第3話 狩猟組合にて
帝国と王国の国境付近にある街。グレーメンでのこと。
「それで王国を追放されたの?」踏んだり蹴ったりな冒険譚を聞いていたラハヤ・ロクサが、俺の語りに割り込む。
「危うく処刑されそうになった。けど村長のマグヌスさんのおかげで、国外追放だけで済んだんだ」
この街にある狩猟組合の広間で出会った彼女は、ゆったりとした雰囲気を崩さずミディアムヘアの灰金髪を揺らして首を傾げる。
「うーん。お兄さんの話って、実は真実だったりする?」と疑心のようだ。
「ああ、本当の話だよ。俺が一番信じられないけど」
頬杖をついている彼女を見ると、俺は慌てて目を逸らす。
そこそこグラマーな胸の谷間が、象牙色の襟付きベストのような服から見えたのだ。チューブトップに似た布の下着で隠れているとはいえ、ちょっと下に目を向けると谷間が目に入る。
すると困った顔をした彼女が、視線に気が付いたのか居直すとフード付き緑のマントで胸元を隠した。
……気まずい。
「信じられないのが一つあるかな」
「なんだろう」ちらっと谷間を見ていたことだろうか。
「恨んでも良さそうなのに、お兄さんは全く恨んでなさそうなところ。村の人に通報されたのに」
確かに人によっては彼らを憎みもするだろう。それは違うと俺は思ったのでしなかった。
「赤の他人である俺を受け入れてくれたんだ。感謝しかないよ。その代わり、あの国に苦手意識は芽生えたけどな」
あの時の憲兵は、俺に何の事情説明もせずに『魔族みたいだから』という理由だけで連れて行こうとした。それはまるで『あんたはジャパニーズみたいだから、ぼったくってもいいよね』という暗黙の了解みたいに感じ、心底腹が立ったのだ。
「まあ、この話を信じるも信じないもラハヤさんの自由だよ」
「お話は信じてるよ?」
「あ、そうなんだ」
「お兄さんの服が破れてるし、本当に猟に行くのか疑わしい鮮やかな服でいるし、黒い杖は持ってるし」
ラハヤが指で数えながら、俺の非常識を列挙した。
「あー、ここじゃ非常識なのは俺なんだな……」
『郷に入れば』という奴だが、俺の場合は『郷に迷えば』であったのでこの世界の常識に合わせられる訳がない。
「でもお兄さんは悪い人には見えないかなって」
「そりゃどうも」
「それに前評判通りではなかったしねぇ」悪戯っぽく笑うラハヤが何やら気になることを言った。
「前評判?」
白鹿の毛皮譲渡を条件に、俺は行商人の馬車に乗せてもらい六日かけてグレーメンの街へ来たのだ。それは三日前のこと。
それからマグヌスさんから頂いた銅貨四〇枚が底が付きそうで困っていた矢先に、仕事をもらえる狩猟組合なるものがあると知り、今はここにいるのである。
なので、俺に評判がある訳がない。
「王国を追放された極悪な魔族だって」
……こいつはひでぇや。
まさかの悪評だ。身に覚えのないことはないが、不可抗力である。これも白鹿の呪いか。
まあ、真面目に考えて悪評を流したのは王国だろう。彼らは注意喚起のつもりで、友好国である帝国に情報を伝えたのだ。
「お兄さんもここでお仕事をもらうんでしょ?」
「取りあえずお金稼がないと何も出来ないからなぁ……。実包もどうすりゃいいのか……」
「実包?」
彼女がうきうきと目を輝かせたので、銃袋から猟銃を取り出して実包も見せた。
「黒い杖に使う矢みたいなものかな?」実包を興味深そうに観察するラハヤ。彼女は自身の得物である大きめのクロスボウと、猟銃を見比べていた。中背と発育から見るに彼女はハイティーンだと思うが、緑の目を輝かせている今の彼女は子どものようだ。
「そう。これが残り二二発しかないんだ」
「優秀な鍛冶屋なら帝都にいるよ」
それは良いことを聞いた。当面の目標は旅費を稼いで帝都へ向かう。これだな。
おもむろにラハヤが立ち上がって、見る者を射止めるほどに可憐なカーテシーをして見せた。
「一緒に狩りをしませんか?」ラハヤは誘い文句と共に微笑んだ。
彼女の短いキュロットスカートを摘まむさまに、俺は思わず息を飲んでしまった。照明を受ける黒いタイツが
俺は目をそらした。顔は紅潮していただろう。年甲斐もなく恥ずかしい。
「ええ、喜んで。と言いたいところだけど君の目的は? いや、ラハヤさんを疑っている訳ではないんだけど、今日知り合ったばかりだし……。というかなんで俺を?」
彼女の美少女然とした姿を直視したら駄目だと、理性が『外国では疑ってかかるのが常識です』と語り掛けてくれた。
この質問ならば、彼女の本心が分かるはず。不審人物らしき俺を誘うだけの理由があるはずなのだから。
