第181話 三人での特訓


「ですわあああああああああっ!」

「あはははー! 逃げろ逃げろー!」


 ドグマの森。


 その中で訓練を開始した俺たちは、アリアーヌの背中を追いかけていた。


 三日あるうちの一日目は、ひたすら鬼ごっこをすることにした。


 これはエインズワース式ブートキャンプにも採用されているものだが……これは遊びではない。


 訓練である。それも、地獄と呼ばれる訓練の一つでもある。


 この鬼ごっこのたちの悪いところは、捕まり続ける限り永遠に逃げることを強いられることだ。それに、圧倒的な圧力プレッシャーをかけて追いかけてくる鬼から逃げるのは……メンタル強化にもうってつけだ。


 思えば、師匠が鬼の時はそれこそ地獄絵図が出来上がる。


 これでもかと圧力プレッシャーを撒き散らしながら、ゴリラが突撃してくるのである。大人でさえも、泣いてしまうことは多々あった。それがたとえ、軍人であっても。


 そして、今回は俺だけでは圧力プレッシャーが足りないということでステラにも手伝ってもらっている。


 アリアーヌは自己評価が低いようだが、その実力はすでに学生の中では屈指だろう。それも伸び代はまだまだある。だからこそ、こうして追い込むことでその限界をさらに引き出そうとしているのだ。


「お兄ちゃん! 私は左からいくね!」

「了解した。俺は右から行こう」


 以前と同様に、俺とステラは魔術の使用はなし。一方で、アリアーヌは内部インサイドコードによる身体強化がありという条件下での訓練になっている。


 今回の大会に際しては、アリアーヌには俺に比肩する実力になってもらいたいと思っている。それは制限を取り払っていない状態の俺、という意味合いだ。


 元々ポテンシャルは十分。


 あとは森での戦闘を叩き込み、残りはしっかりと魔術での戦闘技術を教え込めば彼女はさらに飛躍的に伸びると思っている。


 それに何よりも、アリアーヌは気持ちが強い。確かに焦燥感や惑いなどはあるのだろう。しかし、それを全く見せずにこうして訓練に励んでいる。


 本当にアリアーヌは尊敬に値する人物だと思う。


「右……いや、左に流れるつもりか」


 縦に巻かれた白金プラチナの髪の毛を揺らしながら、彼女は颯爽と森の中を駆け抜けていく。


 どうやら俺が右から挟み込んでいるのを知ってか、左に逃げているようだった。


 アリアーヌの選択肢としては、まっすぐ走り続けるか、左右のどちらかに逃げるしかない。


 その中でも左を選択したのは、ステラならば突破できると判断したからなのか。


 それとも、真正面からステラとぶつかってみたいと思ってからなのか。


 それは彼女の表情などを見ることができないので、俺にはわからない。しかし、その背中からは闘志のようなものを感じる。


 決してただ消去法的に逃げているわけではなさそうだ。


「もらったよっ!」


 と、木を移動していたステラはアリアーヌに上から飛びかかる。だがそれを視界で認識することなく、スッと移動して躱すと彼女は疾走していく。


「ステラ。声を出す必要はない」

「あ……そっか。えへへ」


 頭をかきながら、走りながら恥ずかしそうに照れるその姿は思わず頭を撫でてしまいたくなるほど可愛いものだ。


 しかし、今はそんな場合ではないだろう。


 俺たちは並走しながら、次の作戦を練る。


「お兄ちゃん」

「どうした?」

「アリアーヌちゃん。すごいね」

「あぁ。アリアーヌは誰よりも努力家だ」

「そっか。なら、私も本気出しちゃおうかな!」

「魔術は使うなよ?」

「もちろん!」


 その後。文字通り、本気を出したステラに何度も捕獲されることになったアリアーヌだが、決して諦めの色は見えなかった。


 制限時間は一時間。その間を逃げ切れば彼女の勝利だが……ついに今日の訓練は、夜に突入することになった。


「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……!」


 駆ける。


 駆け抜ける。この暗くなった森の中を、微かな月明かりをもとに疾走し続ける。すでに体はピークに近いだろう。それはアリアーヌだけではなく、こちらも同様。


 この中でもおそらく一番体力のある俺でさえも、今は疲労感を覚えている。


 そして、魔術を行使し続けているアリアーヌはきっと……一番辛い思いをしているだろう。


 だが、情けはかけない。俺もステラも、いま持てる全力でアリアーヌを追いかけ続ける。圧力プレッシャーを緩めることはない。二人で森の中を駆け抜け、絶対に捕まえてやるという意志を示し続ける。


