第280話 進撃のキャロル


 キャロル=キャロライン。


 彼女を一言で説明するならば、変人という一言に尽きるだろう。美貌はかなりのものであり、化粧でそれが引き立てられているのもあるが彼女は元々の容姿が整っている。


 大きく開いた両目に加えて、高い鼻に厚みのある唇。それをキャロルの極上の化粧によって、魅力はさらに高まる。プロポーションも抜群であり、溢れんばかりの双丘に加えて、腰は綺麗に締まっている。


 一見すれば絶世の美女のようにも思えるが、やはり問題なのはその性格だった。


 常にマイペースで、言動に難あり。


 そのため異性にはモテるものの、その性格から敬遠する者は多かった。しかしその美貌に惹かれる人間も少なからず存在している。



「キャロルちゃん。どう? 俺たちと食事に行かない?」

「そそ。どう? 奢るよ」


 基地内でキャロルは二人の男性に話しかけられる。軍の中ではあるが、やはりそこには男性と女性がいるということで交際をしている軍人はもちろんいる。


 そして、ナンパまがいのようなことをする輩も。


 キャロルはじっと二人の男性を見つめる。軍人ということで体は鍛えているので悪くはない。それに顔つきも、ナンパをするくらいには整っている。おそらくは自分に自信があるのだろう。


 冷静に相手のことを分析しながらも、キャロルの視線は厳しいものだった。


「興味ないの。ごめんね」


 と、踵を返してその誘いを断る。しかし、相手の方も引くに引けないのかキャロルの肩を掴もうとするが。


「おい。ちょっと待て──」


 そう言いかけた瞬間。キャロルはその男の手首を掴むと、そのまま地面に叩きつけたのだ。手加減はしているが、相手はいきなりの行動に面食らってしまう。


「レディに乱暴しちゃダメだよ?」


 妖艶に微笑むが、その雰囲気はあまりにも危うい。普段は明るいキャロルではあるが、非情な面も兼ね備えており興味のない相手には容赦がない。


「お、おい行こうぜ」

「あ、あぁ……」


 二人はまるで異質なものを見るような目つきをしながら、この場から去っていく。一方のキャロルといえば、鼻歌を歌いながらあることを考えていた。


「ふふ。レイちゃん、今日は一人なんだよねぇ〜。うふ。ふふふ……」


 そう。今日はリディアもアビーも別件で任務が入っており、レイは自宅に一人という情報を仕入れていた。すでに三年前とは違って、レイは一人でいることには慣れている。


 実際にリディアがいない日は今までも幾度となくあり、普通に一人で過ごすことに慣れてしまっている。


 そのためキャロルがレイのもとに向かう必要はないだが、彼女にはある計画があった。


 それは──レイの童貞はじめてをもらうこと。


 最近は成長期なのかさらに男らしくなって来ている。魔術師としての適性が高いことも相まって、レイは早熟だった。徐々に変化していく精悍な顔つきにキャロルは惹かれていた。


 元々は母性のようなものが芽生えていたのだが、それが最近は行き過ぎてしまい……ついにレイの体を求めるようになってしまっていた。


 軽そうに見えるが、実際は身持ちの硬いキャロル。そんな彼女がレイを襲うようになるまで、そう時間は掛からなかった。


 そうしてついに、今晩。その作戦が実行されようとしていた。



「レイちゃ〜ん。いる?」


 ドアを軽くノックする。すると、中からレイが出て来たが……キャロルと分かった途端に苦虫を噛み潰したような顔つきになる。


「げ……キャロル……」


 明らかにキャロルの来訪を嫌がっている様子。ドアを開けたのだが、レイはそれを後ろに戻してわずかな隙間からキャロルのことを見つめる。


「何のようだ?」

「一緒に晩ご飯でもどうかなーって! 今日は一人でしょー!」

「そうだが……」

「ねね。入ってもいい?」

「……まぁ、いいが」


 特に他意はないと思ったのか、レイはすんなりとキャロルを室内に入れてしまう。それこそが彼のトラウマが植え付けられる出来事の始まりだとも知らずに──。


「今日はキャロキャロが作ってあげるねー!」

「俺も手伝おうか?」

「ううん。レイちゃんはいつもリディアちゃんのお世話で大変でしょ。こんな時くらいは頼ってよっ!」

「そうか。助かる」

「うんうん!」


 微かに浮かべるレイの笑み。それを見て、キャロルの内心は色々と大変なことになっていた。


 ──もうっ! レイちゃんってば可愛すぎっ! はぁ……はぁ……今日こそは、今晩こそは……はぁ……はぁ……レイちゃんの童貞はじめてをっ!


