態度は顔に出る
北吸岸壁側の隊員にもやいを投げる等一分隊が甲板作業をしている中、愛海は岸壁の状況を見た。
停泊している艦艇はましゅう、うみたかの二隻しかいなく、ひうち、はやぶさを泊めても岸壁には十分な余裕が残っていた。
愛海にとって、舞鶴教育隊に赴くのは数ヶ月ぶりだった。ここの所アメリカ艦艇がうろついており、警戒巡視や哨戒任務があった為出港が多かったからだ。舞鶴の海の匂いと少しの湿気に懐かしく思いながらも、愛海は少しだけ顔を顰めた。今は七月中旬、舞鶴は夏は暑く、冬は寒い。寒暖差が激しいゆえに体調を崩しやすいのだ。
「うわ、あっつ……」
入港が終わり、制服に着替えて艦橋から外に出た愛海は恭しく声をあげる。副長の逢鈴も続き、「太平洋はあんなに涼しかったのにねぇ」と呑気そうに言った。
「で、艦長。これから吉川君と一緒に隊司令の所へ?」
「そーよ。全く、面倒臭いったらありゃしないんだから」
「そんなこと言わずに、さっさと行ってきなさいな。私は艦橋に残ってるから」
「はいはーい」
適当に流し、愛海は制帽を被る。二〇二六年から採用された、女性艦長のみが被れるベレー帽型の特殊な制帽だ。
「お、来たか愛海」
桟橋を降りる時には吉川が既に待っていた。合流し、送迎用の車に乗り込む。少しの揺れとともに車が動きだし、やがて北吸岸壁を出て大きな道路を走る。
岸壁から教育隊まではおよそ十分ほどだ。愛海はこの時点で少し疲れていたが、眠るわけにはいかないと窓の外の景色を見て気持ちを紛らわせた。
「なんだ愛海、疲れてるのか?」
こういう時だけ察しのいい吉川は、煽るように声をかけてきた。
「なんせ、仕事で忙しいものだから、あまり寝れていないの。そういう吉川一佐はあまり疲れてるようには見えないけれど」
背もたれにもたれていない愛海に対して、吉川はどっかりと腰をかけている。艦長とあろう者がと、愛海は突っ込みたくなる気持ちをぐっと抑えた。
「やっぱり疲れてんだろ? 俺は慣れたからいいけどよ、艦長ってのは世界一ブラックだと考えるんだよな」
「そうね……」
くぁ、と小さな声をあげて、手で口を抑えながら欠伸をする愛海。「でもそんなこと言ったって休めるわけないでしょ、こんな情勢なんだから」
「まぁ、確かにそうだな」
「茉蒜も心配だしね」
「茉蒜といえば、お前と黛はどういった関係なんだ?」
吉川に聞かれ、んーと考える愛海。
「……そうねえ、幼なじみかしら」
「歳が違うのに? 確かに、黛がお前の出身地に引っ越してきたってのは聞いたが、まさかそれで知り合ったのか?」
「最初はね。でもその後に姉の知り合いってことが分かってさ」
「姉? あのポンコツ恋海のことか?」
「ポンコツって……まあ間違ってはいないんだけれど。というか、恋海のこと、あなたには話してないはずよ? どうして知っているの?」
驚いて問いかける愛海に、吉川はさも当たり前かのように答える。
「そりゃあ、黛や市井と同じ一五一期防衛大の卒業者だからな」
「……薄々気づいてはいたけれど、やっぱりそうだったのね。ねーちゃんってば、最近連絡もよこさないんだから」
「一緒に暮らしていたんじゃないのか?」
「そりゃあ最初は一緒に暮らしてたわよ。でも高校からは別々。ねーちゃんは青森の高校に行っちゃったの。きっとそこで典子さんと知り合ったのね、出身校が同じだったから……」
はぁーっと重々しくため息をついている間に教育隊の営門前まで到着した。車は身分証を見せて中まで入ってもらい、庁舎の前で停車。待ってもらっていた海曹に車のドアを開けてもらい、地面に足をつけた。
「来たよ、元職場……」
「なんだお前、隊司令でもしていたのか」
「まあ、かなり前にね。朧海曹が三曹の時だから、二年前くらいかしら」
「じゃあ、案内してくれよ。俺は庁舎はめっきり分からないんだ」
「めんどくさい人ね、もう」
庁舎内は少し薄暗い。歴史ある建造物の一つとして、あまり改装されていないというのが理由にあるだろう。
廊下を少し進むと、左側に「司令室」と書かれたプレートが目に入る。扉は閉ざされており、ここから先は幹部でも滅多に入れない所だ。コンコンコン、と三回ノックをすると、「入っておいで」と優しそうな男性の声が中から聞こえた。
「失礼します」
ドアノブを捻り中に入る。にこやかな笑顔を浮かべてソファに座っていたのは、現舞鶴教育隊司令の
「さて……お二人を呼び出したのには二つ報告があってね」
「報告、ですか?」
深刻そうにする訳でもなく、ただニコニコとして千種司令は続ける。
「「かが」の居場所が特定出来たんだ」
「……! それは本当ですか!」
