第11話 我行精進 忍終不悔 「精進し、忍耐し、ついに悔いず。」
「やあやあお疲れ様」
気負わず、威張らず、自然体にその男は悔乃と渇虜の前に現れた。
倉居不悔。悔乃と梗乃の兄に当たり、かつては渇虜の友人であった男が一連の騒動に関わっていることを渇虜は心技体の分捕りを通して気付いていたが、悔乃は少しは驚いたようで目を丸くした。
「あらまあお久しぶりですお兄様」
「うんうん久しぶりだねえ悔乃。ちょっと太ったんじゃないか?君は食い意地がはってるからなあ」
「誰のせいだと思っているのです。悔乃が町一つ分のご遺体をモグモグしなくちゃいけなかったのはお兄様がお姉様に感染性の毒を盛らせたからでしょう」
「あれ、バレてる」
「バレバレですよ。あの毒は
「そして僕が嫌いだと。悲しいなあ愛しの妹に嫌われていて悲しいなあ」
「悔乃は怒っています。悔乃に嫌いな食べ物はありませんけれど、飽きると言うことはあるのです。飽食には飽き飽きしてるのです。同じ味ばかり続いてどれだけ胃もたれしていることか。悔乃はお兄様に怒っています」
そう言いながら悔乃は懐から赤い果実を取り出した。
泥がついたままのそれはあの少年に投げつけたものだった。
悔乃はそれをそのまま口に放り込んだ。
「こらこら汚れくらい払って食べなさいよ」
兄妹の会話を静観していた渇虜がようやく口を開いた。
「汚れも美味しくいただきます。お口直しにちょうど良いくらいです。酸いも甘いも美しいものも汚いものも腹に収めれば同じ事なのですから」
「相変わらず君は君らしいね」
「腹ごしらえ、完了です」
言うが早いか悔乃は不悔に飛び込んだ。
「防火・辟易」
悔乃の動きにひるむこともない不悔の詠唱に悔乃の前に不悔を守るように炎が広がる。
「援護する。心技体の分捕りのうち技!」
不悔が溜め込んだそれらの技を渇虜は妨害していく。
分捕っていく。
しかし渇虜の心技体の分捕りのうち技はまだ足りない。不悔が蓄えた技に防御されて、渇虜の分捕りは心技体の分捕りのうち心に届かない。
「溜め込んだなあ不悔」
「倹約家で吝嗇家なのが俺なのさ。お前みたいな野良犬を拾って育てて使うくらいに俺はそういう奴なのをお前が一番知っているだろう、渇虜」
「ああそうだな身をもって知ってるさ」
渇虜は思い出す。不悔と出会った頃を思い出す。お前のような野良犬にはこの獣の毛皮がお似合いだと震える体に雨降る中、投げつけられた日のことを思い出す。
「俺の心はお前が捨てて寄越したものまみれだ。悔乃への情すらも心技体の分捕りのうち心でお前が俺に捨てて寄越しやがった。皮肉なもんだ。捨てたものは捨てておけば良かったんだ。お前のそのケチくささは俺をお前の敵に回した」
悔乃の戦い方は一辺倒だ。
食事に奇をてらう必要などないのだから。
直進、ひたすらに直進。獲物をまっすぐ追いかける。
対する不悔の手数は多彩。心ごと分捕って来たのだろう多くの技で悔乃の猛攻を足止めしつつ、悔乃に攻撃の手を向ける。
悔乃は攻撃を喰らう。完全に無効化は出来ない。それでも軽減は出来る。負荷は確実に蓄積されるが、致命的な攻撃は彼女の前では存在しない。
倉居悔乃が食欲を失わない限りは。
「なあ悔乃。僕が嫌だったのはきみを殺してしまうだろうからであって君に勝てないなんて思ったことはないんだぜ」
「余計なお世話ですお兄様」
「反抗期かい?」
「最初に倉居の家から家出した不良はお兄様なのです」
「そうだったね」
「倉居家を継ぎたいなら継げばいい、あんな家を本当に継ぎたいのなら!」
「……心技体の分捕りのうち心」
とうとう不悔はそれを発動した。
「倉居悔乃の心を分捕る。飽くなき心を。求める心を。渇望する心を。食欲を産み出すその心、分捕ったり」
「…………あ」
倉居悔乃の足が止まる。攻撃技を食べ続けていた食欲が止まる。口が止まる。食らいつくされる。
悔乃は膝をつく。悔乃を突き動かしていたものすべてが止まり消える。その瞳にはうつらない。その耳には聞こえない。その鼻には香らない。その舌には踊らない。その口には何も入れたくない。
