秋の章・05 消しきれない思い

『この間の結婚式での写真です。友人が激写したものです。映画のワンシーンみたいで素敵でした』

 こんなメッセージを添えて、友紀からメールで画像が届いた。

 何気なくメールを開いて、危うく携帯電話を取り落としそうになる。

 友紀の友人が撮った写真。それは、誉とひなたがブーケのやり取りをしているシーンであった。

 降ってきたブーケを手にして、驚いている誉とひなた。笑うひなたに、戸惑いの表情の誉。そして。

「……」

 ブーケを手渡しする自分の姿に驚愕する。

 慈しむような、蕩けそうな表情で彼女を見つめているこの男は一体誰だ。とてもじゃないが自分だとは思えない。

 能面、鉄面皮、仏頂面、無愛想、ポーカーフェイス……これらの形容詞を掲げていた自分は、どこへ行ってしまったのだろう。

「駄々漏れじゃないか……」

 彼女への気持ちが。何が鉄壁のポーカーフェイスだ、笑わせる。

 恥ずかしい、恥ずかし過ぎる。こんな顔を表に晒していたのかと思うだけで、血の気が引く思いである。

 このままではいけない。気を引き締めなければ。彼女ひなたの前では特に、特にだ。

 誉は密かに決意する。こうなったら篠原の合コンでも何でも積極的に参加をし、交際をしても問題のない相手を探してみせるぞと。

 もう一度、携帯電話の液晶画面に映る自分たちを改めて見直す。

 即刻こんな画像は削除するべきだ。

 削除しようと液晶画面に指を滑らせるが、最後の「削除」に進めない。

 躊躇う指を、無意識に固く握り締める。

 ……思い出くらい、いいだろうか。

 未練がましいとわかっている。わかっているが、あの時の彼女の姿がこうして手元にあるのは嬉しくもある。

 それに、液晶画面に映る、いつもとは違う自分たちの姿に気恥ずかしさを覚えつつも、こうして見ると恋人同士にも見えなくもない……なんて柄にも無いことを思ってしまう。

 この画像が他に広まることはないだろう。携帯電話のフォルダの片隅に入っているくらいは許されてもいいのではなかろうか。

 もう少しだけ、彼女の姿をこの手の中に留めておきたいと、思ってもいいだろうか。


* * * *


 あっという間に金曜日がやってきた。

 場所は新宿の某雑居ビルのビストロで、現地集合とのことだった。誉は十九時に大学を出ると、満員電車に揉まれながら新宿の地にたどり着いた。

 残念ながら書店に立ち寄る時間はなさそうだ。仕方なくまっすぐ店のあるビルへ向かうことにする。

 金曜日の夜というせいもあり、道路は行き交う人々で溢れていた。社会人だけではなく、学生の姿も多い。目的のビルにたどり着くと、エレベーターの前はかなりの行列が出来上がっていた。

 これは乗り込むまで時間が掛かりそうだ。時間を確認すべく携帯電話を取り出すと、ちょうどいいタイミングで着信があった。

『もう店の中にいるよ。誉くん、今どこら辺?』

 言わずもがな、相手は篠原である。声の背後からは、微かなピアノの音とざわめきが聴こえる。

「今、ビルの下まできた」

『了解でーす。待ってるね』

 通話を切ると、小さく欠伸をしながら空を仰ぐ。見上げても視界を埋め尽くすビルビルビル……。喧噪に包まれた夜の街に出向くのは、思い返してみればずいぶんと久しぶりだ。

 たまにゼミの学生たちと飲みに行くこともあるが、年に数える程度だ。あとは文学部の年が近い教員や、篠原と飲みに行ったりするものの、すべて大学の周辺の居酒屋。改めて己の行動範囲の狭さを自覚する。

 数年前は篠原主催の合コンもどきに顔を出していたが、あまりものテンションの高さに辟易して、以来誘われても断り続けていた。

 ……もしかして、今日も来ているのだろうか。

 篠原の大学時代の友人で、毎回篠原が開く合コンにやってくる女性。彼女のことを思い出したら、急に帰りたくなってきた。その上、ビルに入るまでの長い行列を目の当たりにしたら、さらに帰りたい気持ちが強くなる。

 しかし、土壇場でキャンセルするのは今回の会合を企画した人物に――恐らく篠原であろうが――迷惑を掛けるのもどうかと思う。いや、たまには迷惑を掛けてやるのも一興かもしれない。

「あれ、先生?」

 どこからともなく聞き覚えのある声がした。反射的に振り返ると、人混みの中、ひときわキラキラとした青年の姿を見つける。その青年は、誉がよく知る人物であった。

「――小原くん?」

「奇遇ですね」

 イケメン青年、小原順也。彼は彼に相応しい爽やかな笑顔を浮かべる。

「先生も飲み会ですか?」

「あ、ああ」

 とてもではないが、合コンだなんて言えない。

 この場に篠原がいなくてよかった。もしいたら「うん、これから合コンだよー」と聞かれもしないのに言うに決まっている。

「先生はどの店ですか?」

「……このビルの六階の、名前は忘れたがビストロだ」

「いいなあ、僕らはチェーン店ですよ」

 順也は全国展開をしているチェーン居酒屋の名を口にした。同じ店ではなくて良かったと、内心安堵する。

「私も学生の頃はよく行っていたよ」

「へえ、そうなんですか。あ――すみません」

 順也はジーンズのポケットから携帯電話を取り出した。どうやら着信があったらしい。

「あ、ひなたちゃん?」

 不意に彼女の名前が出てきて、どきりとする。

「どうしたの? え、場所?」

 もしや順也と約束をしているのだろうか?

 心臓の鼓動が、次第に速くなってくる。

 別におかしいことではない。同じ学生同士、飲むことだってあるだろう。

 自分に言い聞かせるように頭の中でくり返す。だが、胸に何かが詰まっているかのように息苦しい。

「うん、うん……じゃあそこ動かないで。すぐ迎えに行くから」

 会話を終えた順也は、携帯電話をジーンズのポケットに納める。

「先生、じゃあまた」

「ああ」

 列から抜けた順也は小さく手を振ると、背中を向けて小走りで人ごみの中へと消えていった。

 いつの間にか、二人は飲みに行くくらい親しくなっていたようだ。二人とは限らない、サークルメンバーたちも一緒なのかもしれない……なんて色々と自分の都合のよい方へと考えるが。

 そうだ。そもそも、彼女の気持ちが自分へ向くはずがないのだ。

 だから気持ちを断つも何も、いつか彼女にも相手ができるだろう。その姿を目にしたら、嫌でも諦めがつくはずだ。

 きっと、その日は……そう遠くはない。

 この人の波の向こうにいるだろう、彼女の姿を思い浮かべながら、誉はそっと目を伏せた。

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