第20話 体育祭、いざ勝負!(後編)

 風精霊エアと空中での接吻。

 僕のファーストキス。

 それは別の意味でも初体験だった。


 エアとキスした途端、青空に体が溶けていくように感じた。

 大きなうねり、小さな渦。

 それらの中に透き通った精霊たちがいた。


 それぞれ楽しそうに談笑しながら、脇を通り過ぎていく。

 ふと、自分の体をみると、彼女たち精霊たちのように透き通ってしまっている。


 え? 僕も精霊の世界の仲間入りってこと?


『ご主人様、これが風の世界よん。ようこそぉ』


 エアの声が頭のなか……いや、体全体で感じる。


「これが……」


 たゆとう流れのなかで踊る精霊たち。


 どの精霊たちも流れがなくなると、虹色の光を放ちつつ消えていく。

 無限に広がる空間のなか、淡く点滅しているようだ。

 

 風が肌をくすぐる。


「きれいだ……」

 

 素直にそう感じたんだ。 

 

 大魔導書グラン・グリモワールとの戦いの最中なのに。

 空中スラロームのまっただ中なのに。


『あらん、初めてねぇ。そう言ってくれる人ってぇ』


 エアの声が大きくなると同時に、そばに寄ってきた。


「え? エア……なの?」

『ご主人様の世界じゃ小さいけどぉ、この姿が本当のあたしよん』


 びっくりした。


 いつもちょこんと肩の上に乗っている姿を見慣れているからだろう。大人の姿をしている彼女が新鮮に見える。

 僕よりも背が高く、その……胸とか、おへそとか見えちゃってるんですけど。透明感のある肌に、薄い服がよけいに色っぽさを醸し出してる。


『ご主人様ぁ。どう?』


 そう言いながら体を押しつけてくるエア。

 なんていうか体のあっちこっちが大人ですよ。

柔らかくって、ほんのり暖かくって……。


 いけない、いけない!

 今やらなきゃいけないことがあるんだ。

 

「あのさ、え、エア……。これでどう、あの大魔導書グラン・グリモワールに対抗するの?」

『時間を気にしてるのぉ? 大丈夫よん。ここは精霊界エレメンタルワールド。外の世界とは時の流れが違うのよん』

「時の流れ?」


 授業で聞いたことがあるような気がする。

 風と水属性の精霊は流れを司るって……。


『そう。あたし、これでも第四階梯よん。女神様ほどじゃないけど、多少は時を操作できるのよん』


 エアはウインクしてみせると、手ですくったものを、吹き飛ばすかのようなしくさをした。


『時の扉よ、開け!』


 エアが呪文を唱えると、もやの中からグラン・グリモワールが見えた。

 彼は憎悪に満ちた燃えさかるような瞳で、こちらをにらみつけていた。


「わっ!」


 怖くって思わずあとずさった。


『ご主人様、気がつきませんかあ?』


 大魔導書は僕たちが精霊界エレメンタルワールドに入る前と変わらない様子で、アイスボールを錬成していたのだ。


 エアと共に呪文を唱えてから数分はたっている。

 相手は大魔導書だ。

 もうとっくにアイスボールが放たれているはず。


「もしかして……時間が止まってるの?」

『正確には向こうが遅くなってるのよん』

「……これ、エアの力?」

『えっへん!』


 と、大きくなった胸を張るエア。

 目の前でぷるるん、ってなるから、目を背けちゃった。


 今はグラン・グリモワールをどうにかしたい。


「エア、あいつの動きを止められるかな?」

『できるわよん。というより、早く動くだけだけどねん』


 おお! 充分だ!


「よし、お願いできるかな? エア……」

『承知しました! ご主人様! さ、現世に戻りましょ』


 精霊界に来たときと同じように、エアと唱える。


「『風と空の女神の名において、われは共に戻らん!』」



「ぬお! 貴様らっ、どこへ消えてやがった!」


 こっちからは見えていたのに、ようやく気がついたかのような口ぶりだ。

 アイスボールは人の大きさほどに膨らんでいた。


『失礼ねえ。作戦会議よん、作戦会議』

「作戦だとう? このひよっこが……」


 ふふん、と鼻で笑うと、グラン・グリモワールはさらにアイスボールを練り上げていく。


 エアに目配せすると、呪文を詠唱しはじめた。


『時の女神よ! 廻せ……』


 続けて僕も唱える。


「時の女神よ、廻せ」

「『廻せ時の輪を!』」


 共に唱え終わると、車輪のようなものが宙に浮びあがった。

 

「何い! 時の輪を具現させただと! 小僧っ、貴様はいったい何者だ!」


 ぐっと姿勢を低くして、グラン・グリモワールは攻撃態勢をとった。 


 まずい。くる……。僕も迎え撃つために拳を握り、自然と前傾姿勢をとっていた。



 ゆっくり廻りはじめていた輪が、次第に早く廻っていく。

 

「お前様、加勢にきたぞ!」


 下の方から叫び声がした。

 リーンが地上からあがってきたのだ。

 回転する輪を見ると、一瞬、ぎょっとしたが、大魔導書をみて言った。


「貴様……。二度もこやつの邪魔をするとは。覚悟するがいい!」

「なぜ余の邪魔をする? アイリーン。魔導書がなぜ下等な人間なぞに手を貸すのだ?」


 そう言い放つと同時に、グラン・グリモワールは錬成されたアイスボールを放った。大きさは両腕を伸ばした三倍ほどだ。

 まともに食らえば、あっという間に凍りついてしまうだろう。


「お前様! 危ない!」

『ご主人様! 速く動けと念じてください!』


 エアが叫ぶと同時に、リーンが僕の前に立った。


 リーンを傷つけさせるもんか!