もう、食べたくない
「まあこんな悔乃の姿は……うん梗乃ちゃんがやりたくなかったのはさすがの俺でも分かるかな」
不悔はどこか痛ましい顔をした。しかしその歩みは止まらない。倉居の位を倉居悔乃から簒奪するための儀式に移行する。
「あと一歩……」
不悔に見向きもされない渇虜は呻く。あと一手がほしい。不悔が分捕りを使ったと言うことは技の蓄えも底を尽きてきたということだ。
今、渇虜が心技体の分捕りのうち技を不悔に発動すれば分捕りを分捕れる。
しかし悔乃が膝をついている。この状況ではそれが叶わない。
心技体の分捕りは倉居の位が保証する技だ。倉居の人間の求める心が分捕りに力を与える。
悔乃に承認された渇虜が使うにはもう悔乃の意思が足りないのだ。
「有り難くこの首、頂戴していくよ。さようなら、悔乃。倉居の位を僕に譲り、君はどこか美味しいものがある場所で心穏やかに過ごしなさい」
「待ちやがれ」
それは悔乃の言葉ではない。悔乃の言葉はそこまで荒くない。
それは渇虜の言葉ではない。渇虜はそこまで威勢がよくない。
それは名もなき少年の言葉だった。名もなき少年の最期の悪あがきだった。
「……動けない」
不悔の顔から余裕が消えた。
「心技体の分捕りのうち体」
名もなき少年はそう宣誓して前のめりに倒れた。
息も絶え絶え、生きているのもここにいるのも嘘のようだった。
それでも一矢を報いてやった。
「ははは。飼い犬に手を噛まれるとはこのことだねえ……というかどうやったのさ」
「……これはまだお前の承認の元に発動するものだからだ」
「いやはや、この子にはもう心技体の分捕りは遺されていなかったはずなんだけどなあ……」
「俺が今こっそり返した……お前からの承認を保っている分捕りを」
「マジかよ、渇虜」
「なんとなくこうしてくれそうだってコイツを見たら思えたからな」
「相変わらず、俺の邪魔ばかりするなお前は」
「しょうがないだろう。俺は悔乃の師匠だからな。なあ悔乃!」
「……はい、師匠」
悔乃が目を覚ます。内から絶えず湧き出る食欲に分捕られていた悔乃の心が戻ってくる。心技体の分捕りのうち心は結局のところ悔乃の飽くなき食欲の前には発動し続けなければ、その動きを止められてしまえば、ほんの少しの停滞にしかならないのだ。
「心技体の分捕りのうち技」
渇虜は分捕りを発動、不悔からすべての技を分捕った。
「お前が悔乃に害成すなら、俺はお前の邪魔をする」
「そうかい。残酷な男だねえ」
「死ななくていい命がずいぶん増えた」
「お前にだけは言われたくないよ……悔乃を生かし続けるお前だけには」
「うん。おっしゃる通り」
「悔乃を生かすということは悔乃に食べさせていくということは屍山血河の山を築くということだ。地獄を作り続けるということだよ、渇虜。師匠などと呼ばれていい気になってそんな行いを続けるのか」
「兄様にとってどう見えるかは分かりませんがここは悔乃にとっては餓鬼道なのです。だからそれを克服するのです。餓えを忘却する日のために悔乃は諦めません。何もかも食べ尽くした先に地獄があるのならそれもまた一興なのです。それは動くことが出来たということなのだから、餓鬼道からの脱却を意味するのだから」
「しかと見ろ、こいつこそが人の世に産み落とされた、餓鬼の申し子。悔乃が悔いるはその前世の行いよ」
「しかしそれは俺にとっては今世なのだ」
不悔は忌々しげだった。
渇虜は溜飲を下げる。
「お前のそんな顔見れるとは思わなかったよ、親友」
「いただきます。お兄様」
「食べるのかい?肉親を」
「そうですね血は水より濃いと言います。濃いそれはきっと何より美味しいのでしょう」
悔乃の向けるほほえみは不悔のそれによく似ていた。
「さようなら、お兄様、きっと仏になんてなれないお兄様。また来世どこかの地獄でお会いしましょうね」
血にまみれた悔乃はぼうっと遠くを長めながらぽつりぽつりと呟いた。
