異世界マタギ!! -元陸自の転移猟師が神様食べたら呪われたので解呪するために狩猟しつつ狩りガールと世界を跨ぎます-

瀬戸R

第1話 プロローグ 前編

 

 それは暖かい日差しと土の匂いから始まった――

 

 空腹で目が覚める。


 うつ伏せに倒れていた。辺りを見回しここが見知らぬ土地であると知った。

 

 んあ? 雪の中で流し猟をしていたよな?


 北海道の猟場で冬季の狩猟をしていたはずだった。

 

 それがどうして、草花と針葉樹が茂る森のただ中にいるのだろうか。

 

 訳の分からぬ状況に置かれている。背中にあるオレンジ色の銃袋に収まった猟銃を見て、ひとまずの安心を得ると己の服装を見た。


 猟友会支給のキャップと、狩猟者記章のついた支給ベストを身に着けて、その下にはオレンジ色のジャケット、防水防寒の黒いズボンを穿いている。弾帯にある二つのポーチタイプの弾差しには.308win弾が一四発ずつ、計二八発ある。山刀やナイフ二本も、弾帯にあるナイフポーチに収まっている。

 

 装備一式があるべき場所にあった。流し猟で鹿を追っていた時のままだった。


 目線を下に向ける。白い長靴に付着しているはずの雪が全くない。


 真冬から急に季節が変わったのだろうか。GPSを見るが壊れている。


 やはり異常事態だ。遭難したというよりは、いつのまにか神隠しか拉致にでも巻き込まれたとしか思えない。

 

 振り返るが乗って来た車が影も形もない。普通に考えれば赤いジムニーが消えるはずはない。


 盗難被害に遭ったのか? それとも何処ぞの工作員にでも拉致られたのか? 

 

 周りに人影がなく、それすらも判然としなかった。

 

 解るのは酷く空腹であることだけ。


 まるでとてつもない飢餓が発生しているようだった。朝食は家でしっかりと摂ったはずなのだ。例え俺が青年期真っ盛りの三三歳であっても、おかしいと感じるほどの飢えだった。


 とにかく人里目指して歩く。確信なき歩みだが、斜面を降りて行けば何かしら建造物があるはず。そう思っていた。

 

 歩けども歩けども辺りは花や針葉樹があるばかりで、動けば動くほど腹が減る。それどころか喉も乾き始め不安が募る。狩猟小屋さえなく、人の気配もない。


 俺を包むのは豊かな緑の自然と青い匂いだけだった。


 斜面を降りる途中で川か湖のせせらぎの音を聞く。水があるという喜びに速足となった。

 

 川の流れの方向に進めば、理屈的にいずれは人里に出るだろう。そもそもここが日本なのかも分からないのだ。通信圏外のスマートフォンが、尾根に登ったとして使えるようになるとも思えない。それに天気もいい。


 常識の真逆を今回は選んでみるか?


『今の状況が既に非常識だしな』苦笑を零し、そう言い聞かせながら降りる。前には絵葉書のような光景が待っていた。絶景におもわず息を飲む。


 開けた場所に咲く空色の花たちが、晴天の下で澄み渡る青空の絨毯を作りだしていた。空色と透明な湖が俺の目に飛び込んで来たのだ。見惚れるほどに綺麗だった。カメラを持っていないのが惜しまれる。


 あー、カメラはきっと車の中だな。……一六万の一眼レフだから、ちきしょう。


 ふと湖に角のある獣の影を見た。俺は屈み、ニコン製の双眼鏡を取り出して観察した。

 

 八倍にズームされたそれは、真っ白い立派な牡鹿おじかだった。 

 

 その白鹿が水を飲んでいる。体毛が雪のように白く、見事な角を持つ美しい鹿だ。


 また痛みを伴う空腹が襲う。何をしてでも解消したい気持ちに駆られた。あの白鹿を見るだけで、腹が秒毎に減っていく感覚に襲われている。


 あの鹿を撃ち殺して食べれば飢えが凌げる。幸いにも猟銃も実包もある。水もある。火を起こすライターだってあるんだ。……やるしかないだろ。

 

 今から殺生を行うことを正当化した。銃所持許可証と狩猟者登録証が入ったバックパックを見る。中の狩猟者登録証が、まるで免罪符のように感じられた。もしくは、気持ち悪いほどの飢えに良心が消えてしまったのかもしれない。


 レーザー距離計を覗いて測距する。


 距離は……だいたい二〇〇ほど。


 銃袋から革製スリングのついたレミントンM700を取り出した。

 ボルトを引いてチャンバーを開け、弾差しから一発だけ弾を取り出して薬室に入れる。

 前にボルトを押し、下にガチっと倒す。


 静かに木陰へ移動する。

 四倍にしたスコープを覗き座射に構え、三度も吸ったり吐いたりして息を整えた。

 

 首の少し上に狙い定め――息を止める。


 獲物がこちらをじっと見つめる。獲物は逃げる素振りも見せない。


 ……当たれ! と念じる。引金を引き、発砲した。


 バァンと乾いた銃声が響く。首に銃弾を受けた白鹿は、その白毛を赤に染めて浅い湖に横たわった。血が湖の青と混ざる。清らかな絵に赤いインクを零したようだ。


 幸運だった。一発で仕留められたのが運命にさえ感じ、喜びに打ち震える。

 生前の祖父にもらった熊爪の首飾りを握りしめた。


 猟銃の排莢を済ませて空薬莢を拾い、胸ポケットに入れる。


 猟銃を肩に担ぎなおした。撃ち殺した獲物の元へばしゃびしゃと湖を歩き、見事な角を持つと息絶えた白鹿を引きずって陸に上がった。


 山刀で鎖骨の中心を刺して斬る。湖の水を使って放血する。太い枝に括りつけた滑車付きロープで逆さに吊るすと、モツを抜き、剥皮して解体をてきぱきと行った。食べない分はビニール袋に詰めて、バックパックに納める。


 小枝を集めてガムテープを取り出し、適当な長さで破ると丸めて着火剤とした。ライターで火をつけ、塩と胡椒を振った肉を木の棒に刺す。脂で肉が照っていた。絶対に美味い。


 さあ、串焼きだ。


 香ばしい匂いが空っぽの胃をきゅっと刺激した。口内に涎が溜まる。辛抱堪らん。


 両手を合わせて『いただきます』と山の恵みに感謝した俺は、その肉を食べて食べて食べ続けた。今までの狩猟人生の中で一番美味かった。筋張らずに柔らかく旨味が強い。手が止まらないほど、涙が自然と零れるほどに、安心と満腹感を与えてくれる。生きていると実感した。


 斯くて呪われたのだ。白き神鹿シンロクに――

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