第302話 さらば、愛しい仲間たちよ
嫌な予感がする。
レイが前線から戻ってきて、ハワードの件を聞いた時に初めにそう思った。決して特別な何かを感じ取ったわけではない。
しかし、今までの敵との戦闘を経てハワードが戦っている相手は普通ではないのだと理解した。曰く、魔術の兆候もなく次々と味方が死んでいったとか。
そしてハワードは時間を稼ぐためにたった一人で戦っている。
その話をした兵士は震えていた。それは生き残った安堵感とハワードへの罪悪感からだと嗚咽を漏らしながら語っていた。逃げるべきか、それとも一緒に戦うべきだったのか。
そんな後悔を漏らしていた。
「師匠ッ!! 先に行きますッ!!」
「レイッ!! 待て──」
レイは話を全て聞くと、すぐに基地を飛び出していった。先ほど任務が終わって疲労も残っているというのに、彼は全速力でハワードのいる場所へと向かう。
身体強化をフルに発動して、疾走していく。
すでにリディアの声は聞こえなくなっていた。今まで、リディアに逆らったことなどない。文句を言う時もあったが、それでも師匠の言うことは絶対だからと思い、レイは彼女に従ってきた。
だが今は違う。
このまま悠長に救出部隊を組んでいては時間がないと思ったのだ。レイはその直感はおおよそ的を射ていた。ハワードは現在、ギリギリの状態で戦っている。
また彼は報告を分析することで、今回の敵は七大魔術師を二人も屠った相手であろうと予想していた。そろそろ出てくる頃だろうとは思っていたが、まさか後方に出現するとは思ってもみなかった。
「……ハワードッ!!!」
脳内に過ぎる最悪の可能性を拭い去るようにして、ハワードの名前を告げる。
──どうして、どうしてこんな時にこんなことを思ってしまうんだッ!!!
内心で吐き捨てるように呟くレイ。
彼はどうしてか、脳内で勝手に今までのハワードとの思い出が過ぎっていくのだ。ずっと気にかけてくれていた。レイが自分というものをはっきりと持つ前から、彼は優しく接してくれた。
一緒にご飯を食べ、筋トレをして、遊んだりもした。数多くの任務もこなしてきた。
極東戦役が終われば、みんなで旅行に行こうという話もした。
ハワードは強い。だから絶対に死ぬわけがない。
そんな希望的観測を抱きながら、レイは疾走していき──ついに補足した。
「ハワードオオオオオオオオオオオッ!!!」
ハワードの姿を視界に捉えた瞬間、レイは思い切り叫んだ。
なぜならばもう、ハワードは死にかかっていたから。右目は潰れ、左腕は肘から先がない。それに加えて、胸にも大きな穴が開いていた。
しかしレイはまだ間に合うと思っていた。いや、絶対に間に合わせてみせると。こんなところで大切な仲間を失うわけにはいかない。そんな想いからレイはすぐさまハワードに駆けつけようとした矢先、ちょうど敵であるフィーアを捕捉。
「……ッチ。ここでこいつが来るのか。ここは──」
ボソリと呟くとフィーアはまるで姿を消すようにして、去っていった。レイの右手にはすでに冰剣が握られていたが、彼は外敵の存在が確認できないと分かるとすぐにハワードへと寄り添う。
「ハワード! 大丈夫だ! 絶対に間に合わせるッ!!」
レイはすでに分かっていた。
もうハワードが間に合うことはないのだと。すでに死の淵にいる彼を見て諦めないのはやはり……レイにとって、ハワードが大切な人だったから。
今まで数多くの死を見てきた。だが、彼が心から愛する人が死にかけているのを目撃するのは初めてだった。
「レイ……」
「ハワードッ!! 喋るなッ!! 絶対に、絶対に助けるッ!!」
まずは状態を確認。欠損している箇所からの出血が激しい。血止めはしているようだが、すでに力の抜けているハワードは自分の力で血を止めることはできない。
とめどなく溢れる血溜まりの中で、レイは懸命に治癒魔術をかける。
「止まれッ!! 止まれッ! 止まれよおおおおおおおおおおおおおおッ!!」
レイは魔術に長けている。その技量はすでに七大魔術師の中でも最強と謳われているリディアに匹敵するほど。そんな彼は治癒魔術も苦手としていない。今まで数多くの戦場で、傷を負った兵士たちを治療してきた。
慣れている。
そう慣れてしまっている。
だからこそ、間に合うかどうか……その判断もついてしまう。
分かってしまうのだ。
「ハワードッ!! 大丈夫ッ!! 絶対に大丈夫だからッ!!!」
ポタポタと滴るのは、レイの涙だった。もう分かっている。悟ってしまっている。決して間に合うことはないと。
魔術は万能ではない。
全てを救うことなど、できはしない。
それでもレイは諦めることなどできなかった。そんなことなど、できるわけが……ない。それは誰よりもハワードを大切に思っているから。
「レイ……もう、いい……」
残っている右手をなんとか動かして、ハワードはレイの小さな手に触れる。レイもまた、そんなハワードを見て自分の手を止める。彼はぐしゃぐしゃの顔でハワードと視線を交わす。
「ハワード……そんな、だってッ!! だってッ!!」
そしてハワードは最期の言葉を紡ぐ。
◇
どうやら、ここまでみたいだな。
完全に感覚は無くなっている。さっきまであった激痛も嘘みたいに無くなっている。でもこれは、レイが治癒魔術をかけてくれたおかげじゃないことも分かっていた。
これは死が迫っているから。
あまりに血を流し過ぎて、感覚が無くなってきているんだろう。でも……それはもう、受け入れた。
だっていうのによぉ……レイが泣くんだよ。
レイが泣いた姿は一度だって見たことはない。ずっと気丈に振る舞って、俺よりも大人みたいなやつだと思っていた。魔術だって、頭脳だって、その全てが圧倒的で天才の中の天才ってやつはレイみたいなやつだと思っていた。
そんなレイは、まるで子どものように泣いているんだぜ?
