迷うなよ
「艦長、大丈夫ですか? 艦内で小さな銃撃戦をしたと聞きましたが」
はなだの問いかけに「艦内には何も異常なかったから、大丈夫だと思うよ」と笑いながら茉蒜は返す。
「左肩も大丈夫だよこれくらい、私強いもん」
「その発言がフラグにならないと良いのですがね!」
「なにおう海嶋ちゃん!」
艦長席に座った茉蒜は、すぐ目の前にあるテーブルに置かれた一つの紙切れに気づく。 紙切れには「進展あり」その下に「航海長 宮崎」と綺麗な字で書かれていた。
「宮崎君、なにか進展あったの?」
振り向き、航海進路を書いている努に声をかける。
「あぁ。艦長が無謀な銃撃戦をしている間に……」
「無謀な……」
「米海軍の奴らがお出まししたぞ」
「ほんと!?」
右側を指さす努につられ、茉蒜は右を向く。静かな海に大きな巨体、紛れもなく米海軍艦艇「オリスカニー」だ。
「うわ、テレビの端っこに映ってたやつ……」
嫌そうに呟いた茉蒜に続いて、「俺達も鉢合わせしたくなかったなぁ」と、努がボヤく。典子は視線で「どうするの?」と合図を送っており、茉蒜は前を向いて「どうしようかなぁ」と言葉で返す。
「真理ちゃん、今は何度?」
「面舵一七〇度です」
「じゃあ面舵二〇〇度」
「ヨーソロー!」
真理が操舵装置を回す。艦首が右側に少しずつ傾き、オリスカニーと向き合うように動いていく。
CV─34、ニューヨーク海軍工廠で作られたオリスカニーは、ベトナム戦争に出動したエセックス型改装空母の一グループのタイプ名として名が知られる。兵装は十二・七センチ砲が八基、七・センチ連装砲が十四基、艦載機が……八十。「かが」の元になった「加賀」でさえ全長は約二四七・六五メートル(改装後)なのに、このオリスカニーと来たらそれよりも三〇メートル程長い二七〇・八メートル。「かが」よりも遥かに大きい艦艇だ。
「なんであんなに艦載機積めるの? お話して技術を奪い取りたいくらいよ」
「茉蒜……日本は作れるけど金が無いのよ……」
静かなツッコミを入れた典子に「そうだった、ロシアはどうなのか知らないけど」と不思議そうに茉蒜が呟く。
「何もしてこない? 通信は?」
みのりはふるふると首を振る。
「これは、ロシア艦艇よりも厄介なものかもしれない」
「ちっ、嫌な艦艇とぶつかるわね。典子、浅野三尉と岡田三尉に出撃命令を出して。偵察に出させる」
「了解」
二人に連絡を入れている間、「艦橋よりCICへ。黒木二佐」と受話器を手に取ってCICに繋げる。
『こちらCIC、黒木二佐。どうした艦長、オリスカニーの事か?』
茉蒜の同期である
「さっき、パイロットの二人に出撃命令を出したんだけど……。向こうが攻撃してくるまで、こちらからは仕掛けないようにしようと思うの」
『ほう? その理由は?』
理由、と聞かれ、茉蒜は少しためらう。
「相手の意図が分からないから……かな」
茉蒜の言葉に、盛大な笑い声が受話器越しに聞こえてきた。艦橋のメンバーにも聞こえていたようで、「なにかしたんですか、艦長?」と音羅が聞いてきた。
「何もしてない! 何よ、いきなり笑って」
『いやぁ、艦長らしい答えだなぁと思ってさ!』
「わ、悪い!? だって平和にいきたいじゃない!」
あわあわとして問いかけた茉蒜に、『悪かねぇさ』と冗談半分で返す翔哉。
『責任感のない答えは嫌いじゃない。その方が、戦闘ももっと楽しくなるからなぁ』
「私は平和にいきたいんですけど……」
呆れた声で言う茉蒜。また笑い声が聞こえてきて、『迷うなよ』と一言、翔哉は言った。
「どういうこと?」
『聞こえなかったのか? 迷うなと言ったんだ。艦長、お前は様々な窮地を乗り越えてここにいる。同時に何人もの生命を助けているその手で、今度は俺達を日本に帰らせてくれ』
「私の手で?」
『そうだ。お前なら出来る。お前にしか出来ないんだ』
不思議な事を言う人だと、茉蒜は感じた。自身にしか出来ない、それは言い換えれば、「自身にしか出来得ない事をしてみろ」という、ある意味黒木からの試しの言葉でもあった。
───ほほーう?
