第303話 慟哭
「治れッ! 早く、早く治れッ!!」
ハワードは全く動かなくなってしまった。
けど、まだ間に合う。絶対に間に合わせて見せるッ!!
俺は懸命に治癒魔術をかけ続ける。血は徐々に止まりつつある。確かに、止まっているんだ……でも、でも……もう、ハワードは……。
「そんなことはないッ!! 絶対に、絶対に助けるからッ、ハワードッ!」
「……」
声をかける。
だが反応などない。あるわけがない。
あぁ。分かっているとも。
分かっているさ。
もう……ハワードはこの世にはいない。ここに残っているのは亡骸だ。その魂は、その心はすでに無くなっている。今まで幾度となく見てきた死の兆候。
脈拍は停止し、瞳孔は完全に散大している。人間の死の兆候を俺は嫌というほど見てきた。だからこそ、理性では分かっている。
ハワードはもう……死んでいるのだと。
けれど感情がそれを認めない。認めるわけにはいかない。
俺がそれを認めてしまったら、この手を止めてしまったらハワードの死を認めたことになってしまうから。
あぁ……分かってるよ。
こんなものは現実逃避でしかない。でも、でも……俺はッ!!
「う……ぐすっ……ハワードぉ……ハワードオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!」
叫ばずにはいられなかった。
もう目の前は涙でぐしゃぐしゃになり、ろくに見えない。ぼやける視界の中で、横たわっているハワードを見る。
なぁ……ハワード。
最後の言葉、しっかりと受け取ったよ。
ハワードが最期に俺に託して逝ってしまったのは分かっている。
でも、俺はどうしたらいいんだ?
ハワードのいない世界でどうやって生きていけばいいんだ?
どんな顔で笑えばいい?
どんな顔で過ごせばいい?
分からない……分からないよ、ハワード。
そう嘆いていると、後ろから足音が聞こえてくる。
「レイ」
それは師匠の声だった。しかし、俺は振り向くことはなくただ懸命に治癒魔術を続ける。それがもう間に合わないと分かっていても、この手を止めることなどできなかったから。
「レイ」
「……まだ、まだ間に合うはずですッ!」
「レイ。やめろ」
師匠が俺の手を取って、魔術を使うのを止めてくる。そんな彼女の行動に対して、俺は怒りを込めた視線で師匠のことを射抜いた。
さらに、俺は師匠に怒鳴りつける。行き場のない怒りを、彼女にぶつけるようにして。
「どうして、止めるんですかッ!」
「もう……分かっているんだろう?」
「──ッ」
その時になってやっと師匠の顔をはっきりと見えことができた。その美しい紺碧の双眸をじっと見つめる。その顔はただただ無表情だった。まるで何も感じていないかのような、人形みたいな顔だった。
「レイ。行くぞ」
よく見ると、師匠の部下である兵士たちが数多くやってきていた。そして彼達はハワードだけでなく、すでに絶命している遺体を麻袋へと詰めていく。
そんな光景を見て、やっと理性が理解した。
ここでの戦闘は終わった。数多くの犠牲を残して。
「そんなッ!」
声を上げる。けど、どうしてまだ抗いたかった。その死を受けいることはあまりにも過酷だったから。
「まだ今回の任務は終わりではない」
「でもッ!」
パシン、と乾いた音が耳に入った。どうやら俺は、師匠に頬をぶたれたみたいだ。俺は呆然としながら、師匠のことを見つめる。
「聞き分けろ。分かっているだろう。ここは戦場だ。私たちの行動が遅れると、さらに死者が出る」
あぁ……そうだ。
正しいのはいつだって師匠だ。
俺はただ、聞き分けのできない子どもだった。無力なただの……一人の人間だった。
いい気になっていたのかもしれない。調子に乗っていたのかもしれない。楽観的に考えていたのかもしれない。
戦場で戦うということは、こういうことなのだ。
俺はどこかそれを他人事のように思っていた。そしてそれを、ハワードが死んだことによって初めて自覚した。この地獄のような戦場の凄惨さをやっと理解できたような気がした。
「行くぞ。レイ」
「……はい」
師匠に手を取られて、俺は進んでいく。ハワードの死体はすでに仲間達が袋に詰めていた。そんな様子を俺は、顔を歪めながら見つめていた。
そして、気がついた。
師匠の手もまた震えていることに。そうだ。
師匠だって何も思っていないわけではない。ずっと一緒に戦ってきた仲間が死んで、何も感じないわけではない。俺が動揺しているのを見て、気丈に振る舞っていただけなんだ。
そのことを理解すると自分の矮小さに嫌気が差してくる。
けれどまだ戦いは終わっていない。まだ俺たちは、戦い続ける必要がある。
