第166話 アリアーヌの軌跡
アリアーヌ=オルグレン。
三大貴族、オルグレン家の長女。上には歳の離れた兄がいるが、家を出ているため滅多に会うことはない。そのため、彼女は一番上の姉として振る舞う必要があった。
アリアーヌは幼い頃から活発な人間であった。
「アメリア! 行きますわよ!」
「ま、待ってよぉ〜」
アメリアと幼馴染みである彼女は、二人でよく遊んだ。それこそ、日が暮れるまで外を駆け回っていた。時折、あまりにも帰ってくることが遅く、叱られることもあった。
もちろんその後は、アリアーヌは門限をしっかりと守るようになった。
三大貴族。オルグレン家の長女として、振る舞う必要がある。
そんなことは、当時のアリアーヌは考えていなかった。
アメリア。そして、レベッカが同じような悩みにぶつかった時、彼女だけは特に大きな変化はなかった。
貴族社会はこのようなものだと割り切ることが、幼いながらにできていたからだ。
だが、人は変わらずにはいられない。
まず変わったのはアメリアだった。
「アメリア! 一緒に遊びましょう!」
学校から帰ってくると、すぐにアメリアをいつものように遊びに誘う。ボールを持って、ニコニコと笑いながらアリアーヌは彼女を待つ。
しかし、返ってきた言葉はおおよそ、信じられるものではなかった。
「私は、もう遊ばない……」
それを聞いて、その場にボールを落としてしまう。
「ど、どうしてですの?」
「私は、アリアーヌとは違うから……」
踵を返す。
その背中を追いかけようとするが、アメリアはすぐに扉の向こうに行ってしまう。そして扉が完全に閉まったと同時に、アリアーヌは放心してしまう。
アメリアが悩んでいるのは知っている。
パーティーで時折、深刻そうな表情を見せていたからだ。
アリアーヌはそれでも、アメリアなら大丈夫だと思っていた。自分と同じように、割り切ることができるのだと。そう考えていたからだ。
しかし、この件を機に彼女は理解した。
この世界の全ての人が、自分と同じような考えを持っているわけではないのだと。
瞬間。突風が吹く。
長い
ふと空を見上げると、雨が零れ落ちてきた。
どうすればいいのか分からないアリアーヌは、この日を機に……アメリアと大きな溝ができてしまうのだった。
「わたくしは、どうすればいいのでしょう?」
ボソリと呟きながら、彼女は雨に濡れながら帰路へと着く。
数年後。
「ふん……ふん……ふん!」
ディオム魔術学院の入試に合格したアリアーヌは、トレーニングに励んでいた。ついに父であるフォルクから許可が降りて、筋力トレーニングが解禁された。
そこから彼女は、毎日トレーニングを重ね続けていた。
それは、父でさえも感嘆を覚えるほどに。
「アリアーヌ」
「お父様」
「よく頑張っているようだが……何か、目標でもあるのか?」
フォルクは尋ねる。
上の兄も、一番下の子であるティアナもフォルクには似ていない。だが、アリアーヌは違う。彼女はフォルクに似ていた。トレーニングに勤しむこともそうだが、何か目的を持って進んでいる。
父として、何かできることはないだろうか。
そう思って、娘に話しかけたのだ。
「……そう、ですわね」
トレーニングを中断して、父と向き合う。
「わたくしは見せたいのです」
「何をだ?」
「わたくしのこの姿を。そうすればきっと、いつかアメリアも……」
「そうか……得心した」
その後、フォルクは何かを悟ったようで特に何もいうことはなく部屋を出て行った。
アメリアと交友がほとんどなくなった日から、自分にできることは何か……それを考え続けていた。
そこで得た答えは、アメリアの先に進み続けるということだった。
彼女ならきっと、追いかけてくれる。自分の背中を見て、何かを感じ取ってくれる。
そうアリアーヌは信じていた。ずっと、ずっと信じていた。
そしてそれは、思いがけない形で実現することになる。
「それで、どこの学院の人ですの? 最近はこの手の輩が多いですが……わたくしは逃げも隠れもしません。だからあなたも、正直になるべきだと思いますわよ」
「あぁ。そうさせてもらおう。申し訳なかった、騙すような真似をして。アリアーヌ=オルグレン。あなたは本当に気高い人だ。素直に尊敬する」
初めての出会いは女装姿だった。
見たことのない生徒。
彼は、女性よりも女性らしい容姿をしていたからだ。
その出会いはアリアーヌにとって、大きな変化をもたらすことになる。
レイ=ホワイト。
調べれば調べるほど、その存在が只者ではないと考えてしまう。
出身は魔術師の家系ではない。魔術学院始まって以来の
しかし、実戦ではかなりの強さを誇り、さらにはあのアメリアを指導したという話も噂には聞いている。
アメリアに惜敗したアリアーヌは、少しずつレイに興味を持つようになった。
──アメリアは変わりました。でもそれは、きっとレイがいたから。彼は一体、何者ですの?