 すでに覚悟は決まっているようだった。脳内ではレイとのピンクな妄想で満たされているのだが、それを欠けらも出さずにキャロルは手早く調理を進めていく。


 現在作っているのは、ハンバーグと付け合わせだった。それにコーンスープなども用意している。キャロルはレイに料理を教えていたこともあって、かなり腕が立つ。


 そのような背景もあってレイは素直にキャロルに任せることにしていた。


「……」


 チラッと台所からレイの様子を伺う。彼はソファーに座って読書をしていた。


 とても様になっており、キャロルの心臓はさらに高まるばかりだった。


 恋をしているわけではないが、この破裂しそうな愛おしい感情を収めるにはもう身体を重ねるしかない。きっとレイも受け入れてくれるだろうと、キャロルは勝手に思っていた。


「ん? キャロル。今日はどこか出かけていたのか?」

「え、どうして?」

「いつもより綺麗だからな。髪の毛には艶があるし、それに香水もいつもとは別のものをつけているだろう?」

「──ッ!」


 ギュッと胸を押さえつける。もちろんレイが指摘した外見的なものだけではなく、体は隅々まで洗って来ているし、下着は今日のために用意した真っ赤な勝負下着をつけている。


 見られて困らないようにしていたが、こうして指摘されるとは思っていなかった。そんな些細なことではあるが、何よりも嬉しかった。


 それはレイがいつも、キャロルのことを見ているという証拠に他ならないのからだ。


 といってもそれはリディアの教育もあるだが、天性のたらしであるレイだからこその自然と出る言葉でもあった。


「え、えへへ? 分かる?」

「あぁ。それで、何かあったのか?」


 作った料理を並べていきながら、二人は会話を続ける。キャロルはいつも以上にニコニコと笑っていた。


 そして、レイの質問に対してはぐらかして答える。


「う〜ん。厳密にはこれからって感じかな?」

「夜に予定でもあるのか?」

「うんっ!」

「そうか」


 レイはそれを聞いて、どうやら早く帰ってくれそうだなと喜んでいた。それが全くの勘違いだとも知らずに……。



 そろそろ就寝する時間になったということで、レイは自室のベッドで横になる。すでにキャロルは帰宅しており、後は寝るだけだった。


 ただレイは疑問に思っていたのだが、妙にキャロルの目がギラギラと輝いているような気がしたのだ。それはまるで猛禽類もうきんるいが如く。


 そしてキャロルは改めて、「心の準備をしてくるねっ!」と言って去っていった。疑問には思ったが特に気にすることもないだろうと思って、レイは目蓋まぶたをそっと下ろす。


 寝つきは良い方なので、レイはすぐに意識を手放した。


「……ちゃん。レイちゃん……」

「ん?」


 誰かが呼んでいるような声がするので、レイは目を開ける。すると彼の上には……キャロルが乗り掛かっていた。


「……キャロル? どうしてこんな時間に……?」


 まだ覚醒しない意識のまま、ボソリと呟く。そしてレイはキャロルの外見や様子がおかしいことに気がつく。


 裸とまではいかないが、完全にそれは下着が透けていた。ネグリジェという名前とは知らないが、妙な色気があるのは流石に彼も理解できる。それに呼吸を乱しているのだ。


 体調でもおかしいのかと思って、レイは心配そうに声をかけた。


「どうした? 体調でも悪いのか?」

「レイちゃん……」


 さらに体重をかけてくる。そしてその豊満な双丘がグッと体に押しつけられる。


 爛々とまるで光り輝いてるような瞳。今まで幾度となく見て来たが、今に限っては完全にそれは……捕食者の目をしていた。


「キャ、キャロル……? ど、どうしたんだ?」


 ずるずると後ろに這いずっていくレイだが、ベッドということもあって逃げることは許されない。そして気がつけばレイはがっしりと身体を押さえ込まれていた。


 恐怖。それも、圧倒的な。


 今までは恐怖心などとは無縁だった。過去の記憶は薄れ、今の生活で何かを恐れることなどない。しかし、キャロルのその吸い込まれそうな瞳を見ていると……彼は背筋が凍りつくのを感じる。