「負けません……絶対に負けませんわああああああッ!!」


 走っている先から、大きな声が聞こえてくる。


 鼓舞。


 それはきっと、自分を奮い立たせているに違いない。すでにこの鬼ごっこは何時間も継続して行われている。


 さらには、途中で出現する魔物も回避しながら逃げる必要がある。


 夜ということもあり、アリアーヌの心労は尋常ではないものになっている。


 俺とステラはこの森を完全に熟知している。また、俺に至っては夜戦の経験もある。夜の戦闘は慣れているものだ。


 一番経験がないであろう彼女は、それでもただ懸命に逃げ続けている。


「ステラ」

「うん……まずいね」


 今も並走しているが、俺たちは焦り始めていた。ステラも今までのような明るさはなく、ただ真剣な表情で走り続けている。


 残り時間は十分。


 身体強化に慣れてきたのか、それとも限界を突破したのか、アリアーヌのパフォーマンスが上がっているような気がするのだ。


「お兄ちゃん。次のアタックで逃げられたら、終わりだよ」

「分かっている。俺が上から行って、注意を引く。ステラが下から確保しろ」

「了解だよ」


 散開。


 俺は上から。ステラは下から奇襲をかける。


 颯爽と木々を飛び移っていく中で、アリアーヌの位置は補足し続けている。それは視界だけではなく、彼女の気配そのものを追いかけているのだ。


 魔術的なものではなく、訓練で身に付けた経験からくるものだ。


 そうして、徐々に距離を詰めていき……俺はそのまま上からアリアーヌの体へと抱きつくようにして襲い掛かる。


「……来ると思いましたわっ!!」


 流石に何度もくらっているので、彼女は俺の飛びかかるをギリギリで躱す。しかし、その逃げた先にはステラが控えている。


「ステラ! 今だ!」

「分かってるよっ!」


 低い姿勢で、タックルするような形でアリアーヌに思い切り飛びつくステラ。一方で、その攻撃を知覚したアリアーヌは懸命に体を動かして躱そうとする。


 一瞬の錯綜。


 アリアーヌは判断を誤ればここで捕まってしまう。だが俺は分かっていた。彼女には、唯一の逃げ道があるということを。


「んにゃあああああああああああああっ!!」


 その雄叫びはアリアーヌのものだった。


 そう。ステラのタックルはおそらく疲れのせいなのだろうが、今までよりも飛ぶ位置が低いものになっていた。


 これまではしっかりと腰を狙っていたが、今はその下あたりに飛びついている。


 アリアーヌはただ、その場で飛ぶようにして躱せばいいだけ。ステラもそれを分かっているようで、何とか彼女の体を掴もうとするが……。


 瞬間。俺の腕時計が、音を鳴らす。


「終了か」


 最後の攻防。


 勝利したのは、アリアーヌだった。彼女はなんとかその場でジャンプをすると、くるりと綺麗にステラの突撃を躱したのだ。


 そして、ボロボロにあった体を地面に投げ捨て、大の字になって呼吸を整えようとする。


「はぁ……はぁ……はぁ……わたくし……はぁ……はぁ……勝ちましたの?」

「あぁ。アリアーヌの勝利だ」

「うわーん! 悔しいよおおおおおおおっ!」


 ステラといえば、その場で本気で泣きじゃくっている。そんな妹の頭を優しく撫でる。


 ステラは負けず嫌いで、負けるとよくこうして泣いたものだったが……どうやら、まだそれは変わらないようだ。


「はぁ……はぁ……おえっ……はぁ……う……今回はちょっと、本気で……死にかけましたの……」

「そうだな。今までの中でも、最も過酷な時間だっただろう。しかし、よく乗り越えた」

「はぁ……ここで、負けてわ……乙女が廃りますわ」


 ニヤッと笑うだけの元気はあるようだ。しかし、体はいうことを聞かないのは間違いないだろう。


「よっと」

「うわっ!」


 俺はアリアーヌを自分の背中に背負うと、そのまま歩みを進める。


「ステラ。帰るぞ」

「ぐす……うん……」


 まだ泣いているステラだが、自分で歩くことはできるようだった。


「ねぇレイ」

「あぁ」

「わたくしは強くなれていますか?」

「もちろんだ。今日のこれを乗り越えたのは、誇っていいだろう。俺たち兄妹を躱すことができたのは感嘆すべきことだ」

「そう……そうですの」


 後ろから洟を啜る音が聞こえてきた。それはステラのものではなく……きっと。


 月明かりに照らされながら、俺たちは自宅へと戻っていくのだった。

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