第51話「世界の敵(後編)」



 妖魔アグレリオ


 それは人類の敵。


 この世界にとって存在すべきではない禁忌の絶対悪を指す。


 それはどういった存在なのか……。


「では、教科書の12ページから。そうだな、ルシエラ。頼む」

「はいなのです~」


 キュートな鼠の耳と尻尾を持つ華奢で小柄な鼠族ミュースの少女が席を立つ。

 肩ほどまでに伸ばした茶色い髪をなびかせ、愛くるしい声で少女は教科書の内容を口にする。


妖魔アグレリオ。それは人に似た姿を持ち、人ならざる存在、生きた災害である」


 そう、災害。


 奴らは生物でありながら、災害なのである。

 なぜか?


「まずはどういった存在なのか、その容姿から説明せねばなるまい」


 教科書にはこう書かれている。


「進化により属性を持ち、髪色や肌色が変わる者もいるが、その見た目は主に、髪は灰色、肌は紫がかったくすんだ灰色。目は赤く、耳は長く尖り、口は耳まで裂け、筋ばったしわくちゃな顔の、四足歩行で生活する、二本の腕、二本の脚、一つの頭部、一つの胴体を持つ、すなわち極めて人に近い姿をした存在である」


「よろしい。では次、メイファ」

「はいアル」


 席に着くルシエに代わり、黒髪を左右にシニヨンでまとめた、細く鋭い眼をしたスレンダーな少女が席を立ち、続ける。


「専用の特殊な言語を用いてコミュニケーションを取る程度の知性を持つ。だが、その生態系は極めて野蛮で、文明も未開の原始レベル、農耕も牧畜もノウハウが無いため、基本は狩りか窃盗、襲撃で生計を立てている。雑食で、人が食べられるものは基本なんでも食べる。魔獣には歯が立たない固体がほとんどであるため、狩りよりも人里の襲撃と略奪を食料資源調達の主としている。未開文明レベルの知性だが悪知恵は働くようで、防衛力の薄い村落などを狙う事が多い。個々の力はたいした事が無く、特殊な訓練を行っていない一般純人族と大差ないレベルの者がほとんど。だが集団戦が得意でそういった部分では非情に狡猾である」


「うむ、よろしい」


 つまり、見た目も生態も能力もほとんどゴブリンのような亜人なのだ。

 だが、妖魔アグレリオはゴブリンとまったく異なる存在だ。


 なぜなら、この世界の妖魔アグレリオは、国家から災害認定を受けるほどの脅威度を持つ存在として扱われているからだ。


 少なくとも、ゴブリンが災害とまで呼ばれるような作品をおれは知らない。


「では次、フェイラン」

「はいヨー」


 蒼、黄、赤の花が飾られた白い長髪が美しい細身の花人族フルールスの少女が立ち上がり、その透き通るような美しい声色で教科書を朗読しはじめる。


「彼らの最も恐ろしい点は、無限に沸き現れる点にある。彼らは生殖による繁殖を行わない。彼らは巣穴である巣窟ケイブの奥に存在する黒球クラックから無限に産み落とされるのだ。最も、本当に無制限に現れるのであれば我ら人類には到底勝ち目が無い。とっくに敗北し、人類は終わっているはずだ。永きに渡る戦いの末、その謎を解き明かしたのは、かの英雄、大魔術師フェブラルであった。結論から言おう。妖魔アグレリオは死して肉体を失っても黒球クラックより再出現するのである」


 そう、妖魔アグレリオはゴブリンと異なり、不死身なのだ。


「では次、ミリア」

「はい」


 おれは席を立ち、教科書の続きを読み進める。


「彼らに死は無い。彼らは殺しても死体を残さずに金色の砂塵と化し、最終的にはその砂さえ残さずに消えてなくなる。そして肉体を失っても黒球クラックより無限に再出現するのである。それは戦いの末で確認された事実である。かの大魔術師フェブラルは会話翻訳トランスレーションの魔法を用いて彼らの言語を一時的に理解し、対話する事で、個々の特性や知識、記憶などを調査し、その上で石化魔法を用い、一体づつ砕いて殺し、順番に再出現させる事で、同じ固体が黒球クラックより出現している事実を突き止めたのである。その結果、フェブラルは、彼らの肉体は仮初のもので、彼らは異界の裂け目より現れる異界からの侵略者である、と断定したのである。ゆえに、妖魔アグレリオは世界の敵であるといえよう。彼らは生命にあらず。存在自体許されてはならない禁忌。何があっても駆逐しなければならない災害なのである。よって、発見次第報告し、即座に駆逐すべく、国民は早期解決のために協力する義務を持つものである。その事を忘れてはならない。怠ってはならないのだ」


