スパイ

「俺がスパイだってこと、どうして分かった?」

「さぁ、どうしてでしょう?」

 未だニコニコと笑いながら、茉蒜は平気そうに言う。

「あなたが敵意がないから着艦を許可してって言ってきた時から警戒していたわ。手紙を渡したかったのは本当の事でしょうけれど、それ以外にも目的があるんじゃないかって思って、ずーっと警戒していたの。だからあれ以来艦長室にも入れなかったし、艦長室からほど近い所の居住区にいてもらった。まぁ当たり前のことなんだけどね」

「……」

「アメリカ海軍のスパイとして派遣されたあなたは、新たに空母化した「かが」の国家機密システムの在り処を探り、ついでに艦長の私にパパから預かっていた手紙を渡した。違う?」

「いいえ。全てあっています」

 即答だった。抵抗する気は無いのか、それとも答えるだけ答えるのか、どちらなのかは茉蒜には分からない。

「艦長室に入れて欲しいと頼み込んだのはあなたからだったわね。がある場所が分かる艦内図を手にしようとして頼み込んだことだって言うのは分かっていたわ。

 だってあなた、私と話している時、視線があちこち行っていたんだもの。日本の艦長室って、そんなに珍しいものかしら? それとも、艦内図を探していたのかしら?」

「質問してもいいか?」

 レオニードの言葉に「えぇ、何かしら?」と聞き返す。

「何故俺の娘を知っている?」

「あら、遠洋航海に行っていたら、少なからずとも同じ航海科の外国人とは交流が深めると思わない? ナターリヤ・ホージン……私はナーシャって呼んでたけれど、性格があなたそっくりなの。だから警戒が出来たと言っても過言ではないわ。

 ねぇ、黙って降参して欲しいの。拳銃は使いたくないし、何よりあなたを殺したくもないし、殺す気もさらさら無いの」

 一歩下がり、茉蒜は控えめに言う。もう手遅れだと言うことを知っていて、茉蒜はあえて降参するように促しているのだ。

「残念、それは出来ない」

「どうして?」

「この艦の『国家機密システム』とやらの情報をもってこいとの、上の命令だ」

には何も無い。それ以上も、それ以下も」

 戦う準備をしておこう。

 茉蒜は腰に当てる右手の力を強める。レオニードははぁ、と一つ息をつき、

「じゃあ、力ずくで」

 素早く拳銃を出し、レオニードが先に発砲した。

 仕方の無い事なんだ。

 そう振り切り、茉蒜は左に頭を傾けて避け、直ぐに拳銃を取り出して彼の左足に向けて一発撃ち込んだ。空を斬り、弾丸は硬い床にめり込む。その間に空薬莢は外に出され、茉蒜は彼に向けて真っ直ぐ走っていく。

 レオニードも素早く構え、向かってきた茉蒜に向けて発砲。下に潜り込むように茉蒜は避け、左腕、左手、そして首元を狙って一発ずつ弾を放出した。

 三発全て命中したレオニードは体制を崩す。その体制で、背を向け隙ができた茉蒜に向けて拳銃を向け一発撃った。

「いっ……!?」

 左肩に命中し、反動で左腕が前に出る。一瞬の反動を利用して振り向いた茉蒜は、両足を床から離して彼の左胸へと一発撃った。けたたましい発砲音に掻き消され、レオニードの急所に当たった弾丸の音は何も聞こえなかった。

 床を転がって足を付け、茉蒜が顔を上げた時には、既にレオニードは地に伏せていた。

「………………」

 荒く息を切らし、茉蒜は左肩を抑えながらレオニードへ近づき、彼の顔が見える位置でストンと座り込む。首に手を当ててみると、まだ脈は動いている。不思議とレオニードが莉子に見え、茉蒜はきつく目を瞑った。

 ここで失うの?

