月曜日は、ひとり酒

かまぼ子

わたしのコップ

 アレルギーの発症はコップから液体があふれるようなものだ、と聞いたことがある。高校の理科の授業だったか、テレビ番組だったか。


 人はそれぞれ持っているコップの容量が違うから、「花粉」やら「卵」やらといった専用のコップが小さい人は、すぐに溢れてしまうのだという。




 だったら自分は、「人づきあい」のコップが人より小さいに違いない、と、大原いず美は考える。


 大学を出て働きだして7年、うち転職1回。いかに自分に対人スキルがないか思い知った。うまく立ち回る、ということが、なぜこんなに難しいのだろう。


 疲れていても飲み会に顔を出すこと。自分の仕事に手いっぱいでも、同期や後輩の愚痴を聞くこと。


 体調の悪そうな人に労りの言葉をかけること。納得いかなくても頭を下げる場面があるのに、人のミスは笑って許さなければいけないこと。



 あと何年、こんな日々が続くんだろう。定年まで働くとしたら、あと30年以上?自分の預金通帳を思い浮かべると、そこにあるのはたった200万弱。これでも、安月給をせっせと貯めてきた結果なのだが。今後ものすごく節約して、急いで貯金をしたところで、リタイアはまだまだできないだろう。



 休み明けの勤務を終えた、月曜日の帰り道。朝起きたときにどんなに憂鬱でも、会社についてしまえば、なんだかんだで体は動いてしまう。それが情けなくて、悔しかった。


 会社のパソコンに届いていた、一通のメールを思い出す。


 「お疲れ会のお知らせ」。


販促イベントがひと段落したから、飲み会しませんかというものだった。


ひと段落したなら、集まって飲むより家でゆっくり休もうよ。皆さん。



メールの差出人、つまり幹事は同部署の後輩。彼女がイベント準備中に体調不良で当日欠勤を繰り返したおかげで、同じ係だったいず美は連日残業、持ち帰り仕事だったのだ。


 それでも、そんないず美にねぎらいの言葉をかけてくれる人などいなかった。反対に、休み明けに出社した彼女には、「大丈夫?無理しないでね」と労りの声が殺到していた。



 アパートまでの道すがら、スーパーに寄る。


 夕飯を食べて、少しテレビを見て、シャワーを浴びて眠ったら…もう明日が来てしまう。


 いかんいかん、今日は朝からずっとこんな気分だ。せっかく家に帰れるのだから、美味しいものでも食べよう。料理する気力がないから、冷凍ごはんをチンして、あとはお惣菜を買っていくか。



 いず美が惣菜コーナーに向かうと、ふいに缶チューハイの特売コーナーが目に入った。


 そして、缶のパッケージに描かれた鮮やかな果実たちを見ていると、ごくり、と喉が鳴った。


 そこまでお酒が好きな方ではないし、飲むにしても休みの前の日くらいだった。


 でも、今はなぜか無性に、飲みたい。



 たくさんのフレーバーの中から、ピンクグレープフルーツを選ぶ。最近のチューハイは果汁分が多いらしくて、これも「28%」。缶を開けて、コップに注ぐ光景を想像する。また喉が鳴る。


 ああ、美味しそう…。夜8時過ぎになってはじめて、いず美はようやく、前向きな気分になった。


 いそいそと買い物を済ませ、部屋の鍵を開ける。


 すぐにでもプシュッと開けたい気持ちを抑えて、チューハイの缶を冷蔵庫に入れる。次に、冷凍庫に入っている枝豆を皿に盛り、自然解凍しておく。あとは総菜コーナーで買ったメンチカツと、冷蔵庫に1パック残っているお豆腐。



 ああ、またも喉が鳴る。でも我慢我慢。大急ぎで服を脱ぎ、シャワーを浴びる。



 パジャマに着替えて髪を乾かすと、枝豆はほどよく解凍されていた。


豆腐を軽く水切りし、とろけるチーズを乗せ、レンジでチン。そこに醤油を落とす。



 これで、準備は整った…。



 冷蔵庫からチューハイの缶を取り出す。パッケージの、半分に切られたピンクグレープフルーツが、待ってましたとこちらに笑いかけている。



 プルタブを起こすとプシュッ、と音がする。飲み口から湯気が上がる。


透明なコップに注ぐと、きれいなピンク色が現れた。



 ゆっくり、口に運ぶ。


 ごくり、と自分の喉の音がする。




 「…美味しい…」




 爽やかな酸味と甘さが口に広がり、飲みこむとかすかな苦みが残った。


 みずみずしい、ピンクグレープフルーツの味。




 …缶チューハイって、こんなに美味しいんだ…。



 豆腐に箸を入れる。チーズと醤油がとろり、と絡み、濃厚な味が口に広がる。


すると自然とコップに手が伸びる。ぐび、ぐび、と飲んでいく。


 枝豆の甘じょっぱさ、メンチカツのさっくりした食感。


すべてがお酒を進ませる。




 幸せな気分で、でもそれを実感する暇もないほど夢中で飲み食いする。


 美味しい。美味しい。美味しい。




 気が付くと、コップが空になっていた。


 もう3分の2ほど残っている缶に手を伸ばし、注ごうと手を伸ばした。




 そのとき、ふと思う。




 いちど空にすれば、まだ入るじゃないか。


 また飲みたくなるじゃないか。




 唐突に、しかし強く決心ができた。


 例の飲み会は、思い切って断ってしまおう。今後も、疲れているときや気分じゃないときに付き合うのなんてやめてしまおう。きっと、付き合いが悪いなどと言われてまた面倒なことは起きるだろうけれど。


 それで面倒が溜まったら、こうやってまたひとりでお酒を飲めばいいじゃないか。そのたびに、人づきあいのコップを空にすればいいじゃないか。



 毎週月曜日に1本飲むことにしようかな。そう考えると、憂鬱な月曜日を乗り切っていける気がした。



 私の時間は、私のものだ。


 そんな当たり前のことを、30年近く生きてきて今更知った。



 いず美は、残りのチューハイをコップに注ぎ、うっとりとそれを口に運んだ。




☆モデルにしたお酒は、

サントリー「こくしぼり」の、ピンクグレープフルーツ。


爽やかで飲みやすいです。

アルコール分5%、果汁28%!











 

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