魂(起の章)

モダン

第1話

 斜面の住宅地。

 上り坂、突き当りにある更始こうし研究所。

 元は廃病院といわれる不気味な外観。

 玄関前、白線で6台分の駐車スペース。

 建物から1台の車に向かう人影。


 ―ドアロックの解除音。

 ―鳥の声。

 ―男の声。


「猿田……」

 車のキーを手にしたまま、振り返る猿田。

 警戒心に満ちた鋭い目つき。

「どちら様ですか?」

「あれから30年……。

 忘れられてもしょうがないな」


 はっとする猿田。

「曽倉さん?」

 やつれた顔で苦笑いする、スウェット姿の曽倉。

「覚えてたか」

「忘れやしません。

 忘れてなんかいませんけど……。

 どうしてここに……」

「なんで今さら、だろう」

「いや、そんな」


「最近テレビでよく見かけるからさ」

「……目的は何ですか」

「勘違いするな。

 テレビに出てくれたおかげで、ようやく居場所がわかったってことだ。有名人目当てのゆすりたかりじゃない……」

「でも、わざわざここまで来たのは、私に何か要求があるからでしょう。

 昔を懐かしむためでは、ありませんよね」


「まあな」

 曽倉が巻いた布を開くと、そこには使い込まれた包丁。

 乱暴に捨てられる布。

 包丁の柄を、しっかり握り直す曽倉。

「え、ちょっと……。

 どういうことですか」

「道連れだよ」


 夕方、降り始めた雨も、今は小康状態。

 最寄り駅の出口で空を見上げ、開きかけた傘を閉じる昇。

 時折、スーツの湿り気を気にしながらも、傘はささぬまま、10分ほどで自宅に到着。

 目に入るのは、いつもの見慣れた光景。

 幼い頃、父が新築で購入した一戸建て。

 年季の入った『曽倉』の表札。


 そして、玄関先の男。

「え」

 目を見張る昇。

 ドアにもたれて、足を投げ出した若者。

 着古した感じのスウェット上下。

「ちょっと、どうしました」

 しゃがんで軽くゆすると、小さく低いうめき声。


 慌ててスマホを取り出し、電話する昇。

「ああ、俺……」

「―――」

「いや、もううちには着いてるんだけど……」

「―――」

「玄関に人が倒れてて……」

「―――」

「若い男……」

「―――」

「反応もあるし大丈夫、じゃないかなあ」


 ガチャガチャとドアノブを動かす音。

「ここにいるんだから開かないって。

 とにかく、警察か救急車を……」

 ドアの向こうで聞こえるくぐもった声。

「警察なの、救急車なの」

「救急車だろうな、やっぱり」


 通話中のスマートフォンを緩慢なしぐさで奪おうとする男。

「こら、やめろ」

 邪魔な手を払いのける昇。

 一瞬、ひるむ若者。

「何も呼ばなくていい……」

「なら、さっさと帰れよ。

 酔っぱらってんのか」

 おびえた小動物のように反応を窺う男。

「酔ってなんかない……。

 けど、俺は何でここに……」


「それは、こっちのセリフだって。

 いずれにしても、このままにはしておけないから……」

 突如、開き直る男。

 「じゃあ、うちに、入れてくれ」

「え?

 お前、何言ってんだ。

 知り合いでもないくせに。

 ……いや、家族誰かの知り合い?」


 男に、ぐっと顔を寄せる昇。

「まさか、葵じゃないだろうな」

「誰だ、それ……。お前の奥さんか」

 ほっとする昇。

「知らなくて何よりだ」

 自嘲気味に、力なく笑う男。

「知ってるのはお前と和江だけ……。

 まあ、今となっては、それも危ういがな」

「付き合ってらんないよ、まったく。

 胡散うさん臭すぎる」


「まあ、わからなくても仕方ない。

 お前はまだ子供だったから……。

 俺は、お前の父親……、哲也だよ」

 再度、スマホを手に取る昇。

「やっぱり救急車呼ぼう」

 よろけながら立ち上がる若者。

「やめろって……。

 俺自身、来るつもりなんかなかった。

 とはいえ、もう、ここにいるんだから。

 ……とりあえず、話をさせてくれ」

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