終着駅シリーズ
北風 嵐
第1話 終着駅は始発駅
「ああー、やってられない」と思った。
いくら、グローバルだ、人件費抑制だと云っても、これでは参ってしまう。
高浜健太は大手の商社マンで係長席にある。日本でも5本の指には確実に入る商社であった。大学時代も楽しそうな友を横目に見て、勉学にいそしんだ。入社したことを喜んだ。あれから17年。来年は40になる。
昔は出張となると、喜んだものだ。今や、国内は全て日帰り。宿泊の必要がある時は、宿舎は指定され、宿泊代は会社から振り込まれる。ごまかしもきかない。出張手当は食事代のみとなる。新幹線の交通費は切符で支給され、タクシー代は立て替え払いの後払いである。
妻を愛していないわけではないが、帰ったらともかく眠い。シャワーをあびて、缶ビールで夕食をすまし、ベッドに入る。すぐに寝息を立ててしまう。妻の胸に手をやってもいつしか寝息である。休み前に、たまにことを致しても、最中に課長の顔が浮かんで来る。出社までに調べ物を終えておかなくてはと気がそちらに行ってしまう。商社なんかに入るものではないと思っている。
今回は三泊四日の東北出張である。〈1日ぐらい温泉宿で仕事を離れてゆっくりしたい〉と思ってしまう。昔はそう云うごまかしがきいた。福島は会津若松、新潟、山形のコースである。高浜健太は果樹の買い付け担当であった。
磐梯西線の会津若松を18時34分に出て新津には20時56分に着く列車に乗った。2時間半の車中である。駅弁と缶ビールとウイスキーのポケット瓶を買った。幹線から外れたローカル線は本数も少なく、乗客もまばらで寂しいものであった。
窓際の席についた。喜多方を過ぎると客はまばらになり、四つの席を健太は独占した。この線には支線の廃線跡があったかなぁーと思った。支線でないが旧線跡が確かあった筈だ。高浜の趣味の一つに廃線探訪があった。
小学校3年のとき一家は田舎から大阪に出てきた。そして父と母は場末で小さな商いを始め、少しましな商店街に移り、ささやかな成功をみた。お蔭で、高浜は大学にやって貰えたのだ。当時福知山線と言った。
関西出張のとき、その線に乗ってみたくなった。大阪を出て、尼崎から伊丹を経て宝塚から渓谷になるのだが、その景観が違った。車中の客に訊くと「それは旧線ですなぁー」と答えた。
翌年その旧線跡を訪ねた。一部は整備された遊歩道になっているが、歩くのがやっとの墜道がいくつもあった。生瀬駅 - 道場駅間の武庫川渓流は昔と変わっていなかった。出てくるとき、河原でキャンプをしているのが眺められた。改めて歩いてみて、父や母がいかなる覚悟で出て来たかが分って涙が出てきた。それから病みつきになってしまったのだ。
出張時に調べて、時間をやりくりして廃線跡を写真に撮った。今回はばたばたして調べて来なかったなーと思った。もっとも今回はその時間余裕もないのだが…。
弁当箱を開けて思った。〈仕事に追いかけられなくてよいのはこの車中ぐらいだ〉。新潟での行くところが頭に浮かんだが追いやった。「のんびりすっぺ」。
鹿瀬に着いたところで、酒が切れてしまった。健太は飲みだすと止まらないところがあった。1時間ほど後だが新津行がある。それでもいいかと鹿瀬で降りて6本入りのビール缶を買った。駅のベンチで飲みながら待った。
次の列車が定刻に来た。ほとんど乗客はいない。その列車が長いトンネルを過ぎる
と乗客は誰もいなかった。酔いが回って、暫らくうとうとした。
列車は終着の新津に着いた。と思った。
しかし、とっても寂しい駅だった。新津は以前も来ているが違っている。仕方なしに降りて、改札口を出るときに駅員に、「何と云う駅ですか?」と訊いた。
駅員は「終着駅という駅」ですと答えた。「これから出る列車はありますか?」と聞くと、「終列車です」と無表情に答えた。「泊まるとこはありますか」と聞くと、駅前の建物を指差した。
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