 エアの言ったとおり、僕は速く動けるように祈った。


「疾風のようにあれ!」


 ★★★★★


 自然と口にした呪文。


 その一言で、体の中を風が吹き抜けていく。

 身も心も軽くなる。


 リーンの隣に行くと、驚いて僕に何か言い出しかけた。


 面倒だ。時間がない。

 リーンの細い腰に手をまわし、抱きしめると一気にその場から離れた。


「うわっ! お、お前様」

「よかった、間に合った」

『ば、馬鹿者。急に時間操作などしおって。驚いたぞ』


 思ったよりもリーンって華奢なんだな……。

 などと思ってる場合じゃない。


「よけただと? 次ははずさん! ほれ、ファイアーボールだ!」


 ちっ、と舌打ちをすると、グラン・グリモワールは火球を数個放った。


 僕らへ向かって飛んでくる炎の塊は五つだ。

 

 炎魔法で作られた火球はものすごい速度で飛ぶ。おそらく雷撃と同じ程度だろう。しかも雷撃よりも破壊力がある。このため攻撃性の魔法では最も強力だって言われてる。


 しかし、それは当たればの話。

 今の僕には火球が止まって見える。


 リーンの細腰をいだくと、ふわりとエアがしなだれかかってきた。


『ご主人様ぁ。アイリーンばっかり……。ずるいですぅ』


 不服そうに口を尖らせながら、左腕に腕を絡ませてくる。


「くわっ! 近寄るなや、この軽薄女。元の姿に戻ったからって、いちゃつくのはやめい!」

『あらあん。妬いてるの? アイリーン……』

「や、妬いてなんぞ……」

「二人とも後にしようよ。今は大魔導書を倒さなきゃ!」


 お互いにあっかんべえ、とすると、真剣な表情に戻った。


「で、作戦はあるのかえ? お前様よ」


 確かに速く動けるようにはなったけれど、これじゃあ逃げてばかりだ。ちっとも相手のダメージにはならないな。


「ねえ、エア。この時間操作って、速さを変えられるの?」


 もし途中で時間の流れを自由に変えることができるなら……。

 

『できますよん、ご主人様。戻れって祈ればいいだけですよん』 

「わかった。ありがとう」


 今は速い時の流れの中に僕たちはいる。

 それに比べてグラン・グリモワールは遅い、というか元の速度の時間の輪の中だ。


 と、いうことは。


「とりあえず火の粉を払うよ」

 

 ちょうどファイアーボールが放たれたのが見えた。

 次の瞬間、僕たちは体育祭会場から遠く離れた海上にいた。


 両脇にはリーンとエアを抱えている。


「ほほう、考えたな。お前様、彼奴きゃつの背後に回り込むつもりじゃろう?」


 にやり、とリーンが舌なめずりをした。


「よくわかったね。リーン」

「ふふ。儂ならそうするからのう。それに彼奴はいちいち動作が大きすぎる。きっと取り付いている男が持つ癖じゃな」

「じゃ、リーンもエアも行くよ。反撃だ!」


 反撃、と聞いて、獲物を狩る女豹のような表情をするリーン。

 そして余裕の笑みを浮かべるエア。


 彼女たちと視線をかわすと、僕は再びグラン・グリモワールのところへと疾風のように飛んだ。



「な! き、貴様。時間操作をしたな?」


 僕らはグラン・グリモワールの背後にいた。

 驚いて、後ろを向こうとする彼の背中に、僕は左の手のひらを押し当てる。


 そして詠唱した。


「サンダーボルト、大魔導書グラン・グリモワールを打ち払え!」


 激しい稲妻がヘンリー、いや。グラン・グリモワールの背中を直撃した。


「ぐわあ! お、おのれ……。今回は素材が悪かったわ! またまみえようぞ、小僧!」


 体のバランスを崩し、そのまま地上へと落ちていくグラン・グリモワール。

 落ちていくとき、醜悪な大魔導書の顔と金髪碧眼のイケメンの顔がダブって見えた。


 ★★★★★


 地上では落下したグラン・グリモワール、いや、ヘンリーの周りに人だかりができていた。

 僕たち三人が地上に降り立つと、ちょうどヘンリーが担架で病院に連れられていくところだった。


「ヘンリー……」


 僕がヘンリーの様子を見ようと近づくと、担架にしがみついている女の子がいた。

 以前、ヘンリーに紹介された妹のマリリンだ。

 立ち上がって、キッ、と僕をにらみつけてきた。


「最低! 兄をこんなにして……」


パチーン!


 僕の左頬はマリリンの平手打ちで赤く腫れた。


 だって……。

 ああでもしなきゃ、僕もリーンもエアも殺されていた。

 他に何か良い方法があったっていうの? マリリン……。


 西日さす会場で、叩かれた頬を撫でながら、自問自答をしていた。


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