信じられるか?
と、そんなことを思った瞬間。俺は悟る。
そうだ。レイはまだ、子どもなんだ。そんな子どもが泣くのは当たり前だろう。この時俺は、初めてレイの素顔のようなものを見た気がした。それに、ここまで涙を流してくれるのが嬉しかった。
神ってやつは、本当に粋なことをしてくれる。
最後にレイと話をできる機会を与えてくれたんだからな。
「レイ……」
「ハワード……俺が、俺がもっと早くきていれば……ッ!!!」
「そんなことは……ない。これは……俺が未熟だったからだ……」
「違う、違う、違うッ!! 全部俺が、俺が悪いんだッ!!」
「レイ」
ギュッと最後の力を振り絞って、俺はレイの手を握る。
「そんなことは……ない。お前は最善を尽くしている。だから……そんなに自分を責めるな……」
「だって……だってッ!!」
「今のお前に聞き分けろと言っても……難しい話だが……いつか、分かる日が来る……いつかきっと……」
「う、うぅ……うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!!」
レイの慟哭がはっきりと感じることができる。
おいおい。そんなに泣いたら、涙が枯れちまうぞ? 全く。レイは本当にこんな一面もあったんだな……あぁ。そうか……最後に俺はそんなことを思い始めていた。
「レイ……」
「……」
涙を流しながら、レイは俺と視線を合わせる。といっても、俺は片目が潰れているから残っている目でなんとかレイの姿を見つめる。
「今まで……本当に、本当に……ありが……とう」
「……ハワード。俺だって、ハワードにはたくさんのことを教えたらった……俺だって、感謝してるよ……ありがとう。ありがとう……ハワード……本当に……」
「あぁ……そう言ってもらえると嬉しいなぁ……」
そして俺は残っている力を振り絞って、過去の話をした。レイと出会って、馬鹿なこともたくさんした。エインズワースや他のメンバーに怒られるようなこともしたな。
それでもそこには笑顔があった。
俺はレイの家族になりたかった。家族は別に血がつながってなくてもいい。ただお互いが家族だと思えば、俺たちは……家族になれるのだから。
「なぁ……レイ……俺は、お前の家族になれたか……?」
「当たり前だ……ハワードはかけがえのない……家族だ……ッ!!」
「そうか……そうだったか……」
意識が徐々に遠のいていく。
今は確か曇天だったはずなのに、俺の視界には青空が映っている。ははは、ついにお迎えが来たってわけか?
そうして俺は最期の言葉を紡いだ。
「レイ……お前は生きろ。俺は先に、この空の果てでお前の成長を見守っているさ。達者でな。お前と出会うことができて、俺は本当に幸せだった。ありがとう、レイ」
あぁ……言うことができた。やっと言うことができた。
そうだ。俺はレイと出会うことができて、幸せだったんだ。今まで灰色の世界を見ていた。ずっと彷徨っていた。どこか自分の居場所があるような気がしていた。
でも、俺の居場所は自分で見つけるものだったんだ。その中心にレイがやってきたおかげで、俺は……今までの人生が幸せだったと知ることができた。
「────ッ!!」
レイが叫んでいるのは分かる。それはその顔を見れば分かることだが……ついに聴覚が無くなったな。そして徐々に見えている青空もまた、暗くなっていく。
死ぬのが怖いか?
そう問われれば、俺ははっきりとこう答えることができるだろう。
レイが側にいるんだ。
死は怖くない。
心残りはある。
けど、それはレイが引き継いでくれるだろう。
レイ。きっとお前はこれからもっとたくさんの死を経験するだろう。辛いことも、悲しいことも、数多くの困難が待ち受けているだろう。でもな、俺はずっとお前を見守っているよ。
この空の果てからずっと、レイの成長を楽しみにしている。
なぁ……レイ。
お前はどんな大人になるんだ? どんな人間になっていくんだ? もしかして、俺の知らない誰かと恋をして結婚するのかもな。レイの子どもができたきっと、俺はめちゃくちゃ嬉しく思うだろうな。レイ、お前はこれからどんな道を進んでいくんだろうな?
俺はそれが楽しみで仕方がないよ。
きっと俺なんかが予想できないほどの大きな人間になるんだろうな。
おっと。そろそろ、迎えがきたようだな。
気がつけば俺は真っ白な空間に立っていた。正面にはちょうど橋のようなものがかかっていた。この先に行けば俺は……もう戻ることはできない。
だが、見守ることはできる。
レイ。達者でな。
レイのおかげで、俺は最高の人生を過ごすことができた。後悔など、ありはしない。
きっと俺の死で心が壊れてしまうのかもしれない。あの時のように、心を閉ざしてしまうのかもしれない。でも絶対にお前なら乗り越えることができる。周りには仲間がいる。俺だっているさ。ずっとお前の中にいる。それだけは間違いない。
なぁ……だからレイ。
お前は、お前の進む道を信じろ。
じゃあな、レイ。
──じゃあな。愛しい仲間たち……。
そうして俺の意識はそこで途絶えた。
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