 性に関してまだしっかりと理解している年頃ではないが、直感的にこれは不味いことであると分かっていた。


 しかし、今は助けを求めようにもリディアはいない。


「レイちゃん……いいよね?」

「な、何がだ……?」



 敢えて明確にしないので、レイは聞いてみることにした。一体何をしようと言うのか。


 キャロルは妖艶な微笑みを浮かべた。


 あまりにも恍惚とした表情であり、頬には朱色が差していた。部屋の明かりも気がつけば、なぜか桃色のものになっていた。


 そして、レイの右手に自分の右手を指までしっかりと絡めるとキャロルはこう言った。




「──私と、シよ?」




 それは今まで見たことのないキャロルの表情だった。ぺろりと唇を舐めるその姿はまさにサキュバスと形容してもおかしくはないだろう。


 それに加えて、香水の匂いとキャロル自身のフェロモンの匂いが混ざり合って、それがレイの鼻腔を抜けていく。


 何だかぼーっとしてしまうが、ここで意識を手放すのはダメだと分かっているレイはキャロルと真剣に向き合う。



「ま、待て……何をッ!? 何をするんだ!?」



 はらりと肩紐が落ちる。それに伴って、キャロルの豊満な胸の上半分が見えてしまう。彼女はさらにグイッと近寄ると、ボソリと呟いた。


「大丈夫だよ。優しくするから。ね、レイちゃん……二人でいっぱい気持ちよくなろうね?」

「う、うわあああああああああああああああああっ!!」


 もはや叫ぶしかなかった。


 ただただ泣き叫ぶしかないレイ。一体これから何が始まって、どうなるというのか。それは分からない。大人びている彼はではあるが、今はあまりの色香をまとっているキャロルが恐怖の塊にしか見えなかった。


 そうして、ついにキャロルの唇がレイの唇と重なろうとした瞬間──バンッ!! と扉が乱暴に蹴破られた。


 室内に転がっていく扉。


 そして、そこには金色の長髪をさらさらと流しているリディアが立っていた。


「このアホピンクッ! ついにやりやがったなっ!!! 前から怪しいとは思っていたんだっ!!」


 怒髪天を突くとはまさにこのことか。


 リディアの髪は比喩などではなく、溢れ出る第一質料プリママテリアによってパラパラと舞い上がっていた。


「……リディアちゃん。もう、タイミング悪いよ〜っ! 今からがお楽しみなのにさー!! ぷんぷん!!」


 悪びれる様子もなく、キャロルはそう言った。もちろんそれに対して、リディアが怒り狂うのは当然である。


「今日こそ決着をつけてやるっ!!」

「ふふん! キャロキャロの実力、見せてあげるよっ!!」


 レイの部屋は戦場と化した。


 その一方でレイは一緒について来ていたアビーに保護されるのだった。彼はあまりにも怖かったのか、アビーにギュッと震えながら抱きつくのだった。


「ううぅ……た、助けに来てくれて……ありがとうございますっ……」

「いいんだ。前々からキャロルのやつは怪しいと思っていたからな」


 実は泊まりがけの任務というのは嘘だった。それはキャロルを誘き出すための罠。実際に任務はあったのだが、それをすぐに終わらせると二人はすぐに帰宅。


 何とか間に合ったというのが、今回の顛末である。


「う、うぅ……」

「よしよし。怖かったな」


 レイは涙を流していた。よほど怖かったと思い、アビーは優しくレイの頭を撫でるのだった。


 そもそも、年端もいかない子どもを夜這いしようなどとはキャロルにはほとほと呆れるものだ……と思うアビー。実際には彼女もそれなりに怒ってはいたのだが、それは目の前で怒り狂うリディアを見て逆に冷めてしまう。


「よし。こんなもんだな」


 決着。


 超近接距離クロスレンジで流石にリディアに敵うわけもなく、キャロルはベッドに頭を突き刺したまま気絶していた。


 足はだらしなく開いており、一見すれば奇怪な光景にしか思えない。


「レイ! 大丈夫か!?」

「し、師匠おおおおおおおっ!!」


 事が済んだリディアはレイの元へと駆け寄っていくと、ギュッと優しくその小さな身体を包み込む。


 アビーはそんな二人の様子を黙って見守っていた。


「ぐすっ……怖かったです……キャロルに食べられるのかと思いました……」

「よーしよし。大丈夫だ。私がいるからな」

「はい。ありがとうございます、師匠」


 美しい師弟愛である。


 だが、ここまでリディアが感情的になるのは珍しい。そう思ってアビーは尋ねてみることにした。


「なぁリディア。今回の件、キャロルのアホが暴走したせいだが……いつかレイもそういう時が来るだろう? その時はどうするんだ?」


 すると、キッとまるで誰かを殺しそうな目つきでリディアはこう答えた。


「レイは私が認めるやつ以外にはやらんぞッ!! 絶対にだッ!!」

「そ、そうか……」


 あまりにも迫真な態度なので、アビーはそれ以上何かを言うことはなかった。


 これを機にリディアの親バカはさらに加速していくことになるのだが、それはまだ誰も知る由はない──。



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