第237話 最愛の師弟

 

 魔術協会から一人で出ていく。


 向かう先は、師匠の自宅だ。元々、誰かと合流してから行こうと思ったのだが、一人になりたい気分だったので歩いて向かうことに。


 深々しんしんと雪が降り続ける夜。はぁ、と息を吐き出せばそれは真っ白になる程、もう寒くなっている。


 グイッとマフラーを口元まで上げる。


 たった一人、わずかな街灯に照らされる。


「もう一年か……」


 ボソッと呟く。


 今日は師匠の誕生日だ。昨年お祝いしたのが、ついこの前のように思い出せる。


 いつも、聖歌祭の日に誕生日なんて柄じゃないな……とぼやいてるのだが、俺はとてもよくお似合いだと思っている。


 そして、中央区の花屋へと向かうと予約注文していた薔薇の花束を受け取る。


「以上でよろしかったですか?」

「はい。ありがとうございます」


 丁寧に一礼をしてから、その薔薇を受け取る。シーズンではないのだが、品種改良が施され冬でも咲き誇っている薔薇。


 それに、その色は赤ではなく青色だった。なんでも、最近入荷したばかりでとても珍しいものらしい。


 俺は数日前にこの花屋を訪れて色々と話を聞いたのだが、結局はこの真っ青な薔薇を選ぶことにした。


 師匠は別に贈り物などいらん、と言っているのだがそれでも毎年何かしら渡すようにしている。


「着いたか」


 少しだけ歩きたい気分だったので、遠回りしてきてしまった。時間も遅刻というわけではないが、きっともうみんな集まっているのだろう。


 そして、コンコンコンと扉をノックすると、いつものようにカーラさんが出迎えてくれるのだった。


「レイ様。ようこそ、いらっしゃいました」

「失礼します。もう集まっているのですか?」

「はい。すでに、お食事とお酒を嗜んでおります」

「ははは。そうですか……」


 と、苦笑いを浮かべる。すでに酒が入っているということは、割と大変なことになっていそうなものだが……。


 リビングに通されると、そこには聞いていた人以外の方もいるようだった。今日の予定では、例年通り、アビーさんと、キャロルが来ると思っていたのだが……そこには、リーゼさんと、フランさんもいたのだ。


「おー! レイが来たぞー! あははーっ!」


 すでに酒が入っているらしく、顔を真っ赤にしたフランさんがドタドタと走ってくると俺の腰に抱きついてくるようにして突撃してきた。


 ステラをどこか想起させるが、彼女の年齢は六十二歳。しかし見た目はやはり、年下にしか見えない。


「お久しぶりです。フランさん」

「おー! 久しぶりなのじゃ!」

「いつ帰ってきたのですか?」

「ふむ……よく覚えてらんが、レイの大会は見ておったぞ! 優勝おめでとうなのじゃっ!」

「ありがとうございます」


 すると、彼女は「あははー!」と笑いながら再びドタドタと走り去っていく。


「レイ。来たか」


 いつものように車椅子に座って、ニコリと微笑みかけてくる師匠は変わらず美しいままだった。今日の師匠は本当に天使のように美しい。


「ちょっと遅れてしまいましたね」

「別に時間は決めていたわけではない。こうしてきてくれただけでも、私は嬉しいさ」

「恐縮です」


 そして俺は、自分の後ろに隠していた真っ青な薔薇を師匠に渡すのだった。


「師匠。お誕生日、おめでとうございます」

「え……っと、その。薔薇か?」

「はい。品種改良で青くなったものらしいです。花言葉は、夢叶うだとか。とても美しいので、師匠に是非プレゼントしたいと思いまして」

「ははは。これは、その……柄にもなく、嬉しいな。レイが私に花をプレゼントする時がくるなんてな」


 そう言って微笑む師匠の顔は、アルコールで赤くなっているのか、それとも照れて赤くなっているのか、判別はつかない。


 でも、そんなことは些事に過ぎない。師匠が喜んでくれているのなら、俺はそれだけで十分なのだから。


「あー! リディアちゃんいいなー! そんなお花もらってー! ねね。キャロキャロには何かないの?」

「ない。お前は誕生日でもなんでもないだろうが」

「えー。レイちゃんてば、ひどーい!」

「う……ちょっと、離れてくれ。酔いそうだ……」

「いやだもーんっ! ずっとこうするも〜ん☆」


 酔っているのか、キャロルはべったりと俺に抱きついてくる。


 それに酒の匂いと、香水。さらにはキャロル特有の女性のフェロモン的な匂いが混ざって、それはもうなんとも言えない香りが漂っていた。決して悪臭ではないのだが、なんというか……酔う。


