それじゃあ、次の世界に愛あるように。 

ハローハロー、無限の果て、ベアトリーチェ――と彼らが呼ぶもの。わたしはわたしたちではないし、彼らとは違う。

 わたしはダンテと会ったことがある。彼らとは異なる方の。『彼ら』ではなくて彼らのうちの一つが指し示す方のダンテ、実際に実在したほうのだ。

 実際に実在するというのを、彼らはあまり理解しているとは言えなさそうだった。

 だからわたしはダンテを呼んだのだ。ここまで来られたら、全部わかるだろうから。ウェルギリウスを派遣して、連れてきてもらうことにした。わたし以外のものも、それには賛同している。

 ルチア、マリア、そしてわたしの向こうにいるもの。

 ここまで来られれば、すべての旅は終わり、そしてあなたたちの宿業も解消される。悪いことはなく、まったき善である。

 その目的のために、わたしはウェルギリウスを使用している。わたしの接触面。漸近線。それから伝書鳩。ウェルギリウスはわたしの一部だが、わたしはウェルギリウスの一部ではない。

 降り続ける雪のように光る。陽光を反射して、月光を受け入れる。そうやってダンテはここに来るだろう。もしも彼らがまっとうな理解をするのならば、今すぐにでも来られるくらいだ。

 

 ここでメガホンをベアトリーチェから返してもらおう。

 ダンテは断崖絶壁を登っている。本人は降りているのだと思っている。しがみついているだけとも思っている。すべてが正解で全てが間違いだ。煉獄へと至る道に重力ははたらいていない。

 ウェルギリウスにとってもこの道をたどるのは初めてだった。いや、今までの地獄と呼ばれるエリアも初めてだった。ウェルギリウスにとって、これが初めてのダンテであったからだ。たくさんダンテがいたら、練習だってできたかもしれないが、これは唯一無二の、最初で最後の、ダンテなのだ。

 

 ウェルギリウスは自らの役割についてこう述べる。

 

 シャボン玉。

 私はそれと掃除であると自己を定義する。

 薄くて透明な膜で、内側と外側を区切るもの。あの虹色は、膜の厚さが不均等であるがゆえに起きる、仮初めのものだ。海の青と、りんごの赤と、パンジーの黄色と、何が違うんだっていうはなしだ。光の干渉と反射に区別をつけるべきなのだろうか。色が見えるんだからそれでいいんじゃないかと、私は思う。これは虹色、さまざまな色の混ざり合いが瞬時にきらめく、まとまった定義のない色。空に浮かぶ虹でさえも何色と呼ぶのか決まっていないというのに、こんなあいまいな存在にきちんとした色がつくわけがない。

 その意見に賛同してくれるなら、何の問題もない。私はそのシャボン玉の膜に限りなく近い。外側と内側を区切るもの。私がいなくなれば、外と内の境界はなくなり、混ざり合い、そもそも何が違ったんだっけと自問自答する気体の混合体になる。

 

 私はウェルギリウス、あれがダンテで、あれがベアトリーチェなら、そう名乗るべきもの。

 詩人の名前を関した境界線〈フロントライン〉。紐付け概念の外側にいるはずで、ベアトリーチェではないもの。辺獄で目覚め、名を与えられた。正しい世界秩序の尖兵として、存在を認められた。

 

 ダンテは私についてきている。それが彼らの名前によるのか、私の威厳によるのか、それともベアトリーチェに向かうのにたまたま方向が同じなのかは特定しなくてもよい。今ここにある現実のみが正しい。

 森を進んだ果てに、地獄の出口がある。まさか私がここまで歩けるとは思っていなかった。

 

 歩いているのではなく、歩かされていた。両者の区別を付ける必要はない。実際に歩いているのだから。

 

 そう、私は導くもの、ダンテが目指す『聖乙女』『正しい指標』『ゴール』『憧れ』その他諸々、すべてだともいえる、それに向かって進んでいる境界線〈フロントライン〉。

 たまにダンテがうらやましくなる。あれは導かれるものだからだ。私についてくればよいのだから。そして最後の最後で私を超えていくことが運命づけられているものだからだ。

 名前と文章によって。

 強すぎる動詞ベアトリーチェによって。

 

 なにかとなにかが隣り合っているのならば、境界線がある。その境界線が私だ。境界線があることによって、それらは隔てられていると言えるが――同時に、寄り添わせている。濃度の違う食塩水(色を付けておくとなお視認しやすい)をゆっくりとガラスの容器に注ぎ入れると、重いほうが沈んでゆくので、境界が見えるだろう。幅のない、ただの線だ。直線とはそもそもそういったものだ。幅はなく、ただ伸びている。もちろん、どうにかすれば曲線の境界だって引けるだろうし、重力が一方に定まっていなければ不定のものとなるだろう。

