第77話 クラリス、前進する


「今日はここで野宿をしよう」

「レイのことだから万全なんでしょうけど、ちょっと怖いかも……」

「大丈夫だ。クラリスがしっかりとくつろげるように、準備はしてある」



 そうして俺はバックパックを地面に下ろすと、慣れた手つきでテントを組み立て始める。


 まずは骨格を作る作業から始めて、それぞれ地面に接する箇所を金具で止めるとその上に布をかぶせて完成。それにクラリスのために下に敷くマットはふかふかなものを用意してある。


 これできっと大丈夫だろう。


「よし、こんなものだな」

「おぉ! すごいわね! あ、でも……」

「ん? どうかしたか?」

「いやその……男の子と一緒のテントって。別にレイのことが嫌なわけじゃないけどっ! その……やっぱ気になるって言うか……」

「なるほど。俺は外で寝てもいいが? 慣れているしな。むしろ立って睡眠を取ることも可能だ。クラリスは一人で中で寝てもいいぞ。もちろんそれは想定内だ」

「いやいや! それは薄情すぎるでしょ!」

「……ではどうする?」

「まぁちょっと恥ずかしいけど、レイならいいわよ。変なこともしないだろうし……」

「すまない。後半が聞こえなかった。もう一度いいか?」

「だから! 一緒に寝てもいいって!」

「うむ。それではよろしく頼む」

「う……うん!」


 まずは寝る前に食事を取ることにした。


 俺はここにくる途中で、巨大蛇ヒュージスネークを確保していたのでそれを以前と同じ要領で蒲焼きにした。もちろん最後に塗るのはエインズワース式秘伝のタレだ。これを塗って焼けば、大概何でも食べることができる。

 

 火はクラリスに魔術で起こしてもらった。そこらへんにある乾燥している木を拾って、それを火にくべる。


 そうして俺とクラリスはその火の前に座って、蛇の蒲焼きを食する。加えて、飯盒炊飯はんごうすいはんでご飯も炊いてある。


 これだけでもちょっとした夕食になる。


「うわっ! うっま!」

「だろう? それにご飯にもよく合う」

「思ったけど、レイってその……元軍人なのよね?」

「そうだ」

「その時に学んだの?」

「そうだな。軍人時代に師匠に生きるための術は全て教えてもらった。魔術だけでなく、サバイバルの知識、それに人としての在り方もな」

「そっか……」


 ここに来る道中で、クラリスには改めて俺が冰剣の魔術師であることは話してある。魔術剣士競技大会マギクス・シュバリエで襲われた時から、彼女と二人で話す機会はなかったので、今になってしまったがクラリスはそれを真面目に聞いてくれた。


「でも、レイは只者じゃないと思ってたけど……まさか冰剣だなんてねぇ……」

「驚いたか?」

「そりゃあ、驚くわよ! だってあの冰剣でしょ!? 貴族の間でも、七大魔術師最強の冰剣はすごい噂になってるわよっ!」

「その噂は師匠の功績だがな。俺はそれを継いだに過ぎない」

「でもあなたの師匠とあの後ちょっとだけ話したんだけど、レイは私を凌ぐ天才だって言ってたわよ?」

「何? それは本当か?」


 師匠とクラリスが二人で話しているとは初めて聞いたので、俺は少しばかり驚いてしまう。


「えぇ。病院で治療している時に来てくれて、そう言っていたわ」

「そうか。昔から師匠は俺を面と向かって褒めはしないからな。厳しい人だが、とても優しい人でもある」

「そうね、それはよく分かったわ。その時に、レイの過去は聞いたけど……その大変だったのね。こんなこと言うのは、月並みな言葉かもしれないけど……」

「なるべくしてなった。それだけだ。当時は色々と思うところはあったが、今はこうして学生として生活できて、満足している。それに魔術領域暴走オーバーヒートも少しずつ良くなっているしな」


