第50話 マスキュラーモンスターズ


 アメリアとの訓練も終了し、俺は少しだけ自分の時間を持てるようになっていた。もちろん、運営委員とアメリア応援団、それに売り子の件はすでにできることは終わっている。


 そんな俺がやってくる場所は、ただ一つだった。


「……」

「……」


 俺とエヴィは、ある場所を目指していた。今日は魔術剣士競技大会マギクス・シュバリエを三日前に控えた日だ。


 また夏休みでもあるが、学院はいつものように賑わっており、学食や購買なども機能している。


 そんな中で俺とエヴィが向かうのは、もちろんあの場所に決まっている。


「レイ、それにエヴィも来たか」

「はい」

「お世話になります」


 更衣室の前で、部長が腕を組んで体を壁に預けていた。


 その圧倒的なバルクは何よりも目立つ。そして俺たちは更衣室に入り込むと、環境調査部のみんなと合流する。


『……』


 全員黙って、黙々とトレーニングユニフォームへと着替えを済ますと、部長がこう告げた。


「よし、今日もいけるな?」

『おうっ!』


 野太い声を全員であげると、俺たちは肩で風を切りながら聖地を目指すのだった。


「おい、この気配……」

「あぁまさか……」

「来たのか……」

「ゴクリ……奴らか……」


 室内に入り込む。そこは学院の中でも一番新しい施設。それはちょうど夏休みが入った同時にできた場所。


 それは……ジムだった。そこにはあらゆる筋トレのための器具が備えてある。自重でのトレーニングはやはり負荷に限界がある。より高みへのバルクを目指すのなら、専用の機械でのトレーニングは欠かせない。


 ということで、部長が生徒会長に去年直談判したらしい。


 数多くの署名を集め、筋肉を愛するトレーニーのために、この場所を作り上げたのだ。俺たち環境調査部の部員は、その場所を尊敬と畏怖を込めて『聖域』と呼んでいる。



「圧倒的なバルクだ……」

「やはりこの学院の頂点は違うな……」

「あぁ、流石は圧倒的筋肉集団マスキュラーモンスターズだ」



 俺たちが中に入ると、そんな声が聞こえてくる。


 俺たちはちょっとした有名人のようで、この場所では特にそうらしい。そして環境調査部のメンバーのことを圧倒的筋肉集団マスキュラーモンスターズと呼称しているらしいが……ふ、悪くない響きだ。


「やぁ部長」

「どうも。お世話になります」


 部長が握手をするのは、このジムを取り仕切るトレーナーの一人だ。なんでも元環境調査部出身らしく、部長のコネでここにいるのだとか。


 そして部長に負けず劣らずの圧倒的なバルク。そのはち切れんばかりの大胸筋。肩には丸々とメロンがそのままあるようであり、脚のカットもとてつもない。


 ゴクリ……と生唾を吞み込む。


 ここはライトな層もくるが、俺たちのような本気の層もやってくる。それに今は、魔術剣士競技大会マギクス・シュバリエ間近。ということで、出場する選手が調整などに使ったりもしている。


「よし。各々トレーニングを開始しろ」

『了解っ!』


 俺たちはそのまま蜘蛛の子を散らすようにして散開。


 そして俺とエヴィが目指すのは、ベンチプレスである。昨日は徹底的に脚を二人で鍛えたので、俺たちは今日は上半身の日となっている。


「よし、今日はどれくらいでいくんだ。エヴィ」

「まずは軽く100でもいくか」

「了解した」


 ベンチプレスは、ベンチに寝た状態で上にバーベルを上げる種目である。主に、大胸筋、上腕三頭筋、三角筋などを鍛えることができる。そして念のために、俺が補助に入る。


 二人でバーベルに重りを追加して行くと、100キロのバーベルが完成。


「……ふんっ!!」


 それをエヴィは難なく持ち上げる。


「いけるー! いけるよー!」

「ふんっ!! ふんっ!!」

「へい! カモ、カモ、カモ! ワンモア!!」

「ふんっ!! ふんっ!!」

「オッケイ、ラストー!」

「ふんっ!!」


 エヴィはあっという間に十回三セットをこなす。上腕と大胸筋もパンプアップしているようで、彼の筋肉ははち切れんばかりになっていた。


「ふぅ……さて、レイもやるか?」

「あぁ」

「重さは?」

「俺も100でいこう」

「オッケ」


 エヴィが使い終わったベンチをタオルでささっと拭くと、俺はそのままそこに寝そべる。すると他の生徒が俺の方をじっと見ているのに気がつく。何やら話しているようだが、詳細までは聞こえないが……。