「話が早くて助かるよ。私の目的はある狩猟の神に会ってお願い事をすること。お兄さんを選んだ理由は、悪い人には見えなかったのと、さっきの話の白鹿はおそらく狩猟の神の
なるほどな。俺も呪いを解きたいと思っていたところだ。旅の道中で神様の情報も集めようと思っていた。元の世界に帰れるのかも知りたい。……彼女とは奇しくも目的が同じという訳だ。
「そういう理由なら、こちらからもどうぞよろしく。じゃあ、改めて自己紹介を。名前は鹿室志道、元の世界での猟師歴は十二年。高卒で三年間自衛隊ってとこにいたから、体を動かすことには慣れてるし山の知識は祖父譲り」
「えーっと、ジエイタイ?」
「……兵士、みたいな?」
と言ったら怒られるんだろうなぁ。
「ふむ、なるほどね」
息を整えたラハヤは「じゃあ改めまして私はラハヤ・ロクサ。人間で、子ども時から山をぶらぶらっと過ごしてました。この世界の山は大体熟知してるから力になれると思う。特技は痕跡探しと射撃かな。あ、魔法も使えるよ?」とちょっと不可思議な自己紹介をしてくれた。
彼女がクロスボウの射撃が得意だというのは分かる。だが、幼い時から山をぶらぶらしてたのと、特に魔法ってのはなんなんだ。
「お兄さんのその顔は、信じてない顔だねぇ」
「魔法ってのが良くわからなかった」
俺は常識人であると自負している。もはやそれは誇りにも等しい。
「まあ、見ててよ」自信満々のラハヤは何かを呟く。彼女の足元から小さなつむじ風が巻き起こると、カルト信者真っ青な空中浮遊をして見せた。俺の思考がスローになる。
……思考が、全く、追い付かない。何だ今の。手品か何かか? 超高速でぴょんぴょんしてるのか?
俺は浮遊する彼女の足元にしゃがみ込んで、床に仕掛けがないかを調べる。床を触っていると、ラハヤが「あの、ちょっと……お兄さん?」と恥じらいからかキュロットスカートを手で押さえた。
「いや、種とか仕掛けとかないのかなって」
「そんなのないし、そろそろ降りたいんだけど……。真下からだと流石に……」ちょっと不機嫌になったラハヤだが、俺は信じられなかったのだから仕方がないだろう。
これはあれだろうか。俺は常識に囚われているのだろうか。
これが常識だと言うのなら、この世界は実に非常識だ。
入口の扉が開かれて、狩猟組合の職員が急いで戻って来た。この職員は女性で動きやすそうな服を着ている。彼女は慌てた様子で羊皮紙の束を抱えて木のボードに依頼書を貼り付けていった。これらも仕事の一部なのだろう。
「あの、この組合に入りたいのですが……」
「あ、はい。どうぞこちらへ」俺の格好を何度もちらちら見ていた職員がカウンターの奥に消えると、緑の宝石がはめられたバッジと羊皮紙の手続き書類、小さい金属製の短冊が下げられた首飾りを持ってきた。
「こちらに住所と……」職員が指で示してくれるが、日本のどこそこで申請は通るのだろうか。甚だ疑問である。初っ端からつまずき冷や汗を垂らす俺に、ラハヤが助け舟を出してくれた。
「彼は文字が書けないので私が代わりに書きます」
にっこり笑う彼女を不審にも思わず職員が羽ペンを渡した。きっと職員の彼女は、ちゃっちゃと書類を書きやがれと内心思っていたのだろう。
「ねえ、お兄さん。住所は私の故郷でもいい?」
「ええ、まあ」
……まあ、そうなるよな。
書類手続きが終わり、職員から緑の宝石がはめられたバッジを渡された。この世界でいうところの狩猟者記章なのだろう。装飾も細かく職人の技が光る一品だった。
「これを付ければいいんですかね?」
「はい。それを付けて頂ければ、後は
ベストについた狩猟者記章の下に、緑の宝石がはめられたバッジを付ける。
そうするとまた非常識なことに、宝石から羽虫のような人型の小さい精霊が現れて俺の体をぐるぐると飛び回ったかと思うと、カウンターに下げられた小さい銀の短冊を運び職員に手渡した。
「何なんです? この羽虫」俺が羽虫と言った瞬間、
「……い゛ってぇぇえ!!」左目を抑えてうずくまる俺に「えっと、ごめん。虫扱いしたら
「あー、くそ」狼の装飾がある銀の短冊を拾って職員に見せる。
「狼なら上から数えて三番目ですね。熟練者だと認めてくれたみたいですよ」
全部で六等級からなる階級は、その階級に応じてより報酬が高い依頼を受けることが出来るらしい。
「おー、やっぱりお兄さんは異世界の猟師で間違いなさそうだ。私なんて狼の一個下の猪だからね」
その六等級とは
そうして猪でも狩ろうかと依頼を受けて、猟場へ向かった。
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