 そう言うと、クラリスはキョトンとした様子で質問をして来た。


魔術領域暴走オーバーヒートって、よくなるの? 聞いたことはあるけど、症状はよく知らなくて」

「まぁ魔術を使うことをやめれば良くなるな。俺の場合は少し特殊だが、完治するのも遠くないだろう」


 俺がそのように答えると、クラリスは真剣な声色でさらに質問をしてくる。


「レイは将来はどうするの?」

「……軍人に戻ることはないだろう。そうだな。意外とアメリアを教えるのが楽しかったから、教師になるかもな」

「レイが教師……!? 意外に似合ってるけど……ちょっと未知数ね」


 と、その後は色々と雑談をした。クラリスとこうして二人きり話をするのは久しぶりだったが、かなり盛り上がってしまい寝るのが遅くなった。


 そして就寝する際。クラリスはちらっと俺の方を向くと、こう告げた。


「変なことしないでよ……?」

「もちろんだ」

「……」

「どうした?」

「別にっ! おやすみっ!」

「あぁ。おやすみ」



 そして俺たちはそのまま、睡魔に身を任せるのだった。



 ◇



 早朝。


 朝の日差しで目が覚めた俺たちは、今日はあのボスであるヘラクレスオオカブトを捕獲するという目標を達成するつもりだ。


 すでに行動を起こしており、俺はクラリスの後を追うようにして移動している。彼女の動きに迷いはなく、クラリスはそのまま歩みを進めていく。


 すると、クラリスは近くにある木に近づいて、そこにある跡を指先でなぞる。


「ここで争った跡があるわね。間違いなく、あいつよ……」

「何? 奴が近くにいるのか?」

「えぇ。間違いないわね」


 普段とは打って変わってかなり真剣な顔つきでそう告げるクラリス。彼女のその表情かおはまるでプロそのものだった。


 そしてクラリスは冷静に告げる。


「じゃ、行きましょう」

「あぁ」


 そのまま森の奥に進むこと、一時間。ついに俺たちは例の目標を発見する。



「見つけた。静かにね……」

「……了解だ」


 よく見ると、かなり太い木から漏れている樹液に群がっているカブトムシの群れがあった。その中にはヘラクレスオオカブトにコーカサスオオカブトなど、大物が確かにいた(種類はクラリスに教えてもらった)。


「……レイは待ってて。私が取ってくるわ」

「あぁ……」


 クラリスは慎重に、ゆっくりと進んでいく。決して足音を立てないように、ジリジリと迫っていく。虫取り網を掲げて、その華麗な金色のツインテールをわずかに揺らすこともなく、対象との接敵を図る。


 しかし次の瞬間、クラリスの顔面めがけてヘラクレスオオカブトを筆頭にカブトムシたちが飛んで来たっ!


 その黒光りした巨大な角をクラリスにめがけて直進。羽根を羽ばたかせ、そのまま宙を舞うように飛んでくるカブトムシたち。まさに先制攻撃だ。


 カフカの森にいる虫は活発だと聞いていたが、まさか群れで攻撃してくるとは。俺はすぐに加勢しようと思うが……


 次の瞬間に目撃したのは、クラリスの華麗なる演舞だった。


「……ふっ!」


 彼女はその場にしゃがみこむと、なんとその虫あみですぐにヘラクレスオオカブトを確保。その後は次々と他のカブトムシを虫あみの中に入れていく。すでに確保しているカブトムシを逃すことなく、確保していくその姿はまさに圧巻。


