第273話 三年の月日を経て


「師匠。起きてください」

「う……うぅん……」

「今日は朝から一緒に訓練をする予定ですよ」

「あぁ……分かっているが」


 春。


 気温はちょうどよく、過ごしやすい日々となっている。そんな中、リディアはベッドで寝ている。現在の時刻は朝の六時。今日は朝からレイに稽古をつけてやると昨晩意気込んでいたのだが、やはり彼女は朝が弱いということもあってこうして駄々をこねている。


「師匠。起きてください」


 体を揺する。


 その少年はリディアの体を懸命に揺すっていた。


 それは他でもない、レイだった。彼はあれからリディアや特殊選抜部隊アストラルの面々と接することで、人間らしい心を取り戻していった。


 出会ったときのような暗い表情を覗かせることはなく、こうして普通に話すことができるほどには回復していた。


「うぅん……あとは三時間」

「それは長すぎますよ」

「レイ……」

「うわ……っ!!」


 と、あろうことかリディアはレイの小さな体を抱き締めるとベッドの中へと引きずり込んでいく。


 そしてギュッとまるで抱き枕のように抱きしめるのだった。


「あったかいなぁ……」

「師匠! 寝惚けないでください!」


 そんなやりとりをしていると、室内にはキャロルとアビーもやってきた。今日は部隊のメンバーで花見でもしようという話が出ているのだ。


 特殊選抜部隊アストラルの活動も順調に進行しており、リディアとキャロルは大尉に昇進。そしてすでにアビーは二十代に入る直前に少佐になるという偉業を成し遂げた。


 それは軍の中でも史上最年少。さらには女性の佐官はほとんどいないというのに、成し遂げた偉業。アビーの地位はすでに軍の中でもかなりのものになっている。


「……リディア。何してるんだ?」

「あーっ! レイちゃんにえっちなことしてるーっ!!」


 その声を聞いてリディアは目を覚ます。


「……ん? あれ、どうしてレイがベッドにいるんだ?」

「師匠が抱きついてきたんですよ」

「はぁ? 私がそんなことするわけないだろう」

「……まぁ、そういうならいいですけど」


 レイは半ば呆れたような顔でベッドから出ていく。そうして彼は、やってきた二人に挨拶をするのだった。


「ガーネット少佐。いつも師匠がすみません」

「いや、いいんだ。昔からの付き合いだしな」


 二人で会話をしていると、あろうことかキャロルはレイに思い切り抱きつこうとするが……。


「うわーん! キャロキャロもレイちゃんを抱きしめたいよーっ!」

「ダメに決まっているだろ」


 レイはキャロルの頭を押さえると、冷静に呟く。最近レイは思っている。どうにも、キャロルのスキンシップが激しい気がすると。いや元々そうなのだが、ここ数ヶ月はやけに距離感が近い気がするのだ。


 それに時折、キャロルの獰猛な獣のような視線に晒されて、ぞくりとした感覚を覚えている。いつかキャロルに食べられてしまうのではないかと、レイは実は恐怖していたりする。


 もっとも、彼は今はまだそれは気のせいの範疇だと思っているのだが。


 あの悲劇が起こるまで時間はあまりに残されていないとは、レイはまだ知らない。


「よっと。ふぅ、相変わらず朝は気持ちいいな」


 爽やかな表情でそういうリディアだが、それにはアビーがツッコミを入れる。


「いや、思いっきりあと数時間は寝そうだったが?」

「ふ。私は起きればその時がいつでも最高の瞬間なんだ。ただ、起きるまでが大変だがな! ガハハ!」

「そんな誇ることじゃないだろう……」


 リディアはベッドから出ると、すぐに身支度を整え始める。レイといえばすでに準備は終わっているのだが、彼はなんとリディアの服などもすでに準備していたのだ。


「おぉ! レイ、いつも気が利くな」

「いえ」


 その様子を見て、アビーはボソリと呟く。


「なぁキャロル。私はレイの育て方を間違えた気がするんだが……」

「ん? いや、レイちゃんはとってもしっかりしてるけど?」

「いや……しっかりし過ぎなんだ。このままではリディアがダメ人間に……」

「もうっ! いまさらでしょー!! アビーちゃんは心配性なんだからっ!」

「いや、しかし……」


 クスクスと笑いながらキャロルはそんなことを言うが、アビーは依然として苦虫を噛み潰したような顔をしていた。


 レイは元々、片鱗は見せていた。


 彼はとても情に厚く、受けた恩をしっかりと返そうとしている。それは出会った当初から変わっていない。むしろ彼は、引き取ってくれた恩義を感じているようでリディアのことは特に尊敬している。