 そう形容するのが正しいだろう。


 流石にこれは、まずいということで無理やり引き剥がそうとするが……こいつは意外に柔術などを学んでいるので、なかなか引き剥がすことができない。


 伊達に元軍人ではないのだ。


「ねね。チューしよ? いいよね? ちゅ〜……っ」

「う、うわあああああああっ! た、助けてくださいっ!」


 と、トラウマがフラッシュバックして思わず助けを求めると、キャロルは思い切り後ろに飛んでいく。受け身を取ることもできず、「むぎゃ……っ!」と声を漏らして壁に激突した。


「はぁ……全く、キャロルはいつも通りだな」

「アビーさん。本当に助かりました」

「どういたしまして、と言いたいところだが。あいつの管理は私の義務だからな。任せておけ」

「あ、アビーさん……っ!」


 尊敬の眼差しで見つめる。思えば、俺が出会ってきた大人の中で一番の常識人はアビーさんだった。彼女がいなければきっと、俺は色々と大変なことになっているのはもはや間違いないだろう。


 その後、俺も席について食事でもいただこうと思っていると、ただ淡々と食事を取っているリーゼさんがいた。


 いつものように無表情で、精巧な人形のようにその場にいるのだが……彼女の頭には、いつか見たあの猫耳があった。


「リーゼさん。お久しぶりです」

「レイ=ホワイト。そうだね。久しぶりになるのかな。大会、全部見ていたよ。いい試合だった」

「ありがとうございます。それで、その猫耳は?」

「ん? 今日はリディア先輩の誕生日だろう? 催し物にはぴったりだと思ってね」

「そうですか……」


 どうやら気に入っている様子で、本当に僅かにだが微笑んだ気がした。そして、急にスッと立ち上がるとリーゼさんは驚くことを口にしたのだ。


「不肖、このリーゼロッテ=エーデン。リディアの先輩の誕生日のために、芸を磨いてきました」


 その言葉を聞いて、全員が固まる。それは、給仕をしているカーラさん、それに暴れ回っているフランさんも含めて。全員ともに、リーゼさんのことはよく知っている。


 感情に乏しく、芸などするような人間ではないと。


 そのまま時が止まったかのような静寂が訪れると、リーゼさんが放った芸は……アレだった。




「ご主人様〜☆ にゃんにゃんしてあげるにゃ〜☆ にゃん、にゃんっ☆」




 その台詞セリフはどこで覚えたのだろうか。しかし、今とったポーズは俺が教えたものをさらにブラッシュアップしたものだった。手の角度、足の上げる位置、全てにおいて完璧だ。


