第2話 負けません!

「謝りに行こう」


 橋本さんが立ち上がり、みんなに言う。


「何を謝るの?」

「だって、先生、怒って行っちゃったじゃない」

「それで、なんであなたは謝ろうと思うの? 生徒は先生のご機嫌取りをするのが当たり前なのかしら?」


 もちろん、私はそんなことをするつもりはない。教師と生徒が対等とは思わないが、媚を売ってご機嫌取りをするのも違うと思う。生徒は生徒であって、部下や手下、ましてや奴隷などではない。


「じゃあ、どうするの?」


 橋本さんは困ったような表情をしてみせるが、私には何が困るのかが分からない。


「校長先生に苦情を言いに行きましょう。吉田先生が自分の思い通りにならなかったらヘソを曲げてホームルームをすっぽかしたと」


 私の言葉にあちこちから笑いが漏れる。


「そ、そんな言い方……」


 あまり攻撃的にならないよう気を付けたつもりだけど、まだキツイのかなあ?

 でも、私の言い分に異議があるなら本人が弁明すればいいだけのこと。


 ということで、私は席を立ち教室を出た。

 近くに潜んで中を窺っていたりはしない。吉田先生の気配は廊下を階段に向かって行ったきりだ。そこから戻ってきたりもしていない。


 校長室のドアをノックすると、直ぐに返事があった。


「失礼します」


 私はドアを開けると、室内に入り頭を下げる。その後ろから何人か入ってきて同様にしている。


「朝からゾロゾロとどうしたんだ?」


 校長先生に先手を取られてしまった。なんか悔しい。


「三年五組の伊藤です。実は、朝のホームルームで吉田先生におかしな言いがかりを付けられたので反論したところ、ヘソを曲げて出て行ってしまうということが発生しまして、校長先生に報告と、吉田教諭への指導をお願いに参りました」

「それで、吉田先生は今どこに?」

「さあ、分かりません。職員室にはいないようですが……」


 軽く肩を竦めて答えると、校長先生は大きく溜息を吐いた。


「私も暇じゃないんだが、そんなことで一々来られても正直ね、ちょっと困ってしまうんだよ」

「お忙しいのは分かりますが、気分で仕事を放棄されても私たちも困るんです。ところで、忙しいというのは球技大会の事故の件、ですよね?」

「ああ、その話は聞いているか、なら…… ん、三年五組? ああ、当事者か」

「当事者、というのはちょっと違います。諸悪の根源のように言われるのは非常に不愉快なのですが。学校としては今回の事故をどのように認識なさっているのです?」

「どのように、とは何だ? 一々生徒に説明することでもないだろう?」


「何をおっしゃっているんですか? マスコミの前で記者会見するべき事態ですよ。生徒や保護者に説明できなくてどうするんですか」

「不幸な事故だ。事を大きくしようとするんじゃない」


「人が死んでいるんですよ! おおごとに決まってるじゃないですか!」


 突然、宮島くんが大声をあげた。


「なんで、なんでメグミが死ななきゃならないんだ! 説明してくれよ!」

「おおごとに決まっているというのは同意だけれど、そんな意味のない事を喚かないで。死ななきゃならない人は死刑囚だけ。でもね、死んではいけない人なんてのもいないの。要するに、みんな、死んでも良いの。死んだのが他の人なら、あなたも知らん顔してたでしょう?」

「まあ、隠蔽はダメだよね。後でツイッターで拡散しとこ」


 小島さんは真面目そうな顔をして、意外と大人を煽る。


「待ちなさい。何故、わざわざネットに上げるんだ! 騒ぎを大きくしてどんな影響があるのか少しは考えなさい!」

「隠蔽できなくするためでしょう? 分からないんですか? 生徒にとっては、隠蔽にはデメリットしかないんですから。明日、私が体罰が原因で死んでも、不幸な事故ってことで隠すんでしょう? そんなの許すわけないじゃないですか」