「では続きを……リルルリラ」

「はいなの~」


 掌サイズの小動物のような妖精。金色に輝く美しい髪をなびかせ、フェアリー族の少女リルルが空を舞う。

 彼女の体に合わせたサイズの教科書は作る事ができないため、近くの席に座る長い金髪ポニーテールの可憐な少女、アリスが代わりに開いて見せていたりする。

 ちなみにリルルの机はアリスの机の上にある。

 そこには人形サイズの小さな机と椅子が乗っていて、リルルは普段、そこにちょこんと座って授業を受けていたりする。

 とても可愛い。


「ありがとうなの~」


 いつものように慣れた所作でさりげなく無言のサポートを行うアリスに感謝の言葉を放つと、リルルは続きを読み始める。


「具体的な対処法。巣窟ケイブの奥に隠された黒球クラックを破壊する事で彼らの出現を止める事が可能だ。黒球クラックさえ破壊できれば、その巣窟ケイブに存在している全妖魔アグレリオは消滅する。ゆえに、妖魔アグレリオが発見された場合はすみやかに巣窟ケイブを捜索すべし。発見次第、一軍を率いて内部を探索、そして黒球クラックを見つけ次第、確実に破壊する事こそが作戦の最優先事項となる。だが巣窟ケイブは唐突に出現するため、事前の対処など不可能だ。ゆえに災害と認定されている。余談ではあるが、一説によると、どこかで黒球クラックが破壊される事をトリガーとして、どこか別の場所にまた黒球クラックが発生するのではないか、という説を唱える者もいる。だが、未だそれが立証される事例は確認されていない」


「うむ、ありがとう。以上が妖魔アグレリオの主な特性だ」


 締めに入るナフベル先生だが……。


 それだけではない。


「むぅ……?」


 我が家の家庭教師たるオルディシア先生の教えを受けているシアも気付いたようだ。


 ここには書かれていないようだが、妖魔アグレリオには他にも研究の結果、結論付けられたいくつかの法則や情報が存在する。


 例えば、石化や氷漬けにするなど数十分以上行動不能にしたり二日間以上の強制睡眠や極度の拷問などをすると自然消滅し、再出現するとか。

 巣穴を強固な岩壁などで完全にふさいだりなどしても数日後に、巣穴をマグマの海に沈めるなどすれば即座に、巣穴の外の安全な場所に黒球クラックが出現し、そこから巣穴ごと閉じ込めたり沈めたであろう妖魔アグレリオが再出現する、などの事実が確認されているらしい。


 なお、黒球クラックの破壊で殲滅できる事から黒球クラックこそが彼らの生命核コアであり、妖魔アグレリオとは無数の端末体を持つ群体生物なのではないか、などといった説もあるそうだ。


 まぁ、そんな感じで、他にも様々な情報があるはずなのだが……?


「このように、不死に近い生命体ではあるが、教科書にあるとおり、ほとんどの固体は大した力を持たない。たいして鍛えもしていない純人族程度のフィジカルと、ほとんどの固体は魔力が低いのか、そういった文化を持たないのか、魔法はほぼ使ってこない」


 続けるナフベル先生。


「オマケに使用する獲物といえば、手入れもされていない錆び付いた粗末な武器か、ほとんどが自作であろう原始的な武器などだ。稀に略奪して奪ったであろう新品の武器を持つ者もいるようだが、修繕の技術と文化自体存在しないため、やがて錆びて朽ちる事がほとんどだ」