 その一方で、面倒見が良さすぎると言うか……色々と英才教育を施しすぎたのではないか? という懸念がアビーにあった。


 魔術面、体力面、勉強面では言うまでもなく優秀。その実力はすでに大人顔負けなほどだ。それは三人が彼に対して情熱的に教育を施してきたからだ。


 また、特殊選抜部隊アストラルの他のメンバーもまたレイには色々と教え込んだ。その結果、生まれたのが今のレイだった。


「よし。準備できたな」

「師匠。今日もお綺麗です」

「ふふ。そうか?」

「はい」


 レイは平静にリディアのことを褒める。そして次には、アビーの方にも顔を向けると何の躊躇もなく同じような発言をするのだった。


「ガーネット少佐も私服はとてもお綺麗なようで。よく似合ってますよ」

「そ、そうか……?」

「はい」


 流石に真正面からこうして褒められてしまうと、アビーも照れてしまうのだった。


 それがたとえ幼い子供であったとしても、こうして褒められるのは恥ずかしいようだった。


「あー! 私も、私も!! ねね、レイちゃん。キャロキャロには?」

「……キャロルも似合ってるよ」

「わーい! ありがとーっ!」


 それは明らかに棒読みだったのだが、キャロルは満面の笑みを浮かべるとレイに思い切り抱きつこうよする。


「……ちょ! や、やめろ……っ!!」


 そんな二人の様子を見て、リディアとアビーはふっと微笑みを浮かべる。


「もう三年か。早かったな」

「そうだな。しかし、リディアの教育でこんなにも素晴らしい人間が出来上がるとはな。反面教師か?」

「はぁ? 天才の私に育てられたんだ。レイは天才になるに決まっているだろう?」

「……そう言うことにしておくか」


 ニヤッと笑うリディアを見て、変わらないところは変わらないものだと思うアビー。


 その後、三人は待ち合わせ場所である公園と向かう。


 レイはすでに特殊選抜部隊アストラルのメンバーと面識があるので、特に緊張している様子はなかった。また彼は右手にバスケットを抱えていた。


「レイ。今日は何を作ったんだ?」

「サンドイッチです。師匠の好きなマスタード多めのものも用意してますよ」

「おぉ! それは楽しみだな! レイのサンドイッチはめちゃくちゃ美味いからな!」

「はい。料理はガーネット少佐に叩き込まれましたので」

「やはりアビーの教育は優秀だな! ま、私には届かないがな!」


 そんなやりとりを繰り広げる師弟。距離感もかなり近くなった。それに何よりも、レイはよく笑うようになった。あの時の記憶は確かに彼の中に残っている。


 しかし本人曰く、当時のことはよく覚えていないとのことだった。現在はそろそろ学校に行ってもいいのでは? という話も出ているのが……やはり問題なのはレイの魔術師としての適性だった。


 これはリディアが報告している内容だが、すでにレイは冰剣の片鱗に届いているという。彼の魔術師としての才能は、リディア=エインズワースを超えているのだと。


 それは決してレイには伝えることはないのだが、リディアはすでにそう考えていた。


 レイと同じ年の頃を考えても、彼はリディアの先を進んでいる。すでにその領域は魔術師の中でも上位に食い込むほど。


 だからこそ彼の扱いは慎重にしなければならない……と考えられている。


「中佐! やってきたぜー!」


 と、リディアが声をかけるとそこにはヘンリックを含めて部隊のメンバーが揃っていた。


 こうして特殊選抜部隊アストラルの全員で花見をするのだった。

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