 どこかから声が聞こえてくる。

 違う、この艦内では誰も失わないって決めた。それが例え、敵であっても。

 首から提げていた錨のネックレスを片手で掴み、

「……助けなきゃ」

 そのまま、茉蒜は艦長室へと走り出した。

 

 ***

 

 後で駆けつけた典子が状況を茉蒜から聞き、乗組員がレオニードを運んでいく。茉蒜は典子に抱かれながら、目を細めレオニードをじっと見つめていた。

「この歳になって抱っこされるなんて思ってもいなかったわ」

「私もこの歳になって同期の女の子を抱くなんて思ってもいなかったわよ」

「悪うござんした!」

 とは言えど、典子は自身の子供を抱くように、茉蒜はそれにくっつくようにして抱かれているため、周りから見たら姉妹、はたまた親子のようなものである。

「……この戦争が終わったら、ナーシャに謝らなきゃ」

「あの人の娘さん?」

「そ。同じ海軍の航海科。一度会ったことあるでしょ?」

「あぁ、あの三つ編みの」

 廊下を歩き、医務室へと向かう典子は思い出したように顔を上にあげる。

「なんかごめんね」

「えっ? なんで茉蒜が謝るの」

「ううん、なんか申し訳なくて」

 自身の左手を見ながら、茉蒜は声のトーンを下げる。

「大人になって、拳銃を持って、こうして戦争で人を傷つける日が本当に来るなんてね……」

「今回のは仕方ないと思うわよ。敵……だったんでしょ?」

 左手を少しきつく握り、

「うん……」

 この上なく憔悴しているのか、茉蒜はそれ以上口を開くことは無かった。

 医務室に着いた後、茉蒜は典子に持ち場へ戻るように言った。

「やだ」

「なんで」

「心配だから」

「理由になってないよそれ!」

 衛生員の北嶋咲也きたじまさくや一士が左肩に大きな絆創膏を貼り丁寧に包帯を巻いている間、「いっで! ……じゃあ、ここにいて」と典子の手を掴んだ。

「素直じゃないでやんの」

「悪いか!」

「別に悪かないわよ。子供みたいだなぁって思って」

「どういう事よ?」

 訝しげに見つめる茉蒜に、典子は笑みを浮かべ、

「もう一つの生命を授かれば分かる事よ」

「?」

 それでもなお首を傾げる茉蒜。典子はクスッと笑い、「北嶋一士は彼女いるんだっけ?」と、包帯を巻き終えた咲也に問いかける。

「え? あぁ僕はいますよ。石川の方ですけど」

「石川って言ったら小松基地があるけど、もしかして空自官?」

「よく分かりましたね、当たりです。春川千夏はるかわちなつ三曹、航空整備士ですよ」

 今は忙しくて会えてないけど、と付け足し、咲也は引き出しに医療道具を仕舞う。

「では艦長、それで数日安静にしていてくださいね」

「う〜いででで……可愛い後輩の言うことにゃ逆らえんなぁ」

 肩をさすり、茉蒜は立ち上がる。

「それと、先程浅野三尉が艦長をお呼びになってましたけど……」

「私居住区全部じょっぴんかけたよね? なんで解除してんのあいつ」

「方言出てるわよ茉蒜。それを言うなら鍵かけたでしょ、私もたまに使うけど」

「まぁ今日から数日はあまり出歩かず、課業時も無理はなさらないようにお願いしますね」と、咲也は困ったように笑みを浮かべた。

「分かってるよ、北嶋君のお節介!」

「はは、お早めに彼氏のところへ行ってきてはどうですか?」

「なんで北嶋君まで……もうイヤ……」

 片手で顔を隠した茉蒜を見て、典子は思わず吹き出して笑ってしまう。茉蒜が怒りながら典子を叩く光景を見ながら、咲也は自身の彼女もあんな風にしてきたらと思っていた。春川千夏三曹は、茉蒜や典子は会ったことは無い。だが千夏は二人の事を知っているらしく、いつか会いたいとまで話していた事を咲也はふと思い出した。

 千夏はそこまで人には興味無いし、大人しいからなぁ、と思い悩む点がいくつかあるが、実際に三人が対面したらどうなるのかがとても見物である。

「で、ホージン大尉は?」

 ちら、と自分の隣のベッドに眠るレオニードを見る。

「脈は正常ですね、呼吸も落ち着いています。急所を撃ったのにこれだけ心拍数が落ち着いているというのは、大人の人でも稀だと思いますよ」

「良かった。死んでたらどうしようかと」

 安堵する茉蒜に、「艦長のような体格だったり、余程の事がなければ死ぬことはまず無いでしょう。このまま寝かせておけば、数日もしたら意識が戻ると思います」と咲也は微笑みながら言う。

