思い出は一瞬のうちに V21.05 最終版 2020年 7月15日 (2010年8月23日V1.1)

@MasatoHiraguri

第1話 はじめに

 日本拳法の技術を教える人はたくさんいるのだから、せめて私はその雰囲気を伝えたい。これが、本書を書いた元々の動機です。


 大学時代、私にはじつに様々な人たちとの出会いや出来事、そして、そこに生まれた多くの思い出がありました。しかし、卒業して三十年という歳月は、まるで 川の流れに浮かぶ落ち葉のような思い出を流し去り、ほんのいくつかの貴重な記憶だけを水の底に残してくれたかのようです。


 この本は、三十年前( 昭和五十一年〜五十五年度ころ) の東洋大学日本拳法部で、私が体験したり考えたりしことを古い蔵から引き出した、いわば三十年ものの酒といえるかもしれません。

 つまらない出来事やバカバカしい行為の数々も、いまこうして思い返してみると、けっこう楽しくもあり、味わい深いものでもあります。

 日本拳法という神聖な武道を行う身でありながら、だぼだぼのズボンに、丈はひざまで、カラーは顎( あご) まである学生服。下駄や草履履きでたばこを吸い、坊主頭の汗くさい体で、周りの人たちから白い目で見られながら道の真ん中を闊歩する。今の若い人からすれば、マナーもセンスも品位もない、いわゆるバンカラ世界のバカ学生です。チャラチャラしたこぎれいな格好でない方がイカしている。粗雑なこと、粗暴なこと、格好悪いことの方にむしろ価値がある。頭は悪くても、気持ちだけは旧制一高の寮歌の一節、「治安の夢に耽りたる、栄華の巷低く見て」のごとく、孤高の士を気取っていたのです。

 

 現在、私は海外に住んでいるため大学とは疎遠になっていますが、そのことによって、私の日本拳法の世界は逆に広がりました。自分の思い出を自分なりのやり方で残そうという強い心が、記憶の底に眠っていた、人や出来事を引き寄せてくれました。自分の過去を自分自身で検証することで、ミイラ化していた記憶は昨日の思い出として甦り、単なる殴り合いの精神は人生哲学となったのです。


 「諸学の基礎は哲学にあり」と、妖怪博士の井上円了氏はいいました。

 私にとっての哲学や思想とは、そこらに転がっているバカ話にこそあるのです。


 2011年2月1日

 東洋大学日本拳法部 昭和五十五( 1980) 年度卒業生 平栗雅人

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