それから魔術協会のパーティーで出会ったり、文化祭で再び女装を目撃したりなど、レイに対する興味は尽きなかった。
そして、やって来た
その話を聞いた瞬間に思いついたのは、レイとアメリアと組むことだった。
知りたいと。アメリアの変化もそうだが、何よりも彼のことをもっと知りたい。そして、アリアーヌは知る。
レイ=ホワイトこそが、当代の【冰剣の魔術師】であることを。
「まさか……レイが……」
寮のベッドで寝ようとするが、なかなか寝付くことができない。
「お父様が言っていたのは、こういうことだったのですね」
フォルクがレイを連れてきて欲しいと言ったのは、彼が【冰剣の魔術師】だったからだ。
それにレイの過去を聞いて、その壮絶な戦いの片鱗を知っただけでもやはり……彼は普通ではなかったのだと納得する。
「はぁ……」
天井を見上げる。
アメリアに敗北して、今度は自分が追いかける番になったと。そう思ってはいるが、最近はどうにも焦燥感が募る。
それは、自分の限界がついに見えてきた……ということが起因している。
アリアーヌは努力に関しては、魔術師の中では随一と言っていいだろう。筋トレももちろんだが、魔術の訓練も欠かすことはない。
だが、あっさりとアメリアにひっくり返されてしまった。
発現した
おそらくきっと、アメリアは七大魔術師になるかもしれない。
「ですが、わたくしは──」
自分がそこにたどり着くイメージが湧かない。
別に七大魔術師に固執しているわけでもない。しかし、停滞だけはしたくはなかった。
ふと考える。
──どうしてわたくしは、進み続けているのでしょうか。
今まではアメリアのためだった。彼女のために、戦い続けてきた。
でも今は?
今は何のために、進んでいるのだろう。
それが分からない。分からないからこそ、アリアーヌは求めた。
レイ=ホワイトという存在に自分も触れてみたいと思った。
アメリアを変えて彼ならば、きっと何か知っているに違いない。
【冰剣の魔術師】ならば、きっと……。
「アリアーヌ。早いな」
「もちろんですわ!」
朝練もついに開始となった。アーノルド魔術学院への移動は、走っての移動だ。もちろんそれは、トレーニングも兼ねている。と言っても全力で走ればそれほど時間は掛からないので、アリアーヌとしては一石二鳥だと思っている。
「アメリアはどうしたんですの?」
「……逃亡か? いや、まだ集合時間の三十分前だからな。気長に待とう」
「分かりましたわ」
二人で並んで、柔軟を始める。
その際にチラリとレイの横顔を見る。
精悍な顔つきで、いつも冷静沈着。一方でユーモアを兼ね備えている魅力的な人間である。魔術師としての力量は言うまでもないだろう。
──アメリアが惹かれるのも、分かりますわ。
「って、わたくしは何を考えていますのっ!」
思わず動転してしまい、声に出してしまう。
「どうかしたのか?」
レイが顔を覗き込んでくる。その瞬間、アリアーヌは自分の考えていたことが恥ずかしくなり顔を真っ赤に染めてしまう。
「……な、何でもないですわっ!」
「そうか。では続けよう」
「えぇ!」
逸る心臓の高鳴りを何とか抑えながら、彼女は自分を落ち着かせる。
きっとレイに着いていけば何か掴めると信じて、アリアーヌは今日も訓練に励むのだった。
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