 不死とはいえ、ほとんどの固体が持ちうる脆弱性。

 それを指摘する事で、その脅威度が否定される。


 実際はたいした敵ではない、とでも言うかのようなナフベル先生。


 だが、急遽その顔がキリッと引き締まる。


 真面目な話をするぞー。といった表情をがんばって作った感じでこちらを見やるナフベル先生。



「それでも、妖魔アグレリオが脅威である事は間違いない。なぜなら、自作とはいえ、奴らは弓を使うからだ」



――弓。



 RPGとかのゲームにおいて、これほど不遇な武器は無いといえる。



 前世地球の歴史を少しでも学んだ者ならばわかるはずだ。

 古代の戦争において最も強力な武器は当然、弓矢だ。


 なぜなら、白兵武器を持つ猛者がどれだけ強くとも、その射程距離に近づく前に、安全な距離から一方的に射殺す事ができるからである。


 ゲームではメインウェポンになりがちな剣や刀だが、あんなものはサブウェポンにすぎない。

 所詮は、平和な時代になってから権力の象徴として主流になった程度の武器であり、戦の主武器ではない。

 なんて歴史を知る者は意外と多いのではないかと思う。


 そもそも古代戦争時における白兵の主役は槍だ。そして最強たる飛び道具、弓。

 戦場では弓こそが最も恐ろしい兵器であった事だろう。その事実をあえて語る必要はないと思う。



 にもかかわらず、だ。



 ゲームにおいて弓は弱い。


 主人公の武器はいつだって剣。


 弓が強いRPGなんてほぼ皆無と言っていいだろう。


 そして、それは間違っていないのである。



 なぜなら、ここレムリアースにおいても弓は不遇な武器であるからだ。



 まず第一に、弓をメインに扱うのは魔獣以外・・・・動物・・を狩るのが主な、狩人達なのだ。




――冒険者で弓をメインに扱う者は、ほぼいない。




 なぜか。


 理由は簡単だ。


 魔獣に効果が無いためだ。


 魔獣の生命力は桁はずれに強い。なにより分厚い皮膚や強靭な肉体、殻などの装甲。

 弓では致命傷を負わせるどころかかすり傷さえ負わせられない相手がほとんどなのだ。


 白兵戦の武器であれば、己の力を魔法で強化すれば魔獣にも致命傷を負わせる事ができるレベルにできる。

 武器そのものに強化の付与魔法をかけてもいい。

 両方あるなら、なおさら理想的だ。


 つまり、危険ではあるが、強化魔法をかけまくって白兵戦を仕掛けた方が確実なのだ。


 だが弓はどうか。


 弓の威力は魔獣に対して脆弱だ。


 例えるならば、狩猟用の強力なライフル弾が必要な相手に、対人用の拳銃弾を用いるようなものだ。

 人相手ならば致命傷を与えられても、獣相手には通用しない。

 それと同じで、獣相手に有効な弓矢でも、魔獣相手には通用しないのだ。


 では強化すればよいと思う事だろう。

 だが、弓そのものに付与エンチャント魔法をかけても意味が無い。

 強化すべきは矢弾なのだ。

 となると、矢の一本一本にかけなければならない。

 手間がかかるのだ。その隙は致命的だ。

 無数の矢全体に矢筒ごと同時にかける方法もある。

 だがその場合は、対象拡散の効果を魔法に追加する必要があるためコストがかさむ。


 では弓そのものを強化するならばどうか。


 魔法以外で武器そのものを強化する場合。

 弓の張力を強化しようとすると、主に素材が耐え切れない。

 仮に高級素材を用いて張力を強化したとしよう。

 今度は使い手の筋力が持たない。おまけに素材が高い。


 値段の事を置いておくとして、では使う者の筋力を鍛え、さらに魔法で強化して、恐ろしく強力な張力を持つ弓を用意したとしよう。


 いかに弓の威力を高めようとも、普通の矢では魔獣の装甲に弾かれるのだ。


 では矢を強化すればどうだろう。

 だが今度は肥大化した結果、重さで飛距離が下がるなどの異常が発生するかもしれない。


 仮に異常が無かったとしよう。

 そんな強力な矢を、強靭な弓で、鍛えぬいた奴が、魔法で強化して放つ。


 それならば確かに効果はあるだろう。


 だが今度は開発のコストがかさむ。

 なにより素材が高い。

 となると値段も高い。


 誰が買う?