「……レイ。慣れろ。そうしないと、次に死ぬのはお前だ」
「……はいっ!」
零れ落ちる涙。
あぁ。どうして俺は、また何も守れないのだろうか。
どうして俺はこんなにも無力なのだろうか。
そう考えていると、心の内でピキッと何かが音を立てた気がした──。
◇
戦況は大きく変化した。
今までは王国軍が優勢と思われていたが、七大魔術師を二人も屠った相手が前線ではなく後方に出たということで新しく後衛の防御を固めることになった。
そして、レイとリディアが戻ってくるとちょうどそこには、ハワードの危機を聞きつけた
「リディアちゃん! どうだったの!?」
基地に戻ってきたリディアを見て、キャロルは真っ先に尋ねた。すると彼女は冷静に、今回の戦闘における死者の数を報告した。
「死者の数は十二名だ」
「そう……なんだ……」
「その中には……」
と、言葉を続けようとしたがリディアは迷ってしまう。このままハワードの死を伝えてもいいのかと。
だがキャロルはリディアの隣で絶望に叩き落とされたようなレイの顔を見て悟る。彼の体が血に塗れていた。しかしそれはレイに外傷があるのではなく、仲間の血であると分かってしまったのだ。
すでにかなりの時間が経過して異様で、その血は黒く凝固していた。
「まさか……」
「ハワードは殉職した」
その言葉に反応したのは、キャロルよりもアビーの方が早かった。彼女はハワードが帰ってくると思って、タオルと温かい飲み物を準備している最中だった。
リディア達が帰ってきたということで、すぐにカップに入れた温かい飲み物を渡そうと思っていたのだ。
しかし、その報告が耳に入ってアビーはカップを地面に落とす。
パリンと音を立てて砕け散る陶器など気にせずに、アビーは思い切りリディアに詰め寄る。
「リディアッ!! 本当なのかッ! い、いや……嘘だよな? お前はそうやって、いつも私をからかうんだ……はは、ははは! なぁ……嘘だろ? 嘘……なんだろ?」
「……」
視線を逸らす。
あまりにも痛々しい親友の様子をリディアは直視できなかった。その一方でレイは、アビーの前に出ていくと涙の後も拭わず彼女に告げる。
「ハワードの最期は自分が看取りました」
「あ……あぁ……っ。れ、レイ……お前まで、そんな冗談を言うのか?」
黙って首を横に振る。
アビーはそれでも信じることはできなかった。
ずっとハワードはアビーのことを心配してくれていた。ずっと相談に乗ってくれていた。食事には何度も行ったし、一緒に遊びに行くこともあった。その中でわずかな淡い恋心が芽生えているのはアビーも分かっていた。
この戦争が終われば、関係を前に進めたいと……そう願っていた。
「ハワードは最後まで勇敢に……勇敢に戦っていました。どれだけボロボロになろうとも、仲間のために……戦っていました……」
涙などとうに枯れ果てている。
だからこそ、レイはそのことを伝えることができた。それこそが自分できるハワードへの最大限の恩返しだと思って。
「あぁ……あ……あぁ……」
フラフラと後方へ下がっていく。
そしてアビーは膝を崩して、その場にしゃがみ込むと両手で顔を覆って声を上げて泣き始めた。
「う、う……うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!!」
決して珍しい光景ではない。仲間が死んだ時にはこうして誰かが涙を流すのは、普通のことになってしまっていた。
泣き叫びアビーに寄り添うようにして、キャロルは彼女を包み込みながら静かに涙を流した。
その場にはちょうど、ヘンリック、フロール、デルクもやってきていた。
「バカやろう……ハワード……お前ってやつはッ!!」
グッと拳を握りしめるデルク。嫌な予感はしていたが、それが当たってしまい彼もまた静かに涙を流していた。
「エインズワース。戦況は?」
「は。後方は現在は沈下しております」
ヘンリックに対して冷静に戦況を報告する。しかし、ヘンリックの拳は微かに震えていた。隣にいるフロールもまた、涙が止まることはなかった。
ハワードは
「……ハワード。絶対に俺が、この戦争を終わらせるよ」
レイは空を見上げる。
曇天から打って変わって、気持ちの良いくらいに空は晴れ渡っていた。しかし、そんな空とは裏腹に基地は慟哭で満ちていた。
あまりの悲しみに打ち拉がれる者。
その死を、その想いを引き継いで前に進もうとする者。
ハワードの死をきっかけにした、
そうしてついに……極東戦役は最終戦へと突入しようとしていた。
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