 それに、その猫なで声も到底リーゼさんのものとは思えないが、完璧だった。


 そう。その表情が、無表情だったことを除けば……。


「どうでしょうか。頑張ってみました」


 その言葉には、どうやらやり切った感が出ていた。


 どうですか。褒めてくれてもいいんですよ、と言わんばかりの雰囲気が漂っていたのだ。


「か、可愛い〜☆ ねね、みんな! 超可愛いよね〜っ☆」


 キャロルもまた顔が引きつっているようだが、今回ばかりはそのフォローがちょうど良かった。全員ともに、うんうんと頷くとリーゼさんはどうやら満足げにニヤッと笑う。


「な、なぁ……リーゼはどこに行っているんだ?」

「リディア。お前が何かリクエストしたんじゃないのか?」

「ばっか、アビー。そんなことするわけないだろ」

「あ、あれは流石の我でも驚いたのじゃ……酔いが一気に醒めたのじゃ……」


 と、どうやら周りの反応は俺と同じようだった。


 その後。みんなでさまざまなことを話し合いながら、飲み明かした。もちろん俺は未成年なので、アルコールは飲んでいないが、それはもうかなり盛り上がった。


 例年になく、今日は人が多い。そんなこともあって、師匠はいつもよりもよく笑っていた気がする。


「全員潰れましたね」

「あぁ。ま、私が一番強いのは当然だな」


 その場に出来上がったのは、酒で完全に意識を飛ばしてしまった人たちだった。もともと師匠が酒に強いのは知っていたが、ここまでとは……。


 そして、カーラさんがこの場を処理してくれるというようで、俺と師匠は二人で外に出ていくことにした。


 少しだけ火照った体には、ちょうどいい寒さだった。


 車椅子を押して、この暗闇の中を進んでいく。先ほどまで軽く雪が降っていたのだが、今は晴れていた。


 月明かりが差しており、俺たちを照らすようにして輝いていた。


「レイ。今日は来てくれて、楽しかった。ありがとう」

「いえ、毎年のことなので。それに今年は、たくさんの人が来て楽しかったです」

「そうだな。人はこの季節のように、移りゆくものだ。私たちも、変わらずにはいられないということだな」

「そうですね……」


 もう師匠と出会って、十年が経過しようとしている。幼い頃は、変わることなんてないと思っていた。しかし、人は変化する。


 師匠の言うように、不変のものなどありはしないのかもしれない。


「師匠。自分は学院に入って、本当に良かったと思います」

「そうか……それは、私としても嬉しいな」

「だからもう、師匠は自分のために無理をしなくてもいいと思います。魔術領域暴走オーバーヒートも、もっと時間がかかると思っていましたが、もう大丈夫なようです」

「そうか……レイ。お前はいつも、私の予想を上回っていくな」


 優しい声音。昔の過激だった師匠からは、考えられないものだ。


 その笑みは今まで見てきた中でも、一番慈愛に満ちているものだった気がする。


「師匠はもう、自分に縛られる必要はないのです。その足で、立っていくべきだと思います」

「……ふぅ。レイがそんなことを言うようになったのか。いや、そうだな。やっぱり人の成長とは、本当に嬉しいものだ」


 車椅子を止めると、俺は地面に膝をついて師匠と視線を合わせる。


 よく見ると、師匠は静かに涙を流していた。


「レイ。私はレイが愛おしくてたまらなかった。でも、お前の言う通りだ。もう枷はいらないのだろう」

「……はい。今までありがとうございました」

「そうだな。時期は、三学期の終わりにしよう。三学期の終業式の日に、私の元を訪れるといい。その時に、この誓約は破棄することにしよう」

「分かりました」


 師匠は、スッと顔をあげると月をじっと見つめる。



「なぁ、レイ。私は間違っていなかったか? お前はいつも私を慕ってくれる。師匠と呼んで、尊敬してくれているのは分かる。しかし、間違いがなかったと言われれば……私には、自信がない。お前にもっと良くしてやれたのではないか、そう思ってしまう時があるんだ……」



 それは初めて聞いた師匠の言葉だった。弱音を吐くなどと、今まで夢にも思ったことはない。


 しかし俺は知った。本当の意味で、強い人などいるわけがなのだと。


 皆、自分の弱さと向き合って、強く在ろうとしているのだ。


「師匠、大丈夫です。自分は、師匠に本当に素晴らしいものを送ってもらいました。本当に今まで、ありがとうございました」


 優しく、彼女を包み込むようにして抱擁を交わす。すると、ギュッと俺に思い切り抱きついてくる。


 痛いほどの抱擁。それはきっと、互いの想いを反映しているものだろう。


「あぁ。そうか。ありがとう、レイ。私はレイに会えて、幸せだ。本当に……心からそう思うよ」

「自分も同じです。師匠に会えて、本当に良かったです。感謝しかありません」


 昔よくしてもらったように、俺たちはそのまましばらく抱擁を交わす。


 もう俺の体も、師匠よりも大きくなってしまった。


 けれど、師匠が師匠であることに変わりはない。


 そのことだけは、変わりはしないのだから──。

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