第76話 クラリスと虫取り
本格的に夏休みに突入。
今、寮にはほとんど人はいない。
エヴィも実家に帰って、この部屋には俺一人だけだ。
それにいつものメンバーも野球をした翌日から続々と帰り始めた。
俺もまた、実家に戻る予定である。
しかし、日程的にはかなり後の方に数日だけ戻る予定なので暇をしているはずだったが……今回の夏休みは色々と予定をすでに入れてある。
今日は前々から約束していた、クラリスとカフカの森で虫取りをする予定だ。ということで俺は今まさに準備をしているところだった。
現在の時刻は四時半。
クラリスとの待ち合わせは、森の前に六時ということになっている。俺は早起きをして、こうして準備を整えている。
虫取りか……師匠とジャングルでよくやった記憶が呼び起こされる。あれをクラリスもやりたいというのだから、彼女の向上心は見上げたものだ
「よし……」
準備を整えた俺は大きなバックパックを背中に背負うと、カフカの森へと出発するのだった。
「レイっ! おはようっ! って……え?」
「おぉ。クラリス、おはようっ! まだ集合時間の十分前だというのに、早いな」
「いや、それは良いんだけど……」
「どうかしたのか? それにしても、軽装だな。大丈夫なのか?」
そう。向こうからやってきたクラリスはあまりにも軽装だった。
真っ白な無地のシャツに、短パンを履いており、靴もサンダル。また麦わら帽子をかぶるために、今日はいつもより低い位置でツインテールを結っていた。絹のようなサラサラとした左右の髪が微かな風によって、僅かに靡く。
いつもと印象は変わるが、とても可愛らしいと思う。
それに右斜めに虫かごを下げていて、丈夫そうな虫取り網を右手に持っている。背中には小さなリュックサックを背負っており、横にあるポケットには水筒が二本入っているのが見えた。
あまりの軽装に俺は驚いてしまうが、彼女なりの考えがあるのだろうか。
と、思っているとクラリスが大きな声を上げる。
「いやいや! 虫取りよね!? 今からするのは!」
「そうだが?」
「いやいやっ! そうだが? じゃないのよっ! それは完全にサバイバルをする感じでしょうっ!」
「何ッ!? 虫取りとはサバイバルの一環ではないのか!?」
「いや普通に虫取りよっ!」
「ば、バカな……俺は師匠に虫取りとはサバイバルの一環だと教えられたのだが……どちらが多くの昆虫を確保できるか競っていたのに……」
「ちなみに、あんたのいう昆虫って?」
「
「
「いや師匠にはサイズなどあってないようなものだ、ガハハ! と教えられたのだが……違ったのか」
「あぁ。あんたがどうしてそんな風になったのか、理解したわ……」
そうして俺はクラリスの想定していた虫取りを聞いたが、それは実にシンプルだった。昆虫を虫取り網で捕まえて、カゴに入れるだけだという。
俺はてっきり、昆虫型の魔物と戦闘を繰り広げて、その命を取り合うものだと勘違いしていたのだ。
こうしてクラリスと話すことで勉強になった。
今日はその本当の意味での『虫取り』とやらをしていこうではないか!
