第117話 美しき姉妹の軌跡
マリア=ブラッドリィは姉が大好きだった。幼い頃からずっと、姉の後ろを追いかけていた。姉であるレベッカがいなくなるとすぐに泣いてしまう彼女は、一時たりともレベッカから離れようとはしなかった。
「えへへ。お姉ちゃん大好きっ!」
「もうマリアは甘えるのが上手ね」
「うんっ!」
そんなマリアは他の貴族から疎まれていた。血統だけならば素晴らしいものを有している。ブラッドリィ家は三大貴族なのだから。
しかし彼女はどのようなわけなのか、生まれた時からその肌も髪色も全てが純白だった。さらに、その双眸は灼けるように真っ赤なもの。
魔術師の間で稀に起こる、
ブラッドリィ家の次女であるマリアは、アルビノとして生を受けた。
もちろんそんな彼女に待っているのは、イジメとまではいかなかったが周りからは敬遠されることが多かった。
そんな時、隣にはずっとレベッカがいてくれた。
「お姉ちゃん。私って変なのかな?」
すでに物心ついたマリアは、周りとの差を感じ始めていた。今まではずっと、姉のそばにいればよかった。
でも時折聞こえてくる声がある。
『あの子って、真っ白で気持ち悪いよね』
それは幾度となく聞いてきた言葉。
中には綺麗と言ってくる人もいたが、それでもマリアを遠目に観察するような人間がほとんどだった。まるで奇妙な動物を見ているかのような視線。
三大貴族ということもあり、周囲の人間はマリアから距離を取った。
そんな中でもレベッカだけはずっとそばにいてくれた。
「そんなことないよ。マリアはとーっても可愛いんだからっ!」
「本当?」
「えぇ。この真っ白な肌も、真っ白な髪も、それに真っ赤な目もとっても綺麗。周りの人は色々と言うかもしれないけど、お姉ちゃんはずっとマリアのことを可愛いって思ってるよ?」
「お姉ちゃん……」
ギュッと抱きしめてくれるレベッカ。
まだ幼い二人。
それでも支え合って生きている。すでに三大貴族としての
魔術師として大成してほしいと、そう言われるたびに、二人は笑ってそれに答える。頑張って立派な魔術師になりますと、高らかに宣言する。いや、そうせざるを得なかった。
そして、幼いながらにも理解できた。周りの大人は、自分たちをブラッドリィ家の血統として見ているのだと。
「マリア。お姉ちゃんはずっと側にいるからね」
「うん……っ! ありがとう、お姉ちゃんっ!」
レベッカ=ブラッドリィとマリア=ブラッドリィ。
二人の姉妹の絆は永遠のものだと、二人はそう信じていた。しかし、現実はそう上手くはいかなかった。
「マリア。とっても美味しいお菓子があるの。一緒に食べない?」
「……いい。いらない」
「そっか……」
あれから二人は成長した。それは肉体的にも、精神的にも、さらには魔術師としても成長していった。それと同時に、残酷な現実に直面する。
それは、明確になる差。深い隔たりとでも言うべきか。
レベッカは全てにおいてマリアよりも上だった。勉学も運動も礼儀作法も、そして何よりも……魔術師としての力量も。
パーティーに行っても周りの貴族はレベッカの周りに集まる。
容姿、性格、魔術師としての実力。
その全てを兼ね備えた完璧な存在である姉に、マリアは劣等感を抱いていた。
「う……痛ったぁ……」
鏡の前で、自分の耳に穴を開けていくマリア。初めてした時は、何か達成感のようなものがあった。
別にピアスをしてオシャレをしたい訳でもなかった。だた、貴族とはかけ離れた自分になりかっただけ。
今まではレベッカと同様に、その髪を伸ばしていたがそれを機に奇抜なものにした。片目が隠れるような斜めになった前髪に、後ろは少しだけ刈り上げている。
おおよその容姿は貴族のものではない。
もちろん家族には色々と言われた。父であるブルーノは特に何も言わなかったが、母はマリアに対して怒りをぶつけた。
仮にも貴族の娘がする格好ではないと。
そんな時、マリアはこう言った。
「じゃあさ。私をこんな風に生んだお母さんに責任はないの? こんな真っ白で、ろくに日の下も歩けなくて……この両目も真っ赤でさ。お姉ちゃんはいいよね。だって綺麗だもん。奇抜じゃなくて、すっごく清楚。お母さんも誇らしいでしょ? お姉ちゃんのこと。だから私のことはほっといてよ。もう私は嫌なのっ! 私はどうせ、出来損ないなんだからっ!」
「待って。マリアっ……!」
ピアスはまだ上手くつけることはできず、耳からは血が流れていた。消毒もろくにせずに、化膿しているところもあった。マリアはレベッカとは違い、不器用だったから。
そんなマリアは逃げるようにして、自室へと走っていき……そして枕を涙で濡らした。
その時、コンコンコンとノックの音が鳴った。
返事はしない。ただ静かに涙を流しながら、マリアは
──どうして私はこんな姿なの? どうして私には才能がないの? どうして私はお姉ちゃんみたいになれないの? どうして、どうして?