 もし境界に厚さがあるのなら? それは純粋な境界ではない。ガラスの板を挟んだって分けられる。しかしそれは、ある物体A、ガラス、ある物体Bが並んでいるだけだ。ガラスそのものが領域を持っているのだから、Aとガラス、ガラスとBの境界はあるけれども、AとBは隣り合っていない。

「なぜ僕らは出会えないんですか」

「きみと彼女がいるからだ」

 答えはそれくらいしかない。隣り合っているからこそ会えない。

 液体の場合だったら、適当な棒でかき混ぜたら均一な濃度になる。均一な濃度の液体には、境界線がない。それらはひとつの存在となってしまった。

 

「自分自身と出会うためにはどうすればいい」

「鏡を覗けばいい」

「鏡の中に映るのは自分の鏡像であって、自分ではない」

「じゃあ自分をどうやって定義しているんだ」

「これを」

「考えている主体を。痛みを感じる身体を。あるいは私から見える景色そのものを」

 

「あなたがいなくなったら、僕らはベアトリーチェに会えるのでは?」

「私がいなくなったら、きみはもう誰にも会えない」

 

 無限が無限である限り、私はダンテと称されるあれに押されて進み続ける。それを先導ととる向きもあるだろう。私が引っ張っているから、ダンテは進む。ベアトリーチェに向かって。ベアトリーチェの先に何があるのか考えることもなく。

 私としては異なる見解を取っている。先導なんてしていない。ベアトリーチェに引っ張られているのはこちらなのかもしれない。ベアトリーチェが引っ張っているからダンテは無限に進めるのかもしれない。

 あるいはそのどちらでもある。

 境界線の移動そのものが彼らに課せられたミッションであり、わたしはそれに巻き込まれているだけだということ。

 

「あなたがいる限り、僕らはベアトリーチェを見られないのでは?」

「この虹色、干渉膜の向こう、それは私がいてはじめて成り立つものだ」

「問いにしか答えないつもりですか?」

「問いの中にしか答えはないし、私はきみの知っていることは全て知っているし、私の知らないことできみの知っていることは何一つない」

 ベアトリーチェも同様だろう、というのはぼんやりとわかるけれども、それは聞かれていないので、答えられない。

 

「何よりも不自由なのは、私の存在は、彼と彼女によって支えられているということ。互いの引き合う力、押し合う力がなくなってしまったら、私は引き裂かれ、消滅するだろう」

 

 公園でキャッチボールをするのを想像する。

 ボールを投げると、相手がキャッチする。キャッチされたボールは、こちらに返される。同じボールを返してくれることを予想して投げるのだが、相手が手榴弾を隠し持っていて、それを投げ返される可能性もある。

 可能性があるだけで、そういったことは少ないのだろうが。

 さて。

 『少ない』と『ない』の区別はどうやってできるのだろうか。

 

 ベアトリーチェと接しているのだから、そちらと会話もできるはずだ。ベアトリーチェはよく光り、私を貫通してダンテにメッセージを送ることができる。

「なぜそんなことを?」

「わたしたちの取り計らいで、ダンテは進みます」

 ベアトリーチェは言葉を持たない。何千もの光、何万もの羽、そして二対の瞳で、すべての意味をなす。もしもきちんと見ることができたなら、こんな低級な翻訳はしなくたって済むのだ。

 存在するだけで言葉となる、いや、言葉に制約されないのでずっと自由。そういった存在のベアトリーチェは、見るだけで彼女を制限することとなってしまう。制限しない彼女を見たかったと思う。

「私はなぜここに?」

「ダンテを進めるためです」

 これらのメッセージがダンテに届いたのかはわからない。届いていたら旅は終わってしまう。

 

「天国への道程の果てに、きっと出会うだろう」

「何と」

 彼らが――彼が誤解していることには、神の非在がある。彼らの論理的思考によって、彼らと接するような境界線はない、なぜなら無限に拡散していくからというのは述べられている。そしてその境界線である神がいないから、無限に無限の時間で増えていけると考えられている。

 そんなことはない。ここに境界線がある。

 もし境界線がないのなら、私は存在しないはずだから。存在しないものが喋るなんておかしいだろう? 喋っているのだからせめてその声は存在すると認めてほしい。

 

 さて、旅は終わりに近づいている。

 区切られなくなった空間に仕切りは必要ないし――案内人の役目は彼女に譲ろうじゃないか。箱の中にある仕切りが一方の壁に一致するのならば、壁と仕切りの区別はつかない。つまり、私とベアトリーチェは同一のものとなり、私はもう二度と彼女には出会えない。


 それじゃあ、次の世界に愛あるように。 

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