 それは芸術的な舞だった。


 左右のツインテールを揺らしながら、しかし決してバランスは崩すことなく次々と冷静に一匹ずつカブトムシを捕獲していく。


 クラリスの実力は、もはや圧倒的。この技量を前に、流石のカブトムシの集団も為す術などなかった。


 俺は流石に虫取りというものに、芸術性があるとは思っていなかったので素直に感心する。


 そして、数分後。


 クラリスはついにそのカブトムシの群れを全て、虫取り網の中に確保する。


 それを一匹ずつカゴに入れると、金色の双眸を輝かせて確保したカブトムシたちをカゴ越しに見つめる。


「うわぁ……やっぱり圧巻ね! すごい大きいしっ!」

「クラリス。今の動きは?」

「ん? まぁ虫取り業界では常識よ!」

「なるほど……凄まじい技術だな」


 そう感嘆しているとクラリスはカゴをパカっと開けてしまう。すると、次々と確保したカブトムシたちが森へと帰っていく。


「いいのか? あれほどの個体ならかなりの市場価値があると思うが」

「いいのよ。別に虫をお金にすることは否定しないけど、どうせならこの森で自由に生きて欲しいと思うの」

「そうか……優しいな、クラリスは」

「べ、別にそんな大したものじゃないわよっ! ただ……好きだからこそ、自由に生きて欲しいって言うか……」


 プイッと別の方向を向いてしまうクラリス。


 次々と解放されていくカブトムシたちは、クラリスを襲うことはなかった。ただ自由に、この森へと戻っていった。


 だが例のヘラクレスオオカブトだけはクラリスの頭にちょこんと着地する。先ほどと異なり敵意はなく、クラリスの頭上でじっと静止している。


「んにゃ!? なんか頭にきたんだけど!」

「すごいな。気に入られたんじゃないか?」

「そうかもしれないわね……」


 彼女はその小さな手に、大きなヘラクレスオオカブトを乗せる。


 逃げていく様子もなく、ただクラリスの手の中に収まっている。


 その大きな角でクラリスの指を撫でているように見えるのは気のせいではないだろう。


「飼育したらどうだ?」

「うーん。でもなぁ……いま家にいる昆虫たちの中に入れてもいいのかなぁ……かなり大物だし」

「きっとこいつもそれを望んでいると思うぞ」

「そっか。そうよね。じゃあこの子の名前は、ジークフリートにしよっ!」

「おぉ! なんだか強そうだな!」

「えぇ! 超強そうでしょ! ということでよろしくね、ジークフリート!」


 よしよしと撫でると、その角を高らかに天に掲げるジークフリート。よほどクラリスのことが気に入ったのだろう。角を何度も上下にブンブンと振っている。


 その後は二人で森を散策して、様々な昆虫と触れ合った。クラリスの昆虫に関する造詣は深く、とても有意義な時間だった。


 そして俺は最後の別れ際に、クラリスにある話を持ちかけてみた。



「あー! 楽しかった! 家に帰るのがちょっと勿体無いわね!」

「ここから遠いのか?」

「うーん、まぁそんなに時間はかからないわ」

「そうか。俺も楽しかった。また行こう」

「うん!」

「それで、ちょっと話は変わるが……」

「どうかしたの?」



 頭にジークフリート乗せているクラリスがキョトンとした表情で俺を見つめる。ちなみにジークフリートはどう足掻いてもクラリスから離れる気は無いらしく、虫かごに入れる必要はないみたいだった。彼女の頭が定位置となっていた。



「クラリス。環境調査部に入らないか?」

「……それはその、思ってたけど。私が入ってもいいのかな? ここの環境調査部ってかなり有名じゃない?」


 そう。俺は後で知ったが、アーノルド魔術学院の環境調査部はハンターの間ではかなり有名らしい。というか、実は師匠も学生時代には所属していたとか。そのような理由で、クラリスは入部に躊躇していたのだ。


 黄昏の光に照らされるクラリス。


 サラサラと流れる金髪のツインテールが、その光を眩く反射している。


 そんなクラリスの瞳は僅かに揺れていた。


 ぎゅっと両手を前で握りしめて、俺の双眸をじっと見つめてくる。



「クラリス。きっと君なら、部長の課す試験を突破できる。昨日と今日、二日に渡って森に一緒にいて思ったが、クラリスならきっと立派なハンターになれる」

「……本当に?」

「あぁ。俺を信じろ」

「レイがそう言うなら……わかったわ。私、入部してみるっ!」

「その意気だ。きっと大丈夫さ。何事も行動あってこそだ」

「うんっ!」


 その数日後。


 クラリスは無事に部長の課す試験を突破して正式に環境調査部の部員となった。


「クラリス=クリーヴランドですっ! これからよろしくお願いしますっ!」


 ぺこりと頭を下げるクラリス。


 彼女はいつも以上にニコニコと笑っていた。その目指す夢に一歩だけでも近づくことができて嬉しいと、そう言っていたからだろう。


 こうして環境調査部は数年ぶりに女子部員が入り、本格的に活動していくことになる。


「クラリス、これから一緒に頑張っていこう」

「うんっ!」


 友人が夢に進むその姿を、俺はこれから焼き付けることになる。それはとても眩しくて、尊くて、美しいものだと後に知ることになる。


 願わくば、クラリスの夢がどうか叶いますように──。

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