「本当さ。捜索ついでに見つけ次第補給作業をと、補給艦「ましゅう」を向かわせた。そうしたら、北太平洋の方にいたんだ。すぐに報告が来てね、それで君たちを呼び戻したのが一つ目の報告だよ」
「じゃあ、茉蒜は……黛一佐は生きてるんですね? 良かった、本当に……」
安堵の表情を見せた愛海の肩に、吉川はそっと片手を置いた。
「そしてもう一つの報告。はやぶさとひうちを改造する期間を前倒しすること」
「やはり今回のことがあって、ですか?」
「ああ。ましゅうが見たところ、そこまで外傷は受けていなさそうに見えたけど、戦闘機三機のうち二機が故障したそうだ。一機は前輪損傷、もう一機は発艦直後に高度が足りず、海に落ちたそうだ。パイロットは救助されてピンピンしているそうだが、いくつかの部品しか残らずに粉々になったそうだよ」
「うわぁ……あのバカ、何やってるんだ」吉川はあからさまに引いたような表情をする。愛海も同じ表情をしており、「あの子がそんなことするんだ……初めて聞いた」と驚きの声をあげていた。
「さすがに危険と判断した次第だ。期間は今日の日没から二週間程度。その間、君たちには少し休暇を取ってもらうよ。ここの所出港ばかりで疲れているだろうし、代休も消化しきれていないだろうからね」
「こ、光栄です」
「愛海、少し疲れてるもんな」
「君たちの下宿は造船補給所の隊舎を使うといい。もちろん、帰省するのもありだ。食事は隊舎で用意されるからね。
……うん、そんな所かな。それじゃあ、話は以上だよ。下がりたまえ」
「失礼します」
立ち上がり、吉川が出ていく。愛海も出ていこうとした時、「汐奏一佐」と後ろから声が聞こえた。
「はい」愛海は背を向けたまま答える。
「応援艦としてロシア海軍がこちらに加わる。プレッシャーを与えるつもりはない。やれるだけの事を、やれるだけやりなさい」
「……はい」
パタン、と扉を閉める。緊張が解けたのか、愛海はその場にペタンと座り込んでしまった。パサリと制帽が落ちる。過呼吸を起こしかけている身体を落ち着かせようと、口元を抑えて深呼吸をしている愛海に、吉川が彼女の背中に手を添える。
「お、おい、大丈夫か? 立てるか?」
「……大丈夫です。少ししたら立てますから」
「大丈夫じゃないだろう。どうしたんだ?」
「大丈夫ですから、本当に」
吉川に手を借りて立ち上がる。目眩に一瞬身体を取られるも、すぐに体勢を立て直した。
目を擦るそんな愛海を、吉川は心配そうに見つめている。同時に驚いてもいた。育ててきた後輩がこれ程までに酷く落ち着きのない姿を見た事がなかったからだ。
今まで表に出さなかったからかもしれない、とも考えた。当時班長であり、今は「ひうち」の副長である逢鈴が「あの子、すぐに一人で溜め込むから……私も出来るだけしてみるけど、何かあったらというか、定期的に呼び出して悩み事がないかとか確認してあげてね」と言っていた。そのことを思い出してみれば、防衛大の学生であった頃から思い当たる節はいくつかあった。人と目が合わせられない、自分のことを話そうとしない、悩み事を聞いても「特に、なにも」としか言わない、いつも無表情で、あまり笑った所を見たことがない、人の輪に入ることが苦手で、吉川が見ている限りでも一人でいることが多かった……等々、吉川にとって「汐奏愛海」という存在は、彼女が卒業した後も謎だらけの班員だったのだ。
それが今、愛海は極限のストレスの下にある。不安や心配だという気持ちと同時に、疲労の目が見える人間らしさが見えて少しだけ安心した。吉川の手はまだ彼女の背中にある。いつ倒れてもいいようにと構えているのだろう。
「とりあえず、身辺整理が終わったらお前は少し寝ろ。ここの所寝れていないと言っていただろう」
「でも……」
「いいから寝ろ。これは命令だ。食事なら運搬して持ってきてやるから」
愛海は吉川の目を見る。どうやら本気で心配しているようだ。態度からそれが窺えた。
「歳は先輩、階級は後輩の人に命令を受けるだなんて、私ってばどうしたのかしら」
「なんだ、元副班長に指示を受けるのが不思議か?」
「そういう問題じゃなくて……あーもう、分かりました、寝ます、寝ますから! それでいいんでしょう?」
「考えることを放棄したな?」
「副班長がしつこいからですよ」
庁舎を出て、再び送迎車に乗り込む。愛海はすぐにうとうととしだして、やがて吉川の肩に頭を預け、気絶するようにこてんと眠ってしまった。
「……いい寝顔だな」
運転手にも聞こえない声で呟き、彼女の頭を優しく撫でた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます