夏休みの章・04 廣瀬さんの結婚式

「だだいまー」

 家に戻ると、意外な人が訪れていた。

「おじいちゃん?」

 数日前に会ったばかりの祖父正二が、リビングのソファに、我が物顔で座っている。

「ひなた、おかえり」

 老人ホームに入所している正二だが、年に一、二度我が家に訪れることがある。

 詳しいことはよくわからないが、住居型と呼ばれる老人ホームは認知症でなければ外出も許可されているらしい。

「おじいちゃん、今日はお泊まりの日だっけ?」

 お盆休みも来たばかりだったから、それは違うだろうと思いつつも訊ねてしまう。すると母さと子は苦笑しながら首を振る。

「ううん、紋付袴探しに来たんだって」

「紋付袴?」

 どうしてそんなものが必要なのだろう。そもそも、我が家にそんなものがあったのだろうか?

「ホームの職員さんの結婚式があるんだって。おじいちゃん、代表で出席することになったらしいんだけど」

 ホームの職員さんの結婚式。

 さっきまで一緒だった飛沢の顔が浮かぶ。そして。

「この間おじいちゃんが話していたでしょ。覚えてる?」

 覚えているもなにも。

「ああ……うん。廣瀬さんだよね」

「そうそう廣瀬さん、よく名前覚えていたわね」

 感心するように、さと子は言う。

 覚えているもなにも、あの日から、ずっと頭の中から消えてくれない。

「お母さんは背広がいいんじゃないのって言ったんだけど、おじいちゃんってばどうしても紋付って言い張るのよね」

 弟の祥太郎と野球中継を観ながら盛り上がっている正二の姿に目をやると、さと子は軽く首を竦める。

「親族じゃないんだから、紋付袴姿は仰々しすぎる気がするし、紋付だって何年もしまいっ放しだし。もしかして虫にやられて穴が開いているかもしれないし……」

 まだ話でしかなかった結婚式が、やけに現実味を帯びてきた。複雑な気持ちで話を聞いていると、さと子は外したエプロンを、ひなたの手の中に押し付けた。

「ちょっと探してくるから、ご飯の仕度の続きをお願い」

「うん、わかった」

「今お鍋に豚汁を作っているから、お味噌を入れといて」

「はあい」

「先におばあちゃんから貰ったお味噌から使ってね」

 ちなみに、おばあちゃんとは父方の祖母だ。父方の祖父母は健在である。

「はーい」

 言いたいことを言い終えると、さと子は慌しく二階へ上がっていった。

 言われたとおりに冷蔵庫から祖母が作った味噌を出すと、ガスコンロの上に乗った鍋の蓋を開けてみると、わっと熱い湯気が立ち込めた。

 山田家では、暑い時期に熱いものがよく食卓に上る。夏場の方が身体が冷えるからと、さと子は言っているが、単に自分が好きなメニューだからであることを、家族はみんな知っている。

 額に汗を滲ませながら味噌を溶いていると、ソファに腰を掛けていた正二がくるりと振り返った。

「おおい、ひなた」

「なあに、おじいちゃん?」

「ひなたも行かないかい?」

 唐突な誘いに首を傾げる。

「どこに?」

「結婚式だよ、廣瀬さんの」

「……え?」

 廣瀬さんの、結婚式?

 頭が理解するまで、数秒の時間が必要だった。

「え、あの、おじいちゃん?」

 廣瀬の結婚式ということは、飛沢の結婚式ということだ。ひなたの混乱に気が付くことなく、正二は話を続ける。

「実は一緒に行くはずの職員さんが、急な用事で行けなくなってしまってな」

「で、でも、どうしてわたしと?」

「花嫁のブーケを貰うと、次に結婚できるだろう?」

「え、ああ……うん、そう言うね」

 正二はブーケトスの話をしているのだろう。

「ひなたの花嫁姿を早く見たくてな」

 器用に片目を瞑ってみせる。つまりウインクだ。すると、隣で黙って話を聞いていた祥太郎は呆れた顔になる。

「じーちゃん、気が早すぎ。ひな、まだ二十歳にもなってないのに」

「いやなに、おじいちゃんの時代は、二十歳になる前に結婚するなど当たり前だったぞ」

「時代が違うし。それに、ひなは結婚の前に彼氏作らないと」

「うるさいな。大きなお世話!」 

「なんだ。まだ彼氏もおらんのか。早く作りなさい、そしておじいちゃんに早く花嫁姿を……だが先に孫は駄目だぞ」

「お、おじいちゃん?!」

「冗談だよ、冗談」

 ハハハ、と正二は豪快に笑う。

「ちゃんと廣瀬さんから、ブーケを受け取るんだぞ」

「う、うん」

 勢いに押されて、つい頷いてしまった。これでは結婚式に行くことを承諾してしまったと同じこと。

「結婚式は再来週の土曜日だ。始まるのは十一時からだから、十時にホームに迎えに来てくれ。そうだ。ひなたの服も用意しないとな。ひなたはピンク色が似合うかな。来週おじいちゃんとデパートへ買いに行こう」

 正二の頭の中では、もうすでにひなたと一緒に結婚式へ参加するつもりらしい。嬉しそうに計画を立てる祖父の様子を見ていたら、行かないなどと言えなくなってしまう。

「おじいちゃん、わたし……」

 行きたいような、行きたくないような。どっち着かずのまま、話はどんどん進んでいく。

「よし、ひなたが一番可愛く見える服を選ばないとな」

「じーちゃん、結婚式の主役は花嫁さんだからさ」

 孫馬鹿の祖父に、見かねた祥太郎が突っ込みを入れる。しかし正二も負けてはいない。

「いいんだ。おじいちゃんは、ひなたが一番可愛いのがいいんだ」

「孫馬鹿だ……」

 祥太郎は呆れたように呟きながら、大袈裟に仰け反った。

 先生の結婚式に、わたし……行くの?

 まるで他人事のように、ひなたは茫然とこの状況に飲まれつつあった。




*** 秋の章へ続く***

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