 隠す理由は、教師の体面や保身のためであって、絶対に生徒のためではない。

 生徒のためというならば、事故を公開し原因を綿密に調査した上で対策を実施するべきだ。その後、定期的に対策の効果を発表すればなお良い。


 だが、幸か不幸か、校長先生と言い争っている時間はない。一時間目の授業開始のチャイムが鳴るまであと一分ほどしかない。


「そろそろ授業が始まってしまいますので、この辺で失礼いたします」


 話を切り上げてドアのノブに手を伸ばす。

 が、私が触れる前に勢いよく開けられた。


「お前ら! ここで何をしている!」

「やかましい」


 怒鳴り込んできた吉田先生の脳天にチョップを落とす。

 非常識にも程があるでしょう。物理的な指導が必要なレベルだよ。


「ホームルームをすっぽかしてどこに行っていたんですか? 真面目に仕事をする気があるんですか?」

「お前が暴力振るおうとしたからだろう!」

「人のせいにしないでください。それに、暴力を振るおうとしたのは貴方でしょう?」


 再び喚こうとした吉田先生の脳天にチョップを落としたと同時に、チャイムが鳴った。一時間目の始業の時間だ。


「授業の時間ですので失礼します」


 出口に立ち塞がっている吉田先生の右肩を掴んで、引戸を開ける要領で右へと押し退ける。

 何やら文句を言っているが、人の通行の妨害をすれば押し退けられるのは当然だろう。口で言え、なんて言う人もいるが、私だって子ども相手に実力行使なんてしない。五歳やそこらの幼児ならば自分の行為が他人の迷惑になるとは気付かなくても仕方がない。ちょっと通してね、と言えば避けてくれるものだ。


 急いで教室に向かうが、ドアを開けるとそこには不機嫌そうな荒木先生がいた。


「済みません、校長室に行って遅くなりました」

「早く席に着きなさい」


 私たちは頭を下げ、ぞろぞろと席に着くと、何事もなかったかのように国語の授業が始まった。



「お前ら、ふざけてんじゃねえぞ!」


 授業中に、突然、ドアを開けて吉田先生が怒鳴り込んできた。


「いきなり何ですか。吉田先生、授業の邪魔をしないでください!」


 呆気にとられていた荒木先生が我に返って、抗議の声を上げる。

 だが、吉田先生はお構いなしで私のところまで来ると、髪を鷲掴みにした。


「あるこ」


 なにか言いかけたようだが、その続きは出てこない。

 私の掌底が顎に入ったのだ。脳震盪を起こして倒れるのは必然だ。


 仰け反るように倒れた吉田先生の口からは、血が垂れている。

 あ、舌噛んだのか。なんか喋ってるところにアッパー入れたからなあ……


「ちょっと、アナタ。何をしているの!」


 荒木先生が金切り声を上げる。

 そして、吉田先生の血を見て、更にボリュームを上げた悲鳴を絞り出した。

 非常にうるさい。


「何の役にも立たない叫び声を上げるのは止めてください!」


 私の一喝で少し静かになりはしたが、それでも「血、血、血ィィ……」と血を連呼してパニックになっている。

 この先生、大丈夫なのかなあ。自分や生徒が怪我をしたとき、どうするつもりなんだろう?

 だが、今の問題はそこじゃあない。


 完全に伸びている吉田先生の髪の毛を鷲掴みにして引っ張る。


「ちょ、ひでえ」

「禿げちゃう、禿げちゃうって!」


 クラスメイトが哀れみの声を掛けてくる。が、私がそんなことを気にしてあげる必要はない。

 ズルズルと引きずりながら廊下に出ると、沖田くんと佐々木くんが出てきた。


「運ぶの手伝うよ」

「え? 別に、もう終わりだし」

「終わり? 保健室連れていくんじゃないの?」


 ああ、そうか。こういう時は保健室に連れていくものか。授業の邪魔だから教室から出したんだけど。


「って言うか、養護の先生連れてきてくれない?」

「分かった」


 佐々木くんが廊下を走っていく。

 その逆から校長先生と学年主任の山下先生がやって来た。


「一体なんの騒ぎだ、授業時間中だぞ。何をしているんだ君たちは」


 山下先生が呆れたように言いながら倒れている吉田先生の顔を覗き込む。


「授業中に吉田先生が乱入して私に掴みかかってきたので、振りほどいたらこうなりました」

「授業中に? 何をしたんだ君は?」

「何をって真面目に授業を受けていましたけど……」


 私のせいにされても困る。いや、確かに殴ったのは私だけど、先に暴力を振るってきたのは吉田先生だよ。


「そもそも、今は荒木先生の国語の時間です。吉田先生の社会科ではありません。私としては吉田先生の行為に教育的指導としての要素は無いと判断して、単なる暴力行為として対処しました」

「私の授業をしていたら、吉田先生がいきなりワケの分からないことを叫びながら入ってきたんです」


 弁明していると、パニックがようやく治まったのか、荒木先生が教室から出てきて校長たちに説明を始めた。

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