「…………」

 目を逸らす茉蒜。逸らした視線の先には、少しの血痕が残る自身の右手。

「あの、さ。意識が戻ったら、彼に言っておいて。

 ……………って」

 典子にはよく聞こえなかったが、咲也には聞こえたようだ。「分かりました、確かに受け取りましたよ」とニコニコとして言った。ホッとした表情を浮かべてお礼を言った茉蒜は、「じゃあ、失礼しました」と言って医務室を出た。典子もそれに続いて医務室を出、室内は静かになった。

「艦長らしい伝言だなぁ。全く」

 押収したレオニードの私物の中に、米国製の無線機がある。音は聞こえず、電波も拾ってはいないようだ。茉蒜が破壊しておくからそのまましまっておいてと咲也に命令した物であった。

「まぁ、艦長の命令なら致し方ない」

 無線機を机の上に置いておき、レオニードの顔を見つめる。

「悪い事をするような人には全く見えないね。ナターシャさんの父親とは聞いていたけど……優しそうな人だ」

 彼の手に両手を添え、

「早く意識が戻るといいですね。艦長の伝言、忘れないうちに早く伝えたいです」

 咲也のその言葉に反応するかのように、レオニードの手が一瞬だけ動いたような、そんな気がした。

 

 ***

 

 艦橋へ戻る途中、廊下で亮を見かけ、茉蒜がおーいと声をかける。その声に反応して振り向いた亮は、茉蒜を見つけるや否や不機嫌そうに顔をしかめて茉蒜の元へ近づき、

「茉蒜お前また無茶して! 死んだらどうすんだ!」

 右肩に手を置いて叫ぶように茉蒜に叱責した。茉蒜はその叱責に身体を縮こませ、

「ごめんなさい……もう無茶しないから怒らないで」

 半泣きで訴えると、亮は「うっ……ごめん、強く言いすぎた」と一言発しながら表情を柔らかくする。ぐしぐしと目元を拭い、「無茶した私が悪いから、亮が謝る必要はない」と茉蒜はそっぽを向く。

「あらあら浅野君、あなた茉蒜のことが本当に心配だったのね」

「誰だって心配するでしょうそりゃあ。艦長なんですから」

「なるほど? じゃあ私は心配される必要は無いわね」

 いたずらに笑う典子に、「あ、嘘ですみんな心配です、はい」と慌てたように亮は訂正する。茉蒜が隣でクスクスと笑っていると、「そうだ、茉蒜に聞きたいことがあったんだ」と亮は思い出したように声をあげる。

「なに?」

「どうしてあのパイロットを助けたんだ?」

 典子も気になっていたらしく、茉蒜を見る。茉蒜は考える事もなく、それでいて慎重に言うわけでもなく、ただ寂しそうに笑い、

「……なんで、なんだろうね」

 そう一言だけ、自分でもわかっていないかのように呟いた。

「なんだそりゃ?」

「だって、その時は必死で必死で……だから、理由なんて聞かれても分からないよ」

「茉蒜らしい理由ね」

「どういう事? 典子ってほんと変なこと言うよね」

 首を傾げる茉蒜。亮は分かったのか、「あぁ、なるほど。必死で考える暇もなかったからって言うのが理由なんだな」と納得したように言った。

「うん、まぁ合ってる。だから理由がないって言うのが理由」

「茉蒜の方が変な事言うじゃない……」

 典子は困ったように腕を組む。

「理由もなく人を助けて、なにか悪いことでもあるの?」

 訝しげに問うた茉蒜に「いいえ、それはとても立派で、誇らしいことだと私は思うわ」と典子は笑顔で返す。

「じゃあ、また無茶しないように見張っててくださいね、副艦長」

「んなっ」

「はいはい、あなたも極力無茶はしないようにね〜」

 重々しくため息をついた茉蒜に「どうしたのよ?」と不思議そうに問いかける。

「いえ、なんでも……」

「そう? じゃあ早く艦橋行きましょうか」

「ん、そうしようそうしよう。そう言えば上層部の連絡の事なんだけど……」

 話をしながら、茉蒜と典子は艦橋へと向かう。米海軍という敵に警戒を緩めず、かつなぜ領海侵犯をしてきているのか。米海軍はこの「かが」を試そうとしている。同時に、かがに乗せられている国家機密システムの在処を探るためだというのは、レオニードの発言で判明している。

 これは一度、彼が意識を取り戻したら聞いておかなければいけない……そんなことを思いながら、茉蒜は艦橋の扉を開けた。

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