そんな自問自答を繰り返すも、答えなどない。
今のマリアには、その答えにたどり着くことは叶わない。
そう。一人では。
「マリア」
その優しい声音は、姉であるレベッカのものだった。
母が来ていれば、マリアは拒絶していただろう。無理やり部屋から締め出していただろう。でもレベッカに対しては、そんなことはできなかった。
確かに劣等感はある。あんな姉がいなければ……と思ってこともある。
それでもやはり、マリアはレベッカのことが大好きだったから、拒絶などできなかった。
「お姉ちゃん……」
涙で濡れた顔を上げて、マリアはレベッカと向き合う。
レベッカは彼女の側に近付いてくると、ベッドに腰を下ろす。そしてマリアと視線を合わせないようにして、レベッカは話し始めた。
「私のせいでごめんなさい……と言うときっとマリアは傷つくと思う。でも、私はずっと昔から……マリアの側にいたいと思うの」
「……」
側にいると、苦しい。苦しいけど、レベッカは自慢の姉であることは間違いなかった。
──誰よりも誇らしいお姉ちゃん。
レベッカがずっと影で努力してきたことを、マリアは知っている。マリアもまた頑張って来たのは間違いない。それでもレベッカのものと比較すると、やはり劣ってしまう。
誰よりも努力家で、それを決して表には出さない。
そんな謙虚なレベッカだから、マリアは心から彼女を嫌いになることはできなかった。
外見だけではない。その在り方までもが、美しいのだ。
そんな姉を嫌いになるなど、あり得なかった。
「お姉ちゃん……」
涙を流し、レベッカの横顔を見つめるマリア。
──あぁ。やっぱりお姉ちゃんは綺麗だなぁ……。
そう思わずにはいられない。整った容姿は生まれ持ったのだ。でも髪の手入れも、肌の手入れも、体型を維持するための努力もしているのは知っている。
そんなレベッカは人として眩しかった。
そしてレベッカがゆっくりとマリアの方を向くと、視線が交わる。
「あ……」
それはマリアの声だった。何故そう声に出したのか。それは、レベッカもまた涙を流していたからだ。
ツーっと頬を伝う涙。
レベッカもまた、悲しんでいた。自分のせいで、マリアを追い詰めてしまった。本当はずっと仲の良い姉妹でいたいのに、周りの環境がそうさせてくれない。
貴族という環境。それにマリアの容姿。さらには、二人の間に存在する才能の差。努力の差。あらゆる状況が、二人の関係を引き裂いていく。
感情だけではどうにもならないと知って、レベッカは涙を静かに流す。
「もう。マリアってば、こんなにピアスを開けて……」
「ごめん。ごめんね……お姉ちゃん」
「いいのよ。マリアもオシャレをしたかったのでしょう? 私はそのピアスも、髪型も好きよ?」
優しく髪を撫でるレベッカ。
マリアは自分の心臓が締め付けられるような感覚に陥ると、正直に自分の心情を曝け出す。
「……お姉ちゃん。私はやっぱり、お姉ちゃんに劣等感を覚えちゃう……でもね、いつかきっと乗り越えるから……待っててくれる?」
「もちろん。マリアのことをずっと待ってるから。今は側に、ずっと近くにいることは難しくても……私は待ってるから」
「うん……うんっ!」
二人で抱き合って涙を流す。
何かが劇的に改善した訳ではない。依然として劣等感は残っている。レベッカもまた、下手な励ましは逆効果だと理解していた。
今は距離を取るしかないと、二人とも分かっている。
でもマリアは、すぐには無理でもきっと向き合える日が来るとそう言った。
マリアのことを両親は弱い子だと言うが、そんなことはない。
レベッカは知っている。マリアは芯の強い子で、ちゃんと乗り越えることができると、そう信じているのだから。
それから二人は、依然として適度な距離感を保つようになった。家の中にいても、必要以上に会話はしない。
でも確かに二人には姉妹の絆がまだ残っている──。
「よし……」
準備完了。
黒を基調としたワンピース。さらには日傘を持って、素肌の見える部分は黒いスリーブで覆う。サングラスも必須だ。夏は特に、気をつける必要がある。でもそれも慣れてしまった。
マリアは
──お姉ちゃんならきっと、今年も優勝してくれるはずっ!
成長し続けるレベッカをずっと下から見上げるマリア。やはりそれには、劣等感を覚えてしまう。
そんなマリアでも、
おめでとうの言葉も、不器用ながらに伝えることができた。
そして今年も頑張ってほしいと、マリアは伝えることができた。実家に戻って来た際に、少しだけ会話をしたのだ。
レベッカは「マリア。今年も頑張ってくるね」とニコリと笑いながら家を後にした。
「いってきますっ!」
珍しく家を出るときにそう言葉を出して、マリアは
姉の勇姿を、その目に灼きつけるために。
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