろうとする前に頭を踏みつける。もちろん、剥き出しの殺気を添えて、である。


「何か言い残すことはある?」

「ちょっと待て!」

「待ちなさい! 本当に殺す気か!」


 踏みつけた足にジワジワと体重をかけていくと、駅員さんが叫んで私の肩を掴む。


「殺す気かって、殺すと言っているんだから殺しますよ。良いじゃないですか。痴漢の一人や二人、殺したって……」

「良くない!」

「ダメだろ!!」


 駅員だけではなく、野次馬の人たちにまで揃って否定されてしまった。

 私に味方してくれる人は誰もいないのだろうか。悲しいことだ。

 そんな私の呟きにさえ、頷いてくれる者はなかった。


「いやいやいやいや、痴漢を捕まえるのと殺すのは違うからな? 殺したらダメだ。殺したら」


 それどころか、年嵩の駅員のおじさんが、そう語気を強くする。

 これではまるで私がワガママを言う子どものようではないか。これ以上何か言っても状況が好転することはないと諦め、痴漢を踏む足を戻す。

 と、痴漢がまた逃げだそうとするではないか。諦めの悪いやつだ。


 軽いサイドステップからの足払いで痴漢の蹴り足を跳ね上げると、バランスを崩して派手にすっ転んで顔面から着地する。


「あれ? 死んだ? おーい、生きてる?」

「殺すなって言ってるだろ!」

「いや、だって、今ので死ぬのは想定外だよ? 怪我はするかもだけど普通死なないでしょ!?」


 さすがに私も動揺が隠せない。

 こんなので殺人犯と言われるのは心外だ。不服なんてものじゃない。ちゃんとこの手で殺させてよ!


 そんな私の叫びに非難囂々となる中、警察の人たちがやってきた。


「この子が、痴漢を殺しました」


 そして、駅員が私を指してそう言ったのだ。


「殺してません! 言いがかりです! 冤罪です!」


 自分で言っていて、全く説得力が無いと思う。さっきまで殺すと言い張り、殺気を振りまいていたのは私だ。

 そして、私が放った蹴りの結果が死亡ならば、殺人の意図有りということで、殺人罪が成立してしまう。


「いや、生きてるって……」


 倒れている痴漢の様子を見ていた若いサラリーマンが救いの手を差し伸べてくれた。

 なんて良い人だろう!


 よく見ると、顔は血塗れになっているし、呼吸は弱々しく不安定だが、痴漢はまだ死亡はしていないようだ。


「ほら、死んでない! 私は殺してない!」


 すかさず主張するが、なんかとても言い訳じみているなと思う。


「とりあえず、来てもらおうか」


 そう言って警察官が私の手を取る。


「ちょっと待ってよ! 私、被害者ですよ! その男は痴漢です。滅殺するのが先です」

「滅殺するなああああ!」

「被害者のセリフじゃねぇぇぇ!」


 野次馬がうるさい。

 誰がなんと言おうと、私は痴漢の被害者だ。



 なんだかんだあり、結局私は駅の事務室に連れていかれた。痴漢は死にそうだったので病院行きだ。


「で、被害届を出すということで良いんだね?」

「いいえ、告訴します。って、未成年って告訴できるんですか?」

「ええええ? 君、未成年だったの!?」


 なんか、盛大に驚かれた。なんて失礼な人たちだ。

 自分で言うのもなんだが、私はかなりの美少女だと思う。容姿には自信があったのだが、思い上がりだったのだろうか。

 いや、少なくとも、アイドルの書類面接を通過する程度の容姿ではある。はずだ。

 なのに、だ。私はそんなに老けているというのか。


「老けてるんじゃなくて、大人びてるっていうか……」


 私が不満を大爆発させていると、警察の女性が申し訳なさそうに頭を下げる。


「服装的に、就職活動中の大学生かなと思っていたんだが……」


 確かに芸能職の採用面接に行くのだし、就職活動というのは的外れでもないが、それは言い訳だろう。

 軽く眉を整えたり紅を引いたりはしているが、別に厚化粧を塗ったくっているわけでもない。


 自分では中学生にしか見えないつもりだったのだが、五歳以上も上に見られているとはショッキングである。


「ちゅ、中学生!?」

「しつこい」


 素っ頓狂な声を上げる警察官の顔に拳がめり込む。とは言っても、ツッコミ程度のパンチだ。大怪我をしたり命を落としたりすることは無いように手加減している。


「で、時間はどれくらい掛かりますか? この後、用事があるのですが」


 気を取り直して話を進める。



 結局、取り敢えず今日は被害届で済ませ、告訴するなら痴漢が退院してからの対応を見て決めることになった。

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