「で、その荷物どうするの?」
「一応持っていこう。今日はあっちの虫取りだから野宿もいると思ってな。色々と準備してきたんだが」
「の、野宿……!? どんな規模よ……っ!」
「とりあえずは、クラリスのいう虫取りをしよう。浅学の身の上だ、色々と教えて欲しい」
「しょ、しょうがないわね! じゃあ行くわよっ!」
「望むところだ!」
そして俺たちは二人で並んで、カフカの森へと入っていくのだった。
「……あっついわね」
「夏だからな」
「でもこの暑さも、虫取りの醍醐味なのよ!」
「なるほど。勉強になる」
「あ! みて、クワガタよ!」
クラリスは近くにいたクワガタにタタタッと近づいて、そのままジリジリと歩みを忍ばせるようにしてさらに進み……虫取り網をサッとかぶせた。その所作は素人の俺でも慣れている人間のものだとわかった。
どうやらクラリスはこの道の玄人のようだな。
「やった! ノコギリクワガタよ!」
「おぉ……なかなか良いフォルムだな」
「でしょ! かっこいいわぁ……さて、と」
クラリスはふかふかの土をすでに敷いているカゴに、捕まえたクワガタを入れると、次は隣の木にいたカブトムシに目をつけるが、クラリスが手をつけることはなかった。
「以前調べたけど、ここの森のカブトムシはなかなかに厄介よ……!」
「どうしてだ?」
「実は、カブトムシとクワガタによる大規模な戦争があったのよ。この森で」
「なんと……! クラリスにはわかるのか?」
「えぇ。それぞれの個体の傷跡、それに木の傷み具合、それと事前に調査した時にこの目で目撃したから……」
雄弁に語り始めるクラリス。
人には得手不得手がある。クラリスは学院での基本的な勉強は苦手なようだが、こうして自分の専門領域ではスラスラと言葉を紡いでいく。
俺は自分の知らない新しい知識を聞けるので、彼女の話に真剣に耳を傾ける。
「なるほど。で、勝者は?」
「カブトムシの方だったわ。特にヘラクレスオオカブトの猛攻はすごかったわ。かのパラワンオオクワガタとギラファノコギリクワガタが二匹でいっても、ヘラクレス一匹で勝ったのよ。あのしなやかな長い黒光りする
「……これが本当の虫取り。事前のリサーチが重要ということか」
「えぇ。特にカフカの森は魔術的な要因もあってか、昆虫の動きが機敏だし、
「すごいな。まるで昆虫博士だな」
褒めたつもりだが、クラリスは本当に謙遜しているようで淡々と話を続ける。その目つきは真剣そのもの。クラリスのこのような姿は初めて見るので、俺は少しだけ圧倒されていた。
「私が博士なんて、本当の博士に笑われるわよ。さて、もっと奥に行きましょう」
「このカブトムシはいいのか?」
「えぇ。この森を総べている、ヘラクレスを捕獲しないことには、始まらないわ。今日の目標は、実はヘラクレスなの」
「しかし、それはボス的な存在なのだろう? 今日中に確保できるのか?」
「実はそれも考慮して、今日は友達の家に泊まると言ってあるの。だからレイの野宿は無駄じゃないわね。きっとこれは長い戦いになるわ……」
「なんと……! 図らずしも、俺の努力は無駄ではなかった、ということか」
「えぇ。それじゃあ、いくわよっ!」
「おう!」
俺はクラリスの後ろついていくようにして、このカフカの森をさらに進んでいくのだった。
◇
「はぁ……はぁ……はぁ……」
「クラリス」
「何よ……」
「少し休憩しよう」
「それも、そうね」
俺とクラリスはあれから、さらに森の奥へと進んで行った。途中で出会う昆虫の解説などはとても興味深いものだった。クラリスは昆虫に関してはかなり造詣が深く、その知識は本当に感嘆すべきものだった。
また魔物に遭遇したりもしたが、それは俺が処理しておいた。今回はサバイバルナイフも携帯している上に、
もともと本格的なサバイバルのつもりで来ていたので、準備は万端だった。
しかし流石にクラリスは体力がきついのか、少し辛そうだったので休憩することにした。
「ふぅ……疲れたわね」
「あぁ。よく歩いたな」
二人で並んで木陰に座ると、タオルで汗を拭き取って水分補給をする。
改めて思ったが、クラリスは女性ということを考慮しなくても、やはりサバイバル的な素質がある。普通の人間だけでなく、魔術師ならばとうに根をあげてるところを彼女はそう言わないし、黙々と進み続ける。