「……梗乃お姉様が他人より身内を殺す派なら、不悔お兄様は身内より他人を殺す派でした。そんなお兄様が悔乃を殺そうとするくらい倉居の位はよいものなのでしょうか、師匠。悔乃はその座につきながらその役目は放棄しています。だって悔乃は喰らってしまうから。分捕りのすべてを消化してしまうから。だから師匠が代わりにやってくれています。ねえ師匠、それはそんなに良いものですか?」
「さあなむしろ悪いものだからこそあいつは……いや何でもない」
それはもはや言っても栓のないことだった。だから渇虜は話を変えた。
「悔乃ちゃんはもしそうだとして不悔を許せるかい?」
「無理ですね。食べ物の恨み以上に失われたものへの怒りがあります。悔乃はあんな美味しいものを簡単に廃棄物に仕立て上げてしまうお兄様は許せません」
「だったらそれでいいのさ」
「……」
悔乃はようやく少年を見た。
知っているはずなのに知らない少年がそこにいた。
渇虜は分捕ってきた技でそれを悟る。
悔乃もその食物への嗅覚で承知したことだろう。
それでも悔乃は何にも負けず宣言した。
何度も繰り返したその言葉を心のままに告げた。
「あなたはとっても美味しそう」
少年には分からないことはいっぱいあったのに口から出たのは一番どうでもいい疑問だった。
「ねえ悔乃さん、どうして僕なんかが美味しそうだったんだ?」
「よく言うじゃないですか。他人の不幸は蜜の味って」
言葉の意味とは裏腹に悔乃の笑顔は屈託がなかった。
「だから平らげるのです。あなたの不幸も何もかもこの倉居悔乃が食い尽くします。あなたたちの不幸は蜜の味です」
「……君が言うとなんだかいい言葉みたいだね」
「何を言っているのですか、美味しい話に悪いことなんてありませんよ」
「そっか」
それは素晴らしい考え方だね。うらやましいよ。
君にとってそれが真実だと言うことが何より素晴らしいね。
だから少年は申し訳ないと思った。
悔乃の笑顔が余りにまぶしかったから、少年はもうそれだけで幸せな気分になって、だからきっと不幸の味はしないだろう。
蜜の味などしないだろう。
美味しくない人間でごめんなさい。
「悔乃さん。僕を食べていいから僕の家の人たちをお願いします」
「ああ、食べ遺しがあったのですね」
少年が来た道を悔乃は遠く見つめた。
「兄様の技の一つでできた結界があったのですね。今なら感じます。まだあんなに多くの毒の犠牲者がいるのですね。分かりました。先に食べてきます。雨も上がりそうでそろそろよそから人が来てもおかしくありません。その人たちに害なす前に仕上げをいただいてきます」
「師匠、行ってきます」
「はい、行ってらっしゃい」
「さようなら、名もなきあなた」
「さようなら、悔乃さん」
悔乃が遠ざかる。
食い扶持を捜して遠ざかる。
約束を守るために。
この近辺にある不幸全てを腹に収めるために。
遠く遠くなる。
そうして悔乃は視界から消えてしまった。
「渇虜さん、貸してくれてありがとうございました。お借りしていた分捕りの体を返します」
「別に俺はお前が持っててもいいんだぜ?」
「ダメですよ。僕らはもう死んでしまうのだから。このまま持っていたら、また欲しくなるあなたの体も悔乃さんの体も何でもいいから欲しくなる。魂が求めてしまう。だから返します。返させてください。悔いのないよう返したい」
「そうかいそうかい。殊勝なことだ。すばらしい」
「僕らの体も悪いものになってしまった。どうかお願いします。すべての処理を」
「了承した。悔乃が喰らい尽くすよ、君の大事な人たちの亡骸、全部な。犬の子一匹残さず平らげる。含んだ毒ごと平らげる。そのために俺たちはこんな辺境の町まで迷子になりながらも来たんだから」
「ありがとう」
雨が止んだ。
言いたかったことも。
聞きたかったことも。
やりたかったことも。
全部止んだような気がした。
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