 そう、売れ行きという形で問題が出てくる。


 そんな使用者の限られたものを作るくらいなら、誰でも使える魔法を後方から放った方が早いのだ。


 詠唱があろうとも、弓矢だって必中を考慮するならば狙う間が必要だし、そんな張力の弓を一瞬で引き抜ける筋力があるならば殴った方が早い。むしろそんな才覚と実力があるならば前線で戦うべきだ。ゆえにどうせ連射は期待できない。


 魔力Dランクの者でも最大限工夫すれば強力な魔法の一つくらいは登録できる。

 他のほとんどの魔法を使用できなくするくらい一点特化の登録にすれば、それなりに魔獣に通用するような魔法の一つくらいはセットできるのだ。


 ならば――魔法に任せた方が早くね?


 売れない武器を開発、販売するよりも魔法に任せた方がマシなのだ。


 結果、誰も作らない。


 作らないからそんな弓矢は存在しない。


 したとしても、ワンオフのオーダーメイドだろう。


 ゆえに、よほど酔狂な冒険者でない限り、弓矢など使わないのだ。


 安全な後方から射撃で戦いたいのであれば、魔法を使えば良いのだから。


 もちろん、魔法の限定として弓と矢を使うならば話が別なのだが……。

 よほど固執していない限り、かさばる弓を持ち、背中に矢筒を背負うような者は少ないだろう。


 というのが、パパさんから聞いた話を元に色々と考えた末に思いついた弓矢弱武器説についての結論だ。


 さて、ならどうして現世地球の世界において、戦における主武器は弓だったのか。


 魔法が無かったから?


 ……いいや、違う。


 弓は強力だから戦争の主武器になったのだ。


 弓矢は戦争において強いアドバンテージを誇る強武器だ。


 その事実は揺るがないのだ。


 例え、この異世界においても。



 そう、簡単な話だ。



 脆弱な人間同士で争う分には、弓矢は充分に脅威なのだ。



 魔獣という異常な存在があるからこそ、冒険者は弓と矢を用いないだけなのだ。


 狩る対象が動物や、人間であるならば、話は別なのだ。


 そう、弓矢は、ひ弱な人間相手だから強いのだ。


 先ほども例えたように、熊狩り用の弾丸や象狩り用の弾丸。鹿狩り用のものでもいい。

 人間相手にそんな強力なものはいらないのだ。

 だから戦争に用いる兵器、アサルトライフルなどに使用される弾丸は、対人用の威力に留めているという。

 もちろん、殺さない程度に負傷させて敵国と敵兵を疲弊させる目的もあるだろう。

 だが、それで充分だから対人レベルの弾丸を使用しているのだ。


 聞いた話では、猟銃に狩猟用の弾丸でなら大型の獣に通用するが、アサルトライフルでは連射ができても大型の獣はしとめ切れないという。


 それと同じだ。


 魔獣に通用しなくとも、弓矢は人間にとって致命的な凶器なのだ。


 最もここは異世界だ。対策はある。


 例えば、風の魔法で防護壁を張る。

 そうすれば遠距離から飛来する矢を跳ね除ける事ができるらしい。


 他にも、強固な防護呪文で矢に対抗する手もある。

 魔獣に通用しないなら、魔獣並みの装甲を得てしまえばいいのだ。


 だが、全員が魔法に特化した戦闘職ばかりな訳じゃない。

 そもそも、初等部の時点で攻撃魔法を習っている時点で異常なのだ。


 いくら魔法がありふれた世界とはいえ、日常魔法ならともかく、戦闘用の魔法なんて師匠に弟子入りしたり、専門の学校で学ぶのが本来ならば普通らしい。


 つまり、普通の一般人は、前世の世界よりも鍛えていたところで、貧弱な市民がほとんどなのだ。


「そして、奴らは小癪な事に毒も使う。ゆえにあなどれない。特に驚異的なのは数による矢の面制圧射撃だ」


 ゆえに、魔獣程の強靭さも持たない人間。一般人にとって、弓矢とは凶悪な武器なのだ。


「不死の性質を有効活用し、前衛を捨て駒にして平気で面攻撃なんて手も打ってくるそうだ。お前らはまだ若い。子供だ。万が一奴らと遭遇したとしても決して戦おうとはするな。少しばかり強くなったからと言って慢心せず、大人に任せる事。訓練と実戦は違うんだ。もし見かけても、まずは隠れてやりすごすなり、見つからずに上手く逃げること。絶対に戦おうとなんてするな。いいな」


『はい!』


 おれを含め、生徒達の元気な返事が響き渡った。

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