それはクラリスの昆虫に対する情熱がそうさせるのだろうか。
それに、もともと身体能力は高いと思っていたが、やはりクラリスのポテンシャルはかなり高い。エインズワース式ブートキャンプをしたあのアメリアにも、基本的な肉体の性能は匹敵するほどだ。
おそらく、影で色々と努力しているのだろう。
「クラリス」
「ん? どうかした?」
「これを舐めておけ」
「何これ?」
「塩だ。夏は汗からの脱水もそうだが、塩分がかなり出てしまう。補給してくといい」
「……ありがと」
袋に詰めて来た塩を彼女に渡すと、クラリスはぺろっとそれを舐める。そして俺はクラリスにその件のことを話すことにする。
「それにしても、クラリスは素質がある。いや、努力もしっかりとしているようだな」
「え、なんのこと?」
「ハンターのことだ。なりたいんだろう?」
「それはそうだけど……」
「受けないのか、試験。師匠の伝手で、ハンター試験を受けることは可能だが?」
「私って、ハンターになれると思う?」
自信がなさそうな目つきで、俺の顔をじっと見上げるクラリス。その瞳は僅かに揺れているように見えた。もちろん俺は、思ったことを冷静に告げる。
「思う。ゴールドハンターの俺がいうんだ。間違いない」
「……ほんとっ!?」
「あぁ。基本的な肉体の性能も悪くない。よく努力している」
「筋トレとか、ランニングとかはその……こっそりしてるから」
「どれくらいだ?」
「もう五年以上かも」
「なんと……その継続力は感嘆すべきものだ。よし、次の試験は確か……年明けだったな。そこでブロンズのハンター試験を受けよう。大丈夫だ。俺がサポートする。しかし問題は筆記試験だな、クラリスの場合は」
「馬鹿で悪かったわねぇ……!!」
キッと睨んで来るが、おそらくクラリスの場合は勉強の仕方というか興味のあることしか勉強してこなかったのだろう。根本的に頭が悪いというわけではなく、ただバランスの問題だと俺は思っている。
「いや、きっと勉強の仕方の問題だろう。前はテストで一夜漬けをしていただろう? あれはダメだからな。学校のテストでは通じても、ハンター試験の筆記では無理だ」
「う……」
「それと……いや、これは最後に言おう」
「? まぁいいけど……」
「ではいくか!」
「うん!」
俺とクラリスは立ち上がると、この灼熱に支配されたカフカの森の中を進んでいく。
瞬間、ヒュウッと風が吹き抜ける。それはとても涼しく、火照った俺たちの体にはとても気持ち良かった。
その際にクラリスの綺麗な金色の髪が靡く。それをチラッと見ていると、彼女は何かを言いたそうにしていた。
クラリスはしばらく
「その、さ」
「どうした?」
「今日は付き合ってくれて……ありがと。それにその、ハンターのことも覚えてくれていて、嬉しかったというか……」
「どういたしまして、と言いたいところだが……これくらいならいつでも付き合うさ」
「で、でも別に勘違いしないでよ!! 感謝してるだけなんだから……っ! その……いや、その……勘違いしないでよ!!」
いつものようにそういう彼女は、顔を真っ赤にしていた。でもクラリスが素直になれないことなどとうに理解している。こうして言葉にしてくれるだけでも、俺は嬉しかった。
勘違い? あぁ、するとも。クラリスは俺といて楽しいのだと、そう勘違いをしよう。でもきっとそれは、クラリスも同じことを思っているはずだ。友人とこうして遊ぶだけでも、俺たちはこんなにも満たされるのだから。
今日は本当にここにやってきてよかったと、心から思う。
「ははは。そうだな」
「なに笑ってるのよっ! もうっ!」
「なんでもないさ。ただクラリスはいつも通りだと思ってな」
俺はそう言いながら軽く走り始める。背中に背負っているバックパックの重さなど気にしていないかのように、軽やかにその場から駆け出す。
「いくぞ! クラリスっ!」
「ムキーっ! 待ちなさ〜いっ!! 私よりも先に行かないでよねっ!」
「ははは!」
「だから笑うなーっ!」
そうして俺たちは互いに笑い合いながら、このまま虫取りを継続するのだった。
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