「おい、あれって一般人オーディナリーだろ? あんな細い体で100なんかいけるわけないだろ」

「馬鹿野郎!!」

「……え?」

一般人オーディナリーではない。あれはこの学院のバルクの頂点に立つ、圧倒的筋肉集団マスキュラーモンスターズの一人だぞ」

「ま、圧倒的筋肉集団マスキュラーモンスターズ……? ゴクリ……」

「そうだ。彼はもう、枯れた魔術師ウィザードでも一般人オーディナリーでもない。トレーニーの極地である、圧倒的筋肉人マスキュラーモンスターなのだから」

「そ……そうなのか?」

「見ていろ。その真価がこれから発揮される」


 なにやら盛り上がっている二人の生徒がいるようだが、俺はすでに準備に入っていて、完全にその声は聞こえなかった。


「あ、レイ。お前脱いだほうがいいだろ」

「あぁ……そうだったな。このままだと服が破れかねない」


 俺はベンチからスッと退くと、そのまま上半身の服を脱ぎさる。


「なぁ……!?」

「理解したか? あれが、圧倒的筋肉人マスキュラーモンスターたる所以ゆえんだ」

「何……だと……? あの圧倒的な筋肉を隠していたのか……?」

「だがまだ細身であることに変わりはない。一見すれば、細マッチョだが……」

「まさか、まだ上が?」

「そうでなければ、圧倒的筋肉人マスキュラーモンスターになることは不可能だ」


 体を軽くほぐすと、再びベンチに寝そべって……エヴィの補助の元、俺は一気にその100キロを超えるバーベルを悠々と持ち上げる。


「ふんっ!! ふんっ!!」

「お、いいぞー。でもゆっくりな。レイは慌ててやる癖があるからな」

「おっとすまない。そうだな。より大きな負荷をかけるためにも、ゆっくりやるとしよう」


 エヴィに注意されてしまったので、俺はゆっくりとこの100キロのバーベルを持ち上げるが……ふむ。やはり少し重量が足りないか。今度はもっと重いものから始めよう。


「なぁ……!? 何だあれは……!? でかい、でかいぞッ!!」

「そうだ。あれこそが、圧倒的筋肉人マスキュラーモンスター。その中でも異彩を放っているのがレイ=ホワイト。圧倒的筋肉集団マスキュラーモンスターズの中で、最も華奢きゃしゃなアイツがなぜ……? と疑う者もいる。しかしあれを見てしまえば、納得するだろう。奴は圧倒的に着痩せするタイプ。さらに、筋トレを開始すると異常なまでにパンプアップする特異体質。いや、それは本人曰く魔術的要素もあるらしい。その魔術の名は、変態メタモルフォーゼ内部インサイドコードを極めた到達点らしいが……真偽は謎だ。なんでも自由自在に肉体を変化させることができるとか……な」

「お……恐ろしい……この学院にこんな化け物がいたのか……」

「あぁ……あのまま、枯れた魔術師ウィザード一般人オーディナリーとバカにし続けてみろ」

「……まさか」

「あぁ。ペシャンコさ。彼が缶ジュースを捨てる際に、それを片手で圧縮したのは有名な話だ。いや、指先で潰したとかなんとか……それにまだまだ、潜在能力ポテンシャルはあるようだ……」

「なるほど……これはとんでもない……化け物だな……」

「あぁ。だからこそ、枯れた魔術師ウィザード一般人オーディナリーなんて名称でくくるべきではない。あの圧倒的なバルクは全てを凌駕する。だからこそ、圧倒的筋肉人マスキュラーモンスターという称号が与えられているのさ……」

「レイ=ホワイト……只者ではなかったか……俺も認識を改めよう」


 そしてエヴィと二人で交互にベンチプレスを行い、今日のノルマを達成した。途中でなにやら熱弁している二人がいたようだが、その視線はなぜか熱いものに変わっていた。


まぁ、筋肉を愛する者に悪い奴はいない。きっと、俺たちのバルクの噂でもしてたのだろう。


 そして二人で持参した水筒で水分補給をしていると、ちょうどこの場にやってきたのは……アルバートだった。


「ベンチ、いいか?」

「アルバート。久しぶりだな」

「ふ、レイも圧倒的なバルクのようだな」

「あぁ。しかし、魔術剣士競技大会マギクス・シュバリエの前に追い込んでいいのか?」

魔術剣士競技大会マギクス・シュバリエの前だからこそ、ルーティーンを崩すわけにはいかない」

「そうか。エヴィ、二人で補助をしないか?」

「お! いいぜ!」

「ふ……助かる」


 アルバート=アリウム。


 以前は色々とあったものの、最近は親交が割とある。そんな彼は迷っていた。魔術剣士競技大会マギクス・シュバリエの校内予選を勝ち抜き、どうすべきかと迷っていた時に……俺はこの場所で彼と出会った。


 そして俺は自分のこの圧倒的なバルクを彼に見せると、アルバートはこういった。「そうか……俺に足りないのは筋肉だったのか」と。


 俺はそこから力説した。魔術剣士競技大会マギクス・シュバリエで勝ち抜くためには魔術的な要因も大事だが、基本的な身体能力も上げる必要があると。


 彼はその言葉を噛みしめるようにして頷いていた。


 他人のアドバイスをしっかりと聞けるようになり、彼は今となってはそれなりのバルクを手にしていた。もちろん、歴の長い俺とエヴィにはまだ届かないが……きっと彼もまた、いつか圧倒的筋肉集団マスキュラーモンスターズに匹敵するほどの筋肉をつけるのかもしれない。