大口を叩く同期に少し驚きながらも、
「言われなくても出来るわよ!」
と、誇らしげに言ったのを、翔哉は聞いていた。
「艦橋より航空管制、広瀬!」
『俺は呼び捨てかよ!』
ツッコミが返ってきた事に内心笑いながら、「広瀬君って呼ばれたい?」といたずらそうに言う。
『俺、君付けだけは好きになれないんだよなぁ』
「なら広瀬でいいじゃない、悪い?」
『いいや。その方がお前らしい』
「ふぅん……まぁいいや。そっちのパイロット二人偵察に出させるからよろしくね。発艦準備が整ったらまた連絡ちょうだい」
『お、分かった。ところで艦長』
「?」
話題を変えようとしたのか、途中で諦めて『……いいや、何でもない』と声のトーンを落とした。
「何よ、あんたにしてはあずましくないわね」
『方言出てるぞ。落ち着かないのも分かるが、今は言わないでおくよ』
「? まぁいいけど。とりあえずよろしくね、私航空はさっぱりな人だから」
『あいあい、ちゃんと誘導するさ』
受話器を置き、茉蒜は腕を組む。
「なにかあるの?」
「なにも」
真っ直ぐ前を見たまま、そう返す茉蒜。
「……そう」
典子はそれが反対の言葉だと言うことには気がついていたが、なにがあるのかまでは分からない。この人はいつもそうだ、と典子は考える。何を考えているのか、何をどうしたらあんな指令が出せるのか……と。
「ほんと、つくづく変な子ね」
小声で呟いた典子の言葉は、幸い茉蒜には聞こえていなかったようだ。
***
「一番機、発艦スタンバイ!」
航空要員が忙しなく動いている間、亮はヘルメットを持ちながら大きく伸びをする。手を下におろし息をついて、左舷エレベータに乗せられて今にも上に行く寸前のYF─23Jに向かって歩き出した。
「亮!」
その声に振り向くと、息を切らした良介が亮に向けて手を振って向かってきている。
「遅いぞ」
「いやぁごめんごめん、姶良に捕まって」
顰めていた顔がスン……と真顔になり、
「今ようやくお前の気持ちが分かった気がする」
「だろー!? 彼女持ちなら誰でも経験することだろ!?」
「いや、そうじゃなくてだな」
「じゃあなんだよ」
不機嫌そうに問いかけた良介に、亮はヘルメットを持ち直してエレベータに乗り込み、
「……いや、なんかさ。大切な人のために、いつ死ぬか分からない穹に何度も旅立つって事がこんなにも寂しくて苦しい事なんだって、最近気づいちゃったんだよ」
「それは俺も思う。もしここで死んだら、大切な人……俺だったら姶良、お前だったら艦長が悲しむから、そう思うんだろ?」
無言で頷く亮。眩く光る視界に目を細めながら、良介はその光をじっと見つめる。
「俺達はそういう存在だ。それは、艦長が戦争の最中で乗組員全員の生命を預かっているのと、同じ事なんだ」
「俺達と茉蒜が、同じ存在?」
「陸も海も空も、同じ軍人の片割れだろうよ。そんな軍の片割れが、海に出てこうして戦闘をする。
海と空が混じった色は、どこまでも蒼色。
いつしかそれに消えていくのが、俺達パイロットなんだ。誇りを持たなきゃ損だぜ」
そうして見えてきた甲板の景色を見据え、
「そう……だな」
少しだけ不安げに、亮は呟いた。
「俺なんか帰ってくる度姶良に「よく生きて帰ってこれました〜」でて頭撫でられるンだぞ? どう思う? 今度お前もやってもらえ」
「彼氏思いのいい彼女だな。俺は……うーん、あいつがほら、撫でられるのが好きじゃない人だから……撫でてくれるかどうか」
「ちょっと期待していることに驚きなんだが」
「悪いか?」
相変わらずの真顔で問うた亮に「いや、そういう馬鹿正直な所にむしろ憧れるくらいだよ」と、腕を組んで答える良介。
「お疲れ様です、浅野三尉、岡田三尉!」
航空要員が二人の前で敬礼をする。し返し、亮はハッチを開けて中へと乗り込む。
「亮!」
ヘルメットを被る直前、良介が呼び止める。怪訝そうな顔で良介を見た亮に、良介は親指をひとつ立て、
「彼女を悲しませんなよ」
無言でヘルメットを被り、同じく右手の親指を立てて返答した。
『航空管制よりユービー1へ』
「こちらユービー1。広瀬司令ですか?」
『そうだ。日が空いての出撃だが……大丈夫か?』
不安そうな問いかけが聞こえ、「暇な時にシュミレーションしてるので大丈夫です」と迷わず答えた。
『ならいい。艦長が心配していたものでな、気になったんだ』
「あいつ……」
機内作業をしながら、亮は深くため息をつく。広瀬の笑う声が聞こえ、『大丈夫だって! 最後にゃ「あいつの事だから、絶対大丈夫」とまで言ったんだぞ? 期待されてるぞ、浅野三尉』と明るく言う広瀬。
「それは分かってますよ」
『ならいい。あんまり悲しませんなよ。艦長、昨日一人で泣いていたんだから』
「……は?」
思わず、作業をしていた手が止まる。
『俺を見つけるなりぐしぐし涙拭いて、いつものように話しかけて来たんだ。あまり抱えさせてやるなよ。あいつ、すぐキャパオーバーになって泣き出すから、話くらいは聞いてやれ』
「わ、分かりました。帰投した時に、必ず」
ようやく、手が動いた。
誘導係の指示に従い、戦闘機を動かす。発艦寸前のところで、茉蒜から連絡があった。
『気分は?』
「……悪くは無い」
『そ、なら良かった。これで最悪なんて言ってたら、帰ってきた時に甲板呼び出してたわ』
「怖いこと言うなよ……」
誘導係が「発艦準備、OK」と通信を送ったのが通信越しに聞こえてきて、『雲多少、視界は良好。生きて帰ってきなさい』と、続けて茉蒜が言ったのをしかと聞いていた。
『さぁ行け、浅野三尉』
「了解。ユービー1、発艦する!」
速度を上げ、二人の声を耳に穹へと飛び立つYF─23J。茉蒜は艦橋からそれを見つめていて、
「ほんとに死なないでよね……怖いから」
そう寂しげに、しかしどこかそれを怯えるように、静かに呟いた。
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