禱れや謡え花守よ〜日常譚〜

亜雪

千利と芳子

梔芳子が服装を書生風に改めて花霞邸へ訪れたのは昼を少し過ぎた頃だった。


邸内には無数の花守が待機や休息をとっている。見知った者もいたが、お勤め上、この場では話しかけないようにしている。


しかし向こうから話しかけられた時は別である。


「あら…?」と声をあげたのは、まだうら若き花守、名を菱千利という。


若い娘にすぐデレデレするんだから、という刀霊の声が聞こえそうな気がしたが、そういう性分なので仕方ない、と微笑みながら千利の方へ歩み寄った。


「これは菱のお嬢さん、先日は助太刀頂きありがとうございました」


そう一礼をすると、ピクリと千利の身が緊張するのがわかった。



「そんな警戒しなくても…大丈夫、私の身元は神鷹殿も麗華様も保証してくれる。百鬼の大将もいれば私のことを知っているよ」


よっぽど顔に出てしまっていたのか、と少し恥ずかしくなって千利は顔を赤らめた。


「…そない言われても、会うたび装いの変わるような方に警戒心を抱くな、という方が難しいですし…それに何故男装してはるんです?」


芳子はその答えにあっはっはっ、と大きく笑うと、左右を見渡して千利に囁いた。



「お嬢さん、甘いものはお好きですか?」


「はぁ?」


千利が肯定とも否定ともつかない声を出してしまったのは、仕方のないことだろう。


「ちょっとここでは、ね…」


この人わざわざ花霞邸を出はるなんてますます怪しい、と千利は思ったが、好奇心に負けて後に着いて行くことにしたのであった。


八ツ野喫茶ー。

桜路町の西の初谷区にある人気のモダン喫茶である。店内では女学生らしき女の子が銘々思い思いの甘味に頬を緩ませている。


「何故花霞邸を出はったのです?」


注文したものも届かないうちに千利は目の前の男装の花守に質問した。


「私が女で、軍部に出入りをしている…と、あまり不特定多数の者に聞かれたくなくてね」


微笑みながら手を組んで答える芳子、そしてこう質問を返した。


「それにしてもよく一度二度会っただけでわかりましたね?私が女だと」


「そないに艶っぽい殿方はそうおらしませんから」


その答えにふふっそれはいい、と笑い、「まぁ、見る人が見るとどうしても体型でバレてしまうんだがね…」と肩をすくめた。


「なんでまた花守が軍部に…?」


と、一番気になっていたことを単刀直入に聞くと、予想に反してあっさりと答えが返ってきた。



「私は軍部に潜入し、陛下に害なす者の動きがないか、この国の内情を悪化させる不穏な動きがないか、また諸外国が攻めてくる兆しがないかなどを監視して総理と朝霞の当主に報告しているのさ」


「軍部の動きを…?」



「ああ、残念ながらこの国も一枚岩じゃないのでね…」


花守としてこの国を守ると決めた少女は、俄かには信じられない気持ちがした。この国難にあって内紛が起こるかもしれないだなんて。しかし、己の知らない世界をこの目の前の大人は知っているのだろう。


「でもそれじゃ、軍部に身元がバレたら危ないのでは…」


命の危険に晒されてるのは花守である貴女も同じでしょう?と、芳子は続けて千利にこう呟いた。


「貴女は真っ直ぐなままでいて欲しいな…汚い大人のわがままかもしれないけど、そう思うよ」


「こ、子供扱いしないでくださる?」


「失礼しましたレディ…って痛いっ」


突然芳子が痛がりだしてキョトンとする千利。すると傍らに置いていた脇差を持ち上げて芳子が苦笑する。


「いやぁ、うちの刀霊は恥ずかしがり屋で、人前で滅多に姿を出さないんだが…可愛らしいお嬢さんを前に嫉妬したようで…」


ははははは、と乾いた笑いをすると、急に真剣な眼差しでこう語り出した。


「貴女は私の大切だった人に似ている…貴女のように強い子じゃなかったけど…優しくて貴女のように綺麗な髪をしていた」


そう言って、そっと短く切られた髪を撫でる。その瞳に少し淋しげな色が宿ったのを見て『大切だった人』って?と、質問しようとしたところに、ちょうど女給が注文した品物を運んできた。



「さ、溶けないうちに召し上がれ…ここのアイスクリームは大変美味だそうだよ」


悪い人ではないようだけど、とアイスを一口頬張り芳子へと視線を向ける。

どうしても笑顔が胡散臭く感じてしまう千利であった。


「そうだ、依花陛下大好き倶楽部を作ろうと思うんだけどどう思う?」


「それは不敬では!?」


そして結局彼女が何故男装しているのか聞けずじまいの千利であった。

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