夏の章・15 懐かしい空色の

 九月に入り、長い夏休みも終わりが見え掛けてきた頃、自宅のポストには結婚式の招待状が届いていた。

 無論、父圭介と友紀からである。

「いよいよか」

 誉はひとり苦笑すると、乳白色の封筒の封を開いた。

 誉自身が結婚するという噂は、ここ最近はすっかり鳴りを潜めたが、案外長く続いていた。しかし律儀に否定していくと、徐々に気の毒な人扱いをされていったらしい。

 最終的に加納教授に「君には申し訳ないことをしてしまった。お詫びにお見合いでももセッティングしようか?」と、妙な責任を感じられてしまったのは、ここだけの話である。


* * * *


「あっ」

 キャンパス内を移動中、聞き覚えのある声が誉の足を止めた。

 今日は一般者向けの公開講座が開催されている。講堂からは幅広い年齢層の人々が次々と流れ出してくる様子が見える。人の波を縫うように近づいてくる人物の姿に、誉は思わず目を剥いた。

「廣瀬さん」

「こんにちは」

 友紀は笑顔で歩み寄ると、「この間はありがとうございました」と頭を下げる。

 長い髪を無造作にアップにし、カットソーとジーンズといったシンプルな出で立ちだが、スタイルもいいせいか妙に目立つ。

 思いがけない友紀の登場に怯んだものの、別に後ろめたいことなど何もない。こちらが狼狽えれば、また周囲におかしな勘ぐりをされかねない。

 自然に、自然に振舞おう。

 怯む心を奮い立たせると、眼鏡のフレームを人差し指で押し上げる。

「こんなところで……奇遇ですね」

「はい。先生から、誉さんがお勤めの大学で公開講座があると聞いて。で、受けてみたいものがあったので、思い切って申し込んでみたんです」

 受講したのは、老人介護についてだと語る。

「私、介護職に付いているものですから興味があったんです。今日はお休みを貰って来ちゃいました

 まるで誉の疑問を読み取ったかのように、すらすらと答える。

「介護職、だったんですか?」

「ええ、老人ホームに勤務していますって……最初にお会いした時にお話しましたよ?」

 誉が覚えていないとわかっていたのだろう。苦笑を交えて言葉を添える。

「申し訳ない……」

 知らぬ間に滲んだ冷や汗を拭う。

 確かに覚えていない。親子ほど歳が離れた相手が父の結婚相手という衝撃ののせいで、細かい話はまったく覚えていなかった。耳からすべて素通りしたと言っても過言ではない。

「たまにはこうして講義を受けるのもいいものですね。学生に戻ったみたいです」

 少々重たくなった空気を変えるように、友紀はニコリと笑った。

「……楽しんでいただけて、何よりです」

「学生気分ついでに、学食に行ってみたいんですけど、どこにあるのですか?」

「ああ、学食ですね。確か今日はやっているはずです」

 いい加減、コンビニの弁当ばかり飽きていた。学食の営業スケジュールをチェックしていたから間違いない。

「この道を真っ直ぐ行きますと」

 誉は視線を遠くすると、講堂から真っ直ぐ続く道を指差した。

「突き当たりにある噴水を左に曲がり、職員棟を通り抜けたところにあるのですが……」

 ぶつぶつと呟きながら、はたと気がつく。この際、一緒に学食へ行った方が話が早いのではなかろうかと。

 しかし学食で二人で食事などしていたら、またよからぬ噂が立つのではなかろうかと頭をかすめたが、どうせ噂など七十五日経てば忘れ去られるのだから問題ない。

 それに、これから飛沢家の一員……一応は義母という立場になる友紀とも必要以上に親しくなる必要はなが、そこそこ良好な関係を築きたいものである。

「もしよろしければ、一緒に行きませんか?」

「いいんですか?」

「ええ」

「よかった。若い人の中で一人で行くのは、ちょっと心細くて」

 友紀の顔に安堵の色が宿る。

「では、行きますか」

「はい」

 肩を並べて歩き始める。空には眩しい太陽と、澄み渡った青空が広がっている。暦の上では秋を迎えたが、まだ白い入道雲が浮かび、まだまだ夏の気配が強い。

 友紀が、歩きながら手にした日傘を、ぽんっと開く。柔らかな空色の日傘は、どこか懐かしい気持ちを覚える。

 ああ、そうだ。

 誉は思わず目を細める。

 彼女ひなたが貸してくれた傘も、確かこんな色だった。

「招待状、届きましたよ」

「はい、送らせていただきました」

 友紀は照れくさそうにはにかんだ。

「結婚式、楽しみにしています」

「ありがとうございます」

 噛み締めるように友紀は呟くと、泣き出しそうな笑みを浮かべた。




*** 秋の章……の前に、夏休みの章へ***

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