「アルバート、何キロでいく?」

「そうだな……80で頼む」

「おうよ!」


 そして俺とエヴィでささっと重りを再度調整すると、アルバートの筋トレの補助を開始する。


「ふんっ!」

「いいぞ! カモ、カモ、カモ!」

「ふんっ!」

「へい、ワンモア、ワンモア! いける、いける、いける!!」

「ふんっ! ふんっ!」

「よし、おっけいー」


 ガシャとセーフティーバーにバーベルを乗せるとちょうどいい具合にアルバートの大胸筋と上腕筋がパンプアップしていた。


「ふ……今日もいい筋トレだった」

「そうだな。期待しているぞ、アルバート。大会当日はその筋肉の成果を見せてくれ」

「あぁ」

「俺も期待してるぜ!!」

「レイ、エヴィ。いつも助かる」


 そして俺たち三人はすぐ隣の休息所へ向かうと、それぞれが飲み物を手に語り合う。


「アルバート、調子はどうだ?」


 俺がそう尋ねると、彼はフッと笑いながら答える。


「正直なところ……震えが止まらないな……」


 向かい合うようにしてベンチに座っている俺たち。そして彼の手は震えていた。俺とエヴィはなんて言葉をかけるべきか分からなかった。でも……ここは何かを言うべきだろう。そう思っていると、エヴィが口を開く。


「俺は知ってるぜ。アルバートは、ここが開いてから毎日来ていただろ?」

「あぁ。エヴィに世話になったことも多かったな」


 俺は色々と他にもやることがあったので、頻繁にこのジムに顔を出していないが……どうやら、二人はすでに交流があったらしい。


「強さを求めて、ここまできた。だが俺につきまとうのは、不安と焦燥だ。レイの強さを知って俺は……自分の世界の狭さを、自分の底の浅さを知った。でもどうしたらいい? どうすれば、俺は前に進める? そんな想いから俺はトレーニングに励んだ。もちろん筋トレもしたが、魔術的な訓練も欠かさなかった。そのお陰か、俺は校内戦でもあのアメリア=ローズに一敗するだけで、あとは全勝だった。でもな……この不安感はまだ拭えないんだ……」


 出場する選手の気持ちは、俺にはわからない。それはエヴィにもわからないだろう。皆が皆、それぞれの想いを持ってこの大会に臨もうとしている。


昨日のアメリアの時もそうだが、アルバートも同じだった。


 彼もまた、自分に疑問を抱きながら……それでも前に進もうとしているのだ。


「アルバート。月並みな言葉になるが、その迷いもまた強さに変わる時が来る」

「……レイ。お前もそうだったのか?」

「あぁ。俺も迷い、葛藤し、焦燥感に惑いながらも……ただ前に進むしかない時期があった。今のアルバートの気持ちがすべて分かるとは言わない。でもそれを飲み込んだ上で進んでこそ、辿り着ける場所もある」

「……そうか。いや、お前の言葉はやはり重みが違うな」

「俺も言わせてほしいが、この筋肉を身につけるのに……俺も色々と遠回りをして来たもんだ」

「エヴィ、そうなのか?」


アルバートは少しだけ体を前のめりにして、エヴァの話を聞く。


「あぁ。アルバートの姿を見て思ったが、俺も迷って悩んで、ここまで来た。俺は別にレイほどの過去はない。でもな、それでも努力することの重要性は理解できる。だからこそ、俺は信じてる。お前の筋肉は裏切らないってな!」

「そうか……いや、二人ともに……感謝しかない。こんな戯言たわごとに付き合ってくれるとは……」

「いや、構わないとも。友人とこうして話すのもまた、重要なことだ」

「そうだぜ! それに俺たちの友情は、この筋肉に詰まっている。そうだろ?」

「ふ……そうだな。あぁ、そうだとも」


 気がつくとアルバートの震えは止まっていた。


 別に特別なことなどありはしない。それぞれが、人並みの悩みを持って、悩みながら、不安を抱えながら、進んでいるだけだ。


 でも俺たちはそれを共有できる。一人ではない。孤独にそれに立ち向かう必要ない。


なぜならば、俺たちは友人なのだから。


「大会当日は、その姿を焼き付けよう。アルバートの勝利をな」

「あぁ! 楽しみにしてるぜ! 俺たちはちゃんとその努力を知っている。だからこそ、ぶちかましてこい! その筋肉に自信を持て!」

「あぁ……そうだな。では、また当日に会おう」


 スッと立ち上がると、彼は軽く手を上げながら去っていく。


「変わったな、アルバートも」

「そうだなぁ〜。レイに噛み付いてた時とは大違いだ」

「あぁ。そして、人は変われることができる。アルバートだけではない。自分がその意志さえ持つことができるのなら」

「……あぁ。そうだな」


 そして俺とエヴィもまた、この場を去っていく。


 大切な友人に教えられることは多い。そして俺たちはこのようにして、成長していくのだろう。互いの心に触れ合いながら──その先に進む。

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