冬の章・05 ミルクティーと缶コーヒー

 飛沢の気遣いのお陰で、心はホカホカと温まったものの、やはりここは夜中の冬空の下。やはり寒いものは寒い。

 マフラーのお陰でずいぶん温かいが、冷たいベンチとアスファルトから深々と冷気かわ伝わってくる。

 デザイン重視の薄手の手袋は、ちっとも寒さから守ってくれない。

 凍えた指先を暖めようと息を掛けるが、あっという間に白い蒸気となって霧散してしまう。

 先生は、寒くないのかな。

 ちらりと、飛沢の様子を盗み見ると、再び携帯電話を取り出し連絡を取っていた。タクシー会社に配車できないかを聞いているようだ。

 しかし、電話が繋がらないか、配車ができないとの返答しか返ってこないのだろう。無言で通話を切ったり、二、三言話して溜め息を吐いたり。

 時折、手のひらを開いては握り締める仕草をしている。かじかんだ手をああして解しているようだ。

 当たり前だけど、飛沢も寒いのだろう。

「……ちょっと、飲み物を買ってきますね」

 少し離れた自動販売機を指差しながら声を掛けると、携帯電話を耳当てながら飛沢は小さく頷く。

 ひなたは自動販売機に駆け寄ると、しばらく迷った挙げ句、飛沢に缶コーヒー、自分にはミルクティーを買うことにした。

 普段、飛沢が飲んでいるものは、大抵ミルクも砂糖も入れない珈琲だ。残念ながら、この自動販売機にはミルク無し無糖がないので、微糖のものを選ぶことにする。

 熱い飲み物を抱えて戻ると、飛沢はまだ根気強く、電話を掛けていた。

 ひなたは飛沢の隣に座ると、二つの飲み物を抱えて空を見上げる。

 頭上に広がる夜空は、心なしか、いつもより星が多い。恐らく、周囲の外灯が少ないせいもあるのだろう。

「……駄目だな」

 やはり、タクシーはつかまらないようだ。疲れたように飛沢は項垂れる。

 そんな飛沢に、ひなたはそっと缶コーヒーを差し出した。

「あの、先生。よかったらどうぞ」

「え……ああ」

 驚いたように目を見開く。ひなたが差し出した缶コーヒーを戸惑いつつも受け取ると、不意に表情を和らげる。

「温かいな……ありがとう」

 凍えた手を暖めるように、缶コーヒーを両の手で包み込むと、微かにはにかんだ。

「いえ、どういたしまして……」

 途端、胸の鼓動が速くなる。

 なんなの……今のは。

 ひなたは動揺しつつ、平静を装ってミルクティーのボトルを握り締める。

 まだ動悸が止まらない。何だか指先まで震えてきた。取り敢えずミルクティーを飲んで気持ちを落ち着けようとするが、手に力が入らなくて、ボトルの蓋が開かない。

 蓋を相手にしばらく格闘していたが、それに気が付いた飛沢が手を伸ばす。

「山田さん、貸して」

「は、はい」

 反射的にボトルを手渡すと、飛沢は蓋を握り締めた。パキリ、と小気味良い音を立てて蓋が開く。

「どうぞ」

 蓋を軽く閉め直し、ひなたにボトルを差し出した。

「ありがとう……ございます」

 まだ震える手で、それでも落とさないようにしっかりと受け取る。

 なんか、よくわかんないけど……緊張しているのかな?

 心を鎮めようと、ミルクティーをひと口飲む。甘さが口の中で広がり、温かさが喉を伝ってお腹の中に落ち着く。

 少しだけ、気持ちの方も落ち着いてくれたような気がする。

「山田さんは、ミルクティーが好き?」

「はい……甘いものが好きなので」

「確かに、ここ最近はいつもミルクティーを飲んでいる印象があるな」

 まさかそんなところまで見られていたなんて。恥ずかしいのと同時に、他におかしな行動を取っていないか不安になってきた。

「……色んなところから出ているから、どれが一番美味しいか飲み比べしていました」

 言い訳を口にしたものの、食い意地が張っているようにしか思えない理由である。後悔しても、もう遅い。

「一番は見つかった?」

「それが……三つまで絞れたんですけど、一番がなかなか決まらなくて……」

「どれもそれぞれの美味しさがあるというわけか」

 飛沢は納得したように頷く。缶コーヒーをひと口飲むと、手にした缶を繁々と見つめる。

「缶コーヒーも最近はよく飲むが、どれが一番旨いかなんて気にしたことがなかったな」

 馬鹿にしたりせず、真面目に答えてくれるのが、いかにも飛沢らしい。だから、つい気が緩んだのかもしれない。

「わたしが、単に食いしん坊なだけなんです。友達にも笑われたくらいですから」

「食いしん坊……」

 飛沢は、そう呟いたきり無言になってしまった。

 わたしってば……また余計なことを!

 余計なことを言わなければよかったと、再度後悔しかけた時、隣で飛沢が肩を震わせていることに気が付いた。

「あの、先生?」

「いや……すまない。その、食いしん坊がツボに入って……ふ、ふっ」

 笑いで震える声で説明してくれるが、最後まで言葉にならず、堪えながらも笑っている。

「そんなに、おかしいですか?」

「おかしいというか、かわ」

 不意に言葉が途切れた。

 それが、あまりにも不自然だったので、つい訊ねてしまう。

「おかしいというか、何ですか?」

「……いや、何でも…………ああ、いや、その」

 一瞬の沈黙の後、飛沢は吹っ切れたように低く笑う。

「……おかしいというよりは、可愛いと思ったんだ」

「え」

 予想外の飛沢の言葉だった。

 何がどうこう思う前に、夜風で冷えていた頬が一気に熱を持つ。

 順也は口癖のように「可愛い」と口にするから、最近は軽く受け流している。しかし、飛沢の口からそのような言葉が出てくるのは、恐らく初めてではなかろうか。

「えっと…………あの……」

 こういう時は、どう返事をすればいいのだろう。

 ありがとうございます?

 滅相もございません?

 光栄でございます?

 どれを選んでもおかしい気がする。

「しかし、ずっとここに座っているわけにはいかないな。タクシーがまったくつかまらないんだ」

「え、そ、そうなんですか?」

「だから、二駅戻ろうと思う。ここより開けているから、漫画喫茶やファミレスもある。それに、移動しながらの方がタクシーもつかまるかもしれない」

「は、い」

 話題が突然切り替わったものの、まだ頬の熱が治まらない。反して飛沢は、まったくいつも通りだ。

「ところで山田さん、ご家族に連絡はした?」

「……あ!」

 まだ連絡していなかった。というか、すっかり失念していた。

 慌てバッグから携帯電話を取り出すと、着信履歴が15件入っている。

「まだ……連絡していませんでした」

 お陰で一気に体温が下がった。すっかり青ざめたひなたは、携帯電話を手に途方に暮れる。

「心配しているだろうから、早くした方がいい」

「はいっ」

 慌てて自宅の電話番号にコールしながら、さっきのは夢だったのではないかという気がしてきた。

 でも、飛沢の低く柔らかな声が、まだ耳に鮮明に残っている。

『おかしいというよりは、可愛いと思ったんだ』


 